第205話『いずれ、散りゆく者たちへ』
『聞こえてる、かな?
……えー、純然たる日本臣民の皆さん、こんばんは』
快活な声と共に画面が切り替わり、映し出される薄暗がりの部屋。
その中心に鎮座する、艶やかな薄紫の羽織を身に纏った瘦身の黒髪。
「あっ……!
始まった!!」
茜色に染まる夕暮れの街。
道行く人は皆、その手に握られた端末へと視線を落としている。
『暁月』による、全日本国民に向けた配信。
既に甚大な人的物的被害を出している中で、その首魁が大衆に姿を現すのは初めてのこと――――。
それは……、移動中の電車。
オフィスの最中。
学校帰りの高校生。
老若男女を問わず、皆が見つめる先は――――。
『――――俺は土御門泰影。
『暁月』を率いて……いるでいいのかな?
……まぁ、いいか。
皆さんには、日々多大なるご迷惑をおかけして申し訳ない』
『いやぁー……、でも仕方ないことなんだ。
我々の悲願を達成するためにはね。
もう少しだけ、付き合ってほしい』
『知っての通り、我々はこれまで様々な軍事行動を起こしてきた』
『清桜会各支部への襲撃やら、妖を封印から解き放ったり……、最近ではアレかな?
第三世代という、醜悪な現代陰陽道の研究成果を潰させて頂いたりと、とにかく色々とやらせてもらっている』
***
―――――土御門泰影。
新太も視界に収めるのは実に二ヶ月前以来。
新都血戦と同じように、ただ軽薄そうな笑みを貼り付け、淡々と言葉を紡いでいるその姿からは、底知れない薄気味悪さを感じる。
朱里さんと秋人さんは木造りのテーブルに置かれたタブレットで、そしてそれ以外は各々のスマホで、配信されている動画へと視線を落としていた。
『さて――――これ以上無駄話もなんだから、本題に入るよ。
我々『暁月』は、来たる十二月三十一日。
場所は、新都。
今年最後の晦日を以て、少々、世界の形を変えてみようと思っている』
――――部屋にいる誰かが、息を呑む音が聞こえた。
すると。
画面に映っている泰影は顎に手を当て、何やら考える仕草。
一瞬の逡巡の後に、再度作られたような笑みを浮かべ、続ける。
『……あぁ、ごめん。
別に、言葉通りの意味じゃないんだ。
俺が言いたいのは、体制とか秩序とか……そっちの話』
紛らわしくてすまない、と泰影は目を細める。
しかし、それも一瞬のことだった。
泰影は足を組み、悠然とカメラを見据える。
『我々の目的はたった一つ、それは――――所謂、『旧型』陰陽師の再興』
泰影の顔から――――消える笑み。
『では、ない』
「……!!」
転瞬。
明転する薄暗がりの部屋。
そして、泰影の背後に浮かび上がる数多のシルエット。
その中に点在する、見覚えのある陰陽師や人ならざるモノの存在。
かつて自身が刃を抜いた、伝説に名を連ねる妖。
無骨な甲冑を携えた鬼神――――『大嶽丸』。
退屈そうに明後日の方を向き、欠伸を噛み殺している美麗な妖狐『玉藻前』。
そして――――画面に見切れるかどうかギリギリの瀬戸際に、その狐面の少年は立っていた。
――――仁。
端末を握る手に、自然と力が入る。
歯の根が音を立てるのを諫めるつもりは毛頭無かった。
ただ、やりきれない思いだけが、新太の心の中を支配していた。
「――――来栖亮二も、か」
秋人が不意に呟いた人名。
それはどこかで聞いたような響きを伴っている、と感じたのも束の間。
傍らのまゆりが「……そんなこと、どうでもいいですよ」と反応する。
まゆりが見ていたのは、たった一人の少女。
「――――ちよちよ、何で……?」
絞り出すような、まゆりの口調。
受け入れられない、やるせない、そんな辛さを内包する呟き――――。
画面の中で異質な存在感を放っている、一人の少女。
新太達にとって見覚えのある制服を身に纏っているだけではない。
それはかつて、同じ輪の中で笑い合い、共に過ごした後輩の姿。
――――夏目八千代。
泰影のすぐ後ろで佇むその少女に、以前のような無邪気な面影はない。
ただただカメラを真っ直ぐに見つめているその双眸からは、何を考えているのか――――。
『――――『旧型』陰陽師の再興は、あくまでも手段。
我々が渇望するのは、もっと偉大なモノ。
それを、俺の背後に見えているであろう『暁月』全戦力を以て、成就させる』
泰影の紡ぐ言葉の一つ一つを聞き逃すまいと、誰もが固唾を飲み画面を注視する最中、画面外から姿を現した一人の少年。
その白髪と生気の無い瞳を新太は見たことがあった。
真っ白な紋付きを身に纏い、少年は泰影の傍らに鎮座する――――。
『紹介しよう。
我々、『暁月』の〝王〟――――服部椿だ』
「……!!」
――――よくも……、姉さんを。
かつて、新太自身へと向けられた呪詛の言葉。
怨嗟の込められた、眼差し――――。
脳内でリフレインする、あの日の情景。
『「服部」……。
記憶に新しい、半年前。
新都にて勃発した、人的大霊災の下手人――――「服部楓」。
椿は、その弟君』
「っ……服部先生の!?」
「……」
唯一諸々の事情を知らされていない虎の声が、理事長室の中に響き渡る。
それ以外の面子は、神妙な面持ちのまま――――。
『ふふ……、面白いと思わないかい?
