24.大天使ステラちゃん、お医者の先生のお部屋に行く
ヘイデンに抱っこしてもらっておうちの廊下を歩く。
私の足で歩くよりずっと早く、お医者の先生のお部屋までたどり着いた。
お医者の先生のお部屋は、検査をしているときやお医者の先生がいないとき以外は、お部屋のドアは開かれたままになっている。
ケガや急なご病気があったとき、少しでも早く対応できるようにしてるんだって、お医者の先生が言っていた。
私は、入り口のところで、ヘイデンに抱っこしてもらったままご挨拶する。
「お医者の先生、こんにちは!」
「ステラお嬢様、こんにちは。今日はご友人と、ヘイデンさんとご一緒なんですね」
私たちに気づいたお医者の先生は、私がご挨拶をするのを待ってからご挨拶を返してくれた。
「そうなの! 今日はちょっと特別なのよ」
私は嬉しくて「うふふ」って笑顔がこぼれちゃう。
お医者の先生も「特別ですか、それはよかった」って、笑顔になってくれた。
ヘイデンにお部屋のソファーに降ろしてもらう。
ヘイデンはお仕事に戻るっていうから、お目々は大丈夫? って聞いたら、ちゃんと冷やすから大丈夫なんだって。
ヘイデンには、チャーリーを見かけたらここにいるねって伝えてもらうことにした。
「お医者の先生、チャーリーが来るまでここにいてもいいかなあ?」
「もちろんですよ、ごゆっくりどうぞ」
そう言ってもらえて、私は「ありがとう!」って言って、それからお医者の先生のお部屋の中を見回した。
私は定期的に体調の確認をしてもらいに来るけど、いつもご用事が済んだらすぐにお部屋を出るから、ゆっくり見るのは久しぶりだなあ。
ダニーと一緒に、ポーギーが元気になるまで一緒に寝た時や、リリーが元気になるまでお薬を塗ったりごはんをあげたりしに来ていた時以来かな。
お医者の先生のお部屋は、治療に必要な器具なんかが一通りそろっていて、それらはいつも丁寧に磨かれて、扉のついた棚にしまわれている。
あとは、お薬が入っているような容器の並ぶ棚があって、タオルやシーツの新しいものが置いてある場所があって、それ以外の壁全部には本棚が置かれていて、ご本がいっぱいに詰まっているの。
私と同じくソファーに座ったマルクスとルイも、お部屋の様子に興味津々って感じだ。
ルイは、本棚のほうを食い入るように見ている。
「ルイはご本が好きなの?」
「好きだ」
いつも胡乱な答え方をするルイから、きっぱりはっきりお返事が返って来て、ちょっと楽しい。
やり取りを聞いていたお医者の先生が「ご興味をひくものがあればお出ししましょうか」って言ってくれた。
「本当か!?」
ルイの目がキラキラになった。
それからルイはソファーを飛び出して、本棚をひとつずつ熱心に見て回る。
「これは! あ! これもあるのか!」
ルイはどれを出してもらおうか迷ってるみたい。
ここにあるご本はみんな、お医者の先生のご本だから、いいのかなあって思ってお医者の先生を見たら、ニッコリ微笑まれた。
「そのあたりはダニーのために揃えたものです。解剖学にご興味がありましたら、このあたりが新しくて分かりやすいですよ」
お医者の先生は椅子から立ち上がってルイのほうへ歩み寄る。
ルイが見ていた棚のひとつに近づくと、棚の扉を開けて一冊の本を取り出した。
分厚いご本を、いつもダニーがお勉強をしている机のところに持っていって、ご本を読むためのブックスタンドに固定してくれた。
「ありがとう!」
ルイが、珍しく大きなお声でお礼を言って、駆けるようにお医者の先生のあとをついていく。
ダニーの席に座って本を開いたルイはとってもご機嫌だ。
お医者の先生も、その様子を見て嬉しそうにした。
机からダニーのノートを出してページをめくり、ルイに見せてあげる。
「これは、ダニーが私の話を聞いてメモを取ったものです。その本の内容についての項目ですので、ご参考になれば」
