(閑話)ジャレット家の庭師ヤードランドによれば(ヤードランド翁視点)
明けましておめでとうございます。今年もよろしくお願い申し上げます。
年明け早々の忍者回。我慢できんかった。
「翁」
「おう」
庭での作業中、誰もいなかったはずの背後からかけられた短い呼びかけに、おいらは作業の手を一切止めないままで一言応える。
音も無く、気配すら希薄なそいつはその返事を了解と取ると、集めてきたらしい情報をつらつらと並べた。
「──────それから、やはり王国東にあたる沿岸地域一帯へ、そうとは分からぬよう物品が集められている模様。これは里長の見立てどおり、戦への備えでほぼ間違いないかと。近く戦が起こるものと思われ、相手はおそらく陸続きの隣国でなく海を介した他国であろうとのこと。また、国の主導で支援物資に該当するいくつかの生活品や薬品の買い上げも始まっています。以上」
「買い上げは旦那の商会にも?」
「はい。一見してそうとは分からない量を、しかし確実に国内各地の商会から買い集めております」
「チッ、いよいよ物騒でいけねえな。おい、たしか旦那ン商会には、軍部から別個でも依頼が来てなかったか?」
「は! しかしそちらは軍のお偉方からの個人的な依頼だったようで、病気の親族に飲ませる回復薬の材料を探していたようです。いわゆる希少品の類ですので、そちらは戦とは無関係の依頼だろうというのが我々の見解です」
「そうかい」
全く。
国の偉い連中ってのはどうしてこう血の気の多いやつらばかりなのか。
酸いも甘いも嚙み分ける年齢にゃなったが、こればっかりはいくつになっても納得のできねえ話だ。
お上が争いを起こせばそれは下々の平穏を荒らすっちゅうことだろうになあ。
と、そこまで考えてから、そんな風に講釈垂れられるような生き方もしてきてねえかと内心で自嘲した。
まったく、爺ぶった振る舞いを心掛けているせいか、最近は頭ン中まで年寄り臭くていけねえな。
「もういい。行け」
「は!」
現れたときと同様、再び音も無く消えた影の者───────平兵衛の部下とのやり取りを終え、おいらは一度それを反芻した。
それから、それらの情報を頭の片隅に置いておくに留めるかと決める。
中には穏やかじゃねえ話も混じっちゃいたが、今すぐどうこうなる話でもねえだろう。
戦なんてのは何年もかけて準備して、あちこち罠を張り、交渉し、それでも上手くいかねえときの最後の手段ってやつだ。
おいらはあくまで、平兵衛が居ねえ間の仮初の頭にすぎねえ。
急ぎじゃねえことは、帰って来てからのあいつに全部ぶん投げときゃいいだろう。
そもそも、あいつも戦準備だなんだと、そんなことくれえ分かった上でお嬢さんや旦那が王都へ行くのに随行してったんだろうからな。
お嬢さん───────ステラ様が王都へ行くのに付いてったのは、平兵衛と優秀な元暗殺者の二人だ。
実力じゃあ文句の付けようのねえそいつらを思い浮かべたところで、万が一もねえだろと結論付けたおいらはそこで思考を止めた。
「ったく」
むしろ、平兵衛が屋敷を離れる間、あいつが普段こなしてやがるあれやこれやがおいらんとこに来やがるのが面倒でいけねえ。
頭の件もそうだし、屋敷の使用人連中も執事見習いを飛ばしておいらんとこに指示を仰ぎに来る有様だ。
平兵衛のやつ、お嬢さんが屋敷を離れてる間のことだからか、残るやつらに随分おざなりな指示をしていきやがった。
『ああそうだ。何かあれば庭師のヤードランド翁に任せますよ』なんて、出掛ける間際に言いやがって、こっちは目ん玉ひん剝いたわ。
そんなおいらを見て、顔を隠して機嫌よさそうに笑ってやがったのを、見逃してねえからな!
