第225話『---ちゃん』
何で私、こんなとこにいるんだろ。
周りを見回してみると、そこは見覚えのない山道。
鼻にツンとくる、雨の後の匂い。
そして。
近くにはボンヤリとした光を放つ街灯。
それに集まる、羽虫――――。
誰も、いない。
ゆっくりと夜道を動き出す足。
心許ない光源の中、湿ったコンクリートを踏みしめてゆく。
二の腕が冷たい。
……半袖?
視線を落とすと、膝下までの長いスカート……首元には見慣れないリボン。
見たことのない、制服。
私、どこに向かって……。
「……?」
目の前に現れる、夜光に照らされた建物。
ゆっくりと近づき、下から見上げると、どこか既視感を覚える。
上方に向かう螺旋状の階段と、その上に大きなお皿のような平べったい……とにかく、歪な構造。
……あ、これ。
展望台だ。
新都の景色を一望できる、新都大展望台。
最後に来たのはいつだったっけ。
夜景が綺麗だったな。
階段を上り始める身体。
視線の先には、腐敗が進んでいる空き缶と枯れ枝。
少しずつ、冷たさを増す空気感。
階段を登りきると、展望台へと辿り着く。
その縁へ向かって進む足―――。
やがて。
視界いっぱいに飛び込んでくる、夜の新都。
雨上がりの霞の奥に、明滅する数多の光。
中央区のビル群。
東方向に進んでいる、新都沿線。
多分、多くの人を乗せているんだと思う。
「綺麗だね。
---ちゃん」
……?
私の他に、誰かいる。
全然気付かなかった。
ゆっくりと視線を向けた先には、一人の男の人。
お父さんと……同じくらいの年齢、かな。
メガネをかけて、小綺麗な格好をしたその人は、私の隣で新都の夜景を見ている。
「アヤカちゃん」
アヤカちゃん?
……誰のこと。
私……?
でも……私はそんな名前じゃない。
「もっと、綺麗なモノ見せてあげようか?」
見たい。
そう、私の口が動く。
目の前の男の人はにっこりと微笑むと―――そのまま手すりを越えて、前へと倒れ込んだ。
少しの時間の後。
ばちゃん。
バケツの水をぶちまけたような。
固いモノ同士が、ぶつかる音。
ゆっくりと下を覗き込むと、コンクリートでできた遊歩道が紅く染まっていた。
同心円状に飛び散ったモノが広がっていて――――。
綺麗、だな。
ゆっくりと手すりに足をかけ、そして立ち上がる。
ほんの少しだけ高くなった視線。
でも、景色は変わらない。
ずっと変わらない、同じ新都の風景。
そして、頬を撫でる夜風。
――――私も、綺麗になれるかな。
手を広げ、そして――――。
重力に引っ張られるままに。
全身を冷たい外気が晒され。
近づいてくる地面。
紅くて綺麗なモノが、視界いっぱいに広がって――――。
私は。
丁丁丁丁丁
丁丁丁丁丁
叩きつけられてゐる 丁
叩きつけられてゐる 丁
藻でまっくらな 丁丁丁
塩の海 丁丁丁丁丁
熱 丁丁丁丁丁
熱 熱 丁丁丁丁丁
(尊々殺々殺
殺々尊々々
尊々殺々殺
殺々尊々尊)
***
「っ……!!」
跳ね起きると、そこは見慣れた自分の部屋だった。
呼吸が荒い。
パジャマには汗が滲んでいて、不快。
――――夢。
枕元にある小学生の頃から使っている目覚まし時計。
震える手でたぐり寄せて時間を確認すると、長針と短針は真夜中の2時を指し示していた。
――――気色悪い。
夢とは想えない、鮮明さ。
山道も、展望台から見る光景も。
展望台から身を投げ出したときの、全身を包む浮遊感。
そして。
眼下に広がる――――紅。
「うっ……」
込み上がってくるモノ。
それを何とか飲み込み、私はベッドから起き上がる。
向かう先は、部屋の入り口に貼ってある護符の所。
「……」
何の文字が書かれているか分からない、長方形の古びた紙を指でなぞる。
「一体、何……?」
――――アヤカちゃん。
夢の中で、身を投げた男の人に言われた言葉。
誰かの、名前。
私じゃない、誰かの名前。
***
[4月27日(月) 新都立第五中学校1-Aベランダ 12:45]
おかしい。
「犯罪者の弟」。
それだけで察しの良い奴であれば、俺の兄が「蔦林龍太朗」であることは察しがつくはず。
別に、その名前に心当たりがなくても調べる手段はある。
俺の人となりなんて……それこそすぐに分かる。
「……新太、いい加減にしてほしいんだけど。
今日、弁当当番よね?
