63.大天使ステラちゃん、小悪魔になる(アリス視点)
新キャラ、アリスちゃん。
ゲーム版ルイのパートでチラッと出てきた赤い髪のご令嬢です。
わたくしの名前はアリス。
アリス・ワンダーですわ。
由緒あるワンダー侯爵家の一人娘で、お母様譲りの美しいウェーブがかった赤い髪が自慢ですの。
今年九歳になったわたくしですけれど、このたび思い立って、『家出』というのをしてやりましたわ。
今まで、歴史ある家の令嬢らしく静々と、淑やかに、気品高く振る舞ってきたわたくしでも、とうとう我慢の限界というのを迎えたのですわ。
お父様の年の離れた弟君、わたくしの叔父にあたる方が我が屋敷へと越してきたことから全ては始まりましたの。
ちょうど一年前の今頃、かの人はやって来ましたわ。
弟君は訳あってこれまで親戚との顔合わせなどされておりませんでしたので、そのときがわたくしと弟君との初対面でございました。
『………これから世話になる』
初めてお声がけをいただいたとき、わたくしは不覚ながら、素敵な方だなと思ったのですわ。
わたくしと弟君の間を吹き抜ける、爽やかな風を感じましたの。
感情の浮かばない表情、少ない口数。
お父様と同じ黒の髪は艶々として長く、成人されたばかりでまだ線の細い体に整ったお顔立ちは中性的で、神秘的な美を感じさせましたの。
ほのかな憧れのようなものが胸に灯るのを感じていたわたくしは、知らなかったのですわ。
まさか、これまでずっと交流のなかった弟君が、姪であるわたくしにだけ『人を人とも思わぬ態度』を取り、あまつさえ、『徹底して冷たく当たる』ような御方だったなんて────。
◇ ◇ ◇
「……だ、だから、わたくし、侍女たちが前にお喋りしていた『家出』を、してやったんですわ……。そうしたら、ここのサーカス団の方が、親切にしてくださって……」
わたくしは、『家出』してしまったことを、今さら後悔し始めておりました。
「こ、こんなことになるなんて……。ねえ、ステラ、およしになって……」
わたくしの震えるか細い声に、私に背を向けて立つステラは気付きません。
わたくしはもう、今の状況にどうしたらいいのか、震えながら、ジュニアを抱きしめる腕にぎゅっと力を込めました。
「キャッキャッ」
「遊んでいるのでは、ございませんのよ……」
楽しげにわたくしへ手を伸ばす腕の中のジュニアに、わたくしはただ困り果てるのでございました。
ことの始まりは、つい数時間前のことでございます。
わたくしが家出をしたのは、家族旅行で別荘地へとやってきたこのタイミングでした。
もちろん、同居人となったお父様の弟君もご一緒でございます。
弟君は相変わらずわたくしに対してだけ返事をしてくださらなかったり、かと思えば何も言わずにわたくしをじっと凝視していることもあったりと、馬車旅の間もわたくしは居心地の悪い思いをしておりましたわ。
「わたくし、お父様に言ったのでございますことよ。でも、お父様は弟君を愛しておられるから、気のせいだろうって、そればかり。だから『家出』をしてやったんでございますわ」
「ふーん」
わたくしの語りは正に、真に迫った情景描写そのもの。
だというのに、十五歳くらいの殿方、同じサーカス団の方からテテと呼ばれる目の前のお人は、興味なさそうに相槌を打つだけなのですわ。
せっかく一世一代の決意をして家出をし、このサーカス団のみなさまと合流したというのに、まるで歓迎されていないようなのも、わたくしはなんだか不満でしたの。
もう家出をしてから半日ほどが経ちますが、ずっとこんな様子なのですわ。
突然やってきたわたくしをすんなりと迎え入れた割には、まだ子どもだからとこんな部屋に隔離して、何かやらせるわけでも、仕事に関わらせるわけでもありません。
なんだか大それたことをなさると聞いてやってきたというのに、子どもは蚊帳の外なのでございます。
