62.大天使ステラちゃん、悪い人?
───声がする。
「おいチビ、起きろ」
「! んむにあ゛あああ!?」
「ッ、っまえ、クッ、まぁた変な顔で……っ! 妙な声出しやがって……っ!! ククッ」
びっくりしてガバっと起きた私に、私を上から覗き込む体勢だったアーマッドは勢いよく顔を背けた。
それから何か堪えるみたいに数度小さく肩を震わせてる。
「ん、んむうぅ……? あれ、私、うんっと、なんだったっけ、ねえ…………?」
「寝ちまってただけだ。別に問題はねえ」
「そっかあ……、寝ちゃってたかあ……」
むにゃむにゃって私がまだ開ききらない目を擦ろうとしたら、その腕をアーマッドにがしっと握って止められた。
それから代わりに、アーマッドの親指が私の目元を優しく数度拭ってくれる。
「目ぇ覚ましたなら行くぞ。一応だが、話はついた」
「んえ?」
「ジュニアんとこに行く。チビも一緒に来い」
アーマッドの声から数拍遅れて、寝起きの頭に言葉の意味が入ってきた。
アーマッドの妹のところに行けることになったみたい。
私が一生懸命に目を開けて上と、下と、左と右とを確認すると、右の方に木の板を持って立つ大人の人がいた。
木の板には何か載せているから、トレイの代わりなのかもしれない。
大人の人は男の人が着るみたいなキリッとした格好をしているけれど、若い女の人だった。
空いている手で長い髪を顔から避けるように払うと、細く整えられた眉を片方、面白がるように上げて言う。
「この短い時間にこんなとこで寝ちまうとは、怖がることを知らない嬢ちゃんだね」
「……………このチビは、ここまでろくにぐずりも眠りもしなかったほうが不思議なんだよ」
「なんだい、庇うんだね。あの子もあんたの“弱み”かい? アーマッド」
「っ違え!!」
「ハハハ! そうやってムキになるからバレるってのに、青臭いったら。ま、隠すコツは今度教えてやろうかね」
アーマッドに向かって勝ち気に笑う女の人は、最初にここへ案内してくれたナイフ投げが得意な男の人と何だか仕草が似て見えた。
もしかしたらアーマッドの言っていた、ナイフ投げの男の人のお姉さんなのかもしれない。
手に持つ木の板に載っていたのは、浅い木の器や、水差しだろう木で出来た筒だ。
もしかしたら私たちにご飯を持ってきてくれたのかなあって思った。
『ぐう』
あ。
牢屋に響く音に、またお腹が鳴っちゃったって私は自分のお腹を両手で触る。
ご旅行の間はご飯の時間もまちまちで、お家にいた時には滅多に鳴らなかったお腹がよく鳴っちゃっている気がする。
お腹すいたなって思うのも楽しいから、私はお腹が鳴るのも嫌いじゃなかった。
ただ、触ってみたお腹はやっぱり鳴ったのかどうかよくわかんない。
そう思っていると、女の人がハハハってまた笑った。
「相変わらずだね、“はらぺこアーマッド”」
「るっせ。今のは俺じゃねえ」
「そうかい、ハハハ。コレ、食べるだけ先に食べるかい?」
「いや、ジュニアが先だ」
ああそうって、女の人は言ってひらりと手を振ってみせると、私たちに付いてくるように言って牢屋の通路を出口へと歩き出した。
牢屋の扉はかんぬきが外され開いていて、私も、先に牢屋を出ていくアーマッドに続いて低くなっている扉の枠に頭をぶつけないように気を付けてそこをくぐる。
ふと気になって、かんぬきのところを見てみた。
扉に取り付けられた鍵の部分は通した棒を引掛けることで固定する作りになっているみたいだ。
そういえばって思い出してみると、最初に私たちを牢屋に案内した男の人は鍵を掛けたりしていなかった気がする。
かんぬき自体は通されていたかもしれないけれど、もしかしたら小さな私の手を格子の隙間から出して、かんぬきくらいは外せたのかもしれなかった。
私は試してみようって思って、開いた扉の裏から腕を回して隙間に手を通し、かんぬきをがちゃがちゃしてみる。
だけどそこでアーマッドに「何やってんだ」って引きはがされちゃった。
「どこかでまた牢屋に捕まるかもしれないからねえ、外す練習をするところだったんだよう」
「どんな人生だよ」
また捕まる事もあるかもしれないなって思ったんだけど、アーマッドの言うこともたしかにそうだなって思ったから、私はかんぬきの鍵を外すことは諦めてアーマッドと二人、女の人の後を歩き出したんだ。
+ + +
「ジュニア………っ!?」
「だあ!」
無事にアーマッドの妹ジュニアと再会した時、ジュニアはとってもご機嫌だった。