ったく、完璧主義に見えて、こういうところで手を抜く要領の良さというか、ずる賢さというか。
昔っから小憎らしいガキだよなと、一つしか年の変わらねえ腐れ縁相手に思っちまう。
ふぅと、無意識に詰めていた息を一つ吐き、屋外での作業で流れてきた額の汗を作業着の襟元で拭った。
作業中、適当に腰に引っかけていた手ぬぐいを首元に巻き直して、午前の仕事はようやくひと段落とする。
「よっこいしょっと」
土をいくらか払い立ち上がれば、癖の様に爺臭い声が出た。
実際年を食ったからなあと、立ち上がったついでに軋む気のする腰をいくらか叩き、それから上体を伸ばすように上空を仰ぎ見る。
あーあ、今日も、嫌味なくれぇに天気がいいな。
まもなく中天に差し掛かろうという太陽はじりじりと照っており、遠慮知らずにこっちを照りつけてきてやがる。
一時の暑さに比べりゃ落ち着いた気候になったとはいえ、まだまだ日なたで庭仕事をするにゃ時間の限られる日が続いている。
仕事として始めてから向いていたと分かった庭いじりはもう半分趣味になっちまっていて、屋敷主人のいない今だからこそいっそ庭木の剪定やら季節ごとの植え替えなんかもサッパリと終わらせちまいたいもんだ。
とはいえ、まあこの陽気だ、無理をするようなことでもあるまい。
粗方終わったことだしと、おいらはこの後の予定を組み直すことにして足を庭の隅の方へと向けたのだった。
道具を下げて歩いた先にあるのは、庭師であるおいらのために用意された、ある程度大きさのある木造の小屋。
お屋敷の広い庭を十全に手入れできるようにと、他の使用人とは分けておいら専用に宛がわれた住居兼作業小屋だ。
木々の生い茂る庭の、目立たない一角に馴染むように存在するその小屋自体にゃ、作業のための道具や苗、庭の地図、計画書や見取り図なんかが揃ってる。
大掛かりに植え替えをする際に呼ぶ外注の業者やら、他の使用人、それから小さな客人なんかが訪ねてくることもあるそんな小屋だが、その中にはおいらしか立ち入らねえ空間が存在した。
間口を広く取ってある小屋の入り口から入れば、最初に広がっているのは土間づくりの作業部屋だ。
一枚板とはいかねえが、広い天板のテーブルがど真ん中に一つ。
立って作業することが前提のそこには備え付けの椅子もなく、今も新しい花壇を仕立てるための角材やレンガなんかがいくつか放ったままにしてあった。
道具鞄をテーブルに置いて、隅に積まれた空鉢や土嚢、準備中の苗の横を通り過ぎれば、そこには鍵付きの扉がある。
その扉の先が、おいらの生活のための部屋だった。
小屋の中はその二つの空間に仕切られている。
と、この小屋に来た者は誰しもが思ったはずだ。
もしも、もしも万が一、おいらに気付かれることなくこの小屋に入り込めた者がいたとして、なおかつそれに気が付くことができた者がいたとすりゃあ、そいつはこう思ったんだろう。
『小屋の外観と部屋の広さが合わない』と。
生活部屋の中、さらにその奥の壁。
窓のねえその壁の違和感に気が付けるやつなんざ、まずいねえ。
他と変わらねえその壁の向こうにさらにもう一つ、隠された部屋があるなんてことは、おいらがこの小屋を建てる時にその部屋の存在を教えた、平兵衛たち何人かしか知らねえことだ。
部屋へと入ると、部屋に侵入の跡が無いことを確かめてから壁沿いに進んだ。
ひい、ふう、みい、と。
慣れた手順で仕掛けを解除すれば、ただの壁だったはずのその向こうには隠し扉が現れる。
隠し扉をくぐった先、そこにあるのは、かつて薬を扱うのに長けた忍びであったおいらが、おいら自身の持ちうる能力を余すことなく主に捧げるための、そのために必要な、大切な設備だった。
薬に必要な植物の栽培から精製までを全部この部屋で完結させるため、高く取った天井からは加工途中の薬草類が大量に吊るしてある。
限られた空間を隅々まで使えるようにと引き戸で作った棚には、薬の製作に必要な薬品、薬草、種子類の他にも、この世でおいらしか使わねえような特別製のの器具なんかが所狭しと詰め込んであった。
それだけ物で溢れていてもこの場所が窮屈に感じねえのは、部屋の一角、その床材をくり抜いて作った薬草畑のせいだろう。
くり抜いて剝き出しになった地面を水槽の様に深く掘り下げ、そこに新たに土を入れ直すことで、この場所にはおいらが元いた里の環境を模した地面が造ってある。
特別な土、秘伝の配合、そして適切な処置。
苗から土から水から、全てがおいらがおいら自身の手と感覚によって再現し、繋ぎ育てているもンだ。