ルイは片手でご本の開いたページをおさえ、もう片手でノートを嬉しそうに受け取った。
なんだかお土産にお菓子を山ほどもらったときのマルクスみたい。
持ち切れなくて、でも嬉しくてたまんないって感じ。
ルイはご本が本当に好きなのね。
ルイは、ウキウキでノートの開かれたページを見て、そして首を傾げた。
「ん? 子どもの字だな」
そこでやっと私は「あ」って気づいた。
「ルイは、ダニーに会ったことなかったねえ。ダニーは私の二つ上のお友達なの。お医者の先生にお勉強を教えてもらっているのよ。将来はお医者の先生と同じ、お医者さんになるの」
「そう、なのか? え、このノートはそのダニーが?」
しきりにご本とノートを見たルイは、困惑したお顔で聞いてきた。
その質問にはお医者の先生が「ダニーがまとめたものです」って答えている。
私は、そういえばって思って、お医者の先生に聞いてみた。
「お医者の先生、ダニーはお出かけ中かな?」
「部屋に本を取りに行っているだけで、すぐに戻ってきますよ。昨日読み切れなかったものを部屋に持ち帰っていたので」
「そうなんだ」
ダニーはやっぱりお勉強を頑張っているみたい。
ダニーはよく頑張ってるって、お医者の先生もヘイデンもよく褒めているもんね。
私は、お医者の先生に少しお時間をもらって、お手紙を渡すことにした。
「あのね、お医者の先生。これ、書いてきたの。見てみてほしいんだけど」
お部屋に来て、少しあらたまったからなんだか緊張する。
お医者の先生は優しいお顔で「なんでしょうか」って、ソファーに座っている私の向かい、机をはさんだ椅子に座ってくれた。
私は残り四通になったお手紙のうち、お医者の先生の分を取り出した。
「これね。お医者の先生にお手紙を書いたの」
「ほお」
お医者の先生はびっくりした。
私はそのお顔をちらっと見て、ちょっとだけ嬉しい気持ち。
「聞いててね。えっとね。
“ショーター先生へ。
とってもすごいおいしゃのせんせい。
ダニーとポーギーのパパになってくれてありがとう。
リリーをたすけてくれてありがとう。
わたしのおいしゃのせんせいが、
ショーターせんせいでうれしいな。
やさしいおいしゃのせんせい、だいすき。”」
私は照れくさくて「んふふ」ってちょっと笑っちゃう。
「あのね、これね、お医者の先生を描いたの。白いお洋服も描きたくて、全身で描いたらちょっと変になっちゃった」
「……」
お医者の先生は、私が差し出したお手紙を受け取ってくれた。
お医者の先生の似顔絵だけは、全身を描いてみたの。
お医者の先生がいつも着ている白くて長いお洋服を描いたら、もっとお医者の先生らしくなるかなって思ったんだけど。
何回練習しても上手にできなくて、なんとか全身を描いたんだけど、どうかなあってお医者の先生を見た。
そしたら。
「ひ、ひっく、ひぃ、ひぃーーーーーん」
お医者の先生が泣いちゃった。
両手でお手紙を握ったまま、顔だけ上を向いて、目をぎゅってつぶって、お口はへの字になっちゃってる。
お目々からこぼれた涙が、お顔を伝ってポロポロ落ちている。
「ああ! お医者の先生、やっぱりだめ? 似てないもんねえ?」
私はあわあわする。
いつもキリリでしっかり者のお医者の先生が泣いちゃうなんて思わなかった。
どうしよう、泣かせちゃった。どうしよう。
「おじょ、おじょうさ、ま、ひ、ひぃ、ひぃーーん」
ああ、ますますお医者の先生の泣いてるお声が大きくなっちゃう。
なんだかちっちゃい子が我慢しきれずに泣いちゃったみたいな泣き方で、とってもかわいそう。
助けを求めたくても、このお部屋には私の他には、マルクスとルイしかいない。
マルクスは私と同じでびっくりしていて、ルイも本を読む手が止まって、目をまん丸にしてびっくりしてる。
「お医者の先生、ああ、泣いちゃいやだよう」
私もちょっとずつ涙が出てきちゃった。
だって、お医者の先生が泣いてるから。
