第221話『ケトルの啼くところ』
[11月21日(木) 新都第二支部第三修練場 10:59]
『新太』
「――――はい」
スピーカーから鳴り響く声に答え、手に握りしめた白銀の日本刀へと力を込める。
――――そして、もう片方の手に握られているのは一枚の黒い護符。
『これより第二回『六合』『竜笛』同調実験を開始する。
では――――始めてくれ』
秋人のその言葉に頷き、新太は自身の霊力を熾す。
修練場内に無造作無秩序に配置された、様々な物体。
木材、岩石、廃棄された家具といった人工物や、組成種別の異なる金属インゴット。
果てには、色濃い霧が立ちこめ新太の視界を白く染め上げている。
「……」
新太は大きく息を吸い、そして――――両の手に握られた式神へ霊力を込めた。
「『竜笛』×『六合』、同調。
〝序〟ノ段、凱旋喇叭ノ調」
転瞬。
修練場内、新太の周囲に点在する悉くの物質がその形を崩壊させ、黑く光り輝く粒子へと姿を変えていく――――。
視界を閉ざしていた霧も黑く変質を遂げ新太の身体へと収束。
次第に明瞭になる修練場内の様子を眺めながら、秋人は顎へ手を当てた。
――――物質の組成を分子レベルで『分解』し、その組成を生体光子に変質、その後に肉体へと収束。
『分解』する素体に関しては、現状、制限はない。
黑く明滅を始める霊力。
そして、それはやがて――――霊力という超常を更に超越する、『熾光』となり秋人の眼前に顕現する。
ガラス版越し、そして眼下に臨むほどの距離感をとっていながらも尚、根源的な恐怖を抱かせる存在感。
――――一月前に拳を交えた『三妖』玉藻前と、同質。
……いや、『創造』の発現事象である『分解』、『変質』そして『収束』を行う上で、事象の発現制限が無いと仮定するならば、発現事象『創造』は――――。
「――――無尽蔵の『熾光』の生成。
その限界すら存在しない……」
それは研究者である陰陽師として、突拍子もない思考。
生じるエネルギー量の上限値を考えない、なんてことはまともな人間の帰着点ではない。
有史、人類の歴史において、その上振れが定義されない近代兵器は存在しない。
先進諸国が保有する『核』でさえ、絶大な破壊力を伴うものの、その上限は存在する――――。
「……」
手元の計器類へと視線を落とすと、その数値はノイズが走り、まともな結果を示してはいない。
それが意味するのは、異常値であること。
「霊力」という概念上の話では、とうに――――。
『……新太、ありがとう。
同調を解いてくれて構わない』
スピーカーで指示を出し、数刻、新太の全身から徐々に黑い光が周囲へと霧散を始める。
それに伴い、正常値を取り戻してゆく計器を眺め、秋人は思考を巡らす。
――――計器類が示す情報に正確性を求めてはならない。
しかし。
その『熾り』に関しては、清桜会に残る記録――――十一年前、渡来の変。
その時に観測されたモノと同質。
ともすれば、やはり。
あの時、あの光景を生み出した術者は――――。
***
「新太、お疲れ様」
「いえ……こちらこそ、ありがとうございました」
秋人のいる一室へと足を踏み入れると、そこは先程まで新太がいた修練場を見渡せる作りになっていて、今は既にもぬけの殻となっているのを眼下に臨むことができる。
それも、ひとえに新太の陰陽術によるもの。
『六合』と『竜笛』による奇跡の産物――――。
「生成した『熾光』は、同調解除と同時に大気中へと霧散。
修練場内からも『熾光』の反応自体が消失……。
察するに式神の解除に伴い、『熾光』が別物質に転化された上で、発散が生じているものと思われる」
様々な計器類が並ぶデスクの前で、椅子に座りながら腕組みをする秋人。
その口の端には微かに笑みが浮かび、期待通りのデータが得られたことが伺えた。
すると、不意に「……身体は、大丈夫かい?」と秋人は心配げな表情を新太へと向ける。
「はい、問題ないと思います……けど」
新太の答えを聞き、途端に秋人の眉間に刻まれる皺。
大きな溜め息を一つつき、再度唸った後、言葉の続きを紡ぐ。
「『熾光』という、人間が扱うには強大すぎる力。
術者に何らかの代償が無いと、事象として成立しないと思うんだけどね……」
「……」
――――秋人の言うことは理解できる。
例えば、京香や第三世代に搭載された術式、『末那識』は自身の魂を削り、その情報を生体光子へと転化。
魂を削る、と言う行為がどれほどの身体的影響を及ぼすのか、新太には分からなかったが、それでも生半可な覚悟ではできない所業。
相応の力を得るためには、相応の代償を払う必要がある。
しかし――――。
「新太の『竜笛』には代償がない。
心身共に健康体なのは、定期検査で実証済み。
……本当に不思議なんだよ」
「……そう、ですよね」
――――頬を掻き、視線を上方へと向けるが、それでも「答え」は振ってこない。
多分、これは俺自身も、そして――――近衛奏多としても、分からないことなんだと思う。
困ったような新太の様子に、秋人は「……済まない、一方的だったね」と息を漏らし、そして、傍らにあるティーセットのある棚へと足を運ぶ。
「何か、飲むかい?
