54.大天使ステラちゃん、山の天気
さほど時間はかからず薪集めは終わった。
私はボーちゃんを掲げて見せ、マルクスたちにボーちゃんを自慢する。
マルクスもだけど、アーマッドも心なしかボーちゃんを羨ましそうにしていた。
マルクスにちょっと貸してって言われたけど、やだって言う。
マルクスやアーマッドのボーちゃんは山を下る時に見つかるといいねって言った。
そうしている間に、イソシギが手早く薪を組んでる。
最初に太い木片をバラバラの雑多に重ねて、てっぺん中央に細い枝を散らすみたいに乗せる。
それから、イソシギは自分の腰に下げたポーチから何かふわふわしたものを取り出し小さくむしって火をつけた。
火が付いたそれを平気な顔で両手で包んだイソシギは、何度か手の中のそれに息を吹きかけ火を大きくするとそっと薪に火を移した。
そのあまりの手際の良さに、私は思わずボーちゃんを取り落として両手でお口を覆った。
ボーちゃんが石の上に落ちてカランと軽い音がするけれど、構わず叫んだ。
「す! すっごい! 今の、どうやったの!?」
「ハハ。あー、猫じゃらしって知ってます? あれを乾燥させたのをいくらか持ち歩いてて、それで火種を作っただけっス」
「猫じゃらし! そうなんだ! 猫じゃらしってすごいんだね! ねえ、火は!? 火はどこから出したの!?」
「火ですか? えっと今は、あれ? どうやったっけ? 無意識で……。たぶんいつものノリで手の中で火打石を擦ったと思うんスけど……?」
「す……っごいっ!!」
私は大興奮だ。
イソシギは苦笑しながらも、その手は慣れた様子で動いてポーチから細い筒を取り出した。
それを口に当て、薪に向かって息を吹きつける。
それから数度、筒の先端から吹き付けられる息が当たる度に、薪の火のついた部分の赤が強く光った。
やがて、熱された赤が静かに薪の上を広がっていき、燃え移った火は大きくなって焚火となった。
安定した火に、イソシギが顔を上げる。
水分の残っている枝も混じっていたのか、焚火の中から、ぱちり、ぱちりと、小さく木の爆ぜる音が混じった。
これにはマルクスとアーマッドも感心した様子で、今まで見たことのあるどんな火付けよりも一番に手際が良かったと絶賛する。
イソシギはそれに恐縮したように身を引くと、「これくらいの事で……」と言った。
だけど、私はすっごくすごいことだと思う。
照れくさそうにするイソシギは、獣を退治しちゃったことといい、手際よく火を起こしたりといい、自分で自分のすごい部分に無頓着みたいだ。
なんだかそういうところは少しチャーリーとも似ている。
イソシギは大人の人だけれど、大人の人でも自分のすごいところに気付いていない人はいるんだなって私は思ったんだ。
だから私は何回もイソシギの獣を退治しちゃうところや焚火を作るのが上手なところをすごいんだよって繰り返し言うことにした。
最初はそんなそんなって言っていたイソシギも、ご飯の用意が済む頃には私に焚き火の作り方のコツを教えてくれたり、ボーちゃんの角張った部分を火であぶって角を取る方法を教えてくれたり、少しは焚き火が上手なことに自信が持てたみたいだった。
ボーちゃんはツルツルなボーちゃんに進化を遂げた。
持った手に引っかかるところが無くなって、けれど焚火であぶって少しだけ煤けてる。
それがまた格好いい。
それから私たちは、イソシギ特製の『かれーらいす』というのを食べた。
『かれーらいす』を食べた私たちは、イソシギのすごさに脱帽するしかなかったんだ。
「つっても、具も干し肉くらいしか入れられなかったし、料理人に昼飯頼んでたらもっとマシなもん用意してくれてたと思うよ。ハハ、失敗失敗。」
「でもようイソシギさん! あの、炊いてくれたらいす? ごはん?と『カレー』の組み合わせ、最強だって!」
「アハハ、マルクスは褒め上手だな。香辛料も適当に入れただけだぞアレ。まあ、山頂マジックってことだな」
イソシギは焚火を起こした後は持っていた非常食とお水を使って簡単そうにちゃちゃっとお昼ご飯を作って出してくれた。
出来上がったそれは見た目が茶色のぐちゃぐちゃで、イソシギも自信なさげにしていたのに、実際食べてみたらハチャメチャに美味しかったんだ。
山を下り始めた今も、マルクスはまだ感動してイソシギにかぶりついている。
マルクスのお気持ち、私も分かっちゃうなあ。
