83.大天使ステラちゃん、夜更かししてたらおばけが出るぞ
すぐにアリスのお家のお屋敷からバイバイする予定だった私たちだったけれど、パパがもう一度侯爵様の侍従さんからお話を聞くためにお屋敷に戻ることになって、私たちはアリスのお部屋に逆戻り、そのままお泊りすることになった。
私もレミもダニーとポーギーも大きくて広いお屋敷でお泊りなんてドキドキしちゃったんだけど、びっくりするくらいとっても喜んでくれたアリスが一緒にいてくれたから、私たちも嬉しくて楽しいお気持ちのお泊りになったんだ。
お風呂に入れてもらって、貸してもらったお揃いのサラサラな部屋着に着替えた私たちは、パパは大人のお客さん用のお部屋にお泊りで、私たちは昼間アリスと遊んだお部屋とも違う広くて豪華なお部屋にお布団を用意してもらった。
侍女さんたちにお布団に入るところまで見守ってもらった私たちは、もう寝るんですよって言われて明かりを消してもらった部屋で、しばらく黙ってお布団の中で寝ようって思ってた。
だけど、いつもと違うお部屋はドキドキして、なんだかソワソワ、私は眠れないなって思ったの。
私がしっかり開いたままの目で天井を見ていると、私と同じように寝付けなかったのか、ダニーの囁くみたいな小さなお声が届いたの。
「なあ、飯はさ、サッチモさんのやつのが美味かったよな」
その声は私に向けたものだったみたいだったけど、同じく起きてたらしいポーギーから「お兄ちゃんっ」って、こしょこしょ声だけど、咎めるみたいな怒ったお声がした。
「あ、いや、侯爵様んちの飯ももちろんすげえ美味かったけど、俺はやっぱお屋敷の飯のほうが好きだなって……」
「ステラの家のお料理は、そんなに美味しいんですの?」
「えっ」
次いで聞こえたのは、アリスの声だった。
アリスも起きていたみたい。
その声に、ダニーがアリスまで聞いていたことに気がついて、焦ったみたいに「あ! いや、その」って取り繕おうとしてる。
それにアリスはクスクス笑って「そんなに美味しいのでしたら、いつか私もお相伴にあずかりたいですわ」って続けた。
「おしょうばん? ってなんだっけ?」
「もう、お兄ちゃんってば、お医者様のお勉強ばっかりで敬語がてんでダメなんだからっ。おもてなしを受けるとか、お食事を一緒にするって意味っ」
「そっか。まあポーギーが得意なんだから、また教えてくれよ」
「いいけど、ちゃんと覚えてよねっ」
「覚えるよ、知ってるだろ? 覚えるのは得意だって」
「そうだけど……」
アリスの言葉が分からなかったらしいダニーが、ポーギーに質問してる声が私のところにも聞こえてる。
夜みんなが寝る時間だからか、部屋の周囲はとっても静かでこしょこしょ声も近くにいる人には聞こえちゃうくらいだ。
「お二人は仲がよろしいんですのね」
「おう、じゃなくて、はい。俺……私が兄で、ポーギー、この子は二つ下の妹なんです」
「そうでしたの! 私はてっきり、お二人は許嫁同士か何かでらっしゃるのかと……」
「「ぶふっ」」
アリスはダニーとポーギーが兄妹だって知らなかったみたい。
許嫁って言われて、ダニーとポーギーがびっくりして吹き出してる。
「えっ!? それじゃあ……っ!」
もう一人、驚いたみたいに声を上げたのは、レミだった。
なんだ、みんな起きていたんだねって私は笑っちゃう。
「うふふ、レミも起きてたんだねえ」
「もうステラったら嬉しそうに笑っちゃって……。私はちゃんと寝ようとしてたのよ。……でも、そう。アリス様はダニーとポーギーが兄妹じゃないと思っていたのね」
「そうですわ。……ああ、そうでしたのね。先ほどお話ししたとき、なんだかお互いすれ違ってしまっている気がしましたが、このせいでしたのね」
「納得だわ」
二人は納得気に頷き合った。