サーカスとやらの準備にも子どもは参加させてもらえませんし、かといって子どもを保護しているつもりでもなさそうで、未だにわたくし、家名すら聞かれておりませんの。
この隔離部屋にはわたくしよりも小さな子どもや赤ん坊たちが数人いて、そんな部屋をテテ様がお一人が出たり入ったり。
仕方がないので、わたくしはこのテテ様へお話をして差し上げたり、構ってほしがる小さな子の相手をして過ごしていたんですの。
そうしてつい先ほども、また小さい子が二人、この部屋に増えたのでございます。
「アリスは冷たくされて悲しかったんだねえ。そうだよねえ………」
「ステラったら、わたくしの気持ちがわかるのでございますね、ホロリ……」
一人はステラ。
五歳だという元気でよい子な女の子ですわ。
そしてもう一人はジュニアという赤ん坊で、この子はまだお話をするのは早いけれど、たくさん笑ってくれるやっぱりよい子です。
二人はやってきてすぐにこの部屋に馴染みましたの。
今もステラは、わたくしのする話に興味津々で詳細を聞きたがり、うんうんと大きく頷きながら聞いていてくれるのでございます。
会うなり初対面のわたくしへ大声の自己紹介を始められたときは面食らってしまいましたが、よく考えてみれば、初対面で挨拶をするのは当然のこと、むしろ礼儀正しいことですわ。
その後、わたくしの名前には『様』を付けて呼ぶのですよと教えて差し上げたのですが、意気込んだステラが「アリしゅしゃま!」と三回は連続で噛んでしまいましたので、呼び捨てで呼ぶことを許しましたの。
わたくしが九歳で、ステラは五歳。
年の近い子に「アリス」と名前だけで呼ばれるのは初めてですから、呼ばれるたびにちょっとくすぐったい気持ちになるのでございます。
わたくしの話を聞いていたステラは少しの間、悩みこむように黙ってしまいました。
感受性の高そうなステラのこと、わたくしに対する弟君の仕打ちにきっと心を痛め、想像だけで悲しい気持ちになってしまったに違いないのでございます。
「私もねえ、お家で一緒の誰かにいつも冷たくされたらねえ、きっと……、すごく…………」
もしかしたら泣いてしまうのでは、と気付いたわたくしは慌てましたわ。
年下の少女を泣かせてしまったとあっては、由緒あるワンダー侯爵家の名折れでございます。
「ステラ、あなた自身を重ねて悲しむ必要は無くてよ……っ!」
「うーん、想像できなかったあ」
「…………そう」
心配して顔を覗き込んだわたくしに、顔を上げたステラは困り眉になりながらも、まったく目元を潤ませることはなくさっぱりとしておりましたわ。
ステラはなかなか肝の座った少女のようでございますわね。
すると、わたくしとステラのやり取りをしばらく興味無さそうに見ていたテテ様が、ジュニアを連れて赤ん坊たちが寝ているところへ行ってしまいました。
おそらくこの部屋の子どもの世話を担当しているのでしょうテテ様が、わたくしのそばを離れることに、わたくしはほんの少しだけ不安な気持ちがわきました。
普段は必ず侍女が一人は近くにいるものですから、勢いで『家出』をしたときには気になりませんでしたが、今は大人が傍にいないことが少し心細くもありますの。
わたくしには劣るものの、仕立ての良い服を着ているステラも同じような境遇なのかもしれません。
そう思ったのですけれど、ステラはといえばテテ様が離れて行っても気にした様子もなく、「うーん、想像するのは難しいなあ」なんて、先ほどのわたくしの話を不思議そうに、けれど親身になろうと悩み続けてくれているだけでしたの。
やはりステラは大物でございますわね。
だから、わたくしはステラのことをとてもよい子で、仲良くなるのもいいかもしれませんわね、と思っていたんでございます。
