90.大天使ステラちゃん、おでかけの前に
「こんにちは!! 私ステラっていうのよ!!」
『大きいっ!! 声が大きいでおじゃる!! 此処を何処だと思うておるのじゃ、声を落として給うっ!?』
「小さい猫さんは、猫さんなのかなあ? それともライオンさんかなあ? あなたのお名前はなんていうの??」
「ぶ、無礼者! どこからどう見ても立派な狐でおじゃる! このお間抜けさんっ! それに、真名など教えるはずがないでしょ! お馬鹿さん、お馬鹿さん!! それよりこの手を離すでおじゃ!!」
「わあ、狐さんなんだねえ、格好いいねえ。じゃあ、ここは危ないからね、一緒にパパのところに行こうかねえ」
「あっ、こら、この! 何処に行こうというのじゃ!? 離して! 嘘!? 本当にこの童、吾を掴んで!?」
気持ちのいい晴れ空の下お庭で遊んでいた私は、小さくて猫さんみたいな、なんだか格好いい子と遭遇した。
小さな子は不思議と人間の言葉でお喋りができて、狐なんだよって教えてくれたの。
私が両手で掴むと胴を一周できてしまうくらいに小さいその子は、目の前に現れたとき、浮かんだまま空中で静止して、お庭から建物の窓を一つずつ覗いて見ているみたいだった。
思わず出会い頭にむんずと掴んでしまったけれど、これはきっと運命の出会いなんだと思う。
生まれたての子猫みたいに小さな身体に、小さな頭。
頭頂部にはとんがりお耳がぴょこんと立って、茶色くてサラサラ毛並みは陽の光を受けてキラキラ光って見える。
干したてのタオルみたいにふわっとして温かい身体に触れると、その子は驚いたのか掴んだ手の中で激しく身動いだ。
私は、しなやかなその身体を手からこぼしてしまわないように、掴んだ両手に一層力を込めた。
「ぐえ」
「行こう!」
狐さんだというこの子はすごく小さいし、窓の中の誰かを見てたみたいだったから、きっと建物の中に戻れなくなっちゃった迷子さんだ。
私がこの子を、この子のパパやママのところまで帰れるようにしてあげなくちゃ!
私は迷子を助ける“名探偵ケイニー”になりきったようなお気持ちで駆け出したんだ。
◇ ◇ 一週間前 ◇ ◇
アリスのお家を訪ねた日から数日が経った日の朝、お手紙を持ったパパが『王都に行く日が決まったよ』って私に教えてくれた。
王都までは朝に出て昼までには着く距離だけれど、余裕を持って数日王都で過ごす予定だから、お家は少しの間空けることになるんだって。
この間レミは王都まで一緒に行けることが決まったから、今日は、しばらくお家にいないよってことを他のみんなに言いに行こうと思う。
私は朝ごはんを食べ終わってすぐお着替えをして、チャーリーとお出かけの準備をしたんだ。
「長い旅路になるよ、チャーリーくん。準備はいいかな?」
「はい先生、もちろんです」
私が、この間アリスに貸してもらった犬の探偵、ケイニーさんが出てくる絵本の真似っ子をして言うと、チャーリーも凄腕助手さんの真似っ子で応えてくれた。
チャーリーもあの絵本のこと、知っているのねって嬉しくなる。
「うふふ、なんだかチャーリーとお出かけするの、久しぶりみたい。嬉しいねえ」
「はい、嬉しいです。ここのところ立て続けにご一緒できませんでしたから、寂しかったです」
「寂しかったかあ」
「はい、寂しかったです」
今日のチャーリーは言い回しがなんか変な感じ。
変なチャーリーは、いつもより笑顔がキラキラなのに、どこか言葉に迫力があるみたいに思えた。
そういえばマルクスの別荘に行くのにご旅行をしたときも、アリスのお屋敷にお邪魔するときも、チャーリーはお留守番だったもんねえって思う。
そんなことをお話しながら、チャーリーがお手々を出したり引っ込めたりしてるのを横目に玄関に向かって歩いていると、書類を抱えたイソシギがお外から帰ってきたのと出くわした。
なんだかチャーリーの圧が強まったみたい。
「イソシギさんどうもお疲れ様です。私はこれからお嬢様とご友人宅を回って、ご挨拶をしてまいります」
「そうッスか! あーでも自分は父上……じゃなかった、ヘイデンさんに頼まれた書類を執務室まで持って行かなきゃいけないんス。残念ですけど、ご一緒できないッス、ステラ様ごめんなさい」
「いいよぉ」
会釈をして通り過ぎようとしていたイソシギにチャーリーが笑顔で話しかけると、イソシギは眉をしょんとして、一緒に行けなくてごめんねって私に謝ってくれた。
隣ではチャーリーが「誰が一緒に来てくれと言いました!?」「お嬢様の街中の護衛は私一人で充分ですが!」って何かを小声で言っていたみたいだったけど、私はイソシギにまた今度三人で一緒にお出かけしようねって言う。
