【書籍版発売日記念SS】大商家の商会長(一児の父)ですが、毎日元気いっぱいに暮らす愛娘が可愛すぎて仕事のやる気が漲っちゃうみたいです
本日2024年4月10日、本作の書籍版発売を記念してSSを投稿させていただきます。(SSと言いつつ一万字くらいあります……!)
時間軸は、ステラちゃんとチャーリーが出会うより少し前くらい。
一話よりも二年くらい前で、ステラちゃん二歳のとある日のお話です。
「───では、その流れで進めたいと思います。会長から、商会員へ何か伝達事項はございますか?」
「いや、無いよ」
「それでは朝の申し送りは以上とさせていただきます。本日もよろしくお願いいたします」
「ああ、よろしく」
無精ヒゲの大男が慎ましい敬語を使うのを、僕は可笑しい気持ちで眺める。
男はそれに気が付いたらしく、ずっとすましていた顔をヒクリと引き攣らせた。
やっと日の登りきったばかりの朝の商会の執務室。
執務机を挟んで向かいに立つ男は片眉を上げ、部屋の周囲の気配を念入りに探り他の部下たちの影が無いと分かると、途端にその表情をガラリと変えた。
「ふんぞり返りやがって」
先ほどまで静々と、敬語で報告をしてみせていた姿はどこへやら。
一転して、そこには長年の友人を訝しげに見下ろす姿があった。
「おや、会長のデキる右腕は、朝から機嫌が悪いようだ」
「お前の機嫌が良すぎるだけだろが」
大きな手で顎のヒゲをジョリジョリとやりながら、僕の商会のナンバーツーである男、チックは、面白くなさそうに顔をしかめている。
とはいえ、付き合いの長い僕からすれば、彼のこんな姿はむしろ見慣れたものだ。
安心感すらある。
「なあ、聞いてくれないか」
「嫌だ」
「そう言わず!」
僕は、今朝からずっと彼に話して聞かせたかった話を、満を持して話すことにした。
こうなることは分かっていただろうに、僕が何か言いたいことがあるだろうと気付いて、話を振ってくれたのだろう彼はやはり、『会長のデキる右腕』だ。
口を『い』の形にしたチックが「どうせ“僕の天使”の話だろ」と言うのに、僕は、よく分かってるじゃないかと笑みを深くした。
どれだけ多忙だろうと毎日屋敷へと帰宅する僕を、仕事一筋だった頃を知っているチックは未だに珍獣を見るような目で見てくるが、きっとこの先ずっと僕のこの習慣は変わらないのだから慣れてほしい。
だって、家に帰れば妻と、二歳になった僕の愛しい娘ステラがいるのだから。
そうして今日も僕は、昨晩、僕の身に起こった天使からの素晴らしい祝福を友人に教えてやることにするのだった。
◇ ◇ ◇
仕事を終えた僕はとっておきのお土産と共に馬車に乗り、家へと帰って来た。
繁忙期のはずが平時と比べても早い帰宅に、家政を取り仕切ってくれている執事長のヘイデンが驚きながらも慌てることなく迎えてくれる。
「外に乗って来た馬車を待たせている。悪いが荷物を受け取っておいてくれないかな、ステラへのプレゼントなんだ。大きいから……そうだな、家族と食事を終えた頃、食堂まで持ってきてくれると嬉しい」
「承知いたしました」
僕はとっておきのお土産で早く愛娘ステラを喜ばせたいと逸る気持ちを抑え、その前に数日ぶりの家族団らんを過ごすべく食堂へと向かった。
ここ最近は急速に事業を拡大しているのに伴って仕事が一段と忙しく、日が昇る早朝に出かけ、家族も寝静まった深夜に帰ってくる生活が続いていたのだ。
執事長のヘイデンや、ステラの乳母であったヴァダたち、信頼のおける使用人も充実してきている今、家主が数日家に帰らなくても問題は起こらないのだろう。
だが、何より、屋敷に帰らないことには僕がおかしくなってしまうんだから、無い時間を作ってでも家には毎日帰って来ていた。
二歳になった愛しい娘のステラの存在。
