67.浅黒の少年と小悪魔(アーマッド視点/後)
「おい、俺もここ」
「お、アーマッド来たんか。なあなあ、この人やべえぞ」
ナイフ投げの練習場に着くなり、テテがいつもの調子で駆け寄ってきた。
俺が逃げ出す前は、俺がサーカス団で一番仲が良かった奴だ。
ステラと俺を牢屋に入れたこいつだが、あの後なんで牢屋だったのか聞いたら「姉さんに確認取れるまで、他に待たすとこなかったし」だとさ。
ふざけんな、俺があれでどれだけビビったと思ってやがる。
俺のそんな気持ちなどお構いなしに、テテは俺の肩を馴れ馴れしく抱くと、やたらと上機嫌で壁の方向を指差した。
目線で追えば、そこにはナイフの的宛てに使う様々な形をした案山子が立っていた。
「見てみ! あれ! 全部ど真ん中!」
「へえ」
「しかも、同時投げなんだって!」
「ふぅん、やるじゃねえか」
「ちげえって! 俺じゃねーよ! あの人!」
耳元で騒ぐテテをうんざりして引きはがすが、テテが今度はナイフを投げたその人物がいるらしい方向へと俺の頭を無理やりぐいっと向けた。
「痛え! やめろ!」
「あーあー、首痛めるぞやめとけ~」
声を荒げた俺にテテが何か返す前に、なぜか頭上から呑気な声がした。
一体誰がと思えば、ぬっと、俺たちに影が差す。
「!?」
見上げる体はとんでもなくでかい。
体格はひょろっとしているが、間近に立たれて、目一杯見上げてやっと顔が見えるほどの高身長の男がそこにいた。
一体いつの間に、と思ってから、既視感を覚える。
そういえば、ステラの連れがいつの間にか一人増えていて、そいつもやたらと身長の高い男だったはずだ。
昨日あのあと一度ステラに紹介されて話したはずだが、なんだか記憶に薄い。
執事のジイサンがたしか、急な事態の変化に対応するために、一人忍ばせていたとかなんとか意味の分からねえことを言っていたが、つまり遅れて合流した、ってことでいいのだろうか。
「人様の首は大事に扱えよ、急所だぞ~。さて、アーマッドだっけ、俺はヒノサダ。よろしくね」
「はあ」
「気のない返事だなあ。こう見えても俺、自称お嬢様のお気に入り門番さんだぞ。親しくしといて損はないぞ」
自称かよ、と思ったが、面倒なので「ステラも王都のほうすぐ帰るし、そしたらどうせそれきりだろ」と返した。
「ふうん。まあ俺は、そーなるとは思わないけど」
何やら意味ありげに言った自称ステラのお気に入り門番らしい男は、口元を楽しげに笑みの形にする。
読めない奴だと思いながら見ていると、やたらと機嫌のいいままのテテが「ねえ師匠!」とさっそく師匠呼びをして、まるで懐いた犬みてえに男に飛びついた。
「もっかい、もっかいやって!」
「まー、アーマッドも来たし、やるか~」
「やった! また二本同時!?」
「一本増やしちゃる」
「フゥー! マジか!」
ノリのいい奴らだと思って呆れたが、その後で男が何でもないように片手で投げた三本のナイフは、あまりにも綺麗に三体の案山子の胸元ど真ん中に命中。
続けて、間髪入れず反対の手が空を切れば、またしても三本のナイフが飛んでいて、今度は正確に案山子たちの喉元へ突き刺さっていて。
男は「さっき急所の話してたからつい癖でトドメを」なんて物騒にも思えるような冗談を言っていたが、確かに、テテが夢中になる理由が分かっちまうくらいには、俺の心にもグッとくるものがあった。
かっけー。
それから、俺も含めて各々教えてもらったりしながら練習を続けて、機材や荷物を運び、組み立て、町へサーカスの宣伝に行き、そうして毎日夜になる頃には疲れ果ててクタクタで、だけど必ず全員で揃って飯を食った。
一週間なんて一瞬で、俺もつい練習に熱が入って夜更かししたりしながら過ごして今日、ついにサーカス本番が明日に控える夜を迎えた。
みんな高揚していて、明日のサーカスのことしか考えてねえ、そんな夜。
いつものように集まった食堂で飯を食って、最後にステラが話してえことがあるっつって執事のジイサンと一緒に前に出て、そうしてやっと、俺は今このときがステラが騎士どもを言い負かして得た時間だったんだと思い出した。
サーカス団の奴らの中にも、それを思い出した奴がいたんだろう。
ステラが前に出るのを見ていたうちの何人かが、不自然にピタリと騒ぐのをやめてじっとステラを見た。
