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58.大天使ステラちゃん、みんなでおはなし

 おやつのために連れてきてもらったのは布張りのソファーと椅子がいくつも置かれ、毛足の短い柄もののカーペットが何枚も敷かれた広いお部屋だった。

 昼過ぎの日差しが大きな窓から入って来ていて、とっても過ごしやすそう。

 今は暑い季節だから暖炉に火は入っていないけれど、部屋のメインに据えられている暖炉は大きく立派で、ただそこにあるだけでお部屋の雰囲気を良くしてるみたいだ。


 最初に、入って正面にある一人掛けのソファー椅子にマルクスのお婆ちゃんが座り、その傍にはマルクスとお爺ちゃんが座った。

 私はどこに座ってもいいよって言われて、まだまだたくさんあるソファーのうちのどれに座ろうかって迷ってから、一番ふわふわして見えたひじ掛けの付いたソファーにアーマッドを誘って一緒に座る。


 レイチェルやイソシギはどこに座るかなって思って見てみると、レイチェルは「私は給仕のお手伝いをしていますね」って笑顔で言ってくれて、イソシギは部屋を見回したあとにお気に入りの壁を見つけたみたいで、その壁際に移動していってた。

 チャーリーも、私がこうして誰かと部屋でお話する時はいつも、出入口の場所や窓の位置なんかをぐるっと見てからお気に入りの壁を見つけてそこに立っているの。

 チャーリーはいつもどうやってお気に入りの壁を選んでるのかなって気になってきちゃったから、後でイソシギにどうしてその壁が良かったのって聞いてみようって思った。


 それから、和やかに始まったおやつの時間。

 だけど、いざ私たちが山で遭った出来事や、そこからお屋敷に帰ってくることになったいきさつの話になれば徐々にみんなは真剣なお顔になっていってしまう。

 私の隣に座ったアーマッドも、一度は力が抜けた様子だったのがまた体を固くしているみたいだった。

 私は、アーマッドが雨の洞窟で『助けて』って言っていたお話を詳しく聞きたいって思ったんだけど、アーマッドはマルクスのお婆ちゃんとお爺ちゃんを前にして、言うのを躊躇っているみたい。


 苦い顔をしてしばらく黙り込んでいたアーマッドは、マルクスのお婆ちゃんに、騎士団を動かすのは止めてくれ、動かさないって約束してくれないと話は出来ないって言った。

 お婆ちゃんがそれにしっかりと了解を返してやっと、アーマッドはぽつりぽつりとお話をし始めてくれた。


 アーマッドには頼れる大人が居ないこと。

 人とは違う外見のせいで、どこへ行っても奇異の目で見られてきたこと。

 山で細々と暮らしてきたこと。

 アーマッドの暮らす山に行商らしい一団で、『サーカス団』という人たちがやってきて寝泊まりし始めたこと。

 彼らと関わるようになったこと。

 そして昨日の夜、そんな彼らが豹変したこと────。


「火を放てって言いやがったんだ。あいつらの興行の日に町で騒ぎを起こせって。その間に盗みを働くって、やつら言ってやがった」

「何てこと……!」


 お婆ちゃんが思わずというように声を上げ、アーマッドが奥歯を強く噛んだギシッという音が、隣に座る私には聞こえた。

 悔しくって、苦しくって、悲しそうなお顔。


 アーマッドのお話は私には難しくって、ちゃんと聞いていたつもりだったけれど、私は途中からはよく分からなくなっちゃってた。

 ただ、たくさん我慢したアーマッドがつらいっていうのはそのお顔から伝わってきて、私は息が詰まるような、胸が苦しいような気持ちになる。


 不安なお気持ちが沸いてきて他のみんなを見れば、お爺ちゃんに肩を抱かれているマルクスに目が止まった。

 アーマッドを気遣わし気に見ていたマルクスは私の視線に気が付くと、心配そうに眉を下げちゃう。

 弱きに見えるマルクスもきっと私と同じ、アーマッドのお気持ちが伝わっちゃって不安なお気持ちなんだ。


「やつら、俺に火をつけるのに協力すりゃ仲間に入れてやるなんざ言いやがった……! 俺は……、悪事を働くなんざ、まっぴらだ……っ!」


 アーマッドの独白はどんどんとその語気と剣幕の激しさを増し、私もマルクスも、お婆ちゃんたちも、思わず言葉を無くしてしまっていた。

 まだ十三歳くらいのはずのアーマッドは、まるで今まで言えずにいた反動みたいに鬱憤を吐き出していて、その言葉全部が悲愴感に満ちている。


「こんな(なり)してるからって、やつら俺を何だと思ってやがる……! 俺は、俺は、誰とも違わねえ! ただの一匹のガキだ! 犯罪者でもなんでもねえ! 人並みに、いいや、人よりずっと慎ましく生きてきた……! それを、それなのに、やつら、俺が簡単に火をつけるようなこと言いやがった……! 何よりっ────!」