そして、ステラの寝顔を眺めてから、そんなステラを産みここまで共に育ててくれた戦友にも等しい妻のディジョネッタから、今日ステラに起こった様々な出来事を事細かに聞かせてもらう時間が、何にも勝る一日のご褒美だった。
歌の名手でもある彼女が、僕と同じか、あるいは僕にも負けない熱意で聞かせてくれる寝物語ほど、僕の心を震わせ、潤わせてくれるものはないだろう。
まだまだ小さなあの子が、今日も一日を健やかに過ごしてくれたことに、これ以上ない感謝と幸福を感じる。
娘が産まれてから二年、家族を持ったという意識が高まったことで、僕の仕事への情熱は形を変え、より良い方向へと進み続けている。
父から継いだ店の内側にしか向いていなかった目は広く、遠くへ向かい。
家族のために、この街のために、この国のために。
そう思えば見える景色は各段と広く開けたものとなり、父の代からの繋がりや、優秀な従業員たちのおかげもあって、今ではわが商会は国で今一番勢いのある商会と呼ばれるまでになった。
最近になって国外へも販路を伸ばしたせいで仕事量はまたドンと増えたものの、それもまた楽しめてしまうのは己の性分か、また一歩『家族のために』という夢に近づいたという実感が感じられるためか。
やりがいというのは、本当に侮れない。
父から店を継げさえすればこの手で店をもっと大きくできるという自負はあったが、まさかここまでやれるとはと、自分事ながらに驚いていたりする。
そこに至るまで苦悩や苦痛を感じず済んだのは明らかに妻と娘のおかげで、原動力となり支えてくれた彼女たちに感謝でいっぱいの毎日の中、つい先日妻からもたらされたのが『ぬいぐるみ』の話だった。
『────あの子ったら、本当にあの絵本が大好きで。そこに出てくるキャラクターによく似た『ぬいぐるみ』がもし手に入れば、きっととても喜ぶでしょうね』
笑みに顔を綻ばせながら語った妻の何気ない言葉に、僕はもう夜更けだというのに『それだ!』と大きな声を上げてしまったのを覚えている。
興奮のまま、つい妻の両手を取って目を丸くする彼女とブンブンと握手をする。
最近になって急速に紡績技術の発展を見せている隣国で、上流階級の女性や子どもたちの間で話題になっている、精巧な作りの『ぬいぐるみ』。
その存在は知っていたし、僕の商会でも近々扱おうと、隣国の紡績業者との商談をまさに今進めようとしているところだった。
国内ではまだ手に入れている人のほとんどいない、一つ一つが手作りの特別なぬいぐるみ。
それをもし、ステラの大好きなキャラクターを真似て用意してやれたなら。
僕の妻は天才か!?
いや、天才だったな!!
妻のひらめきに感嘆しながら、さっそくそのぬいぐるみの依頼を交渉中の商会へと伝えたのは翌日のことだった。
娘のためというのを聞いた隣国の商会長が頑なだったその態度を軟化してくれたのは思いがけない拾い物で、その後も商談は順調に進み、そして、出来上がったぬいぐるみが届いたのが今日。
先ほどヘイデンに回収を頼んだ荷物というのがそのぬいぐるみである。
最近入った料理人の美味しい食事に舌鼓を打ち、家族との充実した食事の時間を終えた僕は、ヘイデンから受け取ったプレゼントの包みをステラの座る前へと置いてやった。
「おおきいつつみだねえ」
「そうだろう。びっくりしたかな?」
「もしかしたら、ステラにぷれぜんとかなあ」
「そう、よくわかったね。さあ開けてごらん」
ステラはすぐに包みに手を出すことはなく、自分の体よりも大きいんじゃないかという包みを右から左から、じーっと観察している。
不思議そうに、熱心に見つめている興味津々なその様子に、プレゼントを渡す甲斐があるなと微笑ましい気持ちになった。
しばらく見つめて満足したらしいステラは、「なにかな? なんだろうねえ?」と自問自答するように口ずさみながら包みを抱え、口の部分を結んであるリボンに手をかける。
「えっとね、ここをこうして、こうかなあ。あれ? とれないよ」
「ふふ、リボンはママが外してあげましょうか」