だって、イソシギの用意してくれた『かれーらいす』を一口食べてからは、私ももちろん、アーマッドだってただ無心になって手と口を動かして食べてた。
私もマルクスもアーマッドもおかわりを何度も叫んで、気付いた時にはイソシギが焚き火を使って炊いてくれた飯盒の中のお米は無くなっていたんだ。
イソシギが何も食べずに私たちを見ていただけだったって気付いたのは、私たちが全部を食べ尽くしちゃった後だった。
行き先を決めずに出て来た今日の私の荷物にはお弁当なんかの準備は特にされていなくって、イソシギが作ってくれた『かれーらいす』は、イソシギが腰に下げていつも持ち歩いているというお米と干し肉と香辛料、それから食べられる野草を集めて使って作ってくれたんだ。
それなのに、当のイソシギだけが食べられないままなんてぜったい駄目だ。
私たちがイソシギが食べてないうちに『かれーらいす』が無くなっちゃってどうしようって困り果てていると、イソシギは苦笑して、「じゃあ、果物が生っているのを見つけたら教えてください」って言った。
私はそれに力強く頷き、同じように頷いてくれたマルクスを見てからアーマッドに顔を向ける。
「アーマッド、山を下る時連れてってくれるって言ってたところ、果物もありそうかなあ?」
「ああ……」
私はイソシギに果物を探してあげようって思って、それからアーマッドが登りの最中に後でいい所に連れて行ってくれるって言ってくれていたことを思い出した。
アーマッドは頷きかけ、止まり、それから表情を徐々に歪めていく。
「………」
長い沈黙だった。
私は急に様子の変わったアーマッドが心配で、お腹痛くなっちゃったかなって思って、すぐ目の前のアーマッドにさらに一歩を詰めた。
そっとお腹に手を当ててみる。
グルグルは、してないみたい。
そのまま真下から見上げて見たアーマッドのお顔は、山小屋で会った時よりももっと怖くて固い、厳めしいお顔になっていた。
アーマッドのお顔越し、晴れているはずのお空がゴロゴロ……と鳴った。
「チビ」
「なあに」
「………ワリィ」
お空が、急激に暗くなっていく。
雨の気配がした。
◇ ◇ ◇
私たちはアーマッドの案内で、山頂から少し下り山道を外れたところにあるほら穴にやって来た。
あの後すぐポツリポツリと降り出した雨を避けるためだ。
昼まではカラッと晴れていたのに、今は湿気がじわっと纏わりついているような感じがする。
岩壁に亀裂が入って出来た様なほら穴は、岩壁から水が染み出しているようで余計に湿気がこもってむっとしていた。
先ほど、アーマッドはなんだか辛そうなお顔をして何かを言いかけていたけれど、変わり始めた天気に「こっち」とだけ言ってこの場所に連れて来てくれたんだ。
移動中も私はなんだかアーマッドが心配で声をかけていたんだけれど、アーマッドは大丈夫って言うだけだった。
ほら穴から数歩出た場所で外の様子を確認していたイソシギが、体についた雨粒を払いながら戻ってくる。
「本格的に降り出したけど、たぶんすぐ止む。この季節だし、山の天気は変わりやすいからしょーがないっス。雨宿り出来ただけ良かったっスね」
そんなイソシギに、私が濡れていないか確認してくれていたマルクスが声をかける。
「なーイソシギさん、ステラの頭すごいことになってる」
「うわ本当だ。ステラ様、えっと、どうしましょう」
「うーん、どうしようねえ」
困り顔のイソシギに、私も腕組みして首を傾げながら互いに顔を見合わせる。
こんな時、レイチェルなら上手に髪を直してくれるし、チャーリーも最近はレイチェルに負けないくらい髪を直してくれるのがお上手だ。
けれど、イソシギは髪を整えたりするのは得意じゃないみたい。
自分で出来そうかなって頭に触れてみるけれど、手触りからはぐちゃってなってることしか分かんなかった。
「……貸せ」
「え?」
ふいに、頭を触っていた手に上から触れられる。
あったかい手の感触に上を見上げれば、後ろに立つアーマッドだった。
アーマッドは私の手を掴んでそっと下ろさせながら、私の視線は気にしないみたいにイソシギを見てる。
「櫛」
「えっ」
「櫛だよ。ねえのか」
「え、あ、あーっス、たぶんあるっス!」
アーマッドが差し出した手を見ていたイソシギが、慌てるように私の荷物を探り、やっと見つけた櫛を取り出しアーマッドに渡した。
後ろに立つアーマッドを上を見上げるようにして見ていた私だったけど、櫛を受け取ったアーマッドが正面を向けというように両手で顔の向きを動かし固定してくる。