……と言っても、コーヒーしかないけどね。
座って待っててくれ」
「あっ……、すいません。
ありがとうございます」
小さな水道でケトルに水を入れ、湯を沸かす準備を始める秋人の背中を見つめながら、新太は傍らにあるソファに腰を下ろす。
しかし、特にすることもなく、手持ち無沙汰な時間であるのには変わりが無い。
部屋の中をキョロキョロと見回しながら、何となく時間を潰していると、ケトルをセットし終えたと思われる秋人が自身の椅子を引っ張ってきて、新太のすぐ傍らへと腰を落とした。
そして……、大きな欠伸を一つ。
「……眠そうですね」
「最近ソファとか変なところでしか寝てなくて……。
そもそも、睡眠時間が足りてないってのもあるんだけど」
――――そう言いながらメガネをずらし、眉間を押さえる秋人さん。
よく見ると目の下にはクマもできていて、本人の言う通りあまり満足のいく睡眠はとれていないものと思われる。
「一つ良くなれば、またどこか身体にガタが来る。
もう歳かな……」
――――一つ良くなれば。
左足のことを言っているのだろう。
ギブスはとっくに取れていて、当初は後遺症の話も本人から聞いていたが、既に戦闘訓練を始めているらしい。
医者の判断すらも押し切って、『暁月』との血戦に向けた準備を進めているのを新太は知っていた。
「まだ若いじゃないですか。
……31歳でしたっけ?」
「それを高校生に言われると、余計に心に来るなぁ……」
ケトルが湯の沸騰を告げ、そしてコーヒーを入れに再度立ち上がる秋人さん。
その歩き方に、若干違和感を覚えるのは気のせいではないと思う。
秋人さんが無理をしているのは……明らかだった。
「ほい、どうぞ」
やがて目の前のテーブルに置かれる、湯気を立ち上らせたコーヒーカップ。
新太は感謝の意を伝え、それを手に取り、口に一口含んだ。
コーヒーの味なんて新太にはよく分からなかったが、それでも暖かいものが身体の中心へと下りてゆく感覚に、息をつく。
その様子を見ながら、秋人はデスクの縁に腰掛け、笑みを漏らした。
「……コーヒー、飲めるようになったんだね」
「……?
どういうことですか?」
「ほんっと昔に、それこそ……キミと出会った頃くらいだと思う。
同じようなことがあったんだよ。
その時、新太は『甘いやつが飲みたいー』って駄々こねてさ」
「えぇー……。
ホントに覚えてない……」
「5、6歳くらいかな……?
まぁ、無理もないね。
キミも本当にちっちゃかったし……僕も僕で、その後すぐに新都を離れたし」
――――笑みを浮かべたまま、手に持ったカップを口へと運ぶ秋人さん。
どこか懐かしむようなその表情に、俺は少しだけ気恥ずかしくなる。
自分の知らない自分を知っている――――という、まぁ、それだけの話なんだけど。
「……あぁ、そう言えば、夏鈴も昔、新太に会っていたんだよ?
すごい可愛がっててね。
むったくたに顔撫で回されてた」
「っ……支部長が……!!?
しかも顔撫で回してたんですか……」
「キミのイメージと全然違うだろうし、本人も覚えていないだろうけど……」
「そうなんだ……」
……それは知らなかった。
と言うか、あの支部長が俺の頬を撫で回す画というのも、想像しかねるというか……。
不意に。
新太の頭に思い浮かんだ一つの疑問。
「あの、全然話違うんですけど……支部長って、今どうしてるんですかね。
俺、父さんの葬式以降会っていなくて……」
記憶に残っているのは、喪服に身を包み、頭部を始めとする身体の至る所に包帯を巻いた支部長の姿。
遺影の前で手を合わせ、白い睫毛に涙を滲ませていたのを覚えている。
「夏鈴は上役だから……。
東京本部に出向いたり、それこそ事後処理だろうね」
「……事後処理?」
不思議そうな顔を浮かべる新太を一瞥し、秋人は自身の手に持ったカップへと視線を落とす。
「――――第三世代の、ね」
「っ……」
「夏鈴は、第三世代の統括責任者。
先の戦闘での被害状況を鑑みれば……、彼女に向けられる矛先も何となく分かるだろう?」
「……」
「彼女なりに、現状を何とかしようとした結果……だったんだけどね」
そう言いながら、カップのコーヒーを飲み干し、「……よし、それじゃ、会いに行ってくるよ」とデスクの上にカップを置く。
「……?
誰にですか?」
「今しがた話題に出た支部長様のところに。
――――ちょっと、妖の封印を解くために、ね」
秋人の言っていることの真意が掴めず、新太はただ小首を傾げた。




