(閑話)ジャレット家の料理人サッチモによれば/後(サッチモ視点)
「サッチモさん、悪いんですじゃが、そこの木切れを取ってくれませんかのう」
「はい、ただいま♪」
「ん、と。よし。これで良いですじゃ。次はこっちを持っていてくれますかのう」
「はい、ただいま♪」
庭師のヤードランド翁が手慣れた様子で木の部品をくみ上げるのを、僕はせっせとお手伝いしていた。
こういった細工には疎い僕は、釘一つ使わず見事にはめ込まれ形になっていくそれに感嘆するほかない。
翁の木工細工の腕は相変わらず群を抜いて高く、僕はこうして翁の手伝いができる時間がとても好きだった。
「さて、これで完成ですじゃ」
「ありがとうございます! これを納品された釜と合わせれば、早速『窯炊きのごはん』に挑戦できます」
「甘いですじゃ、サッチモさん。釜にはまず火入れをするんですじゃ。それに火の加減も覚えてもらわんといけませんですじゃ」
「ははぁ~~、それはまた、先が長そうですね」
機嫌よくつらつらと語る翁に、僕はにんまり笑顔になると続けた。
「門番の方たちが『窯炊きごはん』を知っていてくださったおかげで、こうしてまた新しい美味しいものを作る機会が得られて嬉しいです。門番のヒノサダさんたちや若い執事のイソシギさんは米が主食の東国の出身だというから分かりますが、どうしてヤードランド翁は『窯炊きごはん』やお釜のことにこんなに詳しいんですか?」
「ぎくっ」
翁のあからさまな動揺に、これで隠しているつもりなのだろうから面白いと、内心で意地悪なことまで考えそうになる。
「どこかで食べたことがあるとか?」
「そ、そう! そうですじゃ! あれは~~、え~と、どこでしたかのう、歳で忘れてしもうたですじゃ」
「そうですか、国内で窯炊きごはんを食べられる場所があれば知りたかったのですが、残念です」
「残念ですじゃねえ~」
見るからにほっとしているのがまた面白い。
あの怪しい男二人との出会いから、僕の人生は変わった。
それはもう、良い方向に。
今こうして大商家のジャレット家で料理人として雇ってもらえているのも、興味深い方々と一緒に仕事をさせてもらえているのも、すべてはあの二人のおかげだ。
恩人。
ただ、その一言が、あの二人を現す言葉だ。
医者が奇跡でしか治せないと言った僕の腕は、あの怪しい男二人によって本当に治されてしまった。
信じられなかった。
あの時、僕の前で言い争いを始めた二人。
そんな彼らは言い合いの末、最後には二人がかりで僕に選択を迫ってきた。
脅迫のような言葉選びで僕に治療をさせろと迫る細身の男と、悪いようにはしないと断言しながらもどこか楽しそうな荒々しい風貌の男に、もはや抵抗する気も削がれていた僕は「僕から利き腕を奪う事だけはやめてください」とだけ懇願してからこの身を委ねたのだ。
その後の記憶は朧気で、二人に連れられた先で意識を失ったようだった。
意識が途切れたのはほんの一瞬のようだったが、気が付くと僕は全く知らない場所にいた。
白く広い天井が目に入り、自身が横に寝かされていたことに気付いた僕は反射的に飛び起き、それから焦って自身の右腕を引き寄せようとして気が付いた。
「う、うで、うでが…………」
「おや、気が付かれましたか」
「!」
既視感のある声掛けにガバッと振り返ると、そこには仕立てのいい執事服に身を包んだ老齢の男がにこやかな笑顔で立っていた。
「う、うで……が…………」
何を言っていいか、状況も何も分からず夢を見ているような感覚で呟いた僕に、ヘイデンと名乗った老齢の執事は言った。
曰く、僕を攫った二人組は彼の知り合いであること。
彼、ヘイデンさんが腕のいい料理人を探しているという話をしたところ、思い余った彼らが僕を強引に勧誘してしまったこと。
そんな馬鹿な話があるだろうか。
あれは間違いなく誘拐で、脅迫で、とにかく危険な犯罪の気配しかしない二人組のあの行動が、まさかそんな無茶苦茶な動機だなどと信じられるはずがない。
それに、
腕が、治っているのだ。
目が覚め、反射的に右腕を引き寄せようとした僕はすぐに気付いた。
利き腕に以前のような感覚が戻っていることに。
