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26.ジャレット家のフットマンチャーリーと、するべきこと/前(チャーリー視点)

 俺はジャレット家でフットマンをしているチャーリー。

 年齢は十五になった。

 俺の主な仕事は、ジャレット家の一人娘のステラお嬢様の付き人と護衛だ。

 その仕事を全うするため、来る日も来る日も訓練と学習の日々。

 だけどそれらを大変に感じることはあっても、苦に感じることはない。

 それらは全て俺の力になるし、俺の力はお嬢様の助けになるからだ。

 ジャレット家の人たちも、師匠やヘイデンさんたちも俺に期待してくれているし、とても可愛がってもらっていると思う。

ジャレット家に拾われる前、以前の俺であったなら想像もつかないほどの、穏やかな日々を送っている。

 俺はこのジャレット家で、ステラお嬢様に仕え、ジャレット家に貢献できることを本当に幸せに感じていた。

 俺の夢は、ステラお嬢様の立派な執事(ひつじさん)になって、お嬢様とジャレット家のために一生お仕えすること。

 そのために、俺はヘイデンさんや師匠たちから与えられる知識や技術の全てを吸収して、研鑽を積んでいきたいと思っているんだ。


 + + +


 年に一度の鎮花祭(はなしづめのまつり)の日。


 この日は毎年、俺にとって我慢の日だった。

 去年もその前の年も、お出かけをしてもいいかと問うお嬢様に、旦那様は危ないからダメだと言って外出を禁じてこられた。

 その直接的な原因は、俺の実力不足だ。

 祭りの人混みでは、大人に比べて小柄な俺の体ではお嬢様を守り切れない。

 かといって、あからさまな護衛を増やせばお嬢様のお出かけの邪魔になるし、かえって変な輩に目を付けられかねない。

「残念だねえ。でも、こうやってお部屋から見ているだけでも楽しいもんねえ」

 お嬢様はいつもそう言って笑って、俺が出かける昼まで一緒に祭りの日を過ごしてくださっていた。


 祭りの日は、ジャレット家の警備や諜報を担当している者の塗り替えの日でもある。

 毎年、祭りの日の昼から丸一日は、使用人全員に休暇が与えられる。

 その休暇を利用して、師匠たちは仲間のいる村へ戻り、仲間全員との戦闘訓練を行って実力に不足がないかを確認するのだ。

 もちろん、負けたり実力不足だと判断されれば、村の別の者に門番や執事見習いの位置を取って代わられてしまう。

 それは他の者も同様で、より強く優秀なものが、より重要な位置で次の一年の業務を行うのだ。


 師匠たち、門番を担当している四人と執事見習いをしている者は、俺がここに来てから入れ替わったことはない。

 それは、彼らがステラお嬢様や他の使用人たちに認知されているから据え置かれているのではない。

 ただ単に、現状、彼らの実力が村の誰よりも上だからだ。

 師匠たちの仲間、村の誰もがその位置を狙って、一年間実力を磨いているという。

 一年に一度のこの機会は師匠たちにとって、持てる全ての力で臨まなければ、すぐにその立ち位置を奪われてしまいかねない一大行事だった。


 俺ももちろん、師匠たちに連れられ、街から離れたその村まで連れていかれていた。

 