そいつらに釣られるように、他の奴らも何か感じて静かになっていく中、ステラが全員の見える位置で止まり、口を開く。
「一週間、楽しかったあ」
ステラの第一声に、固唾を飲んでた奴らからガクッと一斉に力が抜けた。
ふわふわと笑うステラを見て俺も、まさか誰か酒でも飲ましやがったんじゃねえだろうなと、緊張していた意識が逸れる。
「お洋服を飾り付けたりね、ダンスも、どんなダンスにしようかなってたくさん考えたんだあ」
ふわふわ喋ってやがる。
さすがに酔ってるってわけじゃなさそうだけど、あいつがわざわざ前にでて自分のことをつらつら話すのに何となく違和感があって、妙に危なっかしくて見てらんねえ。
なんとなく落ち着かねえ気分でステラが話しているのを見ていると、ステラが「ね、アリス」と部屋の奥の方へと視線を映した。
みんなの視線がそっちへ向き、俺もそちらを見る。
アリスは毎日日の上ってる間にバアサン家に帰ってたはずだが、今日はついにこっちに泊まりにしたらしい。
視線が集まったのに相変わらずオドオドと慌ててから、ぐっと体に力を込めると胸を張って「そうですわね!」と調律の狂ったような裏返った声を出した。
「うふふ」
嬉しそうに笑うステラが、そのままアリスのいる席の近くにいた自分の使用人連中にも声をかけ、そのまま隣のテーブルの奴ら、さらに隣のテーブルのやつらと、一人ひとり名前を呼んでは「楽しかったねえ」と言葉を交わす。
いつの間にか全員と仲良くなっていたらしいステラに、俺は感心するより先に呆れた。
これだから底抜けのお人好しは。
「ねえ、アーマッド。一週間で、分かったかなあ」
「は?」
俺の番かと思っていると、妙な聞かれ方をして拍子抜けした。
どうせ他のやつらと同じように、楽しかっただろうというようなことを聞かれると思っていたからだ。
思わず同じテーブルについていたテテとマルクスを見るが、二人とも間抜け面で見返してくるだけだった。
「何のことだよ」
「みんなが、良いか悪いか」
「!」
まさか、こんな場で、こんなに急に核心を突かれるとは思っていなかった。
『なんで俺に』と思いかけて、全ては俺がステラを巻き込んで始まった話だったのだと気付く。
ステラはただ、俺の『助けてくれ』という言葉のためにここでこんなことまでしてくれてんだって、今さら思い出す。
「……………っ」
咄嗟の答えに窮する俺に、ふわふわしていたステラが少しだけ眉を下げたのが分かった。
「今からここに、火をつけようね」
え。
それが、ステラの口から出たってことが信じられなくて、思考が止まる。
普段、執事どもが絶賛してるような天使みたいな顔をして、ステラは今、何つった。
優しさとか、慈愛とか、そんな崇高な響きが似合いそうな表情で、ここに集まった全員の顔を見回して、微笑んだステラがもう一度「火をつけるの」と言う。
「……は?」
ガタッと、目の前のテーブルが揺れて立った音にハッとする。
声の主を見れば、テテがステラを見たまま立ち上がろうとしていた。
明らかに頭に血が上った様子で、目が座っている。
「テテ」
「てめえステラ、まった、頭おかしいこと言ってんじゃねえぞ……ッ!?」
「テテ、やめときな」
ステラのほうへ向かおうというのか、テテは怒りのあまりぎこちない動きでガタガタと椅子やテーブルを大きく当て合いながら身じろぎ立ち上がった。
それをサーカス団のトップである女が諫めるように声をかけたが、彼女もまた頭にきているらしく、本気でテテを止める気はなさそうだ。
すぐにテテが飛び掛かるんじゃねえかと思ったが、テテは立ち上がったその場で、まるで怒りを逃がすようにテーブルに向かって両手を強く振り下ろした。
バンッと、木のテーブルが大きな音を立てて揺れ、上に乗っていた料理の皿があらぬ方向へ跳び上がる。
「ステラ……、どういうつもりだオイ。俺の聞き間違えだろうな。火ぃつけるっつたのか」
「………」
「火ぃつけるって! 言ったのかって、聞いてんだよ! ナァ!? 俺らのこのキャンプに! テントに! 火ぃつけるって言ったか!?」
「………そうだよ」
怒声を上げるテテに、だけど、ステラは一度も怯むことなく、最初と同じ、ふわふわだけど、全てを包み込むような、そんな大人びた表情でテテを見ていた。
