61.ステラちゃんの旅を見守り隊 ~道中編~(ヘイデン・ヒノサダ・チャーリー視点)
時は遡り、ステラたちがマルクスの別荘へ出発するよりもさらに前。
いつも整然としているジャレット家執事用の執務室に四人の男が集まっていた。
老齢の執事長とフットマンの少年、それからこの屋敷で門番をしている長身と逞しい体つきの二人だ。
四人は執務のために揃えられている椅子などには見向きもせず、立ったまま向き合っていた。
「駄目です。駄目、そんなの駄目です。許せません」
「落ち着きなさいチャーリー」
思わずというように声を上げたフットマンの少年チャーリーを、執事長のヘイデンは落ち着くよう諫める。
責める声色ではなく、なんならチャーリーのこの反応も織り込み済みといった様子だ。
それでもチャーリーは止まらない。黙ってその決定を聞く事なんて出来ない。
「な、なぜステラお嬢様の旅行の同行者がイソシギさんなんですか!? メイドのレイチェルさんは分かります、女性の手は必要でしょうし、彼女はお嬢様のためにいつもあれこれと気が付いては手を尽くしてくださいますから」
「ふうん、イソシギはそうじゃないって?」
長身の門番ヒノサダが面白がって茶々を入れた。
それにもチャーリーは真剣な顔をして抑揚に頷いてみせる。
ちなみに、ヒノサダに向けたチャーリーの目は瞳孔が開いていてちょっと怖い。
「イソシギさんは、あの人は、おかしいんですよ普段から……っ!」
「ブフッ!」
ヒノサダは吹き出した。
真面目なチャーリーとは思えない言い草だ。
ヘイデンは僅かに眉を動かしただけだったが、ヒノサダは完全に笑いのツボにクリーンヒットだ。
なんとか笑いを堪えようと、隣に立つもう一人の門番ナベテルの逞しい肩口に顔を突っ込んで体を震わせた。
それを肩で受け止めているナベテルは、ただ両腕を組んだ仁王立ちのまま黙って憮然としている。
「とにかく! イソシギさんだけが護衛なんて俺、私は、納得できません!」
「……それほどですか。ふむ。では、他の者なら納得できますか?」
「それは……………、いいえ……」
ヘイデンに問われ、チャーリーは勢いを無くした。
それから苦々しい顔になるもすぐにその表情を消し、目を伏せて謝罪した。
「すみません。……私自身が同行できないことへの不満を、人選にすり替えてしまった部分がありました」
「素直でよろしい」
ヘイデンも、チャーリーがこうなるだろうことは話を始める前から予想が出来ていた。
日頃ステラに四六時中侍っているのだから、ステラにとって初めての遠出となる機会に共にいられないのは不本意だろう。
しかしそれでも、『自分ではない』という事以上に『イソシギだから』という部分にチャーリーが強く反発したのは意外だった。
二人に深い付き合いは無かったと思うが、それほどチャーリーにとってイソシギに気がかりなところがあるということだろうか。
ひとまずチャーリーの言いたい事をすべて聞いてみようと、ヘイデンは視線でチャーリーに発言の続きを促した。
「私はイソシギさんとあまり、その、接する機会も少ないのですが……。その短い付き合いの中でも、イソシギさんは二言目にはすぐ『自分は普通だ』『自分は大したものじゃない』というようなことをおっしゃるんです」
「ふむ」
「………そのくせ、やけに大胆な事をされます。普通は慎重になるような場面でも、『大丈夫』って口癖のようにおっしゃって。見ていて危なっかしいんです。………まあ、結果を見れば確かに、あの人にとっては『大丈夫』の範疇なのでしょうけど」
「………」
チャーリーの主張は、ヘイデンにとってはあまりピンと来ない内容だった。
しかし、笑いから復活したらしいヒノサダが「チャーリー分かってるね~」と返し、ナベテルもそれに頷くのを見てどうやらイソシギにはそういう面があるらしいとヘイデンも納得する。