何も状況の飲み込めない僕の頭に、にこやかなヘイデンさんが続ける話の内容は途切れ途切れにしか入ってこない。
混乱収まらぬ中それでもヘイデンさんの言う言葉を必死で搔き集めて状況を理解しようと努めた。
彼ら怪しげな男二人は僕の腕を治したことの対価にこの屋敷で働いて欲しいと望んでいる事。
きちんと料理人としての報酬は払われるという事。
あの二人は僕をここに寝かせるだけ寝かせて自分の国へ帰っていったという事。
無茶苦茶だ。
本当に、無茶苦茶で、勝手で、普通じゃなくて、それから、
救われた。
利き腕が、治った。
本当に、治ってしまった。
まだ、元通りというわけじゃない。
握力が完全に戻っているわけでもなければ、一年で衰えた筋力もそのままだ。
しかし、それでも、また、包丁が握れるかもしれない。鍋が振れるかもしれない。
心臓が、歓喜に震えた。
「いかがでしょうか。無理にとは申しませんが、よろしければ療養された後にでも当家で働かれませんか?」
「ぜ、ぜひ……、おね、お願い、お願いしま………っ」
最後まで言葉にすることは叶わなくて、僕はそのままベッドにうずくまって泣いた。
「あああ! ああああ!!」
大きな声を上等なベッドシーツに埋め、それでも体の奥底から湧き出すわけのわからない質量のそれを吐き出すように叫び、泣き続けた。
ゆっくりと静かに閉じられる扉の音にも気付かぬまま歓喜の涙を流し続け、そして僕のジャレット家へやってきての一日目は幕を閉じた。
わけのわからないまま、けれど利き腕が治ったという、ただそれだけの、ただ何よりも大切なその事実だけを受け入れた僕は、それから数週間はヘイデンさんに教えてもらいながらジャレット家での仕事について学び、利き腕の回復に努めた。
何度も自国に帰ったという男二人への礼がしたいと二人への取次を願ったが、それは「気まぐれな方々で」とヘイデンさんににべもなく断られる。
ならば二人の希望通り、ジャレット家で恩を返す事こそが自身の生きる道と定めた僕は、万が一にも僕のこれまでの経緯がジャレット家への迷惑になってはまずいと名前までもを変えてまた料理人として一から頑張ることにした。
僕が名を変えた事については詳細を除き親や親しい相手へは伝える事を許されており、両親も職人街の人々も僕の腕の回復を奇跡だと心から喜んでくれ、僕の立場についても理解してくれた。
職人には義理堅い者が多い。
詳しいことは話せなくとも、僕が利き腕の恩を返すためにジャレット家に仕えるのだということを察してくれた彼らはみんな僕のことを応援してくれた。
そうして住み込みで仕事を覚え、腕もすっかり回復した頃、僕は絶好調だった。
腕の怪我など、無かったように利き腕は以前と変わらず動いた。
意識を失っている間の治療がどのようなものだったのかは今でも分からない。
けれど、あの二人は僕が料理人として築いた全てを取り戻してくれたのだと思えた。
「最高に美味しい食事をご用意いたします!」
ジャレット家で働き始めてからは、口癖のようにそう言っていたと思う。
自信満々でそう触れ回り、実際に僕が作る料理を「これは美味しいね」「私も好きな味だわ」と旦那様や奥様が喜んでくださる度に以前の自分が、かつての自信が戻ってくるのを感じていた。
最高の料理人、『王の料理番』たる僕が、この料理の腕でもって恩を何倍にもして返してみせる。
そんな驕りがやはりあった。
「やあやあこれはお嬢様! きちんとご挨拶させていただくのは初めてになります。私サッチモめは料理人でございます。最高に美味しい食事をご用意してご覧に入れますよ! 何がよろしいでしょう? どんな珍品でも伝手を辿って手に入れ、見事に調理してみせます! さあ、キヨキヨ鴨のテリーヌは? それとも水草魚のコンフィ? カート蕪と古代トマトのゼリー寄せはいかがです??」
そんな、高い鼻も取り戻し始めていた僕がある日出会ったのは、まだ言葉も話し始めたばかりだというジャレット家のお嬢様、ステラお嬢様だった。
乳母である女性に手を引かれてよちよちと歩いてきた彼女は日光浴に行くところだったらしく、おどけて言いながら二人に近づいた僕に乳母は「まだお嬢様は歯も生え揃っておられませんし、あまり味付けの濃い物も召し上がられませんよ」と軽く笑いながら返す。
