38.もう一人のモブ少女/後(レミ視点)
流れる黒髪はサラリとして、柔らかそうな質感の反面、光に透けると深い青か濃い紫のようにも見える。
怜悧さを持つ目元、骨も肉も感じさせないすっきりとした顔立ちは、ゲームで見たものより幼くとも、間違いなく“チャーリー”本人だった。
とんでもない美形だ。
ゲーム本編では、ヒロインより八歳年上の二十三歳の新任養護教諭だった彼。
大人の魅力を持つ、優しくもミステリアスな男性だった。
第二王子の年齢を考えれば、本編開始まであと八年ある。
チャーリーは今、十五歳だろうか。
日本で高校生をやっていた自分より年下のはずなのに、すでに大人のような落ち着きを持った彼は、妖艶さすら感じるほどの色気を放っている。
とんでもない衝撃だった。
乙女ゲームのイケメンヒーローが実在するとこんなに破壊力を持つのかと、レミは彼から目を離せなかった。
さすが乙女ゲームというべきか、この世界の大人も子どもも、誰もが凡庸ではあっても整った容姿をしている。
だとしても、目の前のこのお人は、次元が違うと思わされた。
それほどの美少年。
日本にいたころも、レミになってからも見たことがないほどの美形を前に、一目で恋に落ちなかったのは、幼い体のおかげだったかもしれない。
ゲームでのチャーリーは、表向き学園の新任教師であり、養護教諭だった。
保険室で会うことのできる彼は、温和なのにどこか妖しげで、そしてヒロインだけはそんな彼の裏の顔も知ることになる。
“暗殺者”
ヒーローたちの中でも、飛び抜けて深い闇を抱えていたのがチャーリーだ。
彼は暗殺を生業とする裏組織で育ち、望まぬ暗殺をさせられていたせいで感情のほとんどを失っていた。
表向きの人当たりの良さもすべて演技だったが、ヒロインだけはそんな彼の表情の違和感に気づき、彼の正体を知るのだ。
その後、裏組織と繋がりがあった学園長に立ち向かって、とそこまで記憶を辿ってから、一度意識を今に戻す。
先ほど、目の前に現れた彼の様子はどうだっただろう。
十五歳のチャーリーは、やむを得ず暗殺稼業に手を染め、感情を封じて苦しんでいる最中のはずだ。
そんな彼の浮かべる、慈しむような温和な微笑みは、愛でるような温かなまなざしは、どういうことだろうか。
答えはきっと、彼が守るように侍る小さなお嬢様にある。
レミと変わらない小さな体。
豊かで瑞々しい髪を一つにまとめ、質のいいジャケットとパンツを身に着けた姿はむしろ、幼い彼女の愛らしさを引き立てているよう。
明るい笑顔と、柔らかい雰囲気。
大きな瞳は億すことなく私たちを見つめ、それからちらりとチャーリーと交わされると緩められていた。
「私ね、ステラっていうの!」
まっすぐ届いた声は、突き抜けるほどに明るかった。
ステラ。
甘く柔らかく、まぶしいほどに輝く彼女と目が合って、まるで煌めく星のような笑顔だと思った。
チャーリーがステラを見つめる視線には、偽りなどでは決してない温かな温度が乗っている。
レミは、ゲームでのハッピーエンドでも見せなかったような、チャーリーのその様子に、クラクラと眩暈すら感じてしまった。
チャーリーと微笑み合い、とろけそうなまなざしを一身に受ける彼女は、絶対にゲームにはいなかった存在だと確信できる。
彼女のような存在がいて、二十三歳のチャーリーが語る過去に出てこないはずがないのだ。
レミの直感は、彼女が転生者だと告げていた。
そして、にわかにレミの心は騒めく。
不快な感情ではなかった。
謎多き少女、ステラの存在に、ゲーム好きだった前世の記憶がむずむずと主張するのだ。
知っているのとは、違った展開。
変わったチャーリー、明らかに接点のある第二王子、他の攻略対象者たちとの交友関係。
きっとステラは、この世界を知るキーとなる人物。
レミが一線を引いていたはずの大好きなゲームの世界が、登場人物が、ステラを通して繋がった。
知っているのとは違った現実。
明かされない謎。
むずむずと、歓喜に似た感覚に、レミの頬は思わず緩んだ。
“乙女ゲームの世界に転生してみた”
レミを主人公にした物語が、動き始めるのが分かった。
『なーんてね』
そう言ったレミの表情は晴れやかだ。
たった五歳のレミがそんな表情をしていると、やはり不相応に大人びて見える。