わたくしにとって『家出』は、ちょっとしたお父様や弟君への反抗の気持ちの表明のつもりで、やって来たサーカス団だって、別荘地で話題になっていて気になったから来てみただけでございましたの。
だから、テテ様がステラと話し始めても、ただそれを聞いていただけでした。
「だーかーらあ、“パパ”と“ママ”と、あと使用人さん? だかなんか知んないけどさあ、そんな“家族”とやらに囲まれて、たかだか五年しか生きてねえお嬢ちゃんに説明したって分かりっこねえでしょー」
「五年じゃないよぅ、六年だよう」
「何言ってんだ。さっき元気よく五歳のステラだっつってたじゃねえか」
「そうだよう。でもね、六年目でね。生まれてすぐはゼロ歳でしょう。それから一年生きたら一歳になって、二年生きたら二歳になって、三年生きたら三歳になって、四年生きたら四歳になって、五年生きたら五歳になるでしょう。私は五歳になってからも生きているから、もう生きてるのは六年目なんだよう」
「え? ええ? なんだって?」
「あとねえ、もうすぐ六歳の誕生日でねえ」
「待て待て、その前の、早口言葉みたいなのをもっかい言ってみろって」
「あのね────」
テテ様は幼いステラに合わせてなのか、両手の指を折り折り数えるステラと一緒に数を数えては、なんだなんだと聞いてやっておりました。
けれど頭に疑問符を浮かべてらっしゃるのを見ると、もしかすると本当に数を数えるのが苦手なのでしょうか。
わたくしはお父様が先生を呼んでくださって数の数え方を教わるようにと言われて覚えましたが、テテ様はそうではないのでしょうか。
ステラは年齢の数え方から、今度は生まれた年号の出し方を説明しています。
先生の教え方に比べて五歳のステラの説明はとても拙くて、わたくしが生徒だったらもっとお勉強が嫌になっていたかもしれません。
けれどテテ様はなんだかわたくしの話を聞いていたときの興味無さそうな様子が嘘みたいに目を輝かせて、ステラと一緒になって夢中で自分の生まれた年の年号を数えていらっしゃるのでございます。
なんだか、わたくしが思っている『みなさん』と、ここにいらっしゃるテテ様のような『みなさん』は少し違うのではないかな、と思い始めました。
その違いが何なのかわからなくて、わからないのが怖くて、なんだかさっきまで頼もしさすら感じていたテテ様も、得体の知れない何か恐ろしいものに見えてきてしまいます。
わたくしがそんな風に自分とここの人との違いについて感じているというのに、きっとわたくしとそう変わらない方の『みなさん』の一人であるステラは、そうではない方の『みなさん』の一人らしいテテ様と、互いを知り合うことに躊躇がありませんでした。
「……なるほどなあ、やっぱ金勘定ができたほうが便利だし、数の数え方くれえは知りてえな」
「テテは教えてもらわないの?」
「誰にだよ」
「うーんと、私は先生に教えてもらったかなあ」
「俺が? その先生と? どうやって繋がるんだっつーの。これだからステラはやっぱ分かってねえよ」
「そっかあ。そうだねえ、先生って、近くに生えてないもんねえ」
「ブハッ、生えてって、木みたいにか?」
「そう、木みたいに」
「木みたいにそこらへんに数の数え方教えてくれるやつが生えてたら、ここのやつらみんなで引っこ抜いてこき使ってやるよ」
「大変だあ」
わたくしは、二人の会話を聞きながら何か分からないぞわぞわとした嫌な心地がいたしました。
ステラの素直な疑問である『先生に教わればいい』という考えは、わたくしも同じく抱いたものでございましたので。
けれど言われてみればたしかに、わたくしのように先生を連れて来てくれるお父様がいらっしゃらなければ、どうやって先生と知り合うというのでしょう。
わたくしが感じた悪寒は、テテ様にではなく、そんなことにも思い至らずに当たり前にそれが誰しもに与えられているものとばかり思いこんでいたわたくし自身の価値観に対してのものです。