先輩たちから同意をもらえたことに背中を押されたのか、一度は控え目になっていたチャーリーも再び力説するようにイソシギのことを話し出した。
「あの自覚のなさは本当に危ういですよ。あの人は決して普通じゃないのに。頭のねじがどこかへ行っているんじゃないでしょうか」
「………なるほど、耳が痛いですね」
「そんな、どうしてヘイデンさんが」
「あれは私が育てましたから」
熱量を増していくチャーリーの弁に、ヘイデンはやや頭が痛そうに応えた。
思いがけずヘイデンがダメージを食らっているらしい事に気付き、チャーリーは慌てる。
部下の振舞いは上司の責任などと、ヘイデンを糾弾するようなつもりは毛頭なかった。
「へ、ヘイデンさんが育てたといっても、たかだか執事教育であって……! あの人のあの気質はきっと生来、育ってきた過程によるものですよ……!」
「息子なんです」
「……………………………は?」
チャーリーは、ポカンと口を開けたまま思考停止した。
「息子なんです。私の、実子です」
ヘイデンの微笑み。
硬直したチャーリー。
ヒノサダが、再びナベテルの肩口に飛び込む勢いで顔を埋めた。
どれだけ押し殺したつもりでも、室内に落ちた沈黙の中ではヒノサダのヒイヒイと楽しそうな笑い声は隠れようがなかった。
+ + +
それから数日後、ステラの乗る馬車がマルクスの別荘へ向けて出発する日がやってきた。
結局、あの後チャーリーはヘイデンとイソシギが親子だということを知った衝撃でうまく主張をすることが出来なくなり、なし崩し的に今回の人事を受け入れざるを得なくなった。
そもそも、ただのフットマンであるチャーリーは当主のゲイリーや執事長のヘイデンの決定に異を唱えられる立場でもなし、ただあの場ではヘイデンがチャーリーの気持ちを汲んで事前に話をしてやったにすぎない。
他の者より先に知らせてやるから気持ちの整理をつけなさいと、ヘイデンがチャーリーに求めることはそれだった。
チャーリーも、非常に不本意ではあったがイソシギについて言いたい事は言ったし、その後にステラたちを護衛する密命を受けたこともあって、非常に不本意ではあったが納得した。
非常に不本意ではあったが。
ゲイリーの意向によって、表向きは出発当日は都合がつかないことになっているチャーリーやヘイデン、それからヒノサダは前夜のうちにステラとの別れの挨拶を終えている。
ステラは現地ですぐに合流できると聞かされているからか、普段とは違ったメンバーでの旅立ちを前にしても気負った様子はなく、旅行を心から楽しみにしているようだった。
元気いっぱい、いつもの晴れやかな笑顔でチャーリーたちに『明日ね、朝からね、行くんだよう。馬車に乗っていってくるねえ』と一生懸命教えてくれた。
そんなステラにヘイデンは優しく微笑み、ヒノサダはお返しのように笑顔で、『お気を付けていってらっしゃいませ』『すぐ後で会いましょうね』と言葉を交わした。
チャーリーはというと、いつものステラ向け専用の笑顔を今回だけはこわばらせ、それでもなんとか築いた笑顔で別れの言葉を発そうと努めた。
これでも、チャーリーはステラと一時とはいえ離れることを受け入れただけ、大いに成長している。
数年前の鎮花祭を思えば、ここでジッタンバッタン暴れまくって駄々をこね倒して力尽くで引きずられて退場しないだけ偉いのだ。
『チャーリー! すぐにまた、あっちで会おうねえ』
『はい゛、おじょうざま゛…………!』
『うふふ、ご旅行たのしみだあ。いってきま~す!』
『………………!』
手を大きく振って満面スマイルのステラ。
取り繕ったスマイルの下でチャーリーはほぼ泣いていたが、それでもステラにはそれを悟られない程度には我慢出来た。
チャーリーは偉かった。
そして日が明け、いざ出発。
裏の事情も知っている居残り組の門番ナベテルが、ステラが馬車に乗り込むのを補助してやっている。
