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41.大天使ステラちゃん、みんなでわいわい

 その場には、十人を超える子どもがいた。

 普通であれば賑やかに、好き勝手に、思うとおりに振舞うはずの、そんな年齢の子どもたち。

 しかし今は、たった一人を中心に円を描くように座りこみ、真剣な表情で一冊の本へと視線を落としている。


「こ、これは……」

「うん、何回数え直しても同じ……」


 私は、孤児院の子たちに囲まれるようにしながらその視線を一身に受け、もう一度数字の記された紙を手元に寄せ直す。

 何度見ても同じだ。


 ごくり。

 誰かがのどを鳴らした。


「ステラ」

「うん」


 輪の中、一人だけ私よりも年上だろうお兄さんな男の子は、潜めた声で私を呼んだ。

 それだけで意を汲んだ私は、彼へ顔を向けると一つ頷き、続けた。


「私たち、すごい発見をしたかもしれない」


 ドキドキと、心臓の鼓動は速く、汗が頬を伝った。





「何をしているんだい? ステラ」

「パパ!」


 パパが帰ってきたのは、そんな時だった。

 振り返れば、パパが、デイヴィスとアヤドさんを連れてこちらへとやってきている。


 私がいるのは、シドたちと“鶏とヒヨコ”をした場所の近く、ご本なんかが置いてある場所だ。

 子どもたちみんなと布が敷かれた床に座り、その中心、私がいる場所には一冊の本が置かれている。


 パパの声に振り返った私は、近づいてくるパパたちを待つ。


 すぐ近くまで来たパパは、私たちがいったい何をしていたのかと、不思議そうに輪の中を覗き込んだ。

 それから、中心に置かれているのが本とメモ書きだと分かると、周囲のみんなにも視線を向け、「随分熱中していたようだね」と笑顔を向けた。


 いいところに来てくれたと、パパを見て思う。

 私は、キリリとお顔を引き締めた。


「あのねパパ」


 意を決したような私の様子に、パパは黙ったままこちらを見つめ返し、続きを待っていてくれる。


 私がパパへ“それ”を伝えようとしていることに気づいた子どもたちの中からは、一瞬戸惑うようなざわめきが広がった。

 しかしそれもすぐ、「僕らの発見だけど、ステラのパパさんならまあ教えてあげても……」「プレゼントんとこの人だろ」「じゃあ教えてあげる!」と、賛同してくれる声に変わる。


 それに背を押されるように、私は置いてあった本を手に取ると、それをパパに見せつけるようにして口を開いた。


「パパ。虎さんにはまだ、隠された秘密があるみたいなの」

「ほう、続けて」


 笑顔だったパパのお顔は、一瞬でキリリになった。

 ずいっと一歩、乗り出してきてくれる。


 顔同士を突き合わせるようにして、じっと強い眼差しを向け合う私とパパ。

 それはまるで、相手の真意を探るような、正体を探るようなやりとりだ。


 私たちを見る子どもたちは、そんな私たちの様子に黙り込み、緊張の面持ちで見守っている。

 