『あんな表情見ちゃったら、誰だって分っちゃうっての』
大きく息を吐き出すように、のどをのけぞらすようにして上を向いたレミは、ぷくっと頬を膨らませた。
ゲームスタートまではまだ八年あると思っていたため、突然現れたチャーリーに驚いたのは本当だ。
一瞬だけ、“攻略対象が会いに来てくれたのかもしれない”なんて脳裏を過りもした。
しかし、そんな“もしかしたら”は、それはもう速攻で取り下げることになったのだ。
『幸せそうな顔しちゃって』
レミは苦笑するように笑ってしまう。
もしも、この世界に主人公がいるとしたら。
そう考えて一人の少女を思い浮かべたレミは、上を向いたまま目をつむり、微笑んだ。
それから、カクリと首を垂らすと、また抱きしめている膝に頭を乗せる。
天真爛漫な愛らしい少女と、幸せそうなチャーリーの姿を瞼に映す。
それから、一拍。
『おにいちゃんに、』
彼女の声は、音にはならない。
『会いたいなあ』
じわりと、胸を撫でるように広がった熱は、その顔立ちすら思い浮かべられないたった一人を求める。
思い出したくなかった、と思ってしまう。
口の中まで上ってきた思いは熱く広がり口内を満たす。
乾き始めていた目元が再び潤んだ。
大きく吸った息を、ゆっくりと吐きだす。
膝ごと抱えた胸から、ドクドクと、自身の鼓動だけが耳に届く。
夢見ていた乙女ゲームの世界だって、自分とは無関係に始まってしまっていた。
今更、この世界に一人きりになってしまったような、寂しい感覚。
レミは詰まるところ、物語のモブでしかなかった。
そんな自分は一体なんのためにこの世界に転生したのだろうかと考える。
神様の気まぐれ?
それとも、前世のゲームの記憶を使って、残りの攻略対象者たちを不幸から守るため?
夢の中だというのに、レミの意識は眠りを求めるようにゆるく、落ちていく。
思い出してしまった兄の面影を上塗るように、切なさから逃げるように、思いをはせる。
同じ世界にいるであろう、残りの攻略対象者たちのゲーム知識を、記憶から引き出しては並べる。
彼らの不幸、不遇。
ヒロインと出会うまで、彼らに起きた、報われなかった過去を思う。
今、彼らは、ゲームのように生きているのだろうか。
それとも、チャーリーのように、変わっているのだろうか。
目を閉じ丸まったままのレミのいる空間は、レミのそんな思いに呼応するように、再び彼女の思い浮かべる光景を映そうと、光を放ち始めていた──。
+ + +
「──ん」
短くうめくような幼い女の子の声に、意識がゆっくりと浮かび上がる。
誰の声、と考えかけて、レミは自身の声だと思い至った。
差し込む光がやたらと眩しく感じ、閉じたままだった瞼に一度ぎゅっと力を込めてからそろりと目を開く。
カーテンの隙間から差すのは赤く染まる西日。
瞼が重く腫れているようでうまく開かない。
寝起きで頭の回らないレミには、瞼が腫れている理由も思い出せないでいた。
何か、長い夢を見ていたような。
レミは半分寝ているような頭で考えつつ、まだ日も暮れないような時間にどうして寝ていたのかと不思議に思う。
掛けられていた布団を脇にどけて、片腕ずつ床に手をつき、ノロノロと体を持ち上げていく。
今日は、いつもどおり起きて、一日孤児院で過ごそうと思ってシドとソラと、そしたらシスターがお客さんを連れて──
「お。レミ、起きたか?」
ふいに掛けられた声に、ドキッと心臓が跳ねた。
知っているはずなのに、その声に、言葉の抑揚に、不思議と胸がざわついた。
声を掛けられたほうを見やれば、ロビーに続くドアが開かれている。
レミのいる室内はカーテンが敷かれていて暗く、ロビーから入ってくる光を背に立つ彼の姿は目を凝らさねばシルエットしか見えない。
起き上がりかけたままの低い視界でその影を捉えたレミは、なぜだか視線が外せなくなった。
レミと変わらない体格の彼だが、その足はしっかりと床を捉え、堂々としている。
それから、順番に視線を上げる。
脚、腰、胸と、彼の姿を上へ上へと目で追っていき、そして。
「お前、さっさと起きて来いよな。シスター無駄に心配すんだから」
苦笑するシドがいた。
ドアを開いた体勢のまま、困ったように、でも楽しそうに、そして少しだけ心配の色を乗せた瞳でこちらを伺うように見ていた。
レミは、腫れた瞼が一段と熱をもつのを感じた。