「私ねえ、先生が週に何回か教えに来てくれるんだよう」
「へー。いいな」
「シドには『大変だな』って言われるよ」
「シドって誰だ? 友達か? まあ、俺には羨ましいけど」
「そっかあ」
わたくしは、お勉強があまり好きではありません。
それは、お母様に次に着るドレスを見せてもらったり、お父様からいただいたプレゼントを開けたり、おやつを食べて過ごしたりするほうが好きだからでございます。
けれど、テテ様がステラにお勉強ができるのが羨ましいと言ってらっしゃるのを聞いていると、わたくしはこれまで何か『悪いこと』をしてきたんじゃないかって、そんな風に感じましたの。
つまらない歴史の授業の途中で部屋を出たことも、お勉強をしたくない日に体調が悪いふりをしてお休みしたことも、思い起こせばそんなことが、たくさんたくさんございます。
「テテは、お勉強したらどんなことをしたいの?」
「あ? んーそうだな、何でも」
「何でも?」
「そ。今できない色んなことしてみるかな」
「ふうん」
「例えばさ、店で普通に飯買ってみたりさ。字が読めたら、あのなんだっけ、新聞? とかも読んでみてえな。新しい、色んなことが載ってんだろ?」
「今は読んじゃだめなの?」
「だっから、読めねえって」
「あ、そっかあ」
「ったく、ステラはずれてんだよ」
テテ様とステラの談笑は続いています。
わたくしはなんだか居所がないような感覚がして、赤ん坊が寝ていたりして集められている一角で、こっそり二人の話を聞き続けているのでございます。
ステラは一緒にお話ししようと誘ってくれましたが、ここでわたくしが二人の話に参加したところで、なんだかわたくしの『非常識さ』がばれてしまうのではないかと思ったのです。
ステラが来るまで、わたくしが『常識的』で、サーカス団の方々は多少『非常識』な方たちだと感じていたのが、今はわたくしの中でわけが分からなくなってしまっているのですから。
わたくしが、布の上に寝転びながらも眠る気配のないジュニアと手遊びしながら物思いにふけっていると、礼のない言葉選びながらも、ステラと楽しそうにお喋りしていたテテ様の語調が荒くなっているのに気がつきました。
「だーかーら、何度も言ってんだろ。国とか騎士とか、俺たちには関係ねーって」
「でも、決まりは守らないといけないんだよう」
「なんでだよ! 国の決まりを守れってのは、守られてるやつらの言い分だっつの」
「そうなの?」
「そーだって! そもそも国とかなんとか、俺は別の名前の国からずっとこのサーカス団で移動してきたけど、国境にゃ何もなかったぜ。ただ国の騎士のやつらがここからはなんちゃら国だ~って偉そうに、荷物を確認してきたり俺たちをジロジロ見たりしただけだ。国だのなんだのって括りは、勝手に偉いやつらが言ってるだけだろ」
「でも、みんな言ってるよう。ここは王国だって」
「先生はそう教えてくれたかもしんねえけどな、俺はじゃあどの国の国民なんだよ。親も知らねえ、家族はいねえ。生まれた場所も分かんねえ俺は、どこの国の人間だってんだよ」
語調の荒くなるテテ様に、わたくしは怖くなってしまいました。
けれど面と向かっているはずのステラは、さっきわたくしの話に共感しようとしてくれたときのように、困り顔で悩んで「うーん」と言うだけなのでございます。
す、ステラ、強いですわ。
「ステラ。な、考えてみろよ。俺は別にどの国にも守られちゃいねえ。親もいなくて、俺を守ってくれるやつも手助けしてくれるやつもいねえで生きてきた。そうだ、俺は十五歳で、十六年生きてきた。そうだろ?」
「うんうん」
「俺が物をくれって言ったとき、街のやつは石を投げたぜ。仕方なく俺が果物を取ったら、今度はそいつ警邏を呼んで、俺は捕まって、そいつは警邏に守られたんだ。俺は誰にも助けを呼べねえのに、そいつはその国の人間だから国のやつに守られたんだ」
