34.大天使ステラちゃん、大切なことを思い出す
今日が私の初めての孤児院訪問だと知ったデイヴィスは、少し考えるようにしてから言った。
「では、今日ステラがしたことを僕に教えてくれないかな?」
それを聞いて、アヤドさんは渋面になる。
「坊、それやと視察の意図が」
「アヤド、坊、はやめないか」
「おっと、ごめんなさい」
アヤドさんから口をついたように出た“坊”っていうのは、デイヴィスの普段のあだ名なのかな?
「デイヴィスとアヤドさんは仲良しなんだねえ」
私の言葉に、デイヴィスとアヤドさんは顔を見合わせた。
それからデイヴィスは、少しいじわるなお顔になったアヤドさんからすいと目を逸らすと「まあ、そうかな」と歯切れ悪く言う。
ちょっと不満そうで、でも否定しないデイヴィスを面白そうに見たアヤドさんは、私とチャーリーを見て言った。
「ステラ様とチャーリー様も、仲良しでいはるんでしょう?」
聞かれて、今度は私がチャーリーと顔を見合わせる番だった。
私たちは、とっても笑顔だ。
「とっても仲良しなの! ね、チャーリー!」
「そうですね、ステラお嬢様」
私の言葉に、チャーリーもニッコリ笑顔ですぐ返してくれた。
「おお、羨ましいですわ~。デイヴィス様は恥ずかしがり屋さんやからなあ」
わざとらしくちらちら視線をやりながら言うアヤドさんの言葉を、デイヴィスは涼しいお顔で聞こえなかったふりをしていた。
そんな二人の様子に、私はチャーリーとこっそり笑い合った。
「ふふ、仲良しさんだねえ」
「そうですね、お嬢様」
+ + +
「孤児院の子たちと仲良くなったほうが視察がしやすいんだから、今後の為にも、訪問初日で打ち解けたステラの方法を知ることも必要だ」
デイヴィスがそう言ったことで、私は今日孤児院でしたことを教えることになった。
デイヴィスとアヤドさんは、アヤドさんが言う小言にデイヴィスが理由付けを頑張って、アヤドさんが諦めるって流れができてるみたい。
一緒に遊んでくれていたシドたちも呼ぼうと思ったんだけど、そばに寄っていった途端、無理だと言って全力で逃げられてしまった。
シドなんかは私と目が合うなりギョッとして、慌てて逃げ出しながら叫んだ。
なんでも、「お貴族様に俺たちじゃ無礼になる!」だって。
仕方がないから、私はチャーリーと一緒にまずピアノのあるところにデイヴィスを連れて行った。
「これはまた、年代物のピアノだな……」
デイヴィスがカバーのかかったピアノを見上げ、少し驚いている。
「変な音が鳴るのよ」
私が言うと、「弾いたのか? これを?」ってピアノと私を交互に見て驚いたように聞かれた。
私が「うん」って言うと、「そうか……」ってちょっと呆然とピアノを見ていた。
「ここが教会だったときのピアノなんだって」
「そういえばここは救護院横の教会跡を改装して作られたんだったな。調律もされていないだろうし、ここでは傷みも進んでいそうだな」
「うん、鍵盤もベコベコだったりね、椅子もね、ギシギシだったんだよ」
そこまで言って、私は何かに引っかかるような感覚がした。
「…………あっ!!」
そのとき、私は突然、大切なことを思い出した。
ピアノ、そしてデイヴィスを見て、既視感のような、引っかかるような感覚の正体に気づく。
私は勢いよくガバっとデイヴィスのことを見る。
そんな私に、デイヴィスもアヤドさんもチャーリーも驚いたみたいだった。
でも、私はデイヴィスに聞かなきゃいけないことがある。
ドキドキする。
早く早くと焦る気持ちを押し殺して、私はデイヴィスの目をまっすぐ見つめた。
たぶん、今の私は真剣なお顔をしていると思う。
私を見返しているデイヴィスも、つられるように表情を引き締めた。
ゴクリ、と、誰のものか分からない、口の中を飲み込むような、そんな音がした。
「デイヴィス、教えてほしいことがあるの」
「一体、何を……?」
「椅子の、格好いい乗り方を教えてほしいの」
場を、静寂が包んだ。
+ + +
「見て! チャーリー! こうやって、こうだよ!」
最初に片手を座面奥についた私は、軸足に乗せた体重を移動させるように体を持ち上げ、椅子に上がる。
体を滑らせて背もたれに背中を添わせれば、まるで発表会のときのデイヴィスのように綺麗に着席することができた。
「お上手です、お嬢様」
優し気に笑んで手を叩いてくれているチャーリー。
「うまいよ、ステラ」
丁寧に椅子の座り方を教えてくれたデイヴィスも、笑顔で褒めてくれる。
「なんやこの状況……」
疲れたお顔のアヤドさんはどうしたのかな?