「ばいばいイソシギ、お仕事頑張ってね」
「せいぜいヘイデンさんにこき使われてください(ヘイデンさんによろしくお伝えください)」
「ステラ様、ありがとうございます! お気をつけていってらっしゃいッス。チャーリーは、それ本音が前に出てね?」
チャーリーと二人でイソシギにお仕事頑張ってねを伝えて、それから庭に出ると、庭師のおじいちゃんや門番さんにも念入りにいってきますをした。
チャーリーと二人きりのおでかけは久しぶりだ。
私は、ご旅行で成長した私を使用人さんみんなにも見せたくて、チャーリーと手を繋がないでも歩いていけるんだよってところを見せつけるみたいに、腕を大きく前後に振りながらお家の門をくぐったんだ。
最初に向かったのは、最近会えていなかったミシェルのお家だ。
このあいだアリスのお家に行こうって誘いに行ったときは、ミシェルもママさんもいなくて、たしか、近所の人も誰か訪ねてきたみたいだよとか、どこかに出かけていったみたいだよって教えてくれてた。
私は高い位置にあるドアノッカーに手が届かないから、チャーリーにお願いしてドアを二回トントンってしてもらう。
「とんとん、ステラです。こんにちはぁ。ミシェルー、遊びに来たよう」
「…………」
「…………」
「お返事は無さそうですね。今回もご不在かもしれません」
「ご不在かあ」
「はい、残念ながら」
ちょっと待ってもお返事はなくて、チャーリーにまた留守かもしれないって教えてもらって私はそっかあって思った。
なぜだろう、ここに来る前よりもミシェルがいないって分かった今のほうが、ミシェルに会いたいなってお気持ちがむくむく大きくなってるみたい。
視線を下に落とせば、いつもお水やりを忘れないミシェルのお家のお花や葉っぱが、なんだか萎れて元気がなく思えた。
それも私の不安のお気持ちを増やしてきてるみたい。
私はチャーリーと相談して、特に土の乾いていた玄関脇のお花の鉢にお水をやって、それから、あちこち生えてきていた育ちの早い雑草を抜いてミシェルのお家の周りを綺麗にした。
ミシェルのママとも仲が良いご近所の人と会えたから、ご近所の人にミシェルたちが帰ってきたらステラはしばらく王都におでかけしてるよって伝えてもらう約束もした。
「きっと、王都から戻る頃にはミシェル様もご自宅にお戻りになっていますよ」
「うん」
ちょっとだけしょぼんとしちゃった私を、チャーリーは手を繋いで「行きましょう」と促してくれた。
それからのチャーリーの道案内はやっぱり完璧で、次の目的地だったマルクスのお家につく頃には、私の調子もすっかり良くなってた。
「マールクス〜! ステラですよーこんにちはあ! チャーリーもいるよお!」
「おー! 待ってろ、すぐ行くー!」
マルクスのお家は街のはじっこのほうにあって、マルクスのママがお野菜なんかを育ててる広いお庭があるんだ。
マルクスのパパで騎士団長さんのフリューゲル・ミラーさんとマルクスが剣のお稽古をする場所もあったりするから、マルクスのお家を訪ねるときはお家の門のところでマルクスを呼ぶことにしてる。
「ステラ!」
「マルクス、やっほう。ご旅行のあとに出ていたお熱はもう下がった?」
「おう、母ちゃんにはしゃぎすぎだって言われたぜ。オレもまだまだ鍛え方が足りないな。こないだは誘いに来てくれたのに悪かったな」
待っていると、すぐにお家のドアからマルクスが出てきて、門のところまで駆けてきてくれた。
顔色も良くて元気いっぱいないつものマルクスだ。
よく見ると、玄関でマルクスのママもこちらに顔を出して、手を振ってくれてる。
私もマルクスのママに向かって手を振り返すと、そんな私たちを見たマルクスは嬉しそうに笑って、それから口を開いた。
「それで、どうした? 今日は約束無かっただろ?」
「うん。もうすぐね、私もパパもママも王都にご旅行することになったから、しばらくいないんだよってご挨拶をしに来たの。あのね、今日も本当はお勉強の先生の来る日だったんだけどね、王都から帰ってくるまではおやすみなの」
「そっか。出発する日は決まったのか?」
「うん、次の週末からね、一週間くらいあっちにいて、それから帰ってくるんだってパパとママが教えてくれたよ」
「おう、そっかそっか」
マルクスとのお話は、マルクスの聞き方がお上手だからか、私のことをよく分かってくれているからか、すごくスムーズで話しやすい。
こういうのを『話が早い』って言うんだよって、前にルイが教えてくれた。
今日はマルクスもご予定のない日だったみたい。