「うんうん」
「俺がそいつの物を盗って、そいつに石を投げられるのはわかる。けど、そいつは守られてんだ。きっとそいつは国の決めた決まり事を守ってんだろう。その国の国民ってやつなんだろう。じゃあ俺はなんだ? 俺は生まれたときから、てめえの意思なんて関係なしに守ってくれるやつもいなけりゃ、どこの国民でもなかった。じゃあ、守る決まりってのはそりゃどこの何の決まりだ、何のために守るんだ! 言ってみろよ!」
これが、『喧嘩』というものでしょうか。
今まで耳にしたことのなかった大きな声と真っ直ぐな言葉の数々に、恐ろしくて身がすくみます。
はじめ、声の大きさに怯んだわたくしは、とっさにジュニアを抱え込むような体勢で身構えました。
けれど、テテ様の言葉からは、『喧嘩』というものに対して思っていたような暴力性はなかったのでございます。
テテ様のおっしゃることはわたくしにもその正否の分からない内容で、どんな先生も教えてはくださらないことでした。
ステラはどう応えるんだろうと、そう思ってステラを見ると、やはりステラは泰然として……というよりきょとんとしていたのでございます。
棒立ちのステラは目をぱちくりとしながら、捲し立てるように、煽るように話すテテ様を真っ直ぐに見上げて言いました。
「うん、守らなくていいねえ」
「す、ステラ?」
わたくしが出した困惑の呼びかけは、上機嫌のテテ様の声に上塗られました。
「だっろ?? ステラ分かんじゃん!」
「うん、それなら決まりは守らなくていいかもなあ」
「そーそー。それそれ。まー、守るとしたら、このサーカス団の決まりくれえかなって。労働力っつーの? それになるまではここで面倒見てもらったみてえなもんだからさ」
「うんうん」
「だから、このサーカス団の方針には従いてぇんだ。ほら、ステラが国の決まり守るみてえなもんだよ。俺にとって良いとか悪いとかってことじゃなくって、サーカス団のみんなで協力してやろうねって決まったことは、俺も頑張って協力するっていうかさ」
「うんうん」
わたくし、開けた口が閉じなくなってしまいました。
なんだかお話が、不穏なところに落ち着こうとしていませんこと?
「まー、場所も国の持ち物だし? 相手するのは国民ってやつだし? そいつらを守ってる立場のやつが黙っちゃいねえかもしんねーけどさ、それはそれっていうか。俺にとっちゃ何の決まりも破ってねえし、むしろ生きてくのに必要なことだし」
「うんうん」
ステラ? わたくし、それでもやっぱり、国の法は守るべきだと思うわよ?
このサーカス団の方たちが何をなさろうとしているのか、詳しく知りませんけれど、お話の流れでは国民を守る立場の方々が出張ってくるのも致し方なしのような内容ではなくて?
たくさんの人の迷惑になることなのではなくて?
わたくしの目の前でテテ様によって説得されてしまったステラは、見た目は純真な目をした天使のようなよい子なのに、考え方がいささか悪魔的になったというか、小悪魔というか……。
もしかしてこれ、わたくし、ステラにきちんと言い聞かせたほうがよろしいんではなくて?
そう思っている間にも、ステラは「あのねえ、五歳はねえ、刑罰の対象にならないんだよう」などとあまりに怖いことを言っている。
か、監督不行き届きですわっ!
ここに保護者を、ステラの保護者をー!
って、ここは保護者のいない者たちの集まるサーカス団でした!
ステラもきっと事情があってここへ来ることになっていて、テテ様の話によれば保護者がいないことは本人の責任でもなくて、そんな彼らを保護しない国こそが、悪?
……………い、いけませんわ!
わたくしまで、一体何を!??
わたくしの中の倫理が、道徳が、なんだか今絶妙なバランスで崩れそうになりながらも保たれている感覚をはっきりと感じますわ!
いやです、いやです、お父様ー!