現日本国を混沌へと導くのは、一組の姉弟。
しかも。
『旧型』の陰陽師家系の出自ではない者達』
泰影は続ける――――。
「――――椿が、『暁月』の宿願そのものだ」
宿願。
それが具体的に何を意味しているのかは、分からない。
しかし、『暁月』の思い通りにことが進む未来、その危険性が分からない新太ではない。
『この配信のタイトルは、「宣戦布告」。
何もせずに終焉を受け入れるほど、やわじゃないだろう?』
「……」
『せいぜい頑張ってくれ。
その存在が否定されるその鬨、その瞬間まで――――』
期待しているよ、そう泰影は言い残し――――画面がフリーズする。
それは配信が終了した、ということに他ならなかった。
「「「……」」」
理事長室の中を満たす、静寂。
皆が今、何を思い、何を考えているのか、新太には分からない。
誰も口火を切らない、この状況。
しかし。
やがて痺れを切らしたかのように、虎ノ介が思い口を開いた。
「なーんか、凄そうなことになっちゃってんなー……」
その発言に同意する者こそいないが、『静寂』がその返答であるように新太には思われた。
「あのさ、俺……よく分かってないんだけど……。
何?
結局『暁月』の目的って、俺ら「新型」の……完全抹殺的な話?」
――――虎、それは……。
「それは違う、かな」
新太が口を開く前に。
秋人がその瞳を閉じ、メガネを定位置へと戻しながら、静かに呟いた。
「奴らの目的が、「新型」の殲滅ならば、既に何回もチャンスはあったんだ」
「……?」
頭に疑問符を浮かべる虎。
しかし、新太を含めたその他の「破吏魔」のメンバーは秋人の発言の意図を深く理解できてしまっていた。
実際に、『暁月』と相対した者達であるが故に――――。
「七月二十日に勃発した妖による大規模進行、凡そ二ヶ月前の新都血戦、そして―――――つい数日前の『狐』達の新都襲撃。
そのいずれの戦闘において、奴らは「新型」を凌駕する戦闘力を見せている。
つまり――――」
一瞬の逡巡。
視線を落とし、どこかやりきれない表情を浮かべている、秋人さん。
「――――暁月』は、その気になればいつでも全戦力を投入し、「新型」を滅ぼすことができた、ということよ」
その続きを語ったのは、腕組みをしながら瞳を閉じている京香。
心なしか、小刻みに震えているように見えるのは、秋人さんと同じ感情を京香も抱えているからだろう。
それすなわち――――、やりきれない無力感。
「……何なら、今この瞬間にでも、ね。
『暁月』がそうしないということは……、つまりはそれ以上の何かを望み、それに準じた動きをしている、ということ」
「……」
押し黙る虎。
……そう、秋人さんや京香が口にした内容は、ただのれっきとした事実。
俺らが薄氷の上に立っているだけに過ぎないという、ただの証明。
「十二月三十一日に何を巻き起こすつもりなのか、そして、なぜその場所が他でもない、「新都」なのか――――。
今の僕達には、分かりかねることばかり」
再度支配する静寂。
最早、誰もその後に言葉を続ける者はいなかった。
それほどの重々しい、絶望に満ちた――――。
「やはり……抗うしか、ないね」
その空気感を打ち破ったのは元、清桜会技術開発班統括責任者――――辰巳朱里。
懐から紙タバコを取り出し、ライターで火をつけ、一吸い。
流れるような動作の中で、辰巳朱里は宙へと視線を向けながら、小さな溜め息をついた。
そして、しばしの静寂を経て、再度朱里は部屋にいる面々へと向き直る。
「――――第三世代直掩部隊「破吏魔」を現時刻を以て解体。
それと同時、構成員に『北斗』第七星鷹羽真幌を加え、対『暁月』特殊強襲部隊『八重桜』を編成」
……せいぜい抗って、そして潔く散ろうじゃないか。
そう言いながら、朱里さんは紫煙を中空へと吐き出した。




