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(閑話)侯爵と商会長は、大元帥と対面する

更新おまたせしております|・ω・)ニュッ

 いかつい軍人の男のあとに続き、侯爵であるワンダーと、商会長ゲイリー・ジャレットが供にフットマンの青年を連れて向かった先で待っていたのは年嵩の男だった。

 年齢は五十代半ば。まだ老いるには早い年齢だろうが体質なのだろう、彼の短く切り揃えられた硬質そうな髪はその色が白く抜けきっている。


 立派な軍服を纏ってじっと立つ男は、国の中枢に関わる爵位を持つ侯爵が案内役の言葉に従い入室するのを、短い目礼一つだけで迎えた。

 当人同士、視線が合えば、先に口を開いたのは侯爵だった。


「待たせてしまったかな、ラック元帥」

「いえ」


 侯爵相手にもへりくだることのないその尊大な態度は、男がただの一軍人であったのならば罰されてしかるべきものだろう。

 しかし男が軍部のトップである以上、この光景は客人をはじめこの部屋にいる多くの使用人たちを含めた者たちすべてに当然のこととして受け入れられた。


 王を象徴として、高位貴族から成る貴族院が政の中枢を担うこの王国では、軍部もまた国の秩序を司る一大組織であり、そのトップであるこの男もまた国の重鎮と言って差し支えのない立場だった。

 高位の爵位を持つ貴族家当主とはいえまだ年若い侯爵であればなおのこと、侯爵であるはずのワンダーは、倍ほど年の離れた歴戦の武官を相手に平静に振舞ってみせるので精一杯だった。


 侯爵の後に続き入室した商会長ゲイリーを、軍部のトップである男、ジャスティン・ラック元帥が気に留めることはない。

 それも当然だろう。国の高官にとって大商会の主人であってもただ一平民でしかなければ呼び立てするのに何の躊躇もなく、相手が商人であればなおさら何の気を遣うこともない。


「座ってくれ」


 客人の従者が入室した後に案内役の軍人が内側から扉を閉めたのを確認すると、ラック元帥は短くそう声をかけた。

 口にしてすぐ、客人を待つことなく本人も対面のソファへと向かい一歩を踏み出す。


 ラックが歩き出してやっと、これまでラックと面識のなかったゲイリーは彼の片足が不自由であることを認識した。

 否、話としては頭に入っていたそれを、実際の本人を前に、その彼が放つ威厳の覇気に、今の今まですっかり忘れてしまっていたのだ。


 片手に携えたステッキを使って歩く彼の姿はごく慣れたもので、彼の足がそうなってからの年月の長さを窺わせる。

 軍人にしては細身の体で一歩また一歩と進む歩みは常人のそれよりも遅いが、しかし重く、優れた観察眼を持つゲイリーをもってしても依然として怪我人のそれとは思えないほどにその歩みは重厚な貫禄すら感じさせて戦いの中で生きてきた男の凄みを感じさせた。


 ゲイリーは、一層気を引き締めてこの会談に臨まねばという思いを強くする。


 目の前の、体を悪くしてなお軍のトップとして君臨し続ける男が策を巡らすことにかけても超一級であることは周知の事実だ。

 彼の思惑がなんであれ、侯爵と共に指名されてここにいる以上、何を望まれ何をさせられるのか。その行方如何によっては自身や商会、もしくは大切な家族の行く末が決まってしまいかねないのだから。



 勧められるまま、真っ先に部屋中央のソファへとその身を沈めたのは侯爵位を持つワンダーだった。

 優雅であり大胆に、あくまで高位の爵位貴族である彼の遠慮のないそれもまた、この部屋に存在する者すべてに当然の行動として受け入れられた。


「さあ、まずは今日のメンバーで自己紹介でもしようか。堅苦しいのも悪くはないけどね、僕としてはぜひ貴公にも彼ミスタージャレットとの親睦を深めてほしいと思っているんだ」


 入室してからこちら、重く張り詰めようとしていた空気を散らすように、ワンダーは真っ先に口を開いて話の主導権を握る。

 実際に部屋の雰囲気はいくらか軽くなった。


 ワンダーが言いながらゲイリーへも着席を促す目配せをすると、ゲイリーはジャスティンが腰掛けたのを確認してから一礼してワンダーの隣へと着席する。

 それに満足そうにわずかに微笑んだワンダーは、まるで身内のような距離感でゲイリーへと身を寄せながらジャスティンへと向き直った。


 ソファの背後には、青年フットマンのチャーリーが無言のままで控えている。

 意外なことに、挨拶のために口を開いたのは元帥であるラックが先だった。


「初めまして、ゲイリー殿。実は君のところの商品は私の妻の気に入りでね、話はかねがね。ジャスティン・ラックだ、よろしく」

「まさか、このようなしがない一商人の名を知っていただけていたとは、大変恐縮にございます」


 ジャスティンの口から出た想像していたよりも好意的な言葉に、ゲイリーは内心驚きながらも正視しないよう俯けていた頭を膝につくほどに深く下げて精一杯の謝意だけを示した。

 それ以上に、今はまだどんな言質を取られるわけにもいかない。


 爵位が上位である侯爵を呼び出した軍部のトップであるこの男が何を望んでいるのか、それは侯爵から頼まれ同行したに過ぎないゲイリーにとって未だここへ至っても知らされていないことだった。

