88.大天使ステラちゃん、憧れの人と人見知り
「ステラー、出ておいで」
「出てくるですわー」
「ステラー、美味しいお菓子もあるよー」
「ありますわー」
どれくらいの時間が経ったのか、未だ興奮の収まらない私にとってはその時間は一瞬にも永遠にも感じた。
暗く狭い隙間の向こうでは、二対の目がこちらを覗いてる。
優しいお声を掛けてくれるのは、アリスとレミだ。
「ほらもう、早く出てこないとあんたのパパも先に帰っちゃうわよー」
「帰っちゃうですわー」
二人は、私を何とか呼び出そうとしてくれているみたい。
きっともう帰る予定のお時間になっちゃったんだ。
だけど、私は今それどころじゃなくって、心臓のドキドキを治めるのに一生懸命で余裕が無かった。
今私がいるのはアリスのお屋敷。
その中の、アリスのお部屋じゃないどこか大きなお部屋の、豪華な調度品の下の、小さな子一人がやっと潜り込める狭い隙間の一番奥だ。
「フーーッ!」
私の口から思わず出た声に、レミとアリスは「猫の威嚇みたい」「ですわ」って呆れたみたいに言ってる。
すると、二人の後ろにもまだ人がいたようで、他の人の声もした。
「やれやれ、ステラ氏は一体どうしたというのだね」
「フーッ!?」
「あ、ステラがさらに奥へ引っ込んじゃった! 奥の壁にめり込んでるわ! もう、静かにしててって言ったじゃないっ」
「スティーブ叔父様には、一旦別室待機をお願いしたいですわ」
「しかしだな、この状況は私にも責があるのであろう」
「大有りだけど、別にあんたのせいじゃないわよ」
「叔父様は悪くないのですわ。ステラはちょっと驚いちゃっただけでございますことよ」
声の主は、私が大好きな虎さんのご本の作者さん、ステイブル・メイト先生。
アリスの叔父さんだと聞いていたスティーブ様は、虎さんのご本を書いた人だったんだ。
私はその声にまた心臓がどきーんとして、狭い隙間の中で体が跳ねあがった。その勢いで、隙間のもっと奥へと移動してお顔が壁にめり込むみたいになったのを、レミが心配してくれてる。
レミとアリスがまた二人で相談し合うように「もうちょっとだったのに」「でしたのに」ってお話してるのが聞こえてきた。
スティーブ様が虎さんのご本の作者さんだって知って、朝ごはんの最中だったのに部屋を飛び出してしまった私は、時間が経つにつれてどんどんと作者さんとお話していたんだって実感が湧いてきて胸がキューって苦しくなっちゃう。
私がそんなお気持ちを持て余しどんどんと隙間の奥底へ入り込んでしまっていると、お部屋の中にまた新たな人のお声が響いた。
「ハハ、本当にスティーブがこんな調子になっているなんて。サァプラ~イズ、だね」
「兄上」
「やあおはよう、スティーブ、アリス。それに子どもたち。みんな良い夢は見られたかな?」
「おはようございますですわ、お父様」
快活で明るい、男の人の声はよく響き、みんなが口々にご挨拶をしてるみたい。
コツコツと、落ち着いた大人の人の足音が近づいてきて、声の主がお部屋に入ってきたのが、隙間にいる私にも分かった。
このお声はアリスのパパのワンダー侯爵様だねって思っていると、侯爵様は揶揄い混じりのお声でスティーブ様に話しかける。
「スティーブがこんなに子どもたちに好かれる性質だったなんて、ちょっと意外で驚いたかな」
「ふむ、妙に懐かれましてな……」
「珍しいが良いことだ。それに、僕はとても安心したよ。こうして僕の大切な弟と娘が、同じ部屋で仲良くお喋りをしてくれるようになってくれたんだから、素晴らしいことだよ」
「それは気を揉ませました。それに、そのことでしたらアリスのほうから歩み寄ってくれたのですよ。子どもたちもアリスの後押しをしてくれたようで、いやはや、私が率先して動かねばならないところを、お恥ずかしい」
「そ、そんなことないんですのよっ! スティーブ叔父様は、わたくしの相談も聞いてくださって、励ましてくださったんですの」
「ハッハッハ。いや良いね。うん、素晴らしい。これからはアリスをスティーブに取られないよう、僕も頑張らないとな」
「兄上!」
「お父様ったら」
ワンダー侯爵様は、すっごくご機嫌みたいで声が弾んでる。
スティーブ様とアリスと三人一緒に、仲睦まじくお喋りできるのが嬉しいみたいだっていうのが、隙間にいて見えない私にも分かった。
それからすぐ、使用人さんの何か慌てたようなお声がしたと思うと、私のいる隙間を除く大人の人の目と目が合った。
どうやら、カーペットに着ているお洋服が触れるのも構わずに、侯爵様は身を屈めて隙間から私のことを見つけてくれたみたいだ。
驚いて私は目を見張るけど、暗い隙間の中からでも、侯爵様が優しく微笑んでくれているのが見えるとなんだか力が抜けた。
愛おしむように穏やかに向けられた眼差しに、私も不思議と柔らかなお気持ちになる。
「おはよう、ステラ。昨日はよく眠れたかい?」
「………うん、羊さんになる夢をね、見たのよぅ」
「そうか。それは気持ちの良さそうな夢だね」
「うん」
