第217話『追憶の狐-村雨-』
――――これが、従者……?
冷や汗が背中を伝い、そして滲む。
これまでに相対したことのない、濃密な霊力の奔流。
「陰陽師」としての臨戦態勢、本気の殺意――――。
「『高龗神』――――発動」
「……!!」
男の持つ護符が粒子状に溶けてゆき――――やがて細やかな粒状の物質となり顕現する。
その一つ一つに霊力が宿り、月明かりを反射するその偉容を見て、仁はその物質が先ほど自分を中空から引きずり下ろしたモノであると悟る。
「それでは、不承不承『土御門』に奉じます、姓は壬生、名は昴。
彼の泰影公の命を以て、桐月当主御方を殲滅致します――――」
月光という僅かな光源の最中で、土御門従者壬生昴の眼光が浮かび上がり。
昴の霊力が――――微かに揺らいだ。
「――――気ィ抜くと、死ぬぜ?」
「っ……!!」
身体の反射に身を任せた、右方への回避行動。
転瞬。
今しがた仁の立っていた所を、弾丸のような数多の何かが薙いだ。
「っ――――」
意識は昴に向けたまま、視界の端でその行方を確認すると、着弾点は仁の背後。
石段路肩に点在する木々の一つ。
まるでショットガンで抉られたかの如く、細やかな穴の開いた巨木――――。
加えて、着弾部分が濡れている。
「っ……」
――――液体の制御。
『高龗神』と言う名も聞き覚えがある。
それに加えて、着弾点に生じた水分。
奴の式神は恐らく、「水」や「雨」に由来する――――。
「『水流』の事象制御……!!」
「――――ご名答。
じゃあ、もっと速くしたら、どうなるかな」
既に奴の周囲に顕現を始める粒状の物質。
――――射出までのタイミングはあくまでも術者に依存している。
陰陽術発動の瞬間、霊力の熾りだけ見逃さなければ――――。
《っ……仁、避けろっ!!》
脳内に響き渡る天の声。
しかし、その意味を反芻するには――――時間にしてあまりにも刹那。
「『篠突ク雨』」
――――「霊力の熾り」こそが、回避のタイミング。
式神を用いた戦闘での圧倒的な経験不足に端を発する、安直な考えが仁の判断を鈍らせた。
昴の放った陰陽術は、術者に充填されている霊力の揺らぎに関係することなく――――発動。
昴が生成する弾丸の初速は330m/s。
9mm拳銃の銃口初速に追従するその射出速度。
射出を視認してからの回避では、当然ながら間に合わない。
辛うじて身体を縦陣に捻ることで全弾直撃こそは避けられたものの――――。
弾丸は、仁の幼く小さい身体をいとも容易く、食い破った。
「あっ……、ぐぅ……!!」
左半身に生じる激痛。
立っていられないほどの痛みに苦悶の表情を浮かべ、仁は思わずその場に膝をつく。
「……!!」
負傷箇所へと視線を送ると、最初に目につくのはぬらぬらと輝いている自身の鮮血。
腕は完全に数発が貫通し、力が入らない。
腹部と大腿部は回避により貫通は免れたモノの、擦った……いや、肉を抉られたことによる絶え間ない流血が身体を紅く濡らす。
「一体……、何で……」
「術者における戦闘では、常に一定の霊力出力を心がけんだよ。
術の発動を気取らせないためにな」
「っ……でも、初撃は確かに霊力が熾って……!!」
すると、小馬鹿にしたような、どこまでも軽蔑するように舌を出し昴は笑みを浮かべた。
「……わざとに決まってんだろ。
お前みたいなガキ、見え透いた癖の一つでも見せてやれば、それありきで動きを作ろうとするからな」
「っ……!!」
言う早く、全身に霊力を充填する昴。
そして。
再度自身へ雨粒の如き水滴を周囲へと集め、霊力を滾らせる――――。
「――――『春霖』」
広範囲に散らばった、直上の雨粒が重力に引かれるがままに落下を始める。
それすなはち――――春の降雨。
「っ……!!」
――――これは避けられない。
その事象適応範囲の広さに、仁は回避を断念。
瞬間的に全身を纏う霊力を増強、辛うじて受けるダメージの少なそうな安置の索敵へと神経を注ぐ。
――――しかし。
これは、あくまでも陰陽術。
人智を越えた式神に依る――――奇跡。
『ただの降雨』などではないことを、仁はすぐに悟ることとなる。
「っ――――!」
全身に降り注ぐ、殺傷力を伴った雨粒。
それを、自身の成せる最大出力の霊力を供給することでダメージを最小限に留める。
安全地帯は――――ほぼ皆無。
しかし、一瞬でも、微かでも身体への損傷を軽減できる空間を発見次第、そこへ身体を滑り込ませる。
「ぐっ……、うぅ……!!」
貫通こそ避けている。
しかし、常に鈍器で全身を殴打されているような、そんな霊力の奔流。
少しでも気を抜けば、それだけで……!!