二人がこっそり私に教えてくれたお話によると、さっき私たちが帰ろうとしたとき、レミがアリスにしていたお話は、ダニーに憧れるのはオススメじゃないよってお話だったみたい。
そういえばレミは、アリスがダニーのことを大好きになると良くないことが起きるかもだから、軌道修正? っていうのをしようって、私にも言っていたねって思い出した。
アリスはダニーのことを王子様みたいで素敵って思ったけれど、それはポーギーを守る王子様みたいっていう意味だったみたいで、アリスにとっては、ダニーとポーギーが物語の王子様とお姫様みたいっていう意味での憧れだったみたい。
レミが拍子抜けしたみたいに息を吐く一方で、「もちろんっ、ステラとダニーの主従の関係も、夢が広がりますわ~」って、また別のアイデアが沸いてきて語り始めちゃったアリスに、今度はポーギーも「分かります!?」って、すごく前のめりで一緒に盛り上がり始めて、そんな二人を私は楽しそうだなあって、嬉しいお気持ちで眺めた。
そういえばダニーがお喋りしなくなっちゃったねって思ってダニーを見ると、ダニーはお顔を枕に突っ伏しちゃってる。
さっきまで起きてたのに、ダニー寝ちゃったのかな。
私は、そういえばって思って、じゃあこれでレミの心配事は無くなったんじゃないのかなって思った。
レミを見てみると、想像とは違って、レミのお顔はまだ晴れていないみたいだった。
「レミ、まだ心配なこと、あったかねえ」
「それが、詳しく思い出せないの。だけど、アリス様の叔父様が『アリス』の闇落ちエピソードに関係があったはずなのよ。だからアリス様にもさっき叔父様に気を付けてってお話を一応したし……。うーん、きっと実際に叔父様にお会いしたら、関連エピソードをもっと思い出せるはずなんだけど……」
アリスの叔父さんのお話は、サーカスのときにアリスからも聞いたことがあったはすだ。
たしか、アリスのパパの侯爵様の弟さんで、最近一緒に暮らし始めたって言ってた。
それから、アリスは最初は若くて格好いい叔父さんと仲良くしたいなって思っていたんだけど、叔父さんはアリスにだけ冷たかったり、かと思えばじっと見られていたりしたんだって。
それでお家の居心地が悪くなって家出をしたんだよって、あの時アリスは言ってたはずだ。
アリスと叔父さんのことでうーんうーんって悩まし気にしているレミに、私はせっかく今アリスのお家にいるから、アリスの叔父さんに会いに行っちゃうのがいいじゃないかなって思った。
うん、ナイスアイディアだ。
「会いに行ってみようか」
「無理でしょ」
バッサリだった。
ダメかぁって、私がしょんぼりになる前に、私たちがこしょこしょのつもりでしていたお話を聞いていた人がいたみたい。
「…………お会いしに、行ってみましょうか」
声がして、そっちを見る。
声の主は、さっき私とダニーの話が出ていこう、私とダニーを主人公にした物語をめいっぱいに広げてポーギーにお話ししていたアリスだった。
アリスから私とダニーを主人公にした壮大な物語を聞いていたポーギーは、もっとお話の続きを聞きたかったのか、アリスの向こうでソワソワしてるのが見えた。
だけど、私たちの会話を遮っちゃいけないと思ったのか、ポーギーは眉がしょんとしながらも控えてくれてる。
「アリス様、いいの? それに、私たちなんかがお会いできるのかしら? 侯爵様の弟さんで偉い方なんでしょう?」
「大丈夫ですわ。いつでも会いに来ていいって、言われてますもの」
アリスは言葉では断言したけれど、そのお声はどことなく弱弱しかった。
続けて、「わたくしからお会いしに行ったことは、ございませんけど……」って付け足すみたいに言うから、余計に。
どうしようかって思って、私がレミやポーギー、それからアリスのお話が止まってまた枕からお顔を上げて起きてきたダニーに目配せすると、アリスがまたお口を開いた。