穏やかな侯爵様の目はなんだか安心するみたい。
心臓の音もドクドクが優しいトキトキに変わっていって、私はやっと息が吸えたような心地がした。
侯爵様から、そんな奥にいないでステラもみんなと一緒にお話をしようって言われて、私も頷く。
ゆっくりゆっくり匍匐前進で隙間から頭を出して見渡すと、そこにはやっぱり思ったとおりのみんながいて、お部屋の隅には使用人さんモードのダニーとポーギーもいる。
そのまま私がうんしょと体全部を隙間から出しきると、侯爵家のメイドさんが何人か、私に飛びつくみたいなすごい勢いで駆け寄ってきてくれた。
汚れてしまっていないか、痛いところは無いか、怪我をしていないかって、全身をくまなくチェックしてくれる。
「痛くないよぅ」
私が勢いに押されながらも正直にそう言うと、侯爵様がやっぱり使用人さんの制止を遮りながら、私のそばまで歩み寄って来てくれた。
私と目線の高さを合わせるように、膝を折って屈んでくれる。
それから、私の手を取って汚れや怪我はないかなって手の表と裏を優しい手つきでひっくり返しながら確認してくれた。
「ありがとうぅ」
「どういたしまして。それに、流石は我が家の使用人だ。隅々まで屋敷の清潔を保ってくれているようで誇らしいな」
私が侯爵様の目を見てお礼を言うと、侯爵様は快活に笑って許してくれる。
それから、侯爵様は私の手を下から掬うように軽く支えたままで、ほんのわずか、軽く会釈をするような動きで自身の額を私の手の甲に向けて近づけるような仕草をした。
「?」
どうしたのかなと思って私が見ていると、いたずらをする時のような笑顔で笑い上目遣いになった侯爵様と目と目が合う。
それから、侯爵様はこしょこしょ話をする時みたいに私の耳元に顔を近づけて来てくれて、潜めた声で言った。
「我が家に、良い風を吹き込んでくれてありがとう、ステラ」
「良いお風?」
「分からなくてもよいとも。どうか御礼の気持ちだけ、受け取っておくれ」
「うん、どういたしまして!」
侯爵様の言葉の意味はよく分からなかったけど、侯爵様にとって良いことがあったのなら良かったなあって思う。
私が侯爵様と同じ小さなお声で返して笑うと、侯爵様もニパッって笑い返してくれた。
侯爵様はきっと、スティーブ様とアリスが仲直りをすることができて、とってもご機嫌だったんだね。
侯爵様は本当はもうお仕事に行かなきゃいけない時間だったのに顔を出してくれていたらしく、私と話した後すぐ、慌てる使用人さんたちを伴って優雅な足取りで出かけていった。
私たちも、もう予定していたよりもずっと長く滞在してしまっていたから、パパと一緒にアリスのお屋敷を慌ただしく後にする。
アリスとスティーブ様はそんな私たちを玄関のところまで二人並んで見送りに来てくれた。
アリスは私たちがもう帰っちゃうことが不満だったみたいで、ほっぺをぷくっと膨らませて「まだお屋敷にいていいんでございますのに」って言ってくれた。
スティーブ様に客人を困らせてはいけないよと諫められると、アリスはもう一度だけお口を尖らせてから、絶対また来てねって何度も私やレミたちに念押しをした。
アリスが絵本やご本の作家さんをやってみたいっていう夢のお話は、侯爵様と落ち着いてお話ができるようになったらスティーブ様と一緒に言ってみることになったんだって。
今度アリスと遊べる時に、そのお話がどうなったか教えるからねって、アリスは鼻息を荒くして約束してくれた。
スティーブ様は、昨日の夜に驚かせて泣かせちゃったポーギーに、最後までごめんねって謝ってるみたいだった。
ポーギーは泣いちゃったのが恥ずかしかったらしくって、そんなスティーブ様にぺこぺこ頭を下げ返しながら、お顔を赤くして大丈夫ですって言ってダニーの背中に半分隠れちゃってたけど。
別れ際、スティーブ様は私とレミのところに来て、困ったことがあればいつでも力になるよって言ってくれた。
同じ『もとにほんじんのよしみ』なんだって。
スティーブ様は侯爵様の領地の管理のお手伝いのほか、虎さんのご本なんかを書いたり、『ぜんせちしき』って言うのを使って『でんかせいひん』っていうのを作ろうと頑張ってる最中なんだって。
「そういえば、ステラの店のチラシに載ってたドライヤーってまさか……?」
「おお! まだそれほど広まっているわけではないのですが、流石レミ氏、耳が早いですな。あれはまだ試作品でして、もちろん電気で動くわけでもなければ髪を乾かす機能も優れているわけではないのですが、スタイリッシュな形状をした手回し扇風機として富裕層ではなかなかの人気が────」
「もういいわ。やっぱりあんただったのね……」
「そうですとも! まだまだ先は長いですが、いつかはこの世界でもゲームができるようにしてみせましょうぞ」
「「ゲーム!」」
スティーブ様の言葉に、私とレミの歓喜の声が重なった。
思わず口にしてしまったけど、言ってから『ゲーム』ってなんだっけって思う。
確か、レミが言ってた乙女ゲームってやつのことだよね?