私たちがこのあとルイのお家にも行くことを伝えると、マルクスは、玄関のところでお家の中にどうぞって誘ってくれてたマルクスのママのところに一人で駆けて行って、これから私たちと出かけてくるねって伝えて、このまま一緒に来てくれることになった。
マルクスのお家から、次に行くルイのお家まではちょっとだけ遠い。
マルクスのお家が街の端っこにあって、貴族のお家のルイは、お屋敷が街の中心にあってそこに住んでるんだ。
「ルイは最近何してんだ? 何か忙しいとか言って、ここのとこずっと会ってねえけど」
「大発見なんだって、お手紙をもらったよ。私もね、マルクスとご旅行に行ったくらいからルイに会えていないの」
「ステラもか。オレのとこにも来てたなその手紙。なんか走り書きみたいな字で色々書いてあったけど小難しくて分かんねえやつ」
「うん、そうだよねえ」
ルイは、私がマルクスとの旅行から帰ってきた頃からすごく忙しそうだ。
たまにお手紙が来ていて、とにかく今は忙しくて、大発見で大変なんだって内容だったから、アリスのお家になるべくたくさんで行こうってみんなを誘いに行った時にも、ルイのお家までは行かなかった。
「私ね、ルイのお家行くの初めて」
「お、そうなのか。オレも中にまで入ったのは何回かしかないけど、あいつの家はでけーぞ」
「そうなんだ。ルイに会えたらいいなぁ」
「大丈夫大丈夫、流石にステラが家の前まで行って、家にいるのに出てこないなんてことはねえよ」
大きなお屋敷だって聞いて、私はちゃんとルイに会えるかなって不安になる。
あんまり広くて大きいと、大きな声で呼んでも中のルイに聞こえないかもしれない。
だけどマルクスは大丈夫って言ってくれた。
ルイのお家に着くと、門の横に扉の付いた小さなお部屋がくっ付いてあった。
貴族の人なんかの大きなお屋敷には、守衛室っていう、門番さんみたいなお仕事をする人がいるお部屋があるんだってマルクスが教えてくれる。
チャーリーが守衛さんに話しかけてルイに会いに来たのって伝えると、守衛さんが私たちを見てニコニコの笑顔になって屋敷の中に使いを出してくれた。
しばらく守衛さんとお話をして待っていると、屋敷のほうからお馬さん一頭が引く小型の馬車が猛スピードでやって来るのが見えた。
「ははは、坊ちゃんもやっと待ち人が来たってんで、大急ぎで来られたようですな」
「?」
守衛さんが笑って私たちを馬車の通り道から退けてくれると、直前で速度を落とした馬車が土を一切舞い上げることなく、私たちのちょうど目の前でピタリと止まった。
計算されつくしたその滑るような走りぷりに驚いていると、小型馬車の一番後ろで直立して馬の手綱を引いていた御者さんが私と目が合って笑顔を見せてくれる。
他のみんなにもペコリと頭を下げた御者さんは身軽な動きで馬車から降りると、長い手綱をくるくると手元でまとめ、それから箱型の座席部分へのステップへと足をかけもう一度体を持ち上げた。
御者さんが「到着いたしました」と中へ声をかけ、それから扉の取っ手を引いたのと同時、開く扉の速度よりもずっと速く内側から力がかかって、バンッと転がり出るように黒い何かが外へと飛び出てくる。
「ルイ!」
「遅い! 遅いぞ! 何をもたもたしていたんだ!!」
現れたのはルイだった。
馬車から飛び出て来て体勢を崩したルイは身を低くしたまま、ぎょろっとこちらを上目で見る。
その顔はちょっと怒ってるみたいにも見えた。
あちこち髪が跳ねたルイは、私たちが来たと聞いて飛び出してきてくれたんだろう、守衛さんが「お屋敷で一番早い馬車ですよ」と教えてくれた小型馬車は一人用で、ルイと御者さん一人だけで急いで門まで来てくれたのが分かった。
フンフンと鼻息荒く怒っているらしいルイに、驚いていたマルクスが呆れたみたいに口を開く。
「遅いってなあ、急に来たオレらもなんだけどさ、約束の時間なんて無かっただろ?」
「手紙を出しただろう!」
「手紙って……、ああ、あの『忙しい』ってあれか?」
「そうだ! お前にも、ステラにも何通も送ったんだぞ!」
「あれ、見に来いって意味だったのかよ……。オレはてっきり、忙しいからしばらく遊べねえって意味だと思ってた」
「そそ、そんなこと、どこにも書いてなかっただろう!?」
「来いとも書いてなかったよ」
「ぐぬぬっ!」
マルクスの質問に、ルイはますます鼻息を荒くしたけれど、お家においでってお手紙の意味が私たちに伝わってなかったってことに気が付くと、言い返せなくなったのかぐぬぬになっちゃった。
そっか、ルイはすごい大発見をしたから、私たちにも教えてあげたいって思ってくれたんだね。
悪いことをしちゃったなあ。