 一気にまくし立て、荒げたままに激しくせき込んでしまったアーマッドは、俯いた姿勢のまま、自らを鎮めるように肩で息を何度もしている。

 ぜぇぜぇと息の音だけが聞こえる短い沈黙の中で、向かいから控えめな声がした。


「………どうして」


 アーマッドの呼吸が整うのを待つように一度止められた言葉に、みんなが声の主を見る。

 マルクスの肩を優しく(さす)っていたその人物、マルクスのお爺ちゃんは言った。


「どうして、騎士団を動かしてはいけないんだい」

「そ、れは………」


 お爺ちゃんの問いかけに、息の落ち着いてきていたアーマッドはけれど、再び息が詰まったみたいに返事を止めてしまう。

 下を向いたままのアーマッドの顔を覗き込んでみれば、彼の顔から一気に色が抜けていくのが分かった。


 あまりの突然で急激な変化に、私は短く悲鳴を上げてしまう。

 雨の洞窟の中で突然様子がおかしくなった時のアーマッドの姿が頭を過った。


 アーマッドの顔色は、血色をどこからか抜かれていってしまっているみたいに見る見る変わっていく。

 私が見ているのにも気付かない様子で目を見開いたままの彼は、その表情が絶望に染まって見えた。


 何か、思い出した先に恐ろしいことが起きてしまうような、そのことに触れるのを怖がってるみたいな、そんなお顔。

 そのままアーマッドはついに歯の根が噛み合わないのか、カチカチと歯を鳴らし始めてしまう。

 いっそ真っ青になって震え始めてしまったアーマッドに、みんなが一斉に心配して駆け寄った。


 黙って壁際で控えていたイソシギは寄って来てはウロウロ、オロオロと彷徨い、給仕に徹していたレイチェルがお医者さまの手配をと別荘の使用人さんに呼びかけた。

 だけど、それをアーマッド本人がすぐに制止する。


「俺は、平気だ……」

「アーマッド、顔色がとっても悪いよう。お医者の先生を呼ぼう。無理はね、しちゃ駄目なんだよう……」

「チビ…………」


 隣で震えるアーマッドに声をかけながら、私も不安なお気持ちが大きくなって声が震えちゃう。

 アーマッドが自分自身を抱きしめるみたいにぎゅっと抱いている手が痛々しく見えて、私はその手に触れた。

 触れたアーマッドの手が想像していたよりずっと冷たくてびっくりする。

 なぜか分からないけれど涙が出てきた。


 私は、私より大きなその手を覆って温めてあげたくて、座ったままでアーマッドにもっと体を寄せると体を捻って両手を伸ばす。

 両手で覆ったアーマッドの片手をなんとか温めたくて、精一杯にぎゅううっと力を込めた。


 ゆるゆると顔を上げたアーマッドは、ほとんど泣いてしまってる私の顔を見るなりそれにつられるみたいにくしゃっと表情を歪めてしまう。

 途端に潤みだす彼の目を、覗き込んだ私だけが涙越しに見ていた。


「……………妹が、いて…………」


 アーマッドが話し始めたのは、雨の洞窟で髪を梳きながら教えてくれた彼の妹のことだった。


「俺は勝手にジュニアなんて呼んでたが、本当の名前は分からねえ。………本人も知らねえだろう」


 なにせまだ言葉をまともに話す歳ですらねえ、と、アーマッドはわななかせた唇を自嘲気味に歪めた。

 鼻を啜り上げながら話すアーマッドは、掠れた声で小さくゆっくりと、言葉を探すみたいにしている。

 そんなアーマッドのお話を聞き逃さないよう、部屋にいるみんなが黙って彼のお話に耳を傾けていた。


 私は、雨の洞窟でアーマッドに髪を梳かしてもらいながら聞いた妹さんのお話を思い出す。

 あの時私は、アーマッドは妹さんのことがきっととっても大切なのねって思ったんだ。


 優しく櫛を使う手つきと、時々遠慮がないくらい力強く撫でつけてくれた手は髪の毛の扱いに慣れていて、きっと何度も何度も妹さんの髪を整えてあげてきたんだなって分かる。

 それから、今その妹さんはどこにいるんだろうって思ったところで、アーマッドの口からその答えがもたらされた。


「妹は、ジュニアは今、やつらのアジトだ。騎士団を動かしたりしたら、ジュニアがどうにかされちまう」


 アーマッドはどんどん弱々しくなっていく語尾が消えないようにするみたいに、まるで一度止まればもう話せなくなるんじゃないかって恐れるみたいに、絶え間なく言葉を繋いでいく。