そんな僕らの楽し気な雰囲気が分かったのか、ステラお嬢様はきょとんとした顔のままで乳母とは繋いでいない手を僕へ精一杯伸ばしてきてくれた。
「聞きしに勝る可愛らしいお嬢様ですねえ。さあ、ステラお嬢様はどんな食べ物がお好きですか? 今後お料理をご用意させていただく参考にいたしましょう」
「どん? しゅき?」
伸ばされた手にタッチ、と僕も手を合わせながら問えば、まだ長い言葉の聞き取りに慣れていない様子の彼女が僕の言葉の一部を繰り返し不思議そうにする。
それが可笑しく、可愛くて、僕は嬉しくなって言った。
「美味しいなあって思うのはどんな物ですか?」
「おいしい」
「そうです。僕が一番おいしいを作りますよー」
「ステラね、あのねぇ」
「はい」
思わずニコニコと聞いていると、ステラお嬢様は舌足らずな口調で言ったのだ。
「ステラ、おみじゅ、おいしいかなあ」
「お水、ですか?」
「おみじゅー」
思わぬ返答に、おお、これはまたとたじろぐ。
流石の『王の料理番』も水を美味しくする術は身に着けていなかった。
水が好きだなんて変わった子だな、なんて失礼なことを考えていると、ステラ様は嬉しそうに乳母の手を引き「ねえねえ」と彼女を呼んだ。
乳母がゆるりと屈み彼女に身を寄せると、彼女の耳元へ一生懸命顔を近づけながらステラ様が続けた。
「おふろ、したあと、のんだでしょう」
「ああ、あのお水ですね」
「おいしいかったねえ」
「はい、美味しゅうございましたね」
内緒話のようでいて、まったく声を潜めないそれが微笑ましく、それからなるほどと思う。
どうやらステラ様が最近一番美味しいと感じたのは湯浴みの後に飲んだ水らしかった。
たしかにここ最近は暑い日も多く、その気持ちは僕にも分かる気がする。
知らずゴクリと喉が鳴った自分に、その時は不思議に思うだけだった。
そうしているとステラ様は、僕にもまた手を伸ばし、乳母との内緒話にならない内緒話に混ぜてくれる。
「いまはねえ、ステラ、えっとね、あまいがおいしい~」
「先ほどのステラ様の朝食は出汁のきいたパン粥でらっしゃいましたものね」
「うんー」
何やら盛り上がるステラ様と乳母に、僕も混ぜてもらおうと割って入った。
「ステラ様の一番美味しいはなんですか?」
「んー? いまはねえ、あま~いだよぅ」
「えっと、今ではなく、一番です」
「ふふふ」
嬉しそうに笑われた。
本当に可愛らしい方だ。
小さく愛らしいのに僕すら翻弄して、これは将来周りが放っておかないぞなんて可笑しく思っていると、思いがけないことを言われて僕の時が止まった。
「いちばんのおいしいはねえ、かわるでしょう」
「かわ、りますかね………?」
笑顔で機嫌の良いお嬢様に、まだ何を言われたか分からないまま、しかし何か返さねばと言葉をひねり出すが、じわじわと何かが僕の中で形になっていくような妙な心地を感じた。
「おみじゅ、おふろしたあと、とってもおいしいでしょう」
「はい、そう、ですね」
「ステラねえ、おなかいっぱいのとき、おちゃもしゅきよう」
「なるほど」
「おやつもねえ、おいしいんだけどねえ、おふろのあとは、んーと、ちがう?」
「…………」
一生懸命喋るステラ様に、僕は声を返すけれどそんな僕の声が徐々に固いものになっているのに自分では気付けない。
ついに考え込み黙ってしまったところを、乳母にステラ様に見えない角度で裾を引かれてハッとした。
「お風呂の、あ、あとは、お水ですよね」
「しょう! しょーなの!」
「あと、運動したときも」
「うんど?」
「あーっと、たくさん動いて汗をかいたり、喉が渇いたり……」
「そうなの! おみじゅー。じゅーしゅもステラしゅきよぅ!」
僕はこの日から、ステラ様が嬉しそうに言ってくれたこれらの言葉が、考え方が忘れられなくなった。
考えれば考えるほど、これが、僕が忘れていた、気付けないでいた、料理の真理のように思えたから。
一番美味しい料理が『水』であること。