このままじゃジリ貧。
ともすると、狙うべきは……!!
「っ――――!!!」
霊力を込め、解放――――。
向かう先は、陰陽術を発動している術者。
「真正面」からは間違いなく避けられる。
ブラフを混ぜつつ、一気に肉迫する他ない――――。
歯を食いしばり、全身に浴びる雨粒はそのままに、最大速度を維持。
着地と跳躍のラグを最小に。
奴に、僕の動きそして霊力を読ませるな。
確実に刈り取る一撃を見舞う。
刀印を結び、明後日の方を向いている壬生昴。
直前まで霊力を熾すな。
打突の瞬間だけに霊力を込める――――。
「っ――――」
――――今。
昴の死角である右後方上空より、昴へと肉迫。
浅黄色の狩衣が視界いっぱいに広がり、仁は霊力を充填した――――。
――――当たる。
しかし。
仁の拳が、昴に達することはなかった。
「そんな……!!」
昴まで、残りおよそ30センチ。
後頭部へと迫る仁の拳。
しかし、唐突に感じた違和感の正体――――それは、指先一つに至るまで動かない自身の身体。
「――――『遺ラズノ雨』」
ゆっくりと仁の方へ振り向き、口角を上げる昴。
仁の目の前で作られる醜悪な笑みを、仁はただ見つめることしかできない。
「お前が言ったんだぜ?
俺の式神は『水流』の事象制御って」
――――水流。
それはつまり、「水」。
「っ……!!」
降り注ぐ雨粒の中をかいくぐったことで、僕の全身は――――。
「濡れてるよなぁ?」
――――僕の全身を包む、水の制御。
「相手をびしょ濡れにさえしちまえば、こんな風に座標固定モドキもできんだぜ?」
「っ……」
――――勝てない。
僕は、コイツに勝てない。
霊力出力も、式神躁演の技術も、実践経験も、考察力でさえ――――。
何一つして、僕は勝てない。
全身から、抜けてゆく力。
仁の瞳が「諦観」に染まり、そして霊力さえも霧散してゆく――――。
それに伴い、止血していた血液がその傷口から溢れ出し――――濡れた水と混ざり合い、紅く滲む。
「……」
唐突に冷えてゆく全身。
それが出血によるものか。
濡れた全身から体温が奪われているのか。
それとも、両方――――。
そして、霞み始めた瞳に映る――――月光。
「……所詮、ガキか」
『高龗神』の制御が外れ、その場に崩れ落ちる仁の身体。
頭部からの出血で紅く染まってゆく風景を仁はただ漠然と眺めていた。
「終わりだな、桐月も。
そして――――近衛も」
――――――近衛。
近衛が、終わる。
やっぱり。
今、上で行われているのは、奏多の生命に及ぶような何か――――。
奏多が、死ぬ。
僕に、笑いかけてくれた奏多が、死ぬ。
ただ一人、僕に――――。
『――――爺ちゃんが言ってたんだよ。
俺は人を「守ったり」、「助けなきゃいけない」んだって』
激しい痛みの続く頭の中。
そこへ響き渡る、奏多の声。
僕を、「守って」くれた。
ただ、『奏多』だけが。
だったら――――僕も。
――――守らなきゃいけない。
助けなきゃいけない。
僕が――――。
――――霊力出力が最大に達するのは、術者が死に瀕したとき。
そして――――。
爆発的な感情の高ぶりが、観測されたとき。
そのいずれかの要件を満たすとき、陰陽師は自身の限界を超えた新たな境地へと至る可能性を得る。
では、そのいずれをも満たすときは――――?
――――言うまでもない。
霊力の根源は、生体光子。
『生きたい』という強い意志。
そして、『こうありたい』という願いこそが、陰陽師に力を与えてきた。
そう。
――――「進化」は、突然訪れる。