 重大な秘密を握る私はまるで、この街一番の情報屋。

 その口から語られるのは、莫大な利を生み出す発見か、人々を絶望に落とす禁秘か。


 対してパパは、そんな秘密の価値にきっと気づき、使いこなすことができる有力者。

 その情報が彼に渡ることで、いったいどんな結末を迎えるのか。


 私は、今知ったばかりの重大な事実を、どう切り出すかを考える。

 どう伝えることが、一番、情報屋(わたし)の利になるのか。


 まるで“すぱいえいが”の一幕みたい。

 思い浮かんだ言葉の意味はわからないけど、私の気持ちは高ぶり、高揚する気分のままで口端を持ち上げた。




 そんなときだった。

 誰もが私の一言目に注目して黙す中、聞こえたその声は穏やかでよく響いた。


「えっと、一体、何の話だい?」


 遠慮がちに、しかしその場の誰もが思わず耳を傾けたくなるようなその声に、視線が集まる。

 声の主は、デイヴィスだった。

 その顔には、普段通りの微笑みが浮かべられているが、困ったような雰囲気は隠していない。


 私とパパ、そして子どもたちの間にあった、張り詰めたような空気が緩むのがわかった。

 入り込んでいた世界から引き戻されるような、不思議な感覚がする。

 それは、たとえばママにご本の読み聞かせをしてもらっている最中に、お客様が訪ねてきたことをヘイデンに知らされたときのような、そんな気分だった。


 私とパパはお互いに向け合っていた目をぱちりと見合わせ、そしてデイヴィスへ視線を移した。

 親子揃って視線を向けられたデイヴィスは、突然変わった場の空気に驚いたのか顎を引いたものの、穏やかな微笑みはそのままに留まった。


 一気に場がぬるむような、不思議な間があった。

 緊張から弛緩への変化にも、私のすぐ後ろに立ってくれていたチャーリーは動じなかった。

 チャーリーは、さっとフォローをしてくれる。


「デイヴィス様。ステラお嬢様は『十二騎士と八十八賢者』の内容について、みなさんと議論されてらしたんですよ」

「ん? 十二騎士と、八十、なんだって?」

「『十二騎士と八十八賢者』でございます、デイヴィス様」


 チャーリーの説明に、けれど、デイヴィスはピンとこなかったみたいだった。

 そんなデイヴィスの反応を見て、それまで静かだった子どもたちが再びざわめき始めた。


「もしかして、デイヴィス様、虎さんのご本知らないの?」

「えっ」

「そんなことあるの?」


 さわさわと、囁くような騒めきが波紋のように広がるものだから、当のデイヴィスは今度こそ狼狽えた。

 微笑みのままで温度をなくしていくデイヴィスの表情を見て、やっぱりデイヴィスの笑顔には色んな種類があるなあと思う。


 それからデイヴィスは一瞬子どもたちへ視線を滑らせそこに答えがないとみると、すぐさま後ろのアヤドさんへと視線を向けた。

 

 そこには、両手で口を覆って、誰よりも大きく目を見開いたアヤドさんがいた。

 ぎょっとするデイヴィスに、アヤドさんは信じられないとでも言いたげに口をわななかせる。


「坊、まさかご存じない?」


 アヤドさんの反応には驚いたデイヴィスだったけど、その反応はデイヴィスにとって悪いものではなかったらしく、すぐに真面目な表情に切り替えてアヤドさんへと体ごと完全に振り返る。

 それからアヤドさんを呼び寄せるように手招きすると、顔を寄せた。


 顔を寄せ合うデイヴィスとアヤドさんは小声で、こしょこしょ話をするみたいだった。

 その声は潜められていて、私たちには聞こえない。


「アヤドは、その、『なん十なんとかの賢者』を知っているのか」

「『十二騎士と八十八賢者』ですよ」

「それだ、教えろ」

「さあ」

「さあって、お前」

「寡聞にして、初めて耳にする名前ですね」

「…………」

「…………」


 切羽詰まったように小声でアヤドさんに詰め寄っていたデイヴィスが、「じゃあさっきの反応はなんだったのか」と俯き呻くと、何かを耐えるように大きく一呼吸、それから顔を上げた。

