93.宰相家の使用人は坊ちゃまの成長を見守りたい(ルイの世話係視点/中)
長くなったので使用人さん視点が前中後編になりました。
しばしルイのお話にお付き合いください。
◇ ◇ ◇
「こ、こんなの聞いていないぞベイク!」
「も、申し訳ございません! まさかご存知ないとは夢にも思わず……」
「ぐっ!」
ルイ様に変化が訪れてから一年ほどが経ったある日、それは起きた。
何故教えなかったのだと苛立たれるルイ様を前に、私はひたすら頭を下げ続けるしかない。
まさか、ルイ様が屋敷の敷地内にある奥様の巨大な植物園を、その存在すら知らなかったなどと、これまで全く、これっぽっちも想像していなかったのだ。
今になって思えば、奥様とルイ様の間には親子関係にしては妙な距離と溝ができてしまっていて、ルイ様が奥様の植物園のことを知る機会はなかったのかもしれない。
ジャレット家へ通われるようになってからのルイ様は、様々な知恵のあり方を実際にその目にされたらしく、学問に明るくない者相手であっても徐々に交流を持たれるようになってきていた。
しかし、それもここ一年ほどのこと。
長くルイ様から避け続けてしまっていた奥様とは、日頃奥様からの干渉もほとんどないこともあって、なかなか距離を縮めあぐねている状況だった。
私のような使用人も、まさかそんな屋敷の主人家族の関係に立ち入ることなどできようはずもなく、ルイ様から植物園へという言葉が出ないこともあって、わざわざルイ様を奥様が普段過ごされている植物園へと誘導することなど無かった。
『先日は、奥様の植物園で採れた果物を分けていただき───』
あっ、と、失言に気が付いた時にはもう遅い。
『ちょっと待て、母上の植物園だと?』
『あ、いえ、その……』
しかし、気まずい思いで言い淀む私に、ルイ様が投げかけられたのは純粋な疑問だった。
『何だそれは? 母上はどこに植物園をお持ちなのだ?』
『え?』
『え?』
『それはもちろん庭に』
『庭というと具体的にどこの庭だ?』
『え?』
『え?』
まさか、そもそも植物園の存在すらご存知でなかったとは。
てっきり奥様のことは苦手に思われ避けられておられるのだろうなどと、勝手な邪推をしてしまっていたことを、その後のルイ様の反応を見て思い知らされたのだった。
◇ ◇ ◇
「っごめんください!?」
「ルイ様、ここは貴方様の住む屋敷内で御座います、ご挨拶が妙でございます」
「たのもー!?」
「ルイ様、中にいるのは貴方様の母君で御座います、看板をかけて争ってはなりません」
植物園の存在を知るなり、実際に見ると言って即座に駆けつけられた植物園を前に、ルイ様は走ってきた勢いのまま、息も絶え絶えにしかし大興奮して叫ばれた。
鼻息荒く、いざ行かんとばかりに、今にも無数の植物が生い茂る中へとその身を投じんとされるルイ様を、私は安全が確認できるまではとお止めするので精いっぱいだった。
「お、ルイじゃん。来たんか」
「母上!」
先ほどルイ様のお声が聞こえたのだろう、ヒョイと顔を出した奥様に、私は気が抜ける。
すっかり興奮してしまっているルイ様も、普段の奥様に対して腰が引けたような素振りは見せず、純粋に嬉しそうに顔を輝かせておられた。
植物園に大興奮し、目を輝かせて奥様の元へと駆け寄っていくルイ様を見て、ふと思う。
ついポロリと奥様の話題をこぼしてしまった時には内心大焦りだったものだが、結果的にはこぼした私、グッジョブだ。
これからは、些細な事でもルイ様にお伝えしようと、これは世紀の大発見だと大喜びされているルイ様を見ながら思った。
◇ ◇ ◇
「母上! 昨夜は父上もこの植物園のことを大変誇っておられました! 母上が多くの功績を残していらっしゃると! 母上、例えばどのような────」
「そうかそうかー。あ、ルイそこの、そうそれ、取ってー」
「はい母上! これは、どのように使う道具なのでしょうか?」
「んー知らん。けど、こうやって土を鉢に注ぐときに添えとくと、土が零れんくて便利」
「なるほど!」
数世代に渡って続くこの宰相家に今代突如として現れた植物の楽園は、王都でもかなり有名だ。
宰相家の屋敷の庭はただでさえ広く、これまでも代々の庭師が主人の好みに合わせて素晴らしい景観を保ってきたという。
宰相家の気質としては、これまでシンプルに、整然と整えられた庭が好まれてきたようであったが、今代の主人は、特に奥様は一味違っておられた。
曰く、『この花とこの土、相性いいんじゃね?』と。