「ありがとう! そうしたら、ママといっしょにあけまちょうねえ」
「ええ、そうしましょう」
ディジョネッタが手伝ってやり、ステラは花びらのように幾重にも包まれていた包み紙を一枚また一枚と外していく。
そうしてやっと露わになったそれに、ステラは目をまんまるにした。
「うわあ! うわうわうわう……っ!」
中身を目にしたステラは、口をはわはわと動かし、小さなその両手を、一体どうすればというようにあわあわと振る。
「うわっ、うわあっ、トラさんだ! トラさんだよぅ!!」
全身で喜びを表し、歓声を上げるステラに、僕や妻だけじゃなく、その場にいた使用人達もみんなが思わずにっこり笑顔になった。
「これ、トラさん、トラさんだっ! すごい! なんで、どうしてぇ! おおきいトラさんだぁ!!」
ステラはすっかり驚ききりで、まんまるな目で僕や妻を見ては目の前のぬいぐるみを見て、ぬいぐるみに触れていいものか、どう扱えばいいのかわからず手を彷徨わせている。
一つだけ間違いないのは、ステラが、絵本の登場キャラクターの“トラさん”を模したぬいぐるみを、とても気に入ってくれたということ。
「ステラ。君のために用意したんだよ。手に取ってみたらどうかな」
「! うんっ!」
ステラは僕の言葉に嬉しそうに一度コクリと頭を上下させると、口を半分開いたまま両手でそっと、そっとぬいぐるみに触れた。
「!! ふわふわだ」
パァっと、花が咲くようにステラがその顔いっぱいに喜びを浮かべる。
さすがは紡績業で国力を伸ばしている隣国の商会が用意してくれたものだ、評判に違わずその質は良い。
ステラに渡す前にもちろん僕もその実物を検めたが、肌触りも手触りもよく、とても立派なものだった。
ステラが綻ばせた顔をそのままに、トラのぬいぐるみへとそっと頬ずりするように顔を埋めた。
「ふわふわだあ。トラさんは、ふわふわぁのトラさんだったんだねえ」
まるでとろけるように大きなぬいぐるみに埋もれてしまったステラを見て、食堂中にいた大人たちがみんな笑う。
「あむあむあむあむ、むうむう、わうわ」
続けて顔を埋めたまま何事かを言うステラの声はくぐもっていて、それがまるでぬいぐるみから聞こえてくるようで、ステラの堪能ぶりが伝わってくるようだった。
「あのね、ステラね、きょうはパパといっしょにねてあげようとおもうんだけれど、どうかなあ」
そう言ってステラが現れたのは、もう寝ようかと寝支度をしている最中のことだった。
明日はまた朝が早いからと、今日も夫婦の寝室でなく、執務室に備え付けられたソファーベッドで眠るつもりだった僕は部屋に一人だ。
ステラが生まれるまでは職場に泊まり込むことも多く、あまり自宅で寝泊まりするということがなかったせいもあり、僕は眠れさえすれば椅子の上だろうと床だろうと、どこでも構わない質だ。
結婚した当初など、大きなベッドで、特に元は他人であった妻と一緒に休むというのが、どうもいまいち休んだ気がしなかったくらい。
ステラが生まれてからは夫婦の寝室にステラのベッドも置いて、夜は家族三人で眠るその心地よさも知ったが、ステラが二歳になって一人部屋を持ち、夜もなるべく一人で寝る練習を始めたこともあって、家族で一緒に寝るということはまた段々と減ってきていた。
「ステラね、きょうはとくべつだよ」
そう言って一緒に寝ようとねだるステラは、なんだかもじもじと恥ずかしそうに、けれど僕がいいよと言うのが分かっているのだろう、もうすでに嬉しそうでもある。
やはり僕の天使は最高だなと、僕はもう何度も何十回も思ってきたことを改めて思った。
これは是非、明日妻に話してやらねばなと思いながら、自分が体の上に掛けていた布団の端を持ち上げてやる。
ステラを招き入れるように視線で促しながらどうぞと言ってやれば、ステラがその場でぴょんと一度跳ねて喜んだ。
それからステラは一歩、一歩、拙い足取りで僕のベッドへとやってくる。