 自分からお嬢様と離れ離れにならなければいけないこの日は、毎年、身を引きちぎられるような思いをしてジャレット家を出ることになる。

 俺だけは、ステラお嬢様から望まれて使用人となった身であるため、村の者とその立ち位置をかけて争う必要はない。

 しかし、一年の訓練の成果を見せ、師匠たち以外からも助言をもらえる大切な機会だ。

 それに、師匠や村の人たち、実力者同士の戦いを見られる機会は貴重で、それらは間違いなく今後の糧になるので、行かない選択肢はなかった。


 祭りの前日、お嬢様は俺を上目で伺うように見上げて言う。

「チャーリーは、明日の夜はおやすみ?」

「……はい。ありがたいことに、私もおやすみをいただいています」

「チャーリーも、お祭りの夜、楽しんでね!」

 そう明るい声音でおっしゃったステラお嬢様の瞳は、少しだけ揺れた。

 いつも天真爛漫なステラお嬢様も、祭りの日が近づくと少しだけ物憂げな表情をされることがある。

 俺と離れることを寂しく思ってくださっているのでは、と、そう思うのは俺の自惚れだけではないはずだ。


 俺はこの休暇を、ステラお嬢様の執事になるための試練だと、毎年耐えて受け入れている。


 + + +


「ねえ、チャーリー。今年はチャーリーがおやすみに入る前に、一緒に屋台見に行ってもいいかなあ」

「はい。今年は旦那様から許可が降りましたよ」

 お嬢様から、待ちに待った言葉が聞けた。

 俺は噛み締めるようにしながらお嬢様に答える。


 この日をどれだけ待ちわびたか。

 お嬢様と出会ってから約三年。

 きちんと伸びた己の背と、付いた筋肉を褒めてやりたい。

 年々師匠からのダメ出しの減ってきていた俺は、ついに今年、祭りの日の護衛に足ると実力を認めてもらうことができていた。

 今の俺なら、お嬢様を抱えたままでも戦える。

 少なくとも、お嬢様に危険が及ぶ前に、安全な場所までお運びすることができる。


 そうして迎えた鎮花祭(はなしづめ)の朝は、俺のこれまでの人生で最良の時間だったかもしれない。


 祭り衣装に身を包み、結い上げた髪に薄化粧をされたお嬢様は、物語から出てきたお姫様のようにお可愛らしい。

 使用人から贈られた下駄を楽しそうに鳴らして歩き、初めての儀式に臨むお姿。

 正直、俺にとっても祭りへの参加は初めてのことだ。

 事前にレクチャーを受けたとはいえ、祭りの儀式も初めてのことだった。

 そしてそもそもが神聖な作業であるそんな儀式は、初めてをお嬢様と一緒にできたことで、俺の中で数段上の特別なものになった。

 差し込んだ光が供物を照らす清廉な神殿の中、子どもらしいお辞儀をして、光の中へ手を差し入れ、そっと神へ捧げる鈴を鳴らされるお嬢様。

 早起きしたことで眠たそうにしながらも、珍しい乗り合い馬車にはしゃいで眠ってしまわれたお嬢様。

 屋台の食べ物に目を輝かせるお嬢様。

 人混みに尻込みされるお嬢様。


「チャーリー! 見て!」


 普段と違う街に驚き、何か新しい発見がある度に、ステラお嬢様は俺の手を引き俺を見上げ、嬉しそうに教えてくださる。

 ステラお嬢様を通して見る世界は美しく、その全てが輝いて見えた。

 特別な日に、特別な装いをされたステラお嬢様は、いつにも増して愛らしく、旦那様がおっしゃるように、俺のために舞い降りた本物の天使ではないかと思えてしまうほどだった。


