36.大天使ステラちゃん、デイヴィスの感情表現
チャーリーが転んだのが、デイヴィスと向き合っている私からは見えていた。
「あ」
思わず声に出ちゃった。
デイヴィスは、チャーリーが奥の部屋から出てきたことにも気づいていなかったせいか、チャーリーを見て慌て始めた私を、どこか微笑ましそうな表情で見ている。
転んじゃったチャーリーが心配な気持ちと、私のお返事を待っているデイヴィスに答えなきゃって気持ちの両方に板挟みになって、私はオロオロしちゃう。
こういうとき、チャーリーはあくまで使用人さんだから、デイヴィスのことを優先しなきゃチャーリーも怒られちゃうかもしれないっていうのは、分かっているんだけど。
分かっては、いるんだけど。
どうしても話どころではなくなっちゃって、私はデイヴィスに聞かれたお話がなんだったのかすらよく分かんなくなっちゃってた。
デイヴィスの後方では、転んじゃったチャーリーが普段キビキビしているのが嘘みたいに、ノロノロした動きで立ち上がろうとしているところだった。
足ががくがくしているように見える。
もしかしたら、どこか痛いのかもしれない。
私は心配でたまらなかった。
お話の途中で他のところに行くなんて失礼になっちゃうけど、デイヴィスは優しいから、きっと分かってくれるはず。
「デイヴィス、ごめんね!」
「え」
私がチャーリーのところに行くことを一言断ると、デイヴィスも、隣に立っていたアヤドさんもポカンと口を開けた。
それから、アヤドさんはすぐさまハッとすると、デイヴィスへと体を向けて両手をかざすようにしてオロオロとした。
「ぼ、坊、しっかり……」
デイヴィスは一言発したっきりで、ポカンと口を開けたまま固まってしまっている
それでも、私は返事も待っていられなくてチャーリーのところに駆け出した。
説明は後でしよう。
「チャーリー!」
「お、お嬢様?」
チャーリーまでびっくりして顔を上げ、駆け寄る私を見た。
そのお顔には「なんで」って書いてあるみたい。
もし私が転んだらチャーリーだって飛んできてくれるだろうに、チャーリーは私が飛んできたのをびっくりしてる。
「大丈夫? チャーリー、転んじゃったね、どこか痛い?」
「あ、いえ、大丈夫、です。それよりお嬢様、デイヴィス様のお話は……」
私はチャーリーの体をペタペタ触って確認する。
我慢してる雰囲気でもないし、足が震えてるみたいなのも止まってる。
大丈夫そうでよかった。
私が、チャーリーの腕や足に擦りむいちゃったりしているところがないか確認していると、デイヴィスたちがいるあたりから、大きな息を吐く音が聞こえた。
「な、なあんや~、ハァー、びっくりしたあ」
声の主はアヤドさんだった。
ほっとしたような、おどけるような口調で「坊が間髪入れずにフラれたんか思たわ」なんて言っている。
大げさなくらい胸をなでおろしてみせたアヤドさんに、チャーリーは「自分が転んでしまって。話の腰を折って申し訳ございません」と平謝りした。
アヤドさんは「かまへんかまへん、あんな大事になる話をいきなりお嬢さんに始めた坊が悪い」とバッサリ言い切ってから、デイヴィスへ声をかける。
「ほら、坊。正気に戻って」
「ハッ」
アヤドさんにテシテシと肩を叩かれたデイヴィスは、分かりやすく正気に戻った。
デイヴィスって、ちょっと見ただけだと穏やかで冷静そうに見えるのに、息ができなくなるほど笑ったり、こうして取り乱したり、意外と感情表現が豊かで分かりやすい。
今も、ギギギっと錆びたような動きでアヤドさんを見上げたデイヴィスは「アヤド、僕は……断られ……?」と、何か言いながら、明らかにお顔から血の気が引けている。
デイヴィスは私の行動がよっぽどびっくりしたみたい。
やっぱり、デイヴィスはパパがお貴族様のバードさんだし、礼儀作法とかもしっかりしてるから驚かせちゃったよなあ。
私は悪いことをしたなって思って、でも仕方がないことだったから、ちゃんと謝ろうと思った。
アヤドさんが、デイヴィスの背中をぐっと押して姿勢を正すように促した。
「はい、しっかりする。チャーリー君が転んだのを助けてあげてただけや」
「え、そうなのかい? チャーリー、怪我はない?」
私より先に状況を説明してくれたアヤドさんにデイヴィスは、ほっとするよりも先にチャーリーを心配してくれた。