それを、密命を受けて忍んでいるヘイデン、チャーリー、ヒノサダの見守り隊三人が草陰から見ていた。
「ば、万死ですよ、あんなの……! あの人、ステラ様が馬車へ乗ろうというのに、設備の確認も内装の確認も、それどころか乗車の補助すらしないなんて……!」
チャーリーはなんというか、逆に絶好調だ。
先日はイソシギの実の親であるヘイデンに遠慮する形になったチャーリーだったが、数日置いて落ち着いたら遠慮がなくなっていた。
親は親、子は子だと割り切ったのかもしれない。
暗殺者に育てられたチャーリー自身の境遇を考えれば不思議な話ではなかった。
それに、なんだか目がギラギラしている。
もしかしたら、ステラの旅立ちを前に昨夜は眠れなかったのかもしれない。
そんなチャーリーにヘイデンはやれやれと肩をすくめ、ヒノサダは面白がりながらもそれをどうどうと諫めた。
それからの数日間、三人は身を隠しながら、何も知らないステラやイソシギたちの馬車旅を文字通り見守ったのだった。
───それは例えば、馬車移動に慣れていないステラのために、出発から三十分ほど走った街の郊外で早速の休憩を取った際。
「す、ステラ様、どうデショウカ」
「? イソシギ、なあに?」
「あの、その、えっと……」
「?」
なぜか委縮しきりで言葉をもごつかせるデカイ図体の男、イソシギを、馬車から降りて休憩するステラを甲斐甲斐しく世話するもう一人の同行者、女性使用人のレイチェルは呆れた視線で見た。
物怖じしないステラと、カチコチに緊張したイソシギの会話は出発してからこちら空回り続けている。
ジャレット家の関係者にとって、ステラとは確かに最高権力者に等しい存在だ。
当主夫妻も上級使用人たちも皆が皆ステラ大好きマンなので、ステラに害なす者はそれすなわちジャレット家の敵である。
そんなステラ相手に慎重になるのは間違ってはいない。
「馬車とか、えっと、いくらか走りましたケド、どうデスカ」
「馬車はねえ、うんっと、お馬さんがねぇ、えらいよねえ」
「………っスゥ………」
同じ屋敷の中で生活していても、イソシギはこれまで滅多にステラと関わる事がなかった。
それはヘイデンから見たイソシギが未熟であったり、有望でステラとより年の近い適任者がいたりしたせいなのだが、何にしろステラのことをよく知らないイソシギは虎の尾をどこでどう踏んでしまうかと恐々としながらの手探り状態だった。
………実際には、ステラは並大抵のことには腹を立てたりしない大変に大らかな女児であるのだが、それをまだイソシギは知らない。
一方、草むら。
『あの人、敬語もまともに使えないんですか』
『チャーリーのその凍てつくような目、怖えなあ』
凪いだ瞳でブリザードを吹き荒らすフットマンの少年の背を、長身の男が落ち着けとばかりに擦っていた。
───それは例えば、予定していた旅程通りに到着した小さな町で入った食堂での食事の際。
「うわあ、すごいねえ。木の上でご飯を食べるんだ」
「立派な年輪でございましょう。ここらは木こりの男らが働き手だで、古くて大きな樹はそれこそ神様みてえなもんでございますでね」
食堂の中央に鎮座した立派な切り株を加工して作ったテーブルにステラが大はしゃぎだ。
大人が五人で手を繋いでも一周を囲めないほどに立派な幹は腰の下ほどの高さで横一文字に切られ、その美しい断面をさらしている。
「ツルツルだねえ」
「はい~。この町では女の手仕事で木材の加工もしてございますでね。ニス……表面をこう、磨いて、薬剤を付けて、木のささくれなんかが刺さらないようするですよ」
食堂の主人は朗らかで人懐こい人物で、ステラが何かに興味を示すたびに優しくそれに応えてやっていた。
そんな主人と共にレイチェルも「木彫りの小物もあるそうですよ。後ほど見せていただきましょう」と笑顔で話に参加している。