この隠し部屋の存在知ってやがる平兵衛ですら、ここまで入れたことなんざねえ。
ここで行われるのは全てが秘伝の技で、ここにあるのは全てがおいらじゃなきゃ扱えねえ代物ばかりだ。
棚の隅、そこに置かれた、一本の茶色の瓶に視線が向いた。
おいらの虎の子、どんな病も怪我も治しちまうと噂の、とっておきの霊薬だ。
思えば、この技術だって、一度はもうそれを振るうことなんてねえだろうとすら思ったもんだが、分かんねえもんだなと思う。
何より、元は敵対していた里のやつらに、この霊薬の秘密を含めたおいらの『もしも』を頼るようになる時が来るなんざあ、昔は想像しただけで笑い転げちまったもんだろうさ。
年を取ってそれが現実となった今、何故か知らんがそんな関係がやたらめったらしっくりきてるっつうんだから、まったく、人生ってのは分かンねえもんだ。
単純に生きるのが性に合ってると、そう思えるようになったのは、ここへ来てからのことだ。
それまで、飄々と生きているように見せて、その実、無い頭を捻って必死で装っているような、そんなちぐはぐな生き方をしてきていた。
あの時ああしていれば、こうしていれば、おいらのせいで、おいらのために。
そんな風に思い悩んだりなんてぇのはおいらの性分じゃなかったんだと、そう心に棚を作って開き直れるようになってきたのも、今いるこの場所と、周囲にいるお人よし方のおかげなんだろう。
その中央あたりにどーんと、平兵衛がふんぞり返ってやがるのは、素直には認めたくねえ事実だがな。
『いってくるね、ヤードランドおじいちゃん!』
不意に浮かんだ愛らしい人の顔に、思わずふわりと笑みが零れた。
いつ思い出したって笑顔になれちまう、そんな存在が嬉しくて。
それから、ああそれでかと気付いちまった。
大丈夫だろうと自分に言い聞かせていたくせに、無意識のうちに霊薬が切れてねえよなと確認をしにここへ来ていたんだと気付く。
まったく馬鹿馬鹿しいったら。
本当に、まったく、もう。
いつからこんなに心配症になっちまったんだか。
こんな平和ボケした毎日に慣らされちまって、万が一が、失うことが、これほど怖くなるだなんて。
一体誰が想像したってんだ。
先日、王都に向けてご家族やらと一緒に出掛けていった姿をもう何度も思い出しては落ち着かないような温かいような、そんな気持ちを行ったり来たりしてばかりだ。
他のくだらねえことに気が回らねえくらい、頭の中が忙しくっていけねえな。
元気いっぱいで手を振って出発していったあの人が無事であればいいと。
いつだって笑ってくれてりゃいいと。
己だって、出発までのあれやこれやを画策する周囲に混じって、虎の子の霊薬だってちゃんと預けてあるってえのに、それでもずっと考えちまう。願っちまう。
あの人の、健やかで幸せな日々を、想わずにはいられねえんだ。
小屋を出て、ぐっと背を伸ばす。
さて屋敷で昼食でももらってこよう。
気の利く屋敷の主人は、自分たちが不在の間も住み込みの使用人のため、料理人に食事の提供を手配してくれている。
使用人みんなが辞退すりゃあ料理人は休暇になるんだろうが、悪いがあの絶品の料理を食う機会を一回でも逃すはずもねえわな。
主人のいない間もこの屋敷が大好きな使用人連中は誰一人暇乞いをしなかったんだから、今日も食堂は賑やかなこったろうなと思う。
食堂に向かうべく屋敷に足を向け、目にした眩しい青い空と太陽に、今度はステラ様の笑顔が重なった。
ああ、おいらも一緒に行きゃあよかったなあ。
屁理屈こねて、粘りゃあよかった。
国の戦だなんだは馬鹿らしくってもう付き合っちゃいられねえが、あの愛らしい御方のためだってんなら、どんな厄介事だっておいらがどうにかしてやるってぇ気概がいくらでも湧いてくるってのにさ。
後ろ暗い世界で生きてきたおいらなんかが、これほど穏やかな日々を送っていていいのか、許されるもんなのか、それは今でも分からねえ。
それでも、まだもう少し、このままでと、そう求めずにはいられねえんだからと、おいらは思考を全部放り出す様に笑い混じりに言葉を吐いた。
「────贅沢になっていけねえや」
ステラちゃんルイ家からの帰宅時
『おじいちゃん、植物園がね、すごかったんだよぅ! おじいちゃんも見たいよねえ! 今度一緒に行こうねぇ!』
『はいですじゃ(^^)』←宰相家に連れていかれるとは露ほども思っていないおじいちゃん。
おじいちゃんは血塗られた人生をじっと手を見て思い馳せるタイプなので、そのうちもうちょい掘り下げて救いのターンを用意したいところ。