私は、長年の悲願を達成した気持ちになっていた。
五歳になって背が少し伸びても、私は相変わらず椅子の乗り降りを誰かに手伝ってもらっていた。
自分ひとりではよじ登ることしかできない。
家にいるときはよじ登る前に使用人さんが手伝ってくれるし、外でもチャーリーが手伝ってくれる。
でも、去年のピアノの発表会でデイヴィスのピアノ椅子の座り方を見てから、機会があったら教えてもらおうってずっと思ってたんだ。
「教えてくれてありがとう! デイヴィス!」
「喜んでもらえてよかった」
椅子の座り方を教えてってお願いしたあのとき、そう言う私に、デイヴィスは俯いて肩を震わせて笑い始めた。
それから、収まりきらない笑いをクククと噛み殺しながら顔を上げ、目にたまった涙を拭ってから「もちろん」と快く引き受けてくれた。
デイヴィスは教えるのがとっても上手。
おうちに来てくれる運動の先生みたいな、実際にやってみる私に指導する方法も分かりやすいと思っていたけど、デイヴィスは体の動かし方ひとつひとつを順番に口で説明してからやって見せてくれて、それが私にはすごく分かりやすかった。
「デイヴィスが私の運動の先生をしてくれたら良いのに」
「運動ぉ!? 僕が!? ッゴホ、ゲホ」
私がこぼした言葉に、デイヴィスはびっくりして大きく声を上げてから少しむせた。
それから、やっぱり肩を震わせて笑った。
「椅子の、フフ、乗り方くらいで、運動の、ククク……フフ……」
そんなデイヴィスを見て、アヤドさんはすっかり諦めたみたいにフゥと息を吐き、それから肩の力を抜いて笑った。
「デイヴィス様、めっちゃ楽しそうやん」
ひとしきり笑ったデイヴィスは、すっかり緩んでしまっている顔を私に向けて言った。
「僕も、君に音楽の先生になってもらいたかったんだ」
「音楽の先生?」
私がきょとんとすると、もうそれだけでツボにハマってしまったらしいデイヴィスはまた「フフフ」って笑って肩を震わせた。
「フフ、ごめん、笑うのが癖になっちゃったみたい。フフフ」
それからデイヴィスは胸に手を当て呼吸をすると、大きく「はあ。」と息を吐いたら落ち着いたようで、話を続けてくれる。
「発表会の日に、ジャレット夫人に話を聞いたんだ。君は歌が得意なんだろう?」
穏やかな顔に、どこかすっきりした表情を浮かべてデイヴィスは言った。
おうたなら得意だって自信があるから、私は力強く答えた。
「うん! おうたをうたうと、ママに褒められるよ!」
私は椅子の乗り方を教えてもらった代わりに、デイヴィスにおうたを教える先生をやることになった。
アヤドさんはすっかり諦めた様子で、「デイヴィスさまのおーせのままに」って冗談ぽい抑揚をつけて言ってくれた。
せっかくだからって話になって、私は小さな子もいる場所へデイヴィスたちと戻ってきた。
見れば、レミもそこにいて、一緒に鶏とヒヨコをしてくれた子たちも何人かいる。
「鶏とヒヨコはもうしない……」
そのうちの一人に、何も言わないうちから震えた声で言われ、不思議に思いながらも私は首を振った。
「おうたをうたうの」
「おうた?」
その場にいた子(なぜか数人は逃げようとしていた)は顔を上げ、キョトンと見返してくる。
小さな子が興味を持ってくれたみたいで、「わたしのしってるおうた?」って聞いてくる。
「知らないかもなあ。私が思いつくおうたを歌ってみるね」
私が言うと、その場にいたレミを含め、十人ほどが私の周りに集まった。
デイヴィスもアヤドさんを連れ、子どもに混ざるようにレミがいるすぐそばの場所に座った。
やっぱり貴族様に抵抗があるのか、レミの肩は大きく跳ねた。
何のおうたがいいかなあって考えていると、開いた窓から風が吹き込んできた。
私のお誕生日からしばらく経って、お外では葉が生い茂り、中庭の木々から草木の青い香りが運ばれてきている気がする。
今日は天気もよくて、少し汗ばむくらいの陽気だ。
もうすぐ、暑いくらいの季節が来る。
私の頭に思い浮かんだのは、知らないはずの波の音だった。
目を閉じて、浮かぶ情景に思いを馳せながら歌い始める。
『われは♪うみのこ♪しらなみの♪~』
ゆっくりとした旋律に、レミたちがいるあたりから、息をのむような音が聞こえた気がした。
おうただってママに教えてもらって、声の出し方や音の取り方だってずっと上手になったって、今は前よりもっと自信を持って歌える。
歌いながらそっと目を開けると、正面に座ったデイヴィスと目が合った。
嬉しそうに聞いてくれているのが分かる。
子どもたちがポカンと口を開けているのを見て、それがちょっとおかしくて、私はまた目を閉じ、歌うことに集中した。
『~~すいて♪わらべと♪なりにけり♪』
歌い終わって、少しだけ余韻に浸る。
まだ、続きのおうたがある気がするけど、私はここまでしか歌詞を思い浮かべられなかった。
目を開けると、目の前は思ってもいない状況だった。
すぐ近く、こちらに向かって突進してくる、目を真っ赤にしたレミの姿がある。
「ステラぁ!」
叫んだレミが、私に飛びつかんと突っ込んでくる。
ドッと。
受けた衝撃は想像したよりずっと軽い。
「?」
レミの勢いに驚いてつぶっていた目をゆっくり開くと、目の前には黒い壁があった。
ほんのりぬくい。
「チャーリー?」
私は黒い壁に手をつき、その壁の正体に思い当って名前を呼ぶ。
「はい、ステラお嬢様」
黒い壁は、私とレミの間に入ってくれたチャーリーの背中だった。
続いて、大きなレミの声が響き渡った。
「……ぁあ、あああ、あああん! うわああああああん!」
レミはそのまま、チャーリーに抱き留められるようにして、大泣きし始めた。
タイトル詐欺ですみません
ステラちゃんにとっては一大事件だったんです!