その時、ぐうぅとお腹の音が鳴った。
ステラがキョトンとし、顔を下に向けて自身のお腹を見る。
「お腹鳴っちゃったかあ」
「あんら、食事に来たのに話ばかりで悪かったでねえ。すぐに美味しいごはん支度しますんでね、お待ちになってくださいね」
ステラの仕草はまるでお腹に話しかけているようで愛らしい。
町に少ない子ども、それも身なりが綺麗でおすましさんっぽく見えるステラのいかにも子どもらしい様子に、店の主人は相好を崩し、前掛けを着け直しながらいそいそと調理場へ戻っていく。
その背をじっと見送ったステラの目は期待にキラキラしていた。
一方、草むら。
『うわあ、いい趣の店構えだな~。築何十年だろ』
『さすがレイチェルさんです。途中立ち寄る店はお任せしてしまっていましたが、やはり間違いない』
『またうちの料理人が嫉妬しそうですね』
『確かに~~』
自分も共に旅しているように楽しんでいる長身の男に、女性使用人を称えるフットマンの少年。
ステラが口にする料理について一家言ある料理人を思い出したらしい老齢の執事が言った言葉に長身の男は笑った。
屋敷を遠く離れ旅するのだから、今回は料理人には目を瞑ってもらうしかない。
それより、と。
ステラにしてはなんだか豪快に聞こえたお腹の音、それが鳴った瞬間にデカイ図体の執事が視線を泳がせたのを、フットマンの少年は決して見逃さなかった。
───それは例えば、出発から一夜が明け、随分と道程を進んだことで人の住まない土地へと差し掛かった際。
「一度ここで休憩しましょう」
「レイチェル、私ちょっとお散歩してきてもいいかなあ」
「はい……、では、イソシギさんお嬢様をお願いいたします。お願いしますからね」
「はいっス」
「イソシギよろしくねえ」
移動ばかりの長い馬車旅に、出発前からステラの体力が持たないのではないだろうかとレイチェルは懸念していた。
けれど、予想に反してステラは元気だった。
とはいえ完全に普段通りかといえばそうではなく、身体的にというよりも精神的な疲れが徐々に見え始めている。
立ち寄る町々で珍しい郷土品や食事に目を輝かせていたステラも、人里離れて移動ばかりの時間が続いていた今日は言葉数が減り始めていた。
馬車の乗り降りを手伝うことを覚えたイソシギが差し出した両手に持ち上げられて、ステラは地面に着地する。
お姫様のようにエスコートするチャーリーとは違った、お腹をがっと掴んで宙をぶわっと舞って地面にチョンと着地するこのイソシギ流の馬車の降り方を、ステラは密かに気に入っていた。
「地面がさらさらだ」
「乾燥してるっスね」
「……うん」
なぜかこの頃からステラはイソシギに対して少しだけつっけんどんな態度を取るようになっていた。
先ほど馬車から降ろしてもらったときも、はしゃぎたいのをぐっとこらえた。
ステラ自身も自覚してのことではないので定かでないが、もしかしたら普段そばにいる人がいなくて、どこまで行っても知らない場所で、気付かないうちに溜まっていた不安もあったのかもしれない。
普段とは違うイソシギの存在を認めてしまえば、普段の日常が遠ざかってしまうような、そんな心持ちがしていたのだろう。
「あっち、見に行きたいかなあ」
「ドウゾドウゾ」
「………」
少し離れた場所にある背の高い植物が密集している辺りを指差したステラに、イソシギは何てことないように促した。
しばらく何かを待つようにじっとイソシギの顔を見ていたステラが、イソシギの手を見て、それが差し出される様子がないのを確認してまた顔に視線を戻す。
それから、イソシギを見たままジリっと横へ一歩動いて見せた。
「?」
「………」
ジリっ、ジリっと。
慎重ににじり動いて見せるステラは何だかイソシギの反応を探っているようで、イソシギは意図が汲み取れずにただそれを見ていた。