私が大人しく前を向くと、結んでいた髪留めが外され、湿気に濡れてしまっている髪に空気を通すように髪が振られる。
それから、毛流れを確かめるようにしながら少し強い力の手が一度二度と頭の表面を撫で付けた。
後ろで髪が持ち上げられ、木の櫛で毛先を梳かす感触がする。
「チッ。多少は引っかかる。我慢しろ」
「痛くないよ」
言葉は荒っぽいのに、慣れた様な手つきで梳かれる髪は全然痛くなかった。
その手つきはお上手で、梳かす髪をひと房ずつ摘まみながら毛先から順に梳かしてくれて、ごわついていた髪が整えられていく。
頭に櫛を通す力加減が丁度よくて、気持ちがいい。
しばらくそうしてもらっていて、微睡みそうだったその時間に、言葉がひとつ落とされた。
「………ワリィな、チビ」
「なんでアーマッドは謝るの?」
まただ。
山頂でも、なぜだかアーマッドは謝っていたんだ。
きっと今もあの時と同じ怖いお顔をしてる。
ほら穴の中にまた沈黙が落ちて、その間にも櫛はゆっくりと気持ちがいい力加減で髪を梳いてくれている。
しばらくそうしていたけれど、櫛が止まり、それからアーマッドの手がやっぱり少しだけ強い力で髪を耳にかけ、後ろでひとつにまとめた。
ぐっ、ぐっと、今度はほつれないようにとしっかり髪留めで結ばれる。
「……お前ら、利用しようとしてた」
ポツリと、でも、はっきりと言われた言葉に私はキョトンとして、それから手の離された感覚に後ろを振り返った。
厳めしくって、怖いお顔。
俯いたアーマッドがそこにいて、一歩、ほら穴の奥に向かって後退りしたのが分かった。
ぎゅっと結んでもらった髪に、まだアーマッドが触れてくれていた感触が残ってる。
私は結んでもらった髪に触れて、その表面がつやっとしているのを撫でて、結ばれた毛の先までその感触を堪能した。
手からつるんと抜けた後ろの毛、一本に結んでもらったそれが、しっぽみたいにぴょっと跳ねた。
「アーマッドは、髪を梳かすのがとってもお上手なんだねえ」
「……」
「とってもお上手だよう」
「……妹、いるからな」
「そうなんだ!」
私が笑って言うと、アーマッドは顔を俯かせたままだけど答えてくれた。
アーマッドには妹さんがいるんだねって、教えてもらえたのが嬉しくてアーマッドを見ていると、不意にアーマッドの体が震えているようなのに気が付いた。
「アーマッド……?」
同じように気付いたらしいマルクスが、心配気に声をかける。
アーマッドの震えはブルブルとどんどん大きくなり、それにつれて薄暗いほら穴の中でも分かるくらいにアーマッドの見えている部分の肌が赤くなっていくのが分かった。
首のあたりも、肩も、腕のほうまで赤くなっていき、俯いている顔も真っ赤になっているんだろうって分かる。
ブルブル震える体で、アーマッドは力いっぱいに両手を拳に握って、歯を噛みしめ耐えていた。
怒っているのか、悲しいのか、彼のそんな変化の理由が分からない私やマルクスが動けないでいる中、ただ一人当たり前みたいにアーマッドに一歩踏み出したのはイソシギだった。
「おい、どうした」
パシッと。
強く握られたアーマッドの手を、その拳を包むように大きな手が捕まえた。
「……っの! 触んな!」
「っと」
アーマッドが力任せに掴まれた手を振る。
振り回すようなそれにより、握りこまれていた拳がイソシギの顔スレスレを掠めた。
一旦はアーマッドから手を離したイソシギだったけれど、アーマッドが腕を奮った勢いのまま体ごと反転したところで再びその両手を捕まえる。
アーマッドはまた一瞬腕に力を込めた様だったけれど、イソシギの力が勝ったのか、今度は振り払われなかった。
「離せ……」
「興奮すんな」
「離せよ!!」
「気に障る事したなら謝る。俺たちゃ言われなきゃ分からん。何かあんなら聞くし、聞かれたくなけりゃ、時間やるからしばらく奥行ってろ」
「っ………!」
突然激しい感情を見せたアーマッドを、後ろから彼を抑えたままのイソシギが諭す。
そのまま二人はじっと動かなかった。
ほら穴の外、雨はますます強くなっていく。
すぐそこで降っているはずの強く打ち付けるような雨音はどこか一枚膜を隔てたように現実味が無かった。
ノイズのような雨音、隔離された空間の中、やがて静寂に口を開いたのはアーマッドだった。
「………助けて、くれ」
小さく、確かな声が届く。