 その顔には微笑みが戻っていたけれど、普段の穏やかな表情ではなく、なんとなく覇気を纏っている気がする。


 それを見守る私は、会話は聞こえないけど、デイヴィスの表情がころころ変わって面白い、なんて思っていた。

 なおもデイヴィスたちはせわしなくこしょこしょ話を続ける。


「どうやら僕の従者は少しおかしいようだ。望むなら暇を出すが?」

「こんな僕を重用していてくれるのは、坊の美徳です」

「おい、ゲイリー殿の講釈を勝手に引用するな」


 まるで喧嘩でもしているように、デイヴィスはすごんでアヤドさんへにじり寄るけれど、その様子はただ会話を楽しんでいるだけだってなんとなくわかった。


 私はチャーリーを見る。


「仲良しさんだねえ」


 私が投げかければ、チャーリーは苦笑いで返してくれた。


「ええ、本当に」







「まったく、僕の教育係はこんなふざけた奴でいいんだろうかとたまに不安になるんだが」

「適任やと思いますよ。坊に足りないのは主にユーモアですからね」

「ユーモア、ね」


 疑わしそうにアヤドさんに視線を向けたデイヴィスに、アヤドさんは胸を張った。


「大事ですよー、ユーモアは。外交しはるんでしょ? お兄さんのために」

「……」

「結局ね、どこ行っても人相手なことに変わりないんです」


 そう言う教育係の言葉からは、彼の重ねてきた経歴の重みを感じられた。

 デイヴィスの教育係になるまで、貿易で大成した国で翻訳機関の要職に就いていたアヤドさんはそれから、普段の軽薄さなど感じさせない、迫力すら感じる空気を纏う。



「最後に物を言うのは、相手に頷きたいと思わせるだけのコミュニケーション能力──」



 珍しく崩さない王国語で告げた彼は、しかし。



「──やったりしてっ」



 デイヴィスが思わず脱力してしまうような、いつもの声音と表情で続けた。

 一度、詰めた息を短く吐いたデイヴィスは、逡巡してから返す。


「……言いたいことはわかるが」

「わかるんや。嫌なお子様やなあ」


 真顔で言うアヤドさんにデイヴィスはピキリと青筋を立てた。

 真面目に返すべきだと思い言ったのに、この男ときたらこうして茶化すのだと視線を鋭くする。


「お前な」

「あ、スルースキルも大事です」

「……はぁ」



 そうして、しばらく話し込んでからみんなの元へ戻ってきた二人は、片やアヤドさんはツヤツヤとした満足気な笑顔、片やデイヴィスは疲れたようにおでこに手を当ててと対照的な姿。

 デイヴィスが小さく「何の収穫も得られなかった」とこぼすのを聞いて、私はキョトンと首を傾げた。



 + + +



 デイヴィスが虎さんのご本を知らないのは、本当のようだった。

 アヤドさんとのこしょこしょ話から戻ったデイヴィスは「その、僕は、『十二騎士と八十八賢者』を知らないんだ」と小さな声でみんなに言う。

 その姿はまるで降参するみたいだった。


 再び、場がざわざわとし始める。

 何か言おうと私が口を開きかけたものの、それより先に声が上がった。


「みんな、落ち着こう」


 少しだけ舌足らずなその声の主は、輪の中から一人立ち上がり、腕を広げるようにして子どもたちを見回す。


「誰にだって、初めてトラさんを知った瞬間はあっただろう。デイヴィス様にとって、それが今だっただけの話だ」


 ゆっくりと、そして断定的な口調には説得力がある。

 その場にいる子の中では唯一私よりも少しだけお兄さんなその男の子の声に、みんなも「なるほど」「深いわ」などと口々に納得した。


 その様子を見まわし満足気に頷いた彼は、大仰に両手を広げ、勝ち誇ったように笑んで見せた。

 その姿はまるで、舞台役者さんみたい。


「さあ、人が虎さんの本にハマる瞬間を、見たくはないか?」

「!」

「ごくっ」


 子どもたちは驚き、息をのむ。

 そんな様子を見て。


「あの子扇動者の素質ありそうや、要注意ですよ、坊」

「……楽しそうだなアヤド」


 デイヴィスの肩を揺らしながらノリノリなアヤドさんと、何かをあきらめたように脱力するデイヴィスがいた。

 それからデイヴィスは私が見ているのに気づき、目が合うと困り眉のまま小さく笑んだ。


 向けられたその顔は、孤児院を案内している最中にずっと浮かべていた微笑みよりも、ずっと力が抜けたような優しい笑顔で。

 リラックスしたデイヴィスのその姿は、彼を知ってから一番の自然体に見えた。


 伸ばされた背に穏やかな佇まいからは今は力が抜け、きっちりと整えられていたはずの金の髪は、今はあちこち綻んで空気に揺れる。

 普段は髪に隠れた額も、先ほど手を当てていたせいで幾分か露わになっている。


 そのせいか、デイヴィスがなんだか知らない人みたいに見えた。

 大人びた表情を浮かべるデイヴィスから、視線が逸らせない。



「ステラ」



 呼ばれた小さな声に、私の心臓は小さく跳ねた。

 目を合わせたまま固まった私に、デイヴィスは碧の瞳を細めた。

 それはもう、嬉しそうに。



 『 あ と で ね 』



 声になるか、ならないか。

 口の動きだけで伝えるそれに、私はまるで囚われたようにじっと、デイヴィスの碧い瞳を見つめ返すことしかできなかった。


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