「わたくし、このままは、嫌なんですわ……。レミが心配してくれていた叔父様との問題は、今ははっきりとこれと言えるものはございませんけれど、でも、同じお屋敷にいて、同じ家族のはずなのに、素っ気なくされるだけでも十分、寂しいんですの……」
「お話、してみようって、今まではなかったのかなあ」
「少しは頑張ってみたつもりでしたけど、足りなかったんですわきっと……。それに、勇気が出なかったんですの。お父様は気のせいだっておっしゃるし、私ひとりじゃどうしていいか分からなくて。でも、今日ステラや、皆さんと一緒なら……一緒ならわたくし……」
「アリス様」
「アリス」
アリスはきゅってお口を絞ると、お布団から半分出していた体をゆっくりと起こし、そのまま布団の上まで出てきてぺたんと座って私たちを見回した。
アリスの華奢な体が赤く長い髪を纏って、カーテンの隙間から差し込む細い月明かりが、アリスの瞳に反射して煌めいてる。
「わたくし、皆さんと一緒なら、勇気を出せそうなんですの」
弱気を隠して奮い立とうとするアリスは、凛として、キラキラして、絵本に出てくる女王様みたい。
勇気を出して家出を決めたアリス、知ってる人のいないサーカスに私も入れてって言えたアリス、私やテテさんやジュニアに仲良くしようといっぱいお話を聞かせてくれたアリス。
騎士さんたちがやってきた時も、隅で震えながら、それでもジュニアや小さい子たちを守ってたアリス。
私がしたサーカスの提案にも勇気を出して挑戦するって言ってくれたアリスは、それだけちゃんと自分のために勇気を出せる強い子なのに、それでも家族のために、ご自分が得意なことも当たり前よって我慢ができる、とってもよい子なんだ。
私はもうすぐ六歳になるけれど、私はこれから、アリスみたいなしっかり者のお姉さんになりたいなって思う。
それにアリスは綺麗で柔らかくていい匂いだから、とっても素敵。
私は、私が憧れちゃうアリスにもっと、アリスのやりたいことをしてみてほしいって思う。
アリスのパパは優しい侯爵様だから、アリスがもっとやりたいことを言っても、きっといいよって言ってくれると思うんだ。
もっと、嫌だなって思うことをたくさん言ったって、きっといいよって許してくれて、力になってくれると思うんだ。
叔父さんのことは、侯爵様にとって大好きな弟さんだから悩んじゃうのかもしれないけれど、アリスがもっと嫌だって言ってたくさん説明できる理由をお話できたら、侯爵様もちゃんとアリスが嫌じゃなくなるように、アリスと弟さんのことを考えてくれるんじゃないかなって思う。
私は、アリスがお上品なだけじゃなくって、もっと暴れられるようにしてあげたいって思うんだ。
絵本に出てくる女王様みたいに、思うまま、わがままに暴れて、美しく高潔に、オホホホってお上品に笑う格好いい女性になったアリスが、私は見てみたい。
私は、アリスと一緒に、アリスの叔父さんと侯爵様を相手取って、私たちのひと暴れを見せつけてやろうってひとり内心、心に決めた。
────そのときだった。
それまで静かだった私たちの部屋の前の廊下で、微かに布の擦れる音がした気がした。
部屋にいるみんなもそれに気が付いたみたいで、私の隣の布団で寝ていたレミがドシッと、掛け布団ごと体一つ分私のほうへ寄ってきて囁く。
「誰か、来た?」
「誰でしょうか? 侍女さんたちにはさっき、もう寝ましょうって言われたはずだわ」
ポーギーも不思議そうに言って、みんな、もしかしたらお喋りのせいで起きているのがバレて叱られちゃうのかもって想像に行き着いて、一層声を潜めてお互いを目配せし合った。
廊下の足音は、不自然なほど一歩ずつゆっくりと、私たちの部屋に向かって来ているみたい。