そう、もうすっかり一人で歩くのも得意になったステラが右へ左へフラフラと、おぼつかない足取りで、だ。
それもそのはず。
なんせ、ステラは自分の体の大きさほどもある、あのトラのぬいぐるみをしっかりと抱えてやってきていたのだから。
「あのねトラさん。きょうは、パパといっしょにねてあげようねぇ。トラさんがきょうははじめておうちにきたひでしょう。だから、とくべつなんだよう」
ふふふ、と。
ステラはぬいぐるみに顔をうずめて笑いながらそう言って、重たいだろうにぬいぐるみをしっかりと抱え、僕のベッドのところまで歩いてくる。
あー、なんてかわいい生き物なのだろう。
自分の娘だからこれほど可愛く見えるのか、それともそれがステラだからなのかわからないけれど、僕が生まれてから今まで感じた中で一番の愛おしさを、娘のステラに毎日感じている。
「よいちょ」
小さく掛け声をかけたステラが抱えているトラのぬいぐるみを僕のベッドの上へ持ち上げようと背伸びした。
全く持ち上がっていない。
「よいちょ」
僕は意地悪にもステラがそうやって背伸びするのを二度眺めていた。
だって、ずっと見ていたいくらいに可愛い。
とはいえ、そうやってステラを頑張らせ続けるわけにもいかない。
腕を伸ばしてステラからトラのぬいぐるみを受け取ってやった僕は、まずはそれを親が子供にするように、そっと優しくベッドの寝心地がいい場所へ横たえてやる。
それから、満足そうなステラが続いてベッドへよじ登ってくるのを手伝ってやった。
ステラはトラのぬいぐるみの隣へと陣取り満足そうだ。
この屋敷の大きさに対してはそれほど大きくない、大人一人用のソファーベッド。
そこに僕、隣にステラ、そして虎のぬいぐるみが順に並んで寝転んだ。
「体は冷えていないかい」
「うん、らいじょぶよ!」
簡単な言葉を交わして、僕はステラに布団をかけてやった。
ステラはぬくぬくと、嬉しそうに自分の首元まで持ち上がった布団を小さな手で握り、もぞもぞと居心地のいい姿勢を探している。
ちょうどいいポジションが見つかったらしく嬉しそうにふくふくとほっぺを膨らましたステラは、「トラさんもぉ、ねんねちまちょうねえ……」と、すでに眠気を含んだ舌足らずな言葉をトラのぬいぐるみへかけてやっていた。
布団の中で、トラのぬいぐるみをぽんぽんと寝かしつけるように叩いてやっている。
小さな頃、女性使用人や妻にそうして寝かしつけてもらったのだろうと思う。
ぬいぐるみに掛けてやっていた声はそう時間をかけず小さくなり、細く静かになっていく。
ステラが部屋へとやってきてから数分と経たず。
ステラは、僕の腕の中で大きなぬいぐるみに抱きつき眠っていた。
翌朝、いつものように日の出とともに目が覚めた僕が見たのは、ベッドの真ん中ですやすやと眠るステラの寝顔だった。
僕は慣れてしまっていて気にならないが、このソファーベッドのある執務室は寝室ではないため、カーテンを引いていても遮光が十分ではない。
カーテンの隙間から日差しが入ってきてしまっているのを、ステラは眩しくないだろうかと心配に思いながらも、こんな日があるのもいいのかもしれないと思い直し、うっすらと明けてきた日の光に照らされる娘の寝顔をしばらく眺めていた。
そうして、ふと眠った時と違ってしまっているものに気づく。
ベッドを見渡し、次にベッドの下を覗き込むと、ステラが隣に寄り添って寝たはずのトラのぬいぐるみが落ちていた。
寝ている最中に押し出して落としてしまったのだろう。
僕はベッドを揺らさないようにそっとトラのぬいぐるみを持ち上げると、それをもう一度ステラの隣に寝かしてやった。
ステラは起きる様子はなかったものの、触れた手触りに何かを探すようにもそりもそりと腕を動かすと、最後には伸ばした手でトラのぬいぐるみを捕まえぎゅっと抱き込んだ。
なんて可愛いんだろう!