 恐らくは娘のステラやワンダー侯爵の娘が関わったサーカス団絡みの事件について。

 しかし想像が及ぶのはそれだけで、宮中での力関係など知る由もない以上、この場でただの一商人でしかないゲイリーはただ黙して成り行きに身を任せる他なかった。



 ゲイリーがラックと一本線を引いて接する姿を見たワンダー侯爵は、どこか満足そうにそんな二人のやり取りを観察していた。

 この商会長への評価が見込み違いでなかったと、そう言いたげに。


 それから、改めて正面のラックを見据えて口を開く。


「初対面の挨拶はまずまずのようだね。さて、では本題を。と、言いたいところだけど、その前に一つ僕から卿へ物言いがある」

「……ふむ。何かあれが粗相でもしましたか」


 一段声を低くしたワンダーが、視線で扉横に立つ案内役であった軍人を指すと、視線をわずかに追ったラックは片眉を上げて訝しむ様子を見せた。

 再びピリつきかける空気を弛緩させるように、ワンダーは声のトーンを戻して、しかし真剣な口調で言う。


「粗相か。ああ、そうかもしれないね。何せ、卿のご指名で同行したはずのゲイリー殿の一人娘を、客間へ置いていけと言うじゃないか」


 ワンダーのその言葉に、ラックは少しの間思い巡らせるように沈黙したあとで、なるほどと一度だけ頷いてみせた。


「たしかに。ステラといったか、彼の娘の姿がここにはないな」


 そこまでを、ただ淡々と凪いだ湖面のような声で、さも今気がついたといった様子で言う。

 そして直後、一変した。


「────釈明は」


 ラックが放った案内役の男への言葉と視線は、まるで射掛けるようだった。

 直前までと変わらぬ語調、声音、視線。


 しかし、覇気とでもいうような目に見えない圧が、案内役の軍人を一瞬で締め上げるように拘束したのが分かる。

 思わず息を詰めてしまう緩急に、しかし元帥の傍を任せられる立場にある男はなんとか即応してみせた。


「はッ、サー! 侯爵と商人とのご会談とお聞きしておりましたため、幼児(おさなご)の同行は不適切と判断しました!」


 ギュッと、大きな体躯を縮み上がらせながらも言った男の顔からは一瞬で汗が噴き出している。

 その応答は見事に功を成し、名実ともに軍のトップからの圧は幸運にもその一回ですっかり止んだ。


「だそうだ。この男の行動は許してやってほしい」

「……というと?」

「彼の判断に間違いはなかった」


 悪びれず言い切ったラックの言葉に、ワンダー侯爵は面食らい息を詰めた。

 さすがに開き直りを超えている。


 そして驚きが先行して置き去りにしかけた憤りの感情をワンダーが手繰り寄せるより二手は前、愛娘に関することとなると歯止めの利かなくなるジャレット家の者たちが思わず口を開くよりも一手前、かろうじて、すんでのところで間合いを見切ったようにラック元帥はあっさりと続けて言った。


「私が悪かった。謝罪しよう」

「……は?」


 思わずというように発された間の抜けたワンダー侯爵の声に、不敬にも溢れかけていたゲイリーとチャーリーの言葉は幸運なことにうわ塗られた。

 ラックはそんな客人たちの反応にも一切の関心を示すことなく、凪いだままの声で言葉を淡々と紡いでいってみせる。


「あの男はああ見えて子ども好きでね。よかれと思っての選択だったことは、この私が保証しよう。問題があったのは意図を正確に伝えられなかった私だ。彼と彼の娘へ謝罪を」

「⋯⋯おっ、恐れ多いことでございます」


 あっさりと、これほどあっさりと大元帥という立場の人間が謝罪などしていいのかと周囲が混乱するほどに、淡白にあっけなく、ラックはゲイリーに向かって謝罪の言葉を口にし、自身の非を認めた。

 なんとかゲイリーが返答する間にも、案内役であった軍人へ、ステラの無事を確認して丁重にここへ連れてくるよう指示をする。


 退室していく軍人の背を見ながらゲイリーは混乱した。

 ここまでが予定調和であったのか、そうでないのか、それが全く分からない。

 分からないが、ゲイリーはこれまで商人生活で培ってきたはずの手練手管がまったく話にならないほどの、底の見えない相手と今まさに相対しているのだと、ただそれだけを理解した。


 これほどまでに本心がつかめず意図が読めない相手はかつて存在しなかった。

 今まさに感じているこの迫力はたしかに本物であるのに、まるで手が空を切るような、まるで正体の見えないものを相手にしているような不気味な心許なさだけがゲイリーの心を支配していた。


「────このとおり、ステラへ付き添いを命じた。ステラが来たなら不自由ないよう尽くすことを誓おう」

「恐れ、入ります………」

「しかし、あの男の気遣いも確かだ。子どもにとってつまらないだけの我々の話し合いは、さっさと済ましてしまうべきだろう」



 また、空気が変わった気がした。



「一つ決断をしてもらおうか」



 ラックの言葉には、確かに『ステラがここへ来るまでに』という意が込められている。

 その裏にあるだろう身震いする真実に、ゲイリーは気が付きたくなかった。






「まもなく東国との戦を起こす。卿らには全面的に協力を仰ぎたい」






 時間制限を設けたその問いが一体何を意味するのか。


 得体の知れない怪物が静かに席を外し、ステッキを片手に客間から退室していくまでの間、ソファに掛けた二人も、その背に立つ青年すらも、ただじっとりと汗ばむ自身の両手へと視線を落として身動き一つできずにいた。

ソファー後方でガンギマリの目をしたチャーリー。



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