はっ! そうです、お父様。
わたくしのお父様は、わたくしの保護者をやめたわけではございませんわ。
わたくしが勝手な勢いで『家出』をしてみただけで、お父様は忙しくともわたくしのことを大切に思い育ててくれておりますわ。
それなのに、わたくし、このサーカス団のやろうとしていることの手伝いをなどと軽々しく考えておりました。
ここの方たちとわたくしは違うのに、わたくしには、少なくともわたくしの保護者であるお父様には、守るべき法がありますのに。
まったく違う立場で生きる方々の中へ飛び込むということがどういうことなのか、わたくしは分かっていなかったのでございます。
わたくしは、国やお父様たちに守られていたのだと漠然とですが、『そちら側』の人間だったのだと自覚いたしました。
そして、それはただ生まれた場所や環境だけで決まったということも。
わたくしは知ってしまいました。
国という括りのない人がいて、誰にも守られず生きている人がいるということを。
そして、わたくしがそんな中の一人になることは、こんな思い付きの『家出』ひとつで実現してしまうような、すぐそばに在ることだってことを。
「────んじゃ、そういうことで。なあんだ、ステラ話わかるんじゃん。そーしてもらえりゃきっと姉さんたちも助かるわ」
「お姉さんがいるの?」
「違う違う、あだ名みたいなもん。ここのリーダーのこと、俺が勝手に姉さんって呼んでるだけー」
「そうなんだ」
「ね、ねえ、ステラ」
わたくしは、何やらテテ様との話がまとまったらしいステラを呼んで、悪いことに手を貸さないよう言い聞かせようと思ったのでございます。
でも、部屋の外が突然騒がしくなり再びわたくしの声は上塗られました。
「おい! なんだ!」
「なんだよテメエら!」
「くそっ! やめろ!」
音は徐々に部屋に近づいてきます。
人の叫び声と、ガチャガチャと金属の擦れるような音に、たくさんの人の足音。
そしてついに────
「全員武器を捨てろ! 身を伏せろ!」
現れた騎士と、それを率いる年老いた、けれども力強い立ち姿の女性。
それから、使用人服を着た屈強な男たちが数名。
「お嬢様!」
「ステラお嬢様!」
彼らはステラを見るなり彼女に駆け寄り、彼女の無事を確かめるとともにテテ様へ警戒の視線を向けています。
ステラはこの状況にも関わらず、そんな彼らに嬉しそうに「イソシギにヘイデン! あ、チャーリー!」と笑顔を向けておりました。
状況の変化についていけず、私がジュニアをぎゅっと抱きしめて呆然としていると、使用人服の男の一人でステラにイソシギと呼ばれた殿方がその手で、テテ様を後ろ手に拘束していたのでございます。
テテ様の手元から何か落ちたと思えば、次の瞬間には床に落ちたそれが甲高い音を立てて転がりました。
抜き身の一本のナイフ。
それがすぐ足元まで転がって来て初めて、わたくしは、わたくし自身の感じていた危機感が、それでもまだまだ足りていなかったのだと実感いたしました。
ガクンと足から力が抜けますが、ジュニアに構うために元から床に座っていたためにその場に崩れるだけで済みました。
わたくしは……、わたくしは一体『家出』などして、何を…………。
わたくしが、己の無力さに愕然となりました。
そして、考えの足りなさにも。
打ちのめされ、それから『助け』が来たことに安堵しているのもまた情けなくて項垂れていると、部屋の中に奇妙な沈黙が訪れていることに気が付きました。
「………?」
いぶかしんだわたくしが顔を上げたとき、やはりその場は、わたくしなんかの想像もつかない状況になっていたのでした。
「す、ステラ……?」
私からは、ステラの背中しか見えませんでした。
ただ、堂々とした立ち姿で、騎士たちを率いる老いた女性指揮官と対峙しているのでございます。
「ステラ様?」
ステラにチャーリーと呼ばれた青年が不思議そうに声をかけるのに、ステラは返事をしませんでした。
ステラからヘイデンと呼ばれた執事服のご老人は、ただ黙ってステラの言葉を待っているようでございました。
ステラが、まるで女性指揮官や騎士たちへ対峙するように立ち位置を変えます。
わたくしは何が起きているのか分からず、固まったままでございました。
そうして訪れた、耳に痛いほどの沈黙の中、ステラは事もなげに言ったのでございます。
「私、こっちの味方するねえ」
笑顔の小悪魔が放った一言に、その場の形勢はいとも簡単に逆転したのでございました。
アリス「お、お父様~(泣)」