それは凝った料理を作れるようになった僕が、自身の技量を見せびらかすばかりになっていた僕が、頭から弾き出してしまっていた選択肢。
その時食事を食べる人が求めているものを美味しく食べていただく事が、一番に決まっているじゃないか。
そんな単純なことを、僕は小さなお嬢様に気付かされた。
それから、僕はステラ様と会う機会があれば何かとお話をさせていただくことが増えた。
この方と話す事で、自分が料理人として高めていくと同時に失ってしまった視点を取り戻せると感じたからだ。
ある時など、ステラお嬢様に「さっちも、おいしゃのせんせーのやつやる?」と言われた意味が分からなくて使用人たちみんなに尋ね回ったところ、数日してヘイデンさんが遠い国の古い文献から『医食同源』という言葉を見つけてきてくれた時など戦慄が走った。
ステラお嬢様にその事を伝えたら伝えたで、「おいしいとごびょうきにならないもんねえ」と、まさに的を射た答えが返って来てまた慄く。
ステラお嬢様が使う『美味しい』が適切な食事という意味を内包していることを知っている身としては尚更、『医食同源』という言葉が持つらしい『日頃から適切な食事をすることで病気を防ぎ、治す』という考え方に重なった。
ステラお嬢様の聡明さは底が知れず、彼女と出会い話をさせていただく中で、僕は料理の技術を認められることや他の料理人との競争ばかりに意識を向けすぎて視野が狭くなっていたのだと痛感したのだ。
そうして僕は誰に負けるでもない、己自身の欲や見栄に負けていたのだと気付き、挫折し、反省して、料理人としての本質を徹底的に見直すことから始めることにした。
今の僕は、料理人としてまだまだ上があると感じている。
その高みをまた、目指したいとも。
最近ではジャレット家の主治医であるショーター医師と意見交換することも増え、また、薬学に通じていたヤードランド翁に弟子入りのような形で色々と教えてもらったりもしている。
そしてやっぱり、そんな僕に今足りないもの、それはやはり──────。
ヤードランド翁の前で長い考え事をしていた僕は、誰か他の者の話し声が聞こえてきたのに気づいてハッと意識を現在に戻した。
話し声の主はどうやら老齢の執事と若い見習い執事の二人らしい。
「ここは私一人で良いと言っているでしょう」
「しかし父上」
「……」
「も、申し訳ございません、すぐ執務に戻ります!」
どうやらヤードランド翁の庭の小屋まで、ヘイデンさんと若い執事のイソシギさんがやってきたようだった。
何やら聞き捨てならないことを言ってイソシギさんが去っていったが。
父上とは…………ここは、聞かないふり、聞かないふり。
コン、コン、コンと、しっかり間を取ったノックが木の扉を叩く音がし、ヤードランド翁が「おう」と似合わない荒っぽい返事をした。
それに「んん゛!」と咳払いしながら入ってきたヘイデンさんが僕を見て言う。
「誰かと思えばサッチモさんもこちらでしたか。今は釜の製作でしょうか?」
「はい、ヘイデンさん」
「毎朝早いのですから、昼休憩はゆっくりと取ってくださいね」
僕が朝の仕込みのためにいつもヘイデンさんよりも早く仕事を始めているのを、ヘイデンさんはいつも気に掛けてくださっている。
それから、たまに、ほんのたまにだが僕の右腕にその心配げな視線が行くことにも僕は気付いていた。
「ヤードランドさん、出来はいかがですか? 門番たちはもちろん、ステラお嬢様も大変楽しみにされていますよ」
「はんっ! 当ったり前じゃねえか。いくつ作ってきたと思って「ん゛ん!」」
そこまで言ったところで再びのヘイデンさんの咳払いにヤードランド翁は「あ」と言って荒々しい言葉を止める。
その後すぐ取り繕うように「思ってやがるですじゃ」と続けて僕を見たが、取り繕いきれていないのは何か指摘したほうがいいのだろうか。
僕がただニコニコしていると、ヘイデンさんがハァと息を吐き、翁に「相変わらず軽率な」と小言を述べた。
それから、「そういえばアナタ、最近あっちこっちで『歳で忘れた』と言って誤魔化しているでしょう。一部の使用人に心配され始めていますよ」とヘイデンさんが詰めるのにウッとたじろいだ翁が「だってありゃあお前さんが前にそう言って誤魔化しゃいいっつって………」としどろもどろになっている。