一体今月何度目の菓子パン?」
「……いやぁ、ホントにごめん。
朝眠くてさ……」
宮本へジト目を向けながら、手に持ったコンビニで売っているカレーパンを口に運ぶ――――古賀京香。
対して、気まずそうに手を合わせている宮本。
「……」
金曜の一件がありながら、宮本はこれまでと何も変わらない様子で、ベランダで飯を食っている俺と合流。
それだけじゃない。
昼休み開始すぐ、極々当然であるかのように1-Aの教室に入ってきたこの古賀は、極々自然にベランダに出て来た。
「大体、毎回カレーパンってのも面白みがないわよね。
もっとウィットに富んだラインナップを提供するべきじゃない?」
「……返す言葉もございません」
しおらしく頭を下げる宮本。
……まぁ、確かに宮本はいつも同じモノを食っているイメージがある。
毎日同じモノでも平気な人種らしい。
「……いや、違うだろ」
「「……?」」
溜め息をつく虎ノ介。
そして、目の前にはほぼ同時に頭に疑問符を浮かべる宮本と古賀。
「俺、言ったはずだよな?
『犯罪者の弟』だって」
「うん。
言ってた」
あっけらかんとそう言う宮本に、虎ノ介は霹靂した心持ちで見やる。
「俺の人となりとか……その、知らないわけ?」
「知ってる。
前に逮捕された陰陽師、蔦林龍太朗の弟でしょ?
蔦林君に言われて、何となく思い出したわ。
そんな事件あったな、って」
「……じゃあ、話は早いだろ。
何で一緒に飯食ってるんだよ。
俺に、関わんない方が……」
すると、目の前の古賀は眉間に皺を寄せ、「意味分かんない」と一蹴。
「……」
「貴方のお兄さんのことと、私がどこでお昼を食べるかって話、関係ある?」
「っ……」
「それに……何となく、状況も読めたしね。
身内に陰陽師がいたのなら、霊力の扱い方を知ってたり、式神をもっていることにも説明がつく。
……もちろん、規定には違反していることではあるけれど」
「……俺を清桜会に引き渡すつもりか?」
すると。
古賀はかぶりを振り、残り少ないカレーパンにかぶりつく。
そして、にわかに微笑みを浮かべると、何度か咀嚼し飲み込んだ。
「……別に、蔦林君をどうこうしようってつもりはないわよ。
私にそんな権限はないし。
それに……私もある意味グレーな存在ではあると思うし」
紙パックの牛乳を手に取り、ストローを啜る古賀。
今しがた口にした言葉は本心によるものか、それとも……嘘か。
こうして俺に接触を図ろうとしていることも、俺に対する牽制ともとれる。
いずれにせよ、心を許す選択肢は……。
「蔦林も、いつも菓子パンだよな?
料理とかしないのか?」
「……?
いや、俺は料理とかできないし……」
「その見た目で料理できる方が驚きよ。
変な髪型してるんだから、納得ね」
「……いや、どういうこと?
料理と髪型関係ねぇだろ……」
料理にかこつけて、シンプルに悪口を言われたような気がする。
「新太も、もっと色んな料理を覚えてよね。
育ち盛りの私を満足させなさいよ」
「はいはい……」
何気なく聞き流していたから、疑問にも思わなかったが、不意に二人の会話に違和感を覚える。
……別に、話を広げる必要なんてなかった。
ただ、これまで通り聞き流しておけばよかったんだ。
でも、踏みとどまる前に勝手に声が漏れてしまっていた――――。
「……というか、何で互いの料理の話になってんだよ。
そもそも弁当当番?