奥様が世話をし、管理する植物たちは見事に咲き誇り、この広い庭をすっかり浸蝕、ゴホン、蹂躙、ゴホン、栄え蔓延っていき現在の広大な植物園となったのである。
感性派の奥様と知性派のルイ様とはこれまでうまく嚙み合わずにおられたが、奥様のフィールドである植物園で毎日のように過ごされるようになったお二人は、急速にその距離を縮めて見えた。
普段は自由奔放な奥様が、何故か未だにルイ様に対して控えめなのが気になりはしたが、二人の関係は徐々に、良好な親子関係を取り戻して言っているようだった。
ルイ様は出かけるのも忘れるほどに毎日夢中で植物園へ通うようになり、そんなルイ様を奥様も嬉しく感じておられる、そんな日々がしばらく続いた。
◇ ◇ ◇
「刮目して見よ! これが我が家が誇る王国一の大植物園ッだッッッ!!」
「ほわあ〜〜」
噂のジャレット家のお嬢様、ステラ様が、マルクス様と従者の青年と共についに宰相家へと訪れた。
この日を心待ちにしていたルイ様の喜びようといえば、まさに飛び跳ねんばかりだった。
私すら振り切って御者と二人きりで高速馬車を駆られたときには焦ったが、客人用に馬車を引いて門へと向かえば、守衛に微笑ましく見守られながらご友人と楽しそうに言葉を交わしていらっしゃった。
かつてのルイ様とは比べようもなく生き生きとされているその表情に、感情表現豊かになられたそのお姿に、私はルイ様が変わるきっかけとなってくださったのだろう方々へ心からの歓迎の気持ちを抱きながら、大切なルイ様のご客人方を馬車に乗せて敷地の中へとご案内する栄誉に預かった。
ご友人方に奥様の植物園をお見せできる日を、ルイ様は指折り数えては楽しみにされていた。
素直ではない方だ。
けれど、来たる今日の日が楽しみなのだと、手紙を書くために便箋や墨を用意した私に何度もお聞かせくださった日々が今大切な宝物のように私の胸に去来する。
だから───────。
「あーしはさぁ、考えるのとか苦手なんだよねー」
奥様が真実を伝えるのだと分かった時、それを聞いたルイ様がどんな顔をされるのか、私は情けなくも直視することができなかった。
「にーくんやルイみたいに、ちゃんと勉強して植物たち育ててるわけじゃないんだぁ。にーくんもルイも、二人とも勉強とか? 研究? とか?? そういうの、ちゃんとできて凄いっていうか、私には絶対無理っていうか────」
奥様は、ルイ様が植物園に通われるようになってからも、これまであえてそのことについては言及されなかった。
ルイ様がかつて無知な者を忌避し、学ばぬ者を愚かであると断じて距離を取られたことを、奥様は知っていらしたからだ。
そんなルイ様に変化をくださったご友人方のいる前で、奥様がそのことに名言されたのは、必然だったのだろう。
ルイ様は今それを聞き、どう思うのか、もしもルイ様を傷つける結果になっても、友人に囲まれた今ならと。
「母上は学問が苦手……? では、父上はまさか、私を母上と近づけるために嘘を………?」
ルイ様の声は、震えていた。
今なお目を逸らす私には、その表情を見る事はできない。
ずっと目を逸らしていたのだ。
ルイ様が奥様の成された成果について勘違いをされていると、気が付いていたのに、私は何もお教えしなかった。
気が付かなければいい、いつか、ルイ様が信じるように、それが本当になる時が来ればいいなどと、そんな風に現実逃避をして誤魔化してきた事実が、今こうして目の前でルイ様に突きつけられている。
私は知っていた。
奥様の作り上げられた植物の楽園が、ルイ様が信じるような優れた知性による物ではないと知っていたのだから。
「っ!」
ルイ様が、思わずというように踵を返して駆け出すのを、私も奥様も止める事はできない。
私が下を見て歯を食いしばり、土を蹴り上げるルイ様の一歩目を見送ろうとした、しかしその時。
「グエッ」
駆け出そうとしたルイ様から、潰れたカエルのような声が上がった。
直後、ドスンと、鈍い地面の音がして、私は驚きにそちらを見る。
見れば、そこには仰向けに転がって、目を瞬かせるルイ様がいた。
後ろに引き倒された格好で、まるで何が起こったのか分からないとばかりに呆然と天を仰ぎ見ている。
「ルイ、バッタさんいたよぅ」
聞こえたのは、気の抜けるような声。
片手でルイ様の襟首を引っ掴み、ルイ様を引き倒していたその少女は、もう片手に掴んだだいぶ大きめサイズのコオロギを見せつけるように掲げ持っていた。
