第200話『〝王〟』
業炎が、渦巻いていた。
その中に、悠然と佇む一匹の妖。
伝説の『三妖』――――玉藻の前。
古より、その強大な力を前に人々は畏れ崇め奉ることしかできなかった。
霊力を超越した力をその身に纏い、妖狐はただ蹂躙を望む――――。
「……」
その前に立ちふさがる――――少年が一人。
名は、宮本新太。
右手に一本の日本刀を携えた、特筆すべきこともないただの少年。
「――――理解に苦しむ」
「……」
玉藻の凜とした声音が、辺りに響き渡る。
「童。
お前は生かされた存在。
それを、みすみす捨てに来るとは」
そう口にしながらも、玉藻は眼前の少年を纏う雰囲気の変化に気付いていた。
――――迷いが、消えている。
先ほどまでの感情と霊力の揺らぎは消え失せ、真っ直ぐに自身を見つめる瞳からは確固たる信念すら感じさせる。
妾を目の前にして。
迸る熾光を前に、臆する様子もない――――。
この短時間で、一体何が。
自身の中に生まれた疑問。
しかし、それに気付く様子もなく沈黙を貫いていた新太の口が開かれる。
「――――お前は、俺が、倒す」
どこまでも真面目な顔で、そう言い放った新太。
玉藻は自身が何を言われたのか理解できずに、しばしの間固まり――――そして堰をきったように嗤い出した。
「~~~~」
肩を振るわせながら、ただ嗤う玉藻を新太は静かに見つめる。
「……嗤わせてくれる。
あのような目に遭っておきながら、まだそのような世迷い言」
「……」
「痛いほどに思い知ったはず。
妾と主達とは、存在する次元が違う」
「……」
玉藻の言うように、それは痛いほどに思い知っている。
現段階の清桜会最高戦力『北斗』や秋人さん、……父さんを、コイツは意に返すことなく完封しきった。
まさしく――――異次元。
人智を越えた力なのは疑いようがない、揺るぎない事実――――。
「それでも、俺は――――」
脳裏に浮かぶ、一人の少女の姿。
涙を浮かべながらも、必死に言葉を紡いでいた――――。
少女は。
手を取ってくれた。
抱きしめてくれた。
宮本新太を、肯定してくれた。
――――必要としてくれた。
まゆり。
「……」
ゆっくりと新太の目の前へと掲げられる、一振りの日本刀。
その軌跡を、静かに見つめる妖狐。
――――君を、守る。
「『竜笛』×『六合』――――同調」
漆黒の護符が、手に持った日本刀に溶け込み――――鞘が消失。
そして。
露わになる、白銀の刀身。
『閃慧虎徹』や『蛍丸』との同調時とは異なり、形状的な変化は見られない。
ただ新太の全身を包む極黒の霊力だけは、同じ――――。
「……また、その玩具」
呆れたように新太の式神を一瞥し、つまらなそうに玉藻はため息をつく。
――――それが通用しないことは、示してやった。
コイツの目の前で、わざわざ破壊してやったというのに。
「『竜笛』、――――それが、この式神の名前」
「……」
「昔、俺はコイツでよく遊んでいた。
……こんな風に」
やがて。
極黒の霊力が新太の左手に収束し、形作られる一つの球。
それは、俺がまだ「近衛奏多」だった時の記憶。
「――――俺は、この式神のことを何も覚えていない。
でも、身体が覚えている」
「……何の事。
要領を得ないことを、ベラベラと」
玉藻の眉間に刻まれる皺。
――――いつの間に会話の主導権を握ったのか。
益体のないことを、よくもそこまで。
「自身の霊力を収束させ、そして形作る。
それが、『竜笛』の発現事象――――『創造』」
霧散する新太の手に握られた球。
その残滓を名残惜しいように、新太は見つめる。
「……酷く、つまらない力」
転瞬。
新太の目の前に佇む玉藻の全身から吹き出す――――莫大な熾光の奔流。
それは霊力を超越した――――耐性の無い者ならば触れるだけで命を刈り取られる絶対的な、言わば神の如き力。
その前では、陰陽師など塵に等しい。
「……」
「……骨の髄まで、焼き尽くす。
無駄口など叩けぬように、ただ殺す」
「遊戯」。
そう、玉藻は口にした。
格下を嬲ることをそう定義するとするならば、確かにこれまでの玉藻は「遊戯」だった。
しかし、今は違う。
自身にたてつく不敬の輩を、滅ぼさんとする濃密な熾光の奔流を、新太はただ見つめる。
そして、その手に結ばれる刀印。
右手の甲に浮かび上がる五芒星――――。
「童、――――死を持て償え」
揺れる熾光が新太へと向かう、その瞬間。
新太は、ただ静かに陰陽術を発動させた――――。
始めは、小さな煌めきだった。
「――――!」
大気中を微かな光が舞い――――そして、童へと向かってゆく。
周囲を見渡すと、いつの間にか眩い光で満ち満ちている。
粒子状の光がまるで魚の群れのように波打ち、形作る。
――――何だ、あの光は。
あの光の出所、それを玉藻は周りを見回す視界の端で捉えた。
「……!!」
周囲に点在する瓦礫が砂状に分解され、そして微光を放ちながら宙へ舞う瞬間を――――。
「っ……!」
――――いや、違う。
瓦礫だけではない。
炎上を続ける焔、それに伴って発生する黒煙、煤までも――――。
周辺に存在する万物が、一様に光へとその姿形を変え、その向かう先には――――童。
「っ――――!!」
集まった光が、収束し――――極黒の霊力が更にその密度を高めてゆく。
あの光の正体――――それは、霊力であることを、半ば直感的に玉藻は悟っていた。
――――『創造』。
そう、奴は言った。
それに準ずる力であるのは、明白。
周囲の物質を、「霊力」へと創り変えて――――。
「……!」
童へと収束していく霊力。
それは幾重にも折り重なり、更に黒く、昏く、涅く――――。
やがて。
収束した霊力は、臨界へ達する――――。
そして。
一陰陽師として有り得ないほどの霊力を貯蔵した、既存とは全く異なる存在が、生まれ落ちる――――。
「――――童。
それは、ダメ」
そう独りごちる玉藻。
しかし、その言葉に反して、瞳は大きく見開かれ、可憐な美貌に似合わない猟奇的な笑みを浮かべていた。
なぜならば。
「……」
目の前に佇む少年から立ち上る、玉藻と同じ力。
それすなわち――――『熾光』。
伝説の『三妖』に匹敵する力に、他ならなかった。
「『竜笛』序ノ段――――」
「……!!」
玉藻の中に生まれる一つの感情。
それは、実に千年ぶりの――――「愉悦」。
『――――凱旋喇叭ノ調』
純黑は、ただ〝王〟の名の下に隷属し。
鳴り響く数多の喇叭の音が、一人の君臨者の到来を告げる――――。