やっぱり、デイヴィスはすごく優しい。
チャーリーがデイヴィスにも謝って、私も失礼なことをしたことを謝ったけど、デイヴィスは全然気にしていないって許してくれた。
「ステラは勇敢だね。迷った末に、ちゃんと守るほうを選んだんだ」
納得げに頷き大げさに褒めてくれたデイヴィスに、アヤドさんは呆れたようにすると「そこまで言うのはさすがに贔屓目や」と苦笑いした。
それでも構わず、嬉しそうな表情に戻ったデイヴィスは、もう一度仕切り直すように私の正面に歩み寄る。
チャーリーが、私の隣で背筋を伸ばし、ゴクリと口の中を飲み込む音が聞こえた。
デイヴィスの後ろにいたアヤドさんは、歩き始めたデイヴィスの様子に、止めようか迷ったようにして、それから諦めたように差し出しかけた手を下げた。
私の正面まで来て止まったデイヴィスが、うやうやしいくらい丁寧に私の手を取った。
その仕草は、まるで物語に出てくる王子様みたい。
私はお姫様になれたみたいって、ちょっとドキドキする。
デイヴィスは私の手をゆっくりと持ち上げ、顔を寄せるようにする。
その仕草はたしか、貴族の大人の男性が、淑女に挨拶をするときの動きだ。
持ち上げた私の手、その指先に触れないように口元を寄せたまま、デイヴィスの碧い目が、私を上目に見つめた。
私と目が合ったことを確認したデイヴィスは、少し嬉しそうに目を細めた。
デイヴィスは、本当に私をお姫様に見立ててくれているみたい。
吹いた風に、デイヴィスの金の髪が揺れた。
王子様みたいなデイヴィスは、それから口を開いて。
「ステラ、僕とけっこ……、ん……」
そこまで言ってから、それきり動きを止めてしまった。
“けっこ”って、なんだろう?
デイヴィスは微笑み顔のままだけど、体はぎこちなく固まり、何か困っているみたい。
私が手を取られたままじっと待っていると、私の上から影が差した。
音もなく現れた人影に、私は振り返る。
そこには。
「パパ!」
パパがいた。
パパはにっこり笑顔で、「まだお話の途中だろう?」と言いたげに私に前を向くよう身振りで示した。
私はそうだったと思い出して、向き直ってデイヴィスを見る。
デイヴィスは相変わらず固まったままで、でもひどい汗をかいている。
「デイヴィス?」
「あ、いや、その」
デイヴィスにここまで余裕がなさそうなのは珍しい。
それから、デイヴィスはさっきとは違う上目遣いでパパへ視線をやって、それからパパの見ている先を追って自分の手元に行き着くと、持ち上げていた私の手をゆっくりゆっくりと下ろした。
手が恐る恐る離されたのを見ていた私はどうしたのかなって不思議だ。
「デイヴィス?」
「違う! 諦める、とかでは、なくて、だな……」
聞いた私に、デイヴィスはガバっと私を見るとあわあわし始めた。
デイヴィスは、なんだかしどろもどろで慌てて手を彷徨わせ、その後ももにょもにょ何か独り言を言った。
私は、お話がひと段落したことを感じて、改めてパパを見た。
「パパ! ご用事終わったの?」
なにかあって来てくれたのだろうと思って私はパパに聞く。
パパは頷くと、ずいっと、いつもより大きな一歩で私の隣に並んだ。
「デイヴィス様、お話、よろしいですな?」
パパはいつもの笑顔だけど、どこか有無を言わせないような迫力がある気がした。
デイヴィスは「あ、ああ」とパパから目を離さないまま首を縦に動かす。
「落ち着ける場所がいいですね」と、どこかに連れ立って移動しようとするパパと、どこか元気がなくなったように見えるデイヴィス。
私は、私たちから離れていくパパとデイヴィスを見る。
デイヴィスの後ろ姿はいつもどおり真っすぐ背が伸びた姿勢で、足取りだって先ほどまでと変わっていないはずなのに、なぜか少しだけ、ニールさんに怒られてしょんぼり反省していたときのルイの姿が重なって見える気がした。
二人の後ろをついていくアヤドさんが、ポツリとこぼした。
「まあこうなるわな」
私にはその意味が分からなくて、コテンと首を傾げたまま彼らの後ろ姿を見送っていた。
次回、「デイヴィス、修羅場の相手はチャーリーじゃない、パパだ」
※なお、タイトルは制作中のものであり、変更になる可能性がそれはもう高いです。