「まだ二つになったばかりで」

「一つ二つ話せるようになった途端、俺のことばかり呼びやがる」

「他人になんて慣れてるはずがねえ」

「あいつらのとこで今どうしてるか」

「俺のせいで」

「飯は」

「いつも夜中に泣きやがるのに」

「すぐ風邪をひく」

「俺がやつらに気を許したから」

「あんなやつらに」

「無事なのか」

「ジュニア」

「どうか」

「ジュニア」

「無事で」

「ジュニア」

「ジュニア────」


 次々と、溢れてくるように止まらない言葉に、押し留めていられないアーマッドの強い感情の奔流を感じてしまう。

 それは、つい先ほど憤ってみせていた時よりもっと切実で逼迫した何か。

 きっと、アーマッドが言わずにいた、言えなかった、言わなきゃいけなかったこと。


「ジュニア……、ジュニアが……、ぐっ………、俺が、俺が! あんなや゛つ゛らに渡しぢまっだがら……、だがら、俺のせいでぇ……………っ!」

「──大丈夫、分かったよ。本当に君が助けを求めていたのは、それだったんだね」


 引きつけを起こすみたいにしゃくり上げ始めてしまったアーマッドの前で、歩み寄ってきたお爺ちゃんが片膝をついた。


「ほら、落ち着いて、息をして。大丈夫だよ、僕らが力になる。良く打ち明けてくれたね。きっとジュニアさんを助けて見せる。大丈夫、大丈夫」


 お爺ちゃんはゆっくりと語りかけながら、アーマッドが落ち着くように、呼吸に合わせるようにして何度も何度も『大丈夫』を繰り返し伝えてる。

 それから、ぬっと影が差したのに気付いて上を見ると、腕組みしたお婆ちゃんが立っていた。


「自分を責めるんじゃないよ、アーマッド。悪いのはそんな(くわだ)てをする馬鹿な野郎どもだ。よく教えてくれた。罪の無い民は騎士団が守る、と言えれば良かったんだが、確かにアーマッドの懸念通り、大きく動けばやつらはとんずらかますだろうね」


 まったく、と、お婆ちゃんは大げさにため息を吐いて見せる。


「作戦会議といこうか」


 お婆ちゃんがそう言ったのを皮切りに、アーマッドを中心に大人たちがあれこれと話し合い、今後のことを決め始めたみたいだった。

 大人たちから質問攻めにされたアーマッドは目を白黒させていたけれど、きちんと一つ一つに答えていてすごく偉い。


 サーカス団の人数、どんな人たちだったか一人ずつの特徴を覚えているか、今はどこにいるか分かるか、興行の当日の事を何か言っていたか。

 アーマッドが一生懸命思い出しながら話すのを聞いた大人たち、マルクスのお婆ちゃんとお爺ちゃん、それからイソシギとレイチェルはそのまま作戦を考え始めたみたい。

 お婆ちゃんとイソシギがしきりに言葉を重ね、それをお爺ちゃんとレイチェルが聞いてる。


「騎士団は動かさないにしても、この別荘の者だけでは手薄だね。王都から秘密裏に騎士を何人か派遣させるか」

「あ、それならもうすぐステラ様の護衛の増援が到着するんであいつら巻き込みましょう」

「お嬢様の護衛に増援……? しかしふむ、よく見てみればあんた、イソシギだったかい。なるほど……、あんたはかなりの遣り手そうだ。私ときたらなぜ気付かなかったんだか……。ジャレット家の増援とやら、頼りになりそうだね」

「相手は二十人くらいって話なんで、なら俺一人で行けるかなって思うんスけど、俺はステラ様のそば離れるわけにはいかないと思うんでやっぱ人が増えてから動くしかないスけど」

「ちょいと。分かってると思うが人質がいるんだ、慎重に動くよ。いくらあんたが強くたって、大立ち回りすりゃいいってもんじゃない」

「そりゃそっスけど」


 私とマルクスは改めて二人掛けのソファに座らせてもらい、アーマッドを囲む大人たちのそんなやり取りを聞いていた。

 話し合うみんなが見える位置、だけれど話には参加しないで輪の外だ。


「よし、じゃあ今晩か明朝に到着するジャレット家の人間を待って、作戦を詰めよう。乗り込むのは少人数で、やつらが事件の決行日に行動を起こそうとする瞬間を捕まえるのが良いだろうね」

「っス。俺の説明じゃ父上……増援の人たちを説得できるか微妙なんで、ミラー様に説明お任せできると助かるっス」

「あい分かった。では情報のすり合わせもその時改めて行うものとする」

「はいっス」


 大人たちの作戦会議はうまくまとまっていったみたいだけれど、難しいお話で練られていく作戦は、やっぱり難しくて私にはよく分かんなかった。

分かんなかったかあ・・・

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