先ほどの言葉が伝わらなかったのかと考え、もう一度「ドウゾドウゾ」とステラを促す。
ステラはイソシギに視線を向けたままで体をゆっくりと進行方向へ向け、チラチラとイソシギの顔を振り返りながら落ち着かない様子で目的地目指して歩き出した。
「お手てがね、あいていてね」
「そう……、スね?」
「………私、次はあっちにも行こうかなあって、思うかなあ」
「ああ、日陰になってて、過ごしやすそうっスね。なんなら馬車ごと移動させます?」
「………ううん、いい」
少し進んでは別の場所へ、少し進んでは別の場所へ、数歩の距離の移動を繰り返すステラは明らかにイソシギの反応を探っていた。
あれが見たい、あそこへも行きたいと言いながら、そこにあるものに対しては気もそぞろでイソシギにばかり意識が行っている。
しかし、鈍感なイソシギは気付かない。
一方、草むら。
『ああああああ~~、お嬢様かわいいかわいいかわいいかわいいかわいいかわいいかわいいかわいいかわいいああああああああああ!!』
『ヒノサダ、落ち着きなさい』
『はいぃ。ああ可愛いお嬢様。可愛い……可愛い………。そう、そうですよね。お外を歩く時は手を繋ぐんですもんね〜〜〜〜〜』
悶える長身の男を、一応といった体で老齢の執事長が落ち着かせる。
ハァハァと息も絶え絶えな長身の男の、ステラの行動への見立ては正しかった。
普段、屋敷の外を出歩く際は、ステラは必ずチャーリーや両親と一緒にいる。
その際は必ず、ステラの片手もしくは両手は常に、温かなぬくもりにしっかりと繋がれているのだ。
誰とも触れ合わずに屋外を歩く経験を、今までステラはしたことがなかった。
本来、五歳のステラはもう歩くのになんの補助もいらない。
けれど、ずっと過保護気味な周囲に手を繋がれたり、抱き上げられたりして外の世界と触れ合ってきたステラは、小さい子と手を繋ぐ発想のないイソシギと二人にされてどこか心もとない気持ちになっているのだろう。
ステラを見守る三人からすれば、いかにも『一人で歩いていって、いいのかなぁ? 本当に? いいのかな??』と、ステラの心の声が聞こえてきそうないじらしい光景だった。
『お出かけするときは、いつも、いつも、私と手を繋いで……………ッ!』
ギャリィッ!と、激しい音をさせて奥歯を噛みしめた、フットマンの少年の心境やいかに。
その固く握りしめてわななかせた拳は、いつになく自由な両手を持て余すステラに差し出したいがためのものか、それとも、不安げにも見えるステラを案じる様子のないとぼけた執事に向けるためのものか。
───それは例えば、各地方への経由地として栄えた街へと立ち寄った際。
「人だ! 人だあ! 人だよう!」
「すごい人っスね」
「物を運ぶ商人さんたちはみんなこの街を通るそうです。賑やかですね、ステラ様」
「レイチェルそうなんだねえ! にぎやかだ」
広い街並みを多くの人が行き交う様は圧巻だった。
家々には鮮やかな色の布が下げられ、街全体も華やかな雰囲気を纏っている。
立地のために流通の要所となるこの街は、各地からやってくる旅人や商人の休息地として栄えていた。
食料や馬の飼料を買い込んだり、宿を取ったり、また、人が集まればこの街で商売をするために多くの商人も集ってくる。
今では地方の一都市のような立ち位置となったこの街は、王都近郊とはまた違った活気があり、様々な種類の人間で溢れていた。
街行く人を見ていたステラは、何か決心したように一つ頷く。
ここまでの旅の道中たびたび自分一人で初めての土地を歩いてみる経験をしたステラは、この人混みにも挑戦したくなった。
鎮花祭の日、チャーリーに抱かれて歩いた道を思い出す。
あの日と似たような、どこか高揚した空気が満ちる街中を、今度は自分の足で歩いて見たかった。
レイチェルの後ろ、そしてイソシギの前。
前後を挟まれる形でステラは歩き始める。
