第173話『反転』
「陰陽道」の起源――――それは元を辿れば至極シンプルな概念体系を有している。
――――それは、「陰陽五行論」。
古代大陸より伝来したその思想は、 万物を「陰」と「陽」、そして五つの性質を持つと定義し、その組み合わせによって事象の説明を果たそうとした、大いなる先駆者達の研究の遺産である。
その前者。
つまりは、「陰」と「陽」。
陰陽道の根幹を成す、その思想は陰陽道全盛の古代日本においても、重要視されていた。
――――形質反転。
それは、古代の日本で研究を重ねる陰陽師にとっても、目指すべき事象制御術の一つ。
「陰」を「陽」に。
「陽」を「陰」へ―――――。
かつては「奇跡の御業」とまで言われたその陰陽術は、時代が進むにつれ、その価値を失う。
西洋で同時期に発展していた「化学」と呼ばれる学問分野の台頭――――。
それにより、様々な物質を容易に生み出せるようになった今現在、「形質反転」の優位性も、必要性も存在しない。
加えて、基本概念であった「陰」と「陽」は、いつからか、それに取って代わる言葉で説明がなされるようになった。
今や、現代を生きる陰陽師達は、「旧型」「新型」に関わらず、「形質反転」という技法を過去の遺物として扱うようになった――――。
***
「嘘……」
隣にいる若い清桜会女性隊員の口から、白い息が出ているのを来栖まゆりは視認。
そして、そのすぐ後、それは自分も例外ではないことを悟る。
――――修練場内の温度が、急激に低下している。
同時に、全身を覆う悪寒。
指先などの末端からは体温が急速に失われていくのを感じる。
「……!!」
そして。
まゆりは、おおよそ戦闘中とは思えない、幻想的な景色を見た。
古賀先輩達が今しがた戦闘を繰り広げてる結界内を滞空する、光で輝く微細な粒子。
その事象を、まゆりはかつて見たことがあった。
そう。
遙か北方、北海の地で。
「っ……!!」
「何、これ……!!」
怨敵の発生させているであろう眼前の予期せぬ事象に、春臣は言葉を失っていた。
――――これは、何だ。
氷結系、自然事象系の人造式神……いや、違う。
脳裏に浮かんだ可能性を即座に断ち切り、痛みを感じるほどの冷気に身震いしながら、歯を食いしばる。
――――人造式神に、ここまでの奇跡をもつモノは存在しない。
氷の礫を生成したり、局所的な氷結現象を誘発することが関の山。
現清桜会の技術力の天井であるはず。
しかし――――。
寒さを感じる中でも、汗が伝うことを春臣は始めて知った。
「これ……、何……」
言葉を失っている二人を一瞥し、京香は静かに言葉を紡いだ。
「これ、知ってる?」
京香の指さす先には、ただゆっくりと華麗な粒子が滞空しているだけ――――。
「さっきアンタがぶちまけた水の残滓……。
それが空気中で凍って、光で反射しているんだけど。
……ダイヤモンドダストって聞いたことない?」
「はぁ……!?
それが何だって……」
そこで有栖は、ダイヤモンドダストの発生条件に気付く。
外気温、氷点下10°以下――――。
現状と照らし合わせると、地表と上空で大きく気温が違う。
つまり。
――――古賀京香が制御しているのは、上空の外気で。
今、アタシ達を包むこの寒さは、その一端を感じているだけ……?
仮にそうであるならば。
それが、アタシ達に向けられたら。
「っ……!!」
有栖が感じた悪寒は、寒さだけじゃなかった。
その様子を見届け、京香は再度霊力を解放する――――。
「『赤竜』反転体――――、碧天乃虎、青白磁」
上空を飛来する光り輝く粒子が収束を始め――――やがて、形作られる一匹の白虎。
それは。
古賀京香の到達した、新たな段階を象徴する式神だった。