 幼いころから、祭りの存在は知っていた。

 それでも暗い世界を生きていた俺にとって、祭りなんて自分には関係のないものだと思って過ごしてきた。


 それなのに、今。


 ステラお嬢様と出かけられるのは、それだけでも宝物のようなのに、一緒に祭りの特別な道を歩けるその時間は俺にとって、本当に夢の世界のような出来事だったんだ。


 + + +


 祭りの街から屋敷に戻り、昼食後、師匠たちと共に屋敷を発った。

 見送ってくださったお嬢様は眠たそうにしてらっしゃるのに、俺たちが見えなくなるまで門で手を振ってくださっていた。

「ああ、お嬢様……」

 師匠たちも、何度も振り返って、後ろ髪を引かれる思いをしている。

 俺だってそうだ。

 三年前の出立時にそうしたように、今だってステラお嬢様の元へ駆け戻って、共に祭りの一日を過ごしたいと思ってしまっている。

 けれど、これも試練だとぐっと堪え、最後に一度だけ、見送りを続けてくださっているお嬢様に手を振るために振り返った。


「師匠たちは、今年も出店をされてから帰られるんですか?」

「そうだな、俺とヒノサダは夜に村に着くことになる」

 昼の門番で、武術の師匠である大柄なナベテルさんは、諜報を得意としている長身のヒノサダさんと共に出店を出し、毎年、祭りの日の街の様子を探ってから村へ戻る。

 普段、俺はこの二人に訓練をつけてもらうことが多い。

 厳しくも優しい、と言いたいところだが、二人との訓練はとんでもなく過酷だ。

 優しくもしてもらっており、よく面倒を見てもらっている自覚はあるが、それにしたって、課される訓練が辛く厳しすぎるのだ。

 そもそも、元暗殺者だった俺がジャレット家を襲撃した際に、俺をボコボコにしたのがこの二人だ。

 頭が上がるわけがない。

「では私は先に、他のお三方と村へ戻ります」

 ぺこりと挨拶をすると、師匠二人は軽く手を上げて返してくれた。

「おう」

「あとでね~」

 そうして師匠ナベテルさんとヒノサダさんと別れ、執事見習いのイソシギさんと、夜の門番であるクラクさんとウゲツさんと共に先に村へ向かう馬車に乗る。

 これから丸一日はステラお嬢様と会えないと、そう寂しく感じて。


 まさかそのあと、あんなことになるとは思わずに。


 + + +


 ステラお嬢様には、本当に驚かされる。

 祭りの日、俺たちを見送ってくださったステラお嬢様は、なんとその後、おひとりで祭りの街に出られたらしい。

 それにはあのヘイデンさんもさすがに驚かれたし、急遽お嬢様の護衛につくことになった庭師の翁も気が気でなかったらしい。

 そしてそこはさすが、旦那様、ゲイリー・ジャレットというべきか。

 ステラお嬢様のお父上で屋敷の主人である旦那様は、おひとりで出かけられたお嬢様の動向を追うのみで、後はお嬢様の自由にさせるようにとお触れを出された。


 混み合う道を避けて歩かれたお嬢様は、何も知らないナベテルさんとヒノサダさんのお店の前を通って、二人を大変に驚かせたらしい。

 当時ヒノサダさんは女性の姿に化けて店番をしており、ステラお嬢様に商品の案内をしたとか。

 後になって、村で合流したヒノサダさんに、お嬢様の急な外出の理由を聞かなかったかと尋ねると「そのうち分かる」とだけ言われてしまった。

 お嬢様のお出かけ当時、村にいた俺たちはそれはもう大変な騒ぎだった。

 村人たちが、馬車よりも早く街へ駆けては庭師の翁に接触し、お嬢様の情報を持ち帰ることを繰り返す。

 普段は街やジャレット商店で情報収集にあたっている村人たちは、みなが街から離れたこの村に集まってしまっている状況を歯痒く感じていた。


「お嬢様が! 事件に巻き込まれた!」


 恐れていた事態になり、血の気が引く。

 思わず街へ駆け戻ろうと走り出したところで、夜の門番のクラクさんとウゲツさんに羽交い締めにされ止められた。

 俺が暴れても叫んでも、二人はびくともしない。

 庭師の翁も、ヘイデンさんもいるのだから大丈夫だと言われ、それが分かっていても俺にとっては状況の分からない今が不安だった。

 特に今日は、警備の者が手薄だ。

 頼みのヘイデンさんだって、今日は屋敷で大切な来客をもてなす必要があると言っていたから、余計に不安が煽られ、我慢ならなかった。

 しばらく暴れた俺は、二人がかりで打たれて動けなくなった。