歩みに合わせて、布の擦れる音と、床の沈む重い音がする。
重たい足音は間違いなく大人の人のものだけれど、それはさっきまでいた侍女さんたちのものとは全然違っていて、大きな体の人がわざと足音を潜めてるみたいな変な感じだ。
そうっと動いているように思えるそれは、音を出さないように、気付かれないようにと気を配っているみたいに、ゆっくりゆっくりこちらへ近づいてくる。
ギッ、ギシって、微かに鳴る床の沈む音が近づいて、やがて足音の主は部屋の前まで来ると、そこでぴたりと止まってしまった。
誰も動かず、何も音のしなくなった室内で、私の隣でレミがゴクッと喉を鳴らした音だけが聞こえた。
なんだろう、なんだかそわそわして、急に心配になってきちゃった。
「おばけだったらどうしようか」
「やっ、やめてよステラ」
私が呟くと、さらにレミが近づいてきて、布団ごと私にしがみついてきた。
もうほとんど、ドッシリのしかかられてる。
ポーギーとダニーもそんな私の言葉に「えっおばけ?」「大丈夫きっと侍女さんだって」「じゃあ何で扉の前で立ち止まってるのよ」って、ちょっと緊張したみたいにこしょこしょ声で話してる。
唯一黙っているアリスはどうしてるかなって思って見ると、一人だけ布団の上に座った体勢のまま、カチンコチンに固まっちゃってた。
アリスの顔色は夜明かりでも分かるくらいに真っ白になっていて、口パクで『おばけ……?』って呟くのが分かる。
私は、ギギギと助けを求めるみたいにぎこちなくこちらを見たアリスと目が合ったんだけど、私はレミにのしかかられていて動けなかったから、自分の被っているお布団の端を持ち上げて見せてアリスを呼んでみた。
私のその動作に、アリスは“ぴゃっ”って、音がしそうなくらいの速さで私の布団の中に飛び込んでくる。
ひしっと回された腕の感触に、いつもとしがみつかれるほうが逆だねって思っていると、部屋の扉のドアノブが、ノックも無しにゆっくりゆっくり下がっていくのが見えた。
カ……チャ……。
限りなく音が出ないように、ゆっくりゆっくり開かれていく扉。
廊下に灯されたほのかな明かりが差し込んでくるのが、やたらと眩しく感じた。
頭まで布団を被った体勢で隙間から扉を見ていると、扉の隙間には確実に人が立っているのが影で分かる。
逆光でシルエットでしか見えないその影は、先ほどまでいた侍女さんたちとは似ても似つかない、背の高い人物のものだった。
人が出入りできるほどには扉は開かれず、ただ真っ黒に塗りつぶされたようなその人影は、狭く開けた扉の隙間から首だけを伸ばして室内の様子を見回しているみたいだ。
私も、私にしがみつくアリスやレミも、ダニーやポーギーもみんな布団の中で息を殺し、寝たふりをしてじっとしてた。
そうしてしばらく、熱心に室内を見回していた人影の動きが、アリスの寝ていた空の布団を見て止まる。
シンと静まった部屋の中に、その声が落ちた。
『アリスが……いない……』
地を這うような、低い、潜めた男の人の声だった。
名前を呼ばれたことで、私の布団の中にいるアリスの体が恐怖にビクッと跳ねる。
続けて、私に抱きついているアリスがぴるぴると震え始めたのが伝わってきた。
「ああああ、あくりょうたいさん、あくりょうたいさんでしゅわぁ……」
小さく小さく、アリスが震え声で呟き始めると、扉の影の意識がこちらに向いたのが感覚で分かった。
アリスの声か、もしくは震えによって私たちの布団が動いているのに気が付いたのかもしれない。
影からじっと見られているのを感じた私は、よし、と思って、布団から頭を出して影の方を見てみた。
「ねえねえ、おばけ?」
おばけは、私からの問いかけに、いくらかたじろいたように見えた。
ステラちゃん「おばけだったらどうしようか」(前のめり)