少女、ステラ様は、まるで我々に天啓を与える女神のごとく堂々としておられ、何故かその時私の目には、彼女の背後に差し込む後光が見えた気がした。
◇ ◇ ◇
「お嬢様、急にルイ様の襟首を引っ掴んで後ろに引き倒してはいけませんよ」
「うん、そうだねチャーリー。ごめんねルイ、痛かったよね? ルイが見たがっていたバッタさんがいたからね、逃がしちゃいけないって思ったんだけどね、ルイ痛かったよねぇ」
「だ、大丈夫だ、ステラ。下はほら土で、痛くはない……ッテテ……」
「ったくほんとかよ? 結構な勢いで転んでたぜ、ルイ。本当はいてーんじゃねえの?」
「うっ、うるさいぞマルクス! 私は、あっそうだ、私は華麗なる受け身を取っただけだっ! フンッ」
「あーそうかよ」
状況を整理してみれば、ルイ様が振り返った瞬間に、ステラ様はどうやらその肩にコオロギを見つけたらしい。
それをルイ様に見せてあげようと思い掴んだところ、勢い余って駆け出そうとしていたルイ様の襟首まで掴み転ばせてしまったとのことだった。
啞然としてしまっている私と奥様を尻目に、ルイ様たちは先ほどまでの緊迫した空気など忘れた様に、気の置けない会話に戻って笑顔まで見せ始めている。
私がまだ呆けたままでそんなルイ様とご友人方を見ていると、私より先に肩の力が抜けたらしい奥様が、隣で柔らかく笑んで一歩進み出たのが分かった。
「ステラっちのそれ、バッタじゃなくってコオロギだねぇ」
「そうなんだ」
「うん、あーしも見たことない種類なんだけど。それ新種じゃね? ウケる」
「っ!! 本当ですか母上! すごいぞステラ! お詳しい母上でも見たことがないとなるとっ、あ────」
奥様の言葉に一瞬で目の輝きを取り戻したルイ様は、けれど先ほどの話を思い出したのか言葉を止めてしまわれる。
そんなルイ様に、奥様が笑顔のまま、わずかに表情を曇らせた時だった。
「ちょっぷ」
ズドッ
痛そうな音がした。
私が驚き音のしたほうを見ると、ステラ様が再びルイ様のおでこに手刀を落とそうとしているところだった。
「ちょっ、おい」
「…………」
ズドッ
ズドッ
ステラ様が手刀を落とす動作は軽く、その動きはこの音の元凶とは思えない気軽さで繰り返されている。
幸い、ルイ様も痛みを感じている様子は無く、その軽い動作に見合った衝撃しかないようであるが、ただ音だけはひたすら重くて何事かと思ってしまう。
ステラ様は相変わらず右手にコオロギを掴んだままで、ルイ様に向かって空いた左手を淡々と落とされるその様は、傍目にはまるでそういった類の鬼神を連想させた。
ズドッ
ズドッ
ズドッ
ズドッ
「おい、こら、何だステラ!? 人の頭を叩くなど!?」
「叩いてないもんちょっぷだもん。ルイが悪いお顔だから、ちょっぷして、悪いお顔じゃなくするからねぇ」
「悪い顔ぉ?」
「うん。ルイ悲しそうなお顔した」
「そ、れは…………」
「笑って」
ズガッ
ドゴッ
バビンッ
ズゴゴンッ
何というか、思ってたのと違うな………。
繰り返される『ちょっぷ』を見ながら、私は日頃ルイ様のしてくださるお話から、勝手にステラ様を、慈愛に満ちた穏やかで優しい少女のように想像していたなと思い返した。
実際こうしてお会いしてみれば、その認識が必ずしも正しくなかったのだと分かる。
この少女は確かに、人一倍心優しく、人の笑顔が好きな子なのだろう。
けれど同時に、傍若無人を地で行く、ひたすら純真無垢な子どもなのだ。
ああそうか、ルイ様にはこれくらい強引に行くほうが上手く行くのだなと、ルイ様とステラ様とのやり取りを見ていてストンと腑に落ちた。
何だか可笑しさが込み上げてきてしまい、やっと手刀を収めたステラ様がルイ様に向かって間髪入れず、「新種コオロギ、見て」と手に掴んだコオロギをぐいぐい押し付けるのに、笑いを堪えるのが難しい。
不器用で、人との距離をまだ測りかねるルイ様だからこそ、人一倍に優れた頭脳を持つルイ様が『でも』『だって』と理由を見つけて逃げ出してしまう前に、真っ先に結論を叩きつけるステラ様の手腕は、私も見習うべきところがあるなと、そう思った。
●宰相家のちょい裏設定●
代々難儀なツンデレ眼鏡。
「宰相は世襲じゃない」「私は学者(教師)になる」と全員が全員言いながら育つが、結局最後は実力的にも性格的にも適任すぎて宰相職に就いてきた。宰相になったらなったで性に合っているのでめちゃくちゃバリバリ仕事をこなす。天職。ご先祖様の肖像画がみんな激似。