「お、目が輝いておられる。ステラ氏もゲーム好きであったか」
「んーとね、今ね、ゲームができるんだって思ったら嬉しくなっちゃったんだけどね、えっと、分かんなくなっちゃった」
「そうよね、ステラは分かんないわよね。いいのよステラは無理して思い出さなくて、また私が知ってるゲームの話もしてあげるわ。スティーブ様が言うようにこっちの世界でもゲームができるようになったら、一緒に遊びましょ」
「うん!」
スティーブ様によると、私のお目目は、ゲームのお話が出た途端にキラキラのお目目になったみたい。
スティーブ様の頭上では顔文字さんが楽しそうに「ゲーム! 家電! オタ活!」って意気込んでいて、レミは私にゲームで遊ぼうねってお約束をしてくれた。
私はそれがすっごくワクワクして、早くレミとゲームができるようになったらいいのになあって、訳が分からないままに、それでも心の底から強く思ったんだ。
呼んでもらった馬車に乗り込んで、私たちはアリスのお屋敷を後にした。
侯爵様とは、また近いうちに一緒に王都っていうところまでお出かけするんだって。
王様が住んでいるお城でやる裁判っていうのがあって、そこにパパも侯爵様も、それから私もお呼ばれしたんだよって帰りの馬車の中でパパが教えてくれた。
私とパパの話をふーんって感じで聞いているレミを、私は見て思う。
「ねえパパ、レミも一緒に行ってもいいかなあ」
「っっ! なんっで!? なんで私が一緒にお城に行く話が出てくるのよ!?」
「楽しそうかなあって」
「きょ! 興味がないと言えば、嘘になるけど……。でもでも、呼ばれてもいない子どもが付いていっていいわけないでしょ! もう!」
「そっかあ」
私がせっかくだからレミも一緒にどうかなと思ってパパに聞くと、パパが答えるより前にレミに怒られちゃった。
私がそうなのかあって思って少ししょぼんになっていると、面白そうに私たちのやり取りを見てくれていたパパが、ちょっと思案気に自分の顎を一度撫でて、それから口を開いた。
「そうだな。それなら、シスターのファウスティナさんに確認してからになるけれど、王都まで一緒に行くというのもいいかもしれないね」
「えっ」
「わあ、そうなのパパ、レミも一緒に行ってもいいんだ」
「侯爵様とは道中一緒ってわけじゃなく、王都で合流する手はずになっているからね。王都はそう遠くないし、ちょっとお出かけのつもりで一緒に行くのは悪くないんじゃないかな。流石に王城まで一緒に連れては行けないけれどね」
「わあ、わあ、いいなあ。それ、すごくいいアイデアなんじゃないかなあ」
「ええ………。本当にいいのかしら、ってああ、ステラの笑顔が眩しいわ。そんな、期待に満ち溢れたキラキラ瞳で私を見ないでっ」
「レミ、どうかな、どうかなあ」
パパの言葉にレミも一緒に行けるかもしれないって思って、私はすぐレミも行こうよってお気持ちを込めてレミを一生懸命に見つめる。
レミはそんな私から目を逸らすみたいにして背を仰け反らせた。
仰け反らせた先にはパパがいる。
「レミさんも行きたいと思ってくれるならだけど、ステラも喜んでいるからさ、ぜひご一緒にどうかな?」
「うわあ、パパさんもいい笑顔してるうぅ。ああもう、この親子〜〜〜! 笑った顔がそっっっくり! この二人のキラキラ笑顔を前に、断れる人が一体この世に何人いるのかしらねえ!?」
「ねえねえ、行こうよぅレミ、きっと楽しいよぅ。うふふ」
「レミさん、良かったらどうかな。ふふふ」
「もう〜〜〜〜〜!!」
私たちは、そのまま馬車でレミの住む孤児院までレミを送っていった。
シスターのファウスティナさんに昨日レミが帰れなかったお詫びをすると、むしろ泊めてもらう手配をさせてしまってと丁重に遠慮されてしまった。
それから、今度一緒に王都に行くお話をして、無事に許可をもらうことができたんだ。
なんだかんだ言いながら、レミは王都にある王立学園のことがすごく気になっていたらしくって、一緒に王都に行けることになったのを楽しみにしてくれているみたいだった。
王都までは、馬車に数時間揺られれば着く距離だ。
お家のある街からも乗合馬車が一日に何本もあって、私もたまにチャーリーと一緒に遊びに行ったりするし、お祭りのときにも行ったりしたから、何度も訪れたことがある。
お城に行くのは初めてだからすごくドキドキするけど、今から王都に行くのが楽しみだなあってワクワクした気持ちが湧いてきた。
本物のお姫様や王子様に会えるかなぁ、会えたらいいなあ。