しかし、大した間を置かずにその足取りは止まることとなった。
「あー、っス。ステラ様、ちょいすんません」
「なあに?」
イソシギの声掛けで、レイチェルとステラが立ち止まる。
それからイソシギが、たった今すれ違おうとした商人風の男性を呼び止めた。
「すんません、そこの人」
「ハイ? 私カナ?」
「あっス。あの、これ、この人が手に取ってまして……」
「ハイ?」
王都の者とも少しだけ違ったイントネーション。
それに顔立ちもどこか珍しい風貌で、この商人風の男性はもしかすると近隣国などから訪れたのかもしれないと想像させた。
突然話しかけられて警戒心も露わにしていた男性は、イソシギの足元に顔を出したステラに気付くとその表情を多少和らいだものにする。
それから、イソシギが差し出したものを見て驚愕した。
「ソレハ……! 私ノ……っ!」
財布だ。
それも、日常使うようなものではなく、移動商店などの主人が店の売上を詰めて腰ベルトなどに結んだ上で肌身離さず身に着けるような大層な代物である。
「やっぱ泥棒っスね。掠めとるのが見えたんで、捕まえて良かったっス」
「ア……! アリガトウ………っ! ナンテコトダ……っ!!」
あっけらかんとしているイソシギに対して、にわかに取り乱し始めて声が大きくなっていく男性に、周囲を行き交っていた人の視線が集まり始めた。
密集していた人の流れが割れてステラたちの周囲にぽっかりと空間が出来る。
「キャッ!」
甲高く短い悲鳴が上がった。
『レイチェルの声だ』と思う間もなく、ステラは強い力で引き寄せられてレイチェルに抱き込まれる。
それと同時にざわざわと一気に騒がしくなる周囲、そんな彼らと抱き込まれた腕の隙間からステラが同時に見たのは、イソシギの腰のあたりでガッチリと首のあたりを抱え込まれ拘束された男の姿だった。
いつからその状態だったのか、もごもごと暴れる泥棒らしき男は力尽きる寸前といった風体だ。
人がいなくなったことで姿が露わになった男は、なんてことないように拘束するイソシギの腕によって絞め上げられているのかもしれない。
そしてしばし。
「アリガトウ! アナタガタは恩人ダっ!!」
「ご協力感謝します!」
「いえいえ、お兄さんも、これからの道中も気をつけてくださいっス~」
「ばいばい~」
帰ってきた全財産を今度こそがっしり握りしめて涙ながらに感謝する商人風の男性。
騒ぎに駆け付け、泥棒を引き渡されピンと背を伸ばした真面目そうなこの街の駐在。
それに気楽そうに返事して再びステラたちの後を歩き始めるイソシギと、そんなイソシギを置いていくような勢いで、半泣きのレイチェルが、抱えたステラを強く抱きしめながら足早にその場を後にする。
ステラは、そんなレイチェルに後ろ向きに抱かれた体勢で、状況はよく分からないけれど見送ってくれる商人風の男性たちにバイバイと手を振ってあげた。
その日の夜、街のあちこちで、正義の護衛を連れた愛らしい少女がいたという平和で微笑ましい話がされたという。
一方、草むら。
『………リスクを取ってする行いでしょうか』
『チャーリーってば、悔しそ~~! 流石にあの速さで対応するのはまだ無理っしょ。ってか、俺でも無理かもな~。やるねえ、イソシギ』
『…………』
『付け加えますと、あの被害に遭った方は隣国の豪商の息子だったはずです。あの家は確か近いうちに叙爵するとの噂もありましたね。家紋の入った使用人服をしっかりと確認していたようですし、悪くないところへ恩を売れたようです。まあ、愚息がそれに気付いていた様子はありませんでしたので、偶然の幸運といったところですが』
『ナント!』
『……ヘイデンさんの情報網は、一体どうなっているんですか…………』
『ふふふ、秘密です』
ジェラっと、燃え上がらせた嫉妬の炎を鎮火させ、不貞腐れているフットマンの少年。