このプレゼントをして良かったと、僕は心からそう思った。
◇ ◇ ◇
「ただ、僕の幸せはここで終わらなかったんだ! 今日僕の出社が少し遅れた理由も、そこにあるんだけどね」
すごいドヤ顔と熱量で語り続ける腐れ縁・兼・現上司に、俺は「はあ」「ふうん」「へぇ」「ほお」と決まった相槌を一定の間隔で打つ作業を続けていた。
今日ここに至るまで、昨日までに何度も長話を止める努力はしてきた。
しかし全くの無意味どころか、逆に娘の魅力がまだ伝わっていないのだと解釈されて躍起にさせてしまうのだから、もはや本人の気が済むまで話させるのが最適解なのは自明である。
(お幸せそうなこって。ケッ)
目の前の男、国で今一番注目されている商会のトップであり、公私ともに充実している旧友ゲイリーの惚気を聞かさせられているのは独り身の俺だ。
内心で毒づく権利くらいはあるはずだろう。
学生時代からの付き合いのこいつがまさかこんなに人らしい喜びに満ちた日常を送るようになるなんてと、未だに驚きを隠せない俺は、俺もあやかれねえもんかななんて思いながら、ひたすらに語り続ける友の声と光悦とした顔を右から左へと流し続ける。
「僕は思ったんだ。このままステラとの朝のひとときを終えて出社してしまうのはもったいないって」
「へぇ」
「だから、いつもよりもゆっくりと朝の支度をし、軽い朝食を取ってから、もう一度だけ自分の執務室へと戻った」
「ひん」
あ、相槌を間違えた。
『はあ』『ふうん』『へぇ』『ほお』と『は行』で適当に揃えていたが、間違えて『ひん』が出ちまった。
なんだ『ひん』って。
まあもちろん、自分の語りに夢中なゲイリーが気付くわけもないのだが。
………もうこのあとの相槌は全部『ひん』でいいか。
「ソファーベッドの上のステラを起こしてしまうかもしれないのは分かっていた。けれど、出掛ける前にもう一度だけ娘と添い寝したいというのは、誰にも責められない自然な欲求だろう? だから僕は起こしたらかわいそうだとは思いつつ、それでもそうっとベッドの上に上がり、布団に潜り込んだんだ」
「ひん」
全くもって『ひん』である。
はよ仕事に向かいたい、何のための早起きで、何のために早朝出社してると思ってやがる。
そしてゲイリーの話によると、ステラは布団に入ってきたゲイリーの気配でゆるやかに眠りから覚醒したらしく、上半身をゆっくり布団から起こすと、寝たふりをするゲイリーを寝ぼけ目で見ていたらしい。
それから、「んむぅ」と可愛い声(ゲイリーによる再現音声は可愛くなかったので脳内補完した)でなにやら唸りながら寝ぼけまなこを手でゴシゴシとこすると、もっとゲイリーの近くに行こうとするように体と手を伸ばしてきたんだとか。
「それでね、ステラったら、僕との間にあったトラのぬいぐるみを踏んづけて、怪訝そうにそれを見たんだ。まだ寝ぼけた目で、しかめっ面をして、じーっとさ」
「ひん」
「それからこう、体全体を使って大きなぬいぐるみをずるりと布団から引きずり出して、また眉をひそめてぬいぐるみの顔をじっと見て。眠くて頭をぐらぐらさせながら、それをペイっと横に投げた。まるで、『何で大好きなパパとの間に物が挟まってるんだ』って文句をつけてるみたいに、無造作にさ。僕は寝てるふりをしてるものだから、笑いを堪えるのに必死だよ」
「ひんひん」
「でね! やっとぬいぐるみをどけたと思ったら、僕の体に沿うように隣にぴっっっっったり、くっついてきて! それから『きゅっ』って! 僕の手を握って!! 安心したみたいにふにゃっと笑って、寝ちゃったんだよおおおおおお!!」
「…………」
「もう僕帰っていいかなあ!? ねえ、多少遅刻したとはいえ、出社した僕、偉いよねえ!?」
「…………」
「ああステラ、ああ! かわいい! 僕の天使! かわいい僕のっ、かわいいステラ……っ!」
「…………」
『ひん』も出ねえとはこのことか。
どのことだ。
俺まで錯乱してきそうだ。
最高に幸せそうに悶え苦んでいる友に、俺からかけられる言葉は何も無い。
ただ、副会長として、目の前でのたうち回るこの会長をもう間もない始業時間までにシャンとさせなければならないことだけは確かだった。
最終的には『家族のためだろ働け』とさえ言えばまともになるんだから、良いのだが。
信じてるぞゲイリー。お前は家族馬鹿だが、ただの馬鹿にはなんないってな。
「今すぐ会いたい! パパは帰るよステラぁ!」