 俺は自分の不甲斐なさや、肝心な時にそばにいられない悔しさに砂を噛んで耐えるしかなかった。

 俺を打ったクラクさんやウゲツさんだって、冷静に振る舞っているものの、今にも飛び出したい衝動を理性で抑え込んでいるのは、その様子を見れば明らかだった。


 それからお嬢様はさすがというべきか、たくさんある荷馬車の中で、ナベテルさんとヒノサダさんの荷馬車に逃げ込み、そのままこの村へ運ばれることになったらしい。

 あの方は本当に、運命を操る力でもあるのではないかと思ってしまう。

 俺は変装の技術をまだ身に着けていなかったため、村へやってきたお嬢様を出迎えることはできず、陰から無事なお姿を確認するだけで精一杯だった。


 + + +


 祭りの夜が明け、俺は師匠たちとは別で、馬車無しで屋敷へ戻ることになった。

 俺は早朝、一人で村を発つと屋敷へと駆けた。

 先に屋敷に戻って、師匠たちの馬車で帰ってくるお嬢様を、今度こそ一番に出迎えようと思った。

 しかし屋敷に着いた時、屋敷の主人、旦那様であるゲイリー・ジャレットは、俺の分まで朝食を手配するよう言ってくれながら、笑顔のままで俺に告げたのだ。


「ステラと再会するのは(かぞく)が先。チャーリー、君は後だ」

「……は」

「さあ、貴重な休暇を堪能したまえ。夕方まで街で羽を伸ばしておいで」

 祭りの夜を、愛する天使と過ごせなかった旦那様の傷はやはり深かったらしい。

 可愛い娘が、初めて親元を離れて夜を過ごしたのだ。

 無事だと知っていても、その目で見るまで心配なことに変わりはないのだろう。

 旦那様の気持ちも分かるので、朝食をありがたくいただいた俺は言われるままに大人しく、屋敷の外へと放逐されたのだった。


 俺がお嬢様にできることは、出迎える以外にもある。

 俺は、祭りの後片付けの始まった街を歩く。

 出店や祭りの飾りを片付けている店員が、昨日現れた二人組の泥棒が捕まった話をしているのが耳に入った。

 ナベテルさんたちが適当に転がしたと言っていたので、無事街の警備に確保されたようで何よりだ。


 俺は伝令の報告を思い出しながら、路地を見て回る。

 ここも違う。

 ここも。


 そして、ある細い路地で、やっと見つけた。


「久しぶりだな、坊主」

 現れたそいつは、知っている顔とは随分変わって見えた。

「……もう二度と会えないと思っていましたよ」

「鳥肌が立つぜ。話し方まで坊ちゃんになっちまって」

 歳は四十か、五十か。

 年齢よりもずっと老けて見えるその男は、体格こそ小柄だが、狡猾で油断ならない人物であることを俺はよく知っている。



 なんせこいつは、俺の育ての親だからだ。



 人売りに売られた俺を買った、裏組織のトップだった男だ。

 必要最低限の教養と、幼子には苛烈すぎる訓練(しつけ)を施した目の前の男を、俺は感情の乗らない目で見ていた。

「親父に会ったんだから、もう少し感動してほしいもんだね」

 男が疲れたような顔のまま、くだらない言葉を吐く。

「親は子どもに命がけの人殺しを指示したりしませんよ」

 俺は、足元に落ちていた()()を拾い上げ、軽く土を払いながら答えた。

 再び目の前の男へ視線を戻すと、男は笑いが堪えられないといった表情だった。

「ヒハハハ! そりゃあそうだ!」

 何が可笑しいのか、そう言って笑った男は、俺が知っているよりもずっとやつれている。

 それでも、その目に灯る獰猛な炎は、俺の知っているものと変わらないままだった。

 その炎は、生まれた瞬間から敗北の人生を歩んだこの男の、生への執着であり、手を伸ばしさえしていない成功への醜い欲望であり、勝者となった者への嫉妬や羨望だ。


 俺はずっと、この目が嫌いだった。


「帰ってこい、チャーリー」

「俺の帰る場所は、もうあります」

 男が、俺の拾い上げた物を指さした。

「お前の大事なものは、俺が預かっていると言っても?」

「チッ」

 思わず舌打ちが漏れた。

 俺は男を睨みつける。

 下賤な男のやり口は相変わらずだった。

 俺の反応に、男がいやらしく、顔に笑みを浮かべた。

 胸にぐつぐつと、気持ちの悪い熱がこみ上げる。


「貴様、お嬢様に、何をした!」


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