ここで働き始めてしばらくしてから気付いたこの二人の関係に、僕はぴんとくるものがあった。
ボロを出してくれるのはいつもヤードランド翁で、それはおそらく彼がそこまで『ヤードランド翁』であることを必死に装っていないからだと思う。
きっと、心のどこかで『別にいいじゃねえか、バレても』とでも思っているだろう想像がつくのだ。
翁のボロを諫めるのはいつもヘイデンさん。
それから、ヘイデンさんに育てられ彼の影響をしっかり受けているフットマンのチャーリーも最近はさりげない咳払いなどで翁のボロを誤魔化している場面を見る。
翁に対して発言するときのヘイデンさんは、他の誰と接するときよりも何というか、こう、雑だ。
それは年下にも部下にも礼を尽くすヘイデンさんにしては本当に珍しいことで、また、翁も翁でヘイデンさんの前では人が変わったように荒っぽい喋りをしたりガサツな言動をすることがあるものだから、勤め始めた当初は二人が不仲なのかもしれないと思って緊張もしたが、すぐにそれは誤解だと分かった。
この二人は、一緒にいるときが一番力が抜けている。
それだけなのだ。
そしてそんな二人の雰囲気に、既視感に、僕は気付くことがあった。
それは、ただの突拍子もない思い付きで、けれど、どこか確信めいた予感でもあった。
僕は、何となく彼ら二人と、僕の恩人である彼ら二人を重ねて見ている。
姿も年齢も声も違う彼らが同じ人物なのではないかなんて、突飛な思いつきだと思われるだろう。
思い違いかもしれない、勘違いかもしれない。
そうして、そうかもしれないとは思うけれど、それを表に出す気も、言及する気も決してない。
老齢の執事と庭師の翁である彼ら二人と、黒髪黒目で異国風の顔立ちの壮年の男二人。
そのどちらが彼らの本当の姿だったとしても、どちらもが本当の姿でなかったとしても、僕のすることは変わらないのだから。
料理人“サッチモ”として、ジャレット家へ精一杯仕えること。
そのために、僕は『美味しい』の探求を欠かすわけにはいかない。
何といっても、彼らが愛してやまない、そして僕も大切に思い愛してやまないお嬢様が、『美味しい』を教えてくださるのだから。
「ヘイデンさん、ちょうど良かった。次の通いの料理人についてご相談したいのですが」
「ああ、次の候補の方ですね」
「はい、出来るだけ多くの料理人の方と意見や技術の交換がしたくて。お一人推薦させてください。もう一人はいつものように募集と選考をお願いします、それから、このあいだお嬢様に『おもてなし』という言葉を教えていただいたのですが、ご存じですか?」
「ただのもてなし……とは違いそうですね。分かりました、私のほうでも調べてみましょう」
「ぜひ! お願いします!」
ヘイデンさんにお願いをし、それからまたいつものように軽い掛け合いから言葉の応酬に戻っていく二人の様子をひっそりと眺める。
二人の、少し大人げない言い争いにも思わず笑顔になってしまうのは仕方がないだろう。
だって、こういう時の二人は本当に楽しそうに見えてしまうのだ。
「…………いいなあ、ライバル」
言った言葉は、幸い言って言われてのやりとりに盛り上がる二人には聞きとがめられなかった。
父と母のような。
ヘイデンさんとヤードランド翁のような。
そんな、生涯の、ライバル。
最近では僕と競い合い、高め合ってくれる料理人の存在に憧れすぎるあまり、旦那様やヘイデンさんに頼んで通いの料理人二人を入れ代わり立ち代わり様々な店から出仕の形で呼ばせていただいていたりする。
幸い、僕の顔が元から広いこともあって伝手は多く、様々な立場の料理人たちとする意見交換はとても有意義だ。
しかし、まだまだ生涯のライバルと呼べる相手は見つかっていなかった。
いつか、運命の相手とでも言えそうな、そんな相手に巡り会ってみたい。
僕が目標とする目の前の二人や、両親の姿に重ねて夢想した。
そんな、自分の中に生まれた夢見がちな願望にまた僕は、人生のゴールを上方修正する。
僕の料理人としての道のりはまだまだ長くなりそうだ、なんて思いながら。