「止まれ」
「だって、だって、家でステラが僕を待って……っ!」
「“僕”じゃなくて“私”だろ。そろそろ仕事モードに入んねえと、始業デスヨ、商会長」
「でも……でも……」
「それに、嬢ちゃんは今日も『一日お仕事を頑張って帰って来たパパ』をお出迎えしたいんじゃねえんですかあ?」
「!!」
今すぐにでも飛び出していきそうなゲイリーを羽交い締めにして諭せば、ゲイリーはハッとした顔をして動きを止める。
立ち上がりかけていた体はゆっくりと会長室の執務机、その上等な椅子へと巻き戻しのように戻っていった。
「……間もなく始業時間だ。今日もジャレット商会発展のため、従業員一同気を引き締め業務に取り組むように!」
キリッじゃねえんだよ。
馬鹿め。
「ひんひん」
「なんだいその返事は? 頼むから気を抜いて怪我なんてしないでくれよ? 君は僕と商会にとって欠かせない、大切な存在なんだからね」
あっけらかんと、そういうことを言うようになったのも、嬢ちゃんの影響なのかねえ。
随分と馬鹿になった友人である上司に背を向けながら一言返し、俺は今日も会長室での朝礼を終えた。
この部屋を出れば、不思議と意識が切り替わる。
階下では、開店前の準備を慌ただしく進める優秀な部下たちの活気溢れる声が聞こえていた。
この商会は今とんでもない上り調子で、従業員たちも活力に満ち、燃えている。
商会の勢いは衰えを知らず、その規模はどんどん広がっているのに、トップがその求心力と商売の才覚でしっかりまとめちまうんだから止まらなかった。
俺は元来、数字や計算、金勘定が好きで、だからこの仕事をしている。
だけど、最近ではすっかり毎朝の習慣になってしまったこの会長とのやり取りと、そしてそれを後にするこの瞬間に、妙な充足感を感じているのも確かだった。
やりがいってやつだろうか。
俺らのやってきたことが、形になって、存外の喜びになって、今俺らに返って来てるぞ、ってな。
そんな実感に背を押されるみたいに、部屋を出る瞬間はいつも、無意識に背がピンと伸びてしまう。
今日も俺はそれにくすぐったい気分になりそうになるのを、また気付かないふりをして、緩んでいた首元のタイをキュッと引き締め直した。
こんな毎日が続きゃあいい。
あいつが一大事だと言って、家族のことを惚気てくるような、そんな毎日が。
そして、これからももっと、自慢させてやる。
わが商会の会長様の、目に入れても痛くないほど可愛いその愛娘に、俺の友人が胸を張って、立派に父親面して、俺たちはすごいことしてんだぞってそう自慢できるような、そんな商会に、のし上げてってやる。
友人からの惚気にやる気を出してるなんて、俺も焼きが回ったなと苦笑が漏れながら、俺は降りていた階段から身を乗り出して、階下へと声を張った。
「定刻だ、朝礼を始めるぞ! 今日も忙しくなるから覚悟しておけ!!」
「「「はい!!」」」
また一段と増えた部下たちの、揃えた声はどこか嬉しそうに聞こえ、ここには仕事馬鹿ばっかりだと笑ってしまう。
いずれは国で一番、世界で一番になるだろう商会の朝は、まだ始まったばかりだ。
寝ぼけたステラちゃんが踏んづけたぬいぐるみを持ち上げ眺める姿は、『紙を見つめるプーさん』のあの矯めつ眇めつな感じをイメージしてくださると嬉しいです(笑)
さて! 応援していただいているみなさまのおかげで、ついに書籍発売日を迎えることができました!
大ボリュームの、素敵な一冊になりました。
ぜひお家にお迎えいただけると幸いです(*˘︶˘*).。.:*♡
書影や詳細はこの画面の下部や活動報告、作者Xアカウントなどでご紹介しております。
ぜひ書籍版ステラちゃんも愛でてあげてください~!
まだまだお祝いムードはそのまま!
明日あたり遅ればせながらエイプリルフールなSSを活動報告に掲載したいと思います。(だいたい一話分と同じ8,000字くらい?)
書き上がり次第にはなりますが、そちらもお楽しみいただけると嬉しいです!
発売記念SSなんて、いくらあってもいいですからね……!!
●●追記●●
2024/4/11
活動報告にてSSを公開いたしました。
『もしもうっかり、攻略対象者たちが乙女ゲームの記憶を思い出したら』
https://mypage.syosetu.com/mypageblog/view/userid/1561278/blogkey/3278975/