何、オマエらそういう関係?」
突き放すつもりが、二人に興味をもっているかのような質問。
俺は声に出してしまって尚、酷く自身の行いを後悔していた。
すると、宮本はどう答えたものか考えているのか、腕組みをしながら言葉を紡ぎはじめる。
「いや……、そういうことは決して無くて……。
普通に同じ家に住んでるから、かな」
「……同じ、家に?」
―――もしかして、俺の想像の遙か彼方の話?
眉根を潜める俺の様子に気付いたのか、古賀は大仰に溜め息をついた。
「……新太も大概、言葉が足らないわね。
私と新太は――――姉弟よ」
「っ……マジか!!!?」
思わず宮本へと視線を送ると、「まぁ……それが、一番分かりやすいかな……」と仕方なさそうに頷いている。
「いやだって……、同じ学年だし……。
そもそもオマエら、名字が違うじゃねえか!」
「まぁ、それはねぇ……」
「色々あるのよ」
色々……?
一体、何だ……?
いや、でも確かに考えてみれば、『古賀』の家は陰陽師としての名家。
よく分からんけど、名家故に……当主の妾の子、とか?
そういう可能性もあったりするのか……?
仮に母親が違うとすれば、学年が同じ事も説明がいく。
「……色々あるんだな」
「……何だろ。
釈然としないと言うか……」
「別にいいでしょ。
納得したみたいだし」
そう言いながら二つ目の菓子パンに手を伸ばす古賀。
「「「……?」」」
その封を破ったところで、俺を含めた宮本と古賀は同時に目を見合わせた。
ベランダにまで聞こえてくるほどの嬌声。
声の出所は他でもない――――1-Aの教室。
「盛り上がって……る?」
「……最早悲鳴だったと思うけどね」
宮本はそれを確認するべくベランダのドアを開け、そして教室の中を覗く。
俺と古賀も何となくそれに乗じ、後ろから様子を伺った。
そして、視界に入ってくるのは、一転として静けさに包まれた室内。
皆一様に目を見合わせ、誰かがしゃべり出すのを待っているかのような、そんな静寂。
「……何?
どうしたの?」
宮本は、窓際で机を合わせて弁当をつついている男子のグループに声をかけた。
「あぁ、えっと……何か……気持ち悪い話、かも」
その中の一人が、宮本にそう伝えた時だった。
「ちょっと……本当に止めてよ……!
全然面白くないし、それっ!!」
「いや……、マジだよ……!
俺も見たんだって!」
「だから、やめてってば!」
教室の中央で一人の男子と女子が、顔を引きつらせながら言い合っている中、その様子を、他のクラスメイトが固唾を呑んで見守っているという構図。
「三好さんが、何か変な夢見たって言っててさ……。
そしたら、小野寺も何か……」
「ホントに見たんだって!!
飛び降り自殺する夢!!」
――――飛び降り自殺。
「……な?
気持ち悪いだろ?
何か二人して同じ夢を――――」
宮本と話している男子が、こちらへと視線を向けるのと同時。
その声が、掻き消された。
なぜならば。
「あ、あのっ!
実は僕もっ……み、見たんだ!!!」
「っ……やだっ!!
ウチも見ちゃったよ!!」
教室中から次々に巻き起こる声。
その光景を、虎ノ介を含めた三人はどこか別の世界の出来事のように傍観していた。
教室中を満たすモノ。
――――これまでに、見たことのない生体光子の流れ。
日常の中で観測されるモノとは一線を画す――――言うならば、質そのものが違う。
「――――アヤカちゃん」
会話の空白を縫って、聞こえてきたその言葉に、何人かの女子が悲鳴を上げた。
教室、そして、不安げな同級生の声音には明確な「畏れ」が込められ、伝播していく――――。
「……明らかに、『異常』ね」
「私のクラスでも聞いてみる」と、そう言い残し古賀は自身のクラスへと戻ってゆく。
その後ろ姿を眺めつつ、教室に充満する混沌を虎ノ介は見やる。
未だに眼前で継続されている、「夢」の話。
そして。
それは後にこのクラス、しいては第五中学校に留まらない話であることが分かる。
突如として。
新都中の中学生が同時多発的に同じ夢を見た。
それを見た者は、皆同じ事を口にした。
――――アヤカちゃんの夢を見た、と。