ジュニアは優しい雰囲気のお姉さんが座る膝の上に座らせてもらって、両手に木で出来たスプーンと何かの器を持ってぶんぶん振ってる。
たぶん一歳半くらいかなと思う。
お口の周りを中心に、お顔や服や頭にまでパン粥の欠片みたいなのが付いていた。
ご飯の途中だったみたいで、膝の上にジュニアを乗せて支えてやっているお姉さんは私たちに気付くと、「あ、お兄ちゃんが来たね〜」とのんびりしたお声でジュニアに話しかけてあげながらあちこち付いているご飯の欠片を取ってあげてる。
アーマッドはこの光景を見てから呆然と立ち止まってしまっていて、なんだか混乱してるみたいだった。
私はその場の雰囲気が思っていたより穏やかだったのもあって、とりあえずご挨拶をしようって、ててっとジュニアのほうへ駆けていく。
後ろでアーマッドが何か制止するみたいに慌てて声を上げたみたいだったけれど、私はもうジュニアの目の前まで来ちゃっていたの。
丁度目線の高さで座っているジュニアのお顔を私は覗き込んだ。
「こんにちは、私ステラって言うの。よろしくねえ」
「だあ?」
「ステラだよ。ス・テ・ラ」
「うぶ、あ・あ~」
「うふふ、お上手だ」
私のお名前は、ちょっと難しいんだ。
私も小さい時はうまくステラってお名前が言えなかったんだけれど、たくさん練習をして今は上手に言えるようになったのよ。
ママがそう教えてくれたのを思い出しながら、私のお名前を呼ぼうと頑張ってくれたみたいだったジュニアに笑顔で上手だよって伝える。
ジュニアもそんな私につられるみたいに口元をほあほあってして笑顔になってくれた。
「ジュニアかわいいねえ。お元気みたいで良かったあ」
私がそう言って、それから良かったよねって言おうと思ってアーマッドを振り返ると、私の視線に途端ハッとなったアーマッドがジュニアに向かって駆ける。
急に動き出すものだからあちこち足や体をぶつけながらで危なっかしくて、飲み物を持った通りがかりの人は「おっと」って言ってアーマッドを避けてた。
「ジュニア、ジュニア……」
「にいに」
ジュニアのところまで来るなり両手をそっと伸ばしたアーマッドに、ジュニアが嬉しそうに一層口元をほあほあにする。
二人の伸ばし合った両手同士が触れ合う寸前、ジュニアを膝に乗せて支えているお姉さんが、私たちを連れてきたキリッとした女の人のほうを見上げて聞いた。
「うーんと、もう返しちゃっていいんだっけ〜?」
「条件がまだだよ」
「だってさ〜」
お返事を確認したお姉さんが座ったままでジュニアの腰を両手で持ち上げ、アーマッドから遠ざける位置にひょいと移動させる。
持ち上げられたジュニアが、アーマッドに両手を目一杯伸ばしたままで不満そうに「にい!」と大きな声を出した。
膝から浮いた体勢で身じろぎを始めるものだから、落ちちゃうんじゃないかって心配になる。
それはアーマッドも同じだったみたいで、慌ててキリッとした女の人へ振り返って叫んだ。
「分かった! 言われた通りにやるから、ジュニアを寄越せ!」
「ふん。あとはそっちの、ああ、ステラだったね。あんたは? やるのかい?」
「うんとね、よく分かんないけどね、がんばる」
女の人は私の自己紹介を聞いてくれてたみたいで、名前を呼ばれて問いかけられたから、私も頷いた。
牢屋でアーマッドが覚悟しておくんだよって言ってくれていたから、私も頑張らないといけないんだ。
「ハハハ、良しとしてあげようか。……渡してやんな」
「はいはい、どうぞ~」
「ジュニアッ」
ジュニアがアーマッドの腕の中へ渡されると、アーマッドはジュニアをギュッと抱きしめてその頭頂部に顔を押し当てた。
それに嬉しそうにしたジュニアが「きゃー!」ってはしゃいで、小さな両手でアーマッドの服をぎゅって握ったり叩いたりしながら応えてる。
それから、ほあほあの笑顔のお口を開いてアーマッドに言った。
「にいにい、おせえ」
「っ! ………うるせえよ。これでも前倒しして戻って来てんだ、文句言うんじゃねえ」
「おせえー、おせえー」
「遅くねえ」
ジュニアの言葉に一瞬目を見開いたアーマッドだったけれど、お口をニヤッてして言い返す。
そんなアーマッドの反応を見て、ジュニアももっともっと嬉しそうに笑顔になった。
それからアーマッドはもう一度ジュニアをギュッとしてあげたみたいだった。
ちっちゃなジュニアはまだ色んな言葉は話せないみたいだけれど、話すお言葉はアーマッドと似てる。
私は、普段も二人はこうしてお話ししてるのねって分かって、なんだか嬉しくなった。





