第214話『追憶の狐-春愁-』
空を仰ぐと、木陰の間からは澄み渡る青空がどこまでも広がっている。
痛む身体を大樹の根元に横たえながら、仁は隣に座る一人の少年へと視線を向けた。
「いってぇ……。
ボコボコにしやがって……」
少年の頬には、痛々しい生傷。
そして仁同様身体の至る所に青アザと擦り傷を作り、しきりに擦っている様を見ると、どこか申し訳ない気持ちになり、仁はうつむいた。
「……大丈夫?」
「……あぁ、うん。
痛いけど全然余裕!
こんなもん、痛くも痒くもないね!!」
今、痛いって自分で言ったばかりじゃ……。
しかし、少年は満面の笑みを浮かべていて、その言葉通り、怪我なんて何とも思っていない様子が伝わってくる。
やせ我慢……なんだろけど。
今しがた一条寧々による暴力から庇ってくれたばかりの少年へと再度見やり、仁は静かに言葉を紡ぐ。
「君……、『近衛』の子、だよね?
本当にごめん、僕のせいで……」
「……あー、気にしなくていいよ。
俺が好きでやったことだし。
えと、『桐月』の……?」
「うん。
……桐月、仁。
君は……確か……」
「俺は近衛奏多。
会合とかで会ったことあるっけ?」
「……いや、僕は少し前に家督を受け継いだばかりで……」
そこまで言ったところで、仁は目の前の少年に対する違和感を覚えた。
――――会合。
それは、十二家紋における現当主が直接顔を合わせる定期連絡会のようなもの。
当主が自身の従者や嫡子を連れ立って来ることはあるけど、会合そのものに出席責任があるのは「各一族の現当主」のみ――――。
現に仁も、次回からの会合に出席するため、こうして土御門の家まで来ている次第だった。
「君、会合に出てるの……?」
「うん。
何を話してるかは分からないけど、とりあえず座ってるよ」
ただあっけらかんと、そういう奏多。
それが意味することを、理解できない仁ではなかった。
つまり、この少年は――――。
「俺、「とうしゅ」だからさー。
子供だけど、仕事はしなきゃいけないんだって」
「……!」
僕と、同じ――――。
父の早逝により、齢五つにして家督を受け継ぐことになった桐月仁。
と言うことは、奏多も、大なり小なり事情を抱えて……。
「……まぁ、仕方ないけどね。
俺以外、『近衛』の人間いないし」
「え……」
奏多が唐突に口にしたこと。
それは、あまりにも「大きすぎる事情」であるかのように、仁には思われた。
『桐月』の家は短命である、と言われるがごとく、家督を受け継いだ者は皆一様に早すぎる死を迎えている。
……しかし。
それはあくまでも、「家督を受け継いだ者」という中に留まっていた。
『桐月』の姓を持つ者はまだいるし、一族存亡の瀬戸際と呼べるものではまだない。
「……」
「だから爺ちゃんとか、すごい厳しいんだぜ?
「とうしゅ」らしい振る舞いをーとか、立派な陰陽師をめざせーとか」
「爺ちゃん……?」
「……あ、爺ちゃんは『近衛』じゃないよ?
何か昔から『近衛』に仕えている一族なんだって。
今日も一緒に来ててさ。
知ってる?
宮本吉宗って言うんだけど」
「……分からない、かも」
そもそも他一族に誰がいるのかも、よく分かっていない現状。
家督を受け継いだばかりの仁が、その従者まで覚えているはずがなかった。
「その爺ちゃんが言ってたんだよ。
俺は人を「守ったり」、「助けなきゃいけない」んだって」
「……そっか。
だから僕を……」
「うん。
「守る」は、「強い人と弱い人との間に立つこと」。
えっと……「助ける」って……、何だっけな……?」
小首を傾げ、眉根を潜めている奏多。
恐らくその「爺ちゃん」とやらの教えを思い出しているようだったけど、やがて思い出すことを諦めたようで「……まぁ、いいや」と仁へ向き直った。
「仁も新都に住んでんだろ?