「なっんで……!」
「火をつけるよ。それに、みんなの道具も、お洋服も、みんなが頑張ってご準備してたもの全部、私たちが持って行くよ」
「ア゛ァ!?」
牙をむくように言うテテに、同調する者はこの場に居なかった。
年上の団員ほど、下を向いて暗い顔をしてやがる。
それは、俺にも分かった。
ステラが伝えようとしたこと。
その意味。
そして、テテにもそれは伝わっていたらしい。
テテの勢いがどんどんと無くなり、最初カッとなってテーブルに打ち付けた手は、今はその位置のまま握りしめるように強く拳が握られている。
ステラに振るおうというんじゃないその拳が意味するのは、ステラから与えられた内容を己の中で噛み砕いたために起きてしまった、葛藤だろう。
俯いてしまったテテが強く歯を噛み合わせて己の内情と戦う一部始終を、座っていた俺は見ていた。
「…………チビ」
「うん、アーマッド」
俺は、言う。
さっきステラに問われた、その答えを。
「悪いこと、だわ。こいつらがしようとしてたこと」
「うん」
ぐっと、テーブルの上で握られたテテの拳が、ひと際強く握られ、テーブルの表面で木の軋む音がする。
「俺も、人から奪うってこと、分かってなかった」
「うん、私も分かってなかったかなぁ」
「でも、今は分かるよ」というステラの顔は、どこまでも優しくて、そして、泣きそうなくらい寂しそうに見えた。
「犯罪の片棒を担がされるって、そう思った」
「うん」
「でも、こいつらも、俺も、分かってなかったんだな」
「うん、そうかもしれないねえ」
「火をつけるとか、奪うとか、自分が“持ってる”立場になんなきゃ、分かんねえもんだな」
まだ、分かんねえ。
サーカス団の奴らが本当に悪いのか。
この一週間ずっと腹割って過ごして、少なくとも責任は無かったんじゃねえかなって思ってた。
こいつらは誰にも守られなくて、場所も人も、何もこいつらにはなくて。
だから、こいつらが生きてくためにすることを、騎士みてえな奴らが一方的に捕まえて罰するのは正しいのかって。
ステラが言うように、良いか悪いか、ずっと分かんねえままだった。
だけど、こうやって自分が“こっち”になれば、よく分かる。
奪われるってのがどんなことか知って、それでもまだ人の大事にしてるもん奪うってのは、やっぱ『悪いこと』だ。
きっと、こいつらは、特に若いやつらは知らなかった。
だけど、今ステラに言われて、知っちまった。
本気で作って、本気で集めて、本気になってやってきたことを、誰かに簡単に奪われるっていう、その意味を。
それを今からやり返されるだけなんだって言われちまえば、もうこいつらは自分たちのすることを、『良いこと』とは思えねえだろう。
「なあ、チビ」
「うん」
「頼む。明日まで、待ってやってくれねえか。こいつらももう、分かったはずだ」
こんなことを言っちまうくらいには、もう俺もこっち側だ。
「アーマッドが良いなら、良いよう」
ステラは嬉しそうに笑って、言う。
ああ、分かってたんだな、俺がこうなるってこと。
俺がこいつらの気持ちに同調しちまうのも、許しちまうのも、ステラには全部。
そのために『火をつける』なんて脅して、サーカス団のやつらに自覚させてまで───。
「ヘイデン、火をつけるやついらなくなっちゃったあ。用意してくれたのに、ごめんねえ」
「構いませんよ、お嬢様」
違った。あぶねえ。
「じゃあ明日はサーカスだ! 楽しみだねえ!」
急にふわっふわに戻んな!
おい、やっぱ誰かこいつに酒飲ましてねえか!?
誰だよこんなチビに全権力握らせてんの!?
危なっかしくて、迂闊なこと言えねえよ!
おいこら執事ども、嬉しそうに笑ってんじゃねえ!!
テテもサーカスの奴らも、何あっさり『なあんだ~』って雰囲気に戻ってんだよ! お前ら今覚えた喪失感や絶望感、ぜってー忘れず墓場まで持っていけよ! 死ぬまで罪の意識持ってやがれ!!
やっぱ今からでも騎士のバアサン連れてきて、全員説教してもらったほうがいいんじゃねえかって、俺は本気で思った。
アーマッド「何考えてんだお前、チビ! こら!」
ステラ「? ごめんねアーマッド??」
キョトン顔の小悪魔ステラちゃん。
ステラちゃんが天使に戻るまで、あと数話……痛むアーマッドの胃……