「おじょうさ、ちが、うれしくて、うれ、うれしぃ、ひぃ、ひぃん、ひぃーーーん、ひぃーーーん」
お医者の先生がえんえんって泣いてる。
私は、ちょっとお目々がうるうるしてきながら、ソファーから飛び降りて、机を回ってお医者の先生の座っているところまで行く。
お医者の先生のお膝によじ登って、お顔を見上げた。
「おいしゃのせんせ、よしよし、ごめんねぇ、いいこいいこだよ」
お医者の先生のお膝の上から、なんとか腕を伸ばしてお医者の先生の頭を撫でてあげたいのに、上を向いているお医者の先生の頭は遠くて、手が届かない。
「いいこいいこだよぉ」
「すて、すてら、おじょう、さま」
お医者の先生は、たくさん喋ると涙が出てきちゃうみたい。
分かるなあ、私も泣いちゃったとき、同じようになっちゃうもん。
お医者の先生は「い」のお口になったまま私のお顔を見ると、ゆっくり身を屈めて、頭を俯かせてくれた。
お医者の先生の頭に手が届くようになって、私は一生懸命お医者の先生の頭を撫でてあげる。
いいこいいこ。
ごめんね。びっくりしたよねえ。
お医者の先生は私の体に腕を回して、私がお膝から転げないように支えてくれている。
下を向いたお医者の先生のお顔からは、パタ、パタタって、まだまだ止まらない涙が落ちてきていた。
お医者の先生の黒い髪はたっぷりで、なでなでするとふわふわの感触が返ってくる。
泣いているからか、撫でている手には髪の毛越しに熱が伝わってきた。
「いいこ、いいこ」
「はあ。ありがとう、ございます。お嬢様。はあ。嬉しくて、取り乱して、しまって」
お医者の先生は、ゆっくり呼吸して落ち着こうって頑張ってるみたい。
涙が出てくるときに、我慢しなくていいのに。
「がんばらないでいいんだよう、お医者の先生、まだ涙が出てるからね。えんえんしてていいんだよ」
「う! うぅ! すて、すてらおじょう゛ざま、泣か、泣かせないで、ひぃ、ください゛ぃ……」
「ほら、いいこいいこだよぉ」
私はちょっとムキになっていた。
お医者の先生は自分にきびしいときがある。
がんばりすぎちゃうんだ。
もっと自分にもやさしくしてあげなきゃダメなんだよ。
それに私は、お医者の先生の、あったかくてふわふわの頭をなでなでするのが、ちょっとだけ楽しくなってきていた。
そのとき、お部屋の入口のほうから、聞き慣れた声がした。
「わ! ステラ! なに泣かせてんだ」
タッと、駆け込んでくる音がする。
「ダニー!」
私はお医者の先生のお膝の上で振り返って、ダニーを呼ぶ。
ダニーはお部屋の真ん中で、持ってきたらしい分厚い本を抱えたまま困惑した様子で、マルクスやルイ、それから私とお医者の先生を見回した。
気づいたら、お医者の先生の泣いてるお声は止んでいた。
「ちがう、ダニー、落ち着け。はあ。いや、それは、私だな」
お医者の先生は苦笑いして、今度こそ深呼吸した。
私の乗っているお膝ごと、お医者の先生の体が膨らんで、それからゆっくり息を吐く。
「私が取り乱したんだ。ステラお嬢様の、かけてくださった言葉が嬉しくて。ああ、本当に嬉しい。ステラお嬢様、ありがとうございます。とっても、とっても嬉しいです」
「本当? 嬉しい?」
「ええ、すごーく、嬉しいです」
お医者の先生はお目々は真っ赤だけど、いつもよりもっと甘くて優しい笑顔を向けてくれた。
私もそのお顔を見て、「そっか、えへへ」って笑顔になった。
私を支えてくれている抱っこの腕に、きゅって力がこもったのが嬉しくて、私もお医者の先生の肩のあたりにむぎゅって抱きついたの。
それから、落ち着いたらしいお医者の先生は上を向いて、「はあ、ほんと、すみません」って、ちょっと砕けた口調で恥ずかしがっているみたいだった。
ふふ、格好つけていないお医者の先生はなんだか可愛く見えて、いつもよりもっと甘えたくなっちゃう。
それから、また頭をなでなでさせてもらおうって思ったの。