今度一緒に――――」
しかし。
そこまで言ったところで、誰かが奏多を呼ぶ声に遮られる。
声の方を見ると、着物を着た初老の白髪姿の男性が「奏多様ー、帰りますよー」とこちらへ呼びかけているのが見えた。
「……あ、やべ。
爺ちゃん呼んでる」
すると。
奏多はその場に立ち上がり、「じゃあまたね、仁」と軽く手を振り、「爺ちゃん」の方へと駆けてゆく。
しかし、その途中で何かを思い出したかのようにこちらへと振り返り、仁に向かって手を振りながら大声を張り上げた。
「困っているときは、また守ってあげるからねー!!」
「……!!」
奏多は満足したかのように満面の笑みを浮かべると、「爺ちゃん」の傍らへピッタリと寄り添い、そして二人で歩みを進めてゆく。
仁は、その二つの後ろ姿が見えなくなるまでいつまでも見つめていた。
――――成立から千年の時を経て、かつては陰陽道の先端を牽引するほどに栄華を誇った十二家紋。
歴史の中、数多の戦禍を乗り越え、一つ又一つと数を減らし――――その数、八。
今や「新都」と呼ばれるようになった、甲斐の「桐月」「近衛」。
新都近郊、武蔵の「一条」。
陸中の「保志」。
伊勢の「柊」。
出雲の「麻倉」。
播磨の「草薙」。
そして――――旧鎌倉幕府跡地、相模に位置する「土御門」。
各一族同士の繋がりも辛うじて保っているという中、十二家紋の衰退に拍車をかける出来事が発生する。
それは、――――「新型」と呼ばれる陰陽師達の台頭。
現代科学を、「現代陰陽道」という聞こえの良い言葉で言い換え、先だって魔を滅することで国民の支持を得始めていた――――。
***
十二年前。
新都――――。
「十四……十五っ……!」
そこまで数えたところで、堪えきれずに地面へと崩れ落ちる仁の身体。
額から滴る汗を拭いながら、仁はゴロンと仰向けになり空を仰いだ。
《……精が出るな、仁》
真っ青な視界いっぱいの空に現れる、一匹の白狐。
人語を話すその狐は、満足げに頷きながら仁の顔を覗き込んでいる。
「……こんなもんじゃ足りないよ。
もっと頑張らないと」
《……無理はしないようにな》
その場に上体を起こし、月白の毛並みを撫でると、『桐月』家相伝式神、十二天将『天空』は気持ちよさそうに目を細めた。
「……どうすればもっと強くなれるのかな」
《……別に、焦ることもない。
仁はまだ子供だろう?》
「それは……、そうだけど」
仁の脳裏に浮かんでいるのは、土御門の家での一幕。
近衛奏多とのやり取りだった。
――――困っているときは、また守ってあげるからねー!!
その言葉が、何度も何度も頭の中で反響し、消えてくれない。
純粋な善意によるものだと分かってはいるけど……、何よりも申し訳なさや自身の不甲斐なさが消えてくれない。
「……」
――――守られるだけじゃダメだ。
桐月の長として、もっと強くならないといけない。
ただその思いだけが仁の心を占めていた。
《……強くなろうとするのももちろん構わないが、根本を忘れないようにな》
「……?」
仁が小首を傾げると、天空はしばし《どう言ったモノか……》と悩んでいる様子だったが、やがて静かに言葉を紡ぎ始める。
《……元来、我々《・》陰陽師は力を誇示する存在ではない。
陰陽師とは――――『求める者』のことを指す》
「求める……者?」
聞き慣れない言葉に、疑問が思わず表情に出てしまう仁。
天空はそれを一瞥し、深く深く頷いた。
《……そうだ。
不思議に思ったことや式神の発現事象を調べ、追求した結果、その過程で得られるモノが仁の言う『強さ』であるなら――――本望だろう。
しかし、決して『強さ』を得ることを目的としてはいけない》
「……」
《もちろん、身体を鍛えたりするのは良いことだと思うがね》と、天空は口角を上げる。
「……無理して強くなろうとしなくても、いいってこと……?」
《……あぁ。
別に「強さ」だけが「陰陽師」の実力じゃない。
陰陽師の数だけ、求めるモノは異なるということだ》
「……そっか」
――――天空の言うことは何となく理解はできるけど……。
いまいち要領を得ない。
陰陽師の数だけ、「求めるモノ」は違うって言うのなら、「強さ」を求める陰陽師がいてもいいんじゃないのかな……。
そこで、仁は天空の視線に気付く。
《……》
真っ直ぐに、仁の瞳を見ながら何か言いたげな表情を浮かべている天空。
「……天?」
《……いや、何でもない》
その時、天空が何を言わんとしているか、幼い時分であるが故に気付かなかった。
しかし、今なら何となくその時の天空の抱いていた想いを察することができる。
……これは予想でしかないが。
あの時天空は、俺に闘いを主とする道に進んで欲しくなかったのだと思う。
その理由までは分からない。
でも――――あの時の天空の。
俺の行く末を案じるような性質をはらんだ、瞳の色――――。
結果的に、俺はその道へと足を踏み入れてしまったけれど。
俺には、そうするしかなかったけれど。
ただ、その時の俺は。
俺を見やる天空の瞳を。
俺にかけてくれた天空の言葉を、一生忘れないんだろうなと。
そう思った。