「シ、ド……」
「あー、お前、まだ泣いてんのかよ」
かすれるような小さな声だったにも関わらず、シドは名を呼んだだけで、室内へと入ってそばまで来てくれる。
レミの顔を覗き込むようにした彼は、呆れたような口調とは裏腹に優しい。
背に手を添え、囁くように「怖い夢でも見たか?」と聞かれ、レミはぶんぶんと首を振った。
「わかんない」
「なんだそりゃ」
シドはまた、困ったように笑った。
その顔に、声音に、レミの記憶の底に沈んだ砂がふわりと舞い上がるような気持ちがした。
ぱたりと一粒、涙が落ちる。
夢を、見た気がする。
けれど、どんな夢だったかなんて覚えていない。
シドを見て、こみ上げてしまったこの涙の理由もわからなかった。
ただ、シドを見てひどく安心したような気持ちになったのだから、きっと彼の言うように怖い夢でも見たのだろう。
それから、背に添えられた小さな手の温かさに落ち着きを取り戻したレミは、眠ってしまう前に起きたことや、ステラたちのことを思い出した。
「シド、ステラたちは?」
「とっくに帰ったよ」
シドは答えながら、レミが泣き止んだことを確認するように再び顔を覗き込む。
それから「お前寝すぎ」と笑ってレミの額を小突き、立ち上がった。
「夕飯の支度もう終わるぞ」
「うそ!? すぐ行く!」
シドの言葉に、レミの意識はスイッチを入れたようにパッと切り替わる。
何も手伝わずにごはんだけを食べるような真似はできない。
シドが差し出してくれた手を取ると、両足に力を入れて一気に立ち上がった。
そうして言われてみれば、開いたドアの向こうから、美味しそうなごはんの匂いが漂ってきているのにも気づく。
この香ばしい匂いは香草焼きだろうか。
もしかすると、ステラのジャレット商会かデイヴィス王子が、お肉やスパイスの差し入れをしてくれたのかもしれない。
シドに繋がれた手をレミは握り返したまま彼の後に続いて部屋を出た。
眠る前、ひどく取り乱して泣いたレミをシドが問い詰めるようなことはない。
普段は繋いだまま歩かない手も、レミが握ったまま好きなようにさせてくれる。
レミは、シドのそんなところが好きだった。
「ステラ、なんか言ってた?」
「また来るってさ」
「本当っ!?」
食堂に向かいながら、ステラにまた会えることを聞いたレミは喜色満面に飛び跳ねた。
繋いだ手に振り回される形になったシドは文句を言ったが、レミはそんな彼に甘えるようにして「いつ!?」「すぐ!?」と畳み掛ける。
ステラにはまだまだ確認したいことがたくさんあるのだ。
第二王子デイヴィスとの関係、チャーリーのこと、友達だというダニーやマルクスのこと。
どうやら乙女ゲームの世界らしいこの世界で、かつて大好きだった登場人物たちの今がとても気になる。
チャーリーがあれだけ変わっていたのだから、他の攻略対象者たちだってレミの知識にある彼らではないのかもしれない。
「──主人公にはなれなかったけど」
レミはステラの姿を思い起こし、そうして至った結論をぽつりと呟いた。
言葉にしたそれはどこかさっぱりとしていて、もしかしたらレミ自身、これまで考えないようにしていただけで、期待もしていなかったのかもしれない。
「なんか言ったか?」
「なんでも!」
不思議そうなシドに元気よく返して、今度は彼を引っ張るようにして駆け出した。
「おい!」
シドが不満そうに声を上げたが、それにも構わず食堂に向かって駆ける。
そんなシドを振り返り、レミは笑った。
そんなレミを見て、シドも笑う。
シドがいて、ソラがいて、シスターがいて、みんながいて。
それだけでレミは満たされ、十分幸せなのだ。
ステラには、次はいつ会えるんだろう。
ステラがいれば、他の攻略対象者たちだって大丈夫だって、そんな気がする。
一つ増えた日々の楽しみに、そしてステラからもたらされるだろう驚きに、今から胸が弾むような、そんな心地がしていた。
──
宣伝です、すみません。
約8万字の連載が完結いたしました。異世界ラブコメです。粗野な一匹狼×ピュア。
【推しのファンサがリアコすぎる】
https://book1.adouzi.eu.org/n0444gy/
ご興味を持っていただけた方はぜひお読みいただき、ご感想などいただけましたら、むせび泣いて喜びます。