彼がそれ以上噛みつけなかったのは長身の男の指摘の通り、あの場にいたのが自分であったとして、彼の今の力量ではステラを十全に守りながら泥棒を拘束することは出来ないからだ。
それどころか、盗みに気付けたかも怪しいと思う。
実際、遠くから見ていたとはいえ、フットマンの少年が盗みを働いた男の存在に気が付いたのは周囲の人々が気付くよりも僅かに前というだけだった。
それほどにイソシギは瞬時の判断で、何の違和感も感じさせないほどごく当たり前に泥棒の確保と無力化をやってのけたのだ。
それはフットマンの少年とイソシギの間に、未だ隔絶した実力差があることを意味している。
まあ、それはそれとしてイソシギのことは気に入らないのだが。
そんな彼の肩を二度ポンポンと優しく叩いて再びステラの見守りに動き出した老齢の執事長も、喉の奥で小さく笑ってから頭を一つぐりっと撫でていった長身の男も、そんな彼の気持ちには気付いているのだろう。
こうした現実をただ黙って見守るのもまた、今回フットマンの少年に与えられた大切な任務の一部といえるのだから。
その後も、ステラたちの旅は安心安全に、けれど普段のステラの生活とは全く違った趣を以て順調に進んでいった。
夜の間は宿泊施設を利用するばかりではなく、小さな農村で村長の家を間借りすることもあった。
町で、村で、立ち寄るあちこちでステラは持ち前の社交性と愛らしさを振りまいた。
ステラにデレデレになった住民はあれこれと土産を持たせたがり、まだ行きの道中だというのに馬車の中には土地土地の特産品や土産が増えていった。
その大半は食べることの出来るものだったので、たまにはお昼を抜いておやつを食べたりなんていう、屋敷にいる時では決して叶わなかっただろう体験もステラはした。
出発した初日にぎこちないながらもイソシギと協力して馬車の壁に刻んだステラの身長は、たった数日間の旅の間、何度測り直しても線の位置が変わることはなかった。
途中、霧立ち込める森深い道では馬が方向を見失う事態も起こったが、ステラが『お化けなんていない』という主旨らしい軽快なメロディーを口ずさむうちにやがて淡い光の粒が馬車を取り囲み、一本の光る道となって馬車を麓へと続く清流へと導き難を逃れることが出来た。
ステラたちにも、見守り隊にも、その光の正体が分かるものはいなかった。
皆がその不思議な光に感動しその正体について想像しきりになる中、大らかなステラと鈍感なイソシギだけは「よかったねえ」「良かったッスね」とニコニコで気楽な会話を交わしていた。
数日にわたる道中、ステラは、普段隣にいるフットマンの少年の代役であるイソシギに懐きすぎてしまうのを自ら避けるかのように、わざとつっけんどんな態度を取ることが多くなった。
『むう』と膨れて見せるステラの表情も、いつも良い子でいるはずのステラが我儘を言ってみせたりするのも、普段ではなかなか見られるものではないために見守り隊の三人を和ませたりジェラッとさせたりした。
ステラの機嫌を損ね続けているように見えるイソシギに対してめちゃくちゃ不満そうに文句を言っていたフットマンの少年は、文句の合間に突然『不満そうなステラ様があごにギュッと寄せた皺のお可愛らしさといったら堪らないというのに、イソシギさんときたら───』などと、無意識で“拗ねるステラ”を賛美してみたりする程度には色々な感情でごちゃ混ぜで、終始暴走気味であった。
足取りの衰えない立派な毛並みの逞しい馬と、見る者が見れば質のいいことの分かる馬車は街道を進み、ついにステラたちは目的地に到着する。
目的地に無事到着し、見守り隊の面々はステラが体調を崩した様子もないことにほっと息をつく。
ステラにとって初めての旅行らしい旅行は始まったばかり。
ステラの旅も、波乱も、やっとこれから始まるのだということを、移動を終えてほっとしている見守り隊の面々はまだ知らない。





