第170話『泣く、啼く』
新都血戦以降、『北斗』全員を投入する大規模戦闘が一度だけ存在した。
9月27日。
戦場は愛知県豊橋――――――。
数多の人口を有する市街地であるにも関わらず、『真名持ち』の妖が多数現界。
清桜会愛知局の陰陽師が対応に当たるも、その戦力差は歴然。
一体目の妖現界から僅か十四分足らずで、『北斗』の全面投入が本部付きの重役の間で可決した。
***
「よっしゃ!!
三体目ェ!!!」
流星の『A.A.A.P.C.アマテラス』が、敵妖の頭部を射貫くのと同時に自身の身体で封印術式を組む。
―――――さすがは『真名持ち』。
普通の悪霊と比較するのもおこがましいほどの、破壊の跡。
既に足下に転がっているこれらは、その煽りを受けたのだろう。
一度霊力を発するだけで、並の生物はその機能を停止させ、無残にもただの肉塊へと変貌を遂げる。
血で濡れた狩衣を身に纏い、半身が途切れているそれ。
命尽きたときの表情をそのままに息絶えている。
生気の無い瞳の奥には、敵性勢力への純粋なまでの恐怖が見て取れた。
――――気持ちわりぃな。
死ぬならもっと綺麗に死ねよ。
それこそ体丸ごと消し飛ばされでもすれば、そんな惨めな姿晒さなくてもよかったのにな。
「……邪魔だしよぉ」
それを踏みつけ、流星は対象との距離を詰めた。
流星が戦場に降り立ってから二分後。
『北斗』第五星「禄存」美波有栖―――――現着。
「……っ!
ようやく来てくれた……!!」
「『北斗』が、『北斗』が来たぞぉぉぉぉぉぉぉぉぉ!!!」
美波の姿を視界に収めた瞬間、既に部隊としての形を崩壊させていた清桜会の陰陽師達が同時に吠える。
数刻でその大半の戦力を失い、死に体でありながらも一縷の希望に望みを託し、命を削っていた隊員達の前に、美波有栖の姿は天の使いにでも見えたことだろう。
しかし。
次の瞬間有栖から飛び出した言葉は、陰陽師達の抱いていた希望を無残にも打ち砕くモノだった。
「―――――じゃあ、あともうちょっとだけ頑張ってみよぉ♪」
提案。
命の駆け引きをしている現場にそぐわないほどの快活な声。
「いやぁ、アタシがやればすぐ終わっちゃうじゃん?
それじゃ皆さんのためにならないと思ってぇ……」
その場にいた全員が、声を失ったのは言うまでもない。
中には戦意を喪失したのか、式神への霊力供給を止めた者もいたらしい。
――――――コイツは。
一体コイツは何を言っているんだ……?
その場の指揮を執っていた一人の上位隊員は、信じられない者を見る目で美波を見やった。
――――――一体、我々がどんな思いを賭して、ここまで耐えたと……?
生きているならば御の字。
数多の死が、そこら中に散らばっているこの惨状を見て。
何も、思わないのか?
何も。
何も……!!
鉄の味がする口内で感情のままに噛みしめると……歯の根が音を立てた。
「……お願いです。
ここまで命を繋いだ仲間が、……死んでいった仲間達がいるんです」
―――――どうして俺は。
こんな奴に、助けを乞うているのか。
命の価値を知ろうともしない、こんな子供に。
「え~~~~?」
明らかに難色を示す有栖。
―――――そんな悠長な会話をしている内にも、俺の部下達が――――。
「いいけど……条件。
必死な皆さん、凄く見てて面白いので~~あと一分は頑張ってくださぁい」
「っ……全隊員に通達、絶対に死ぬな!!!!!」
こんな連中のために死ぬなんて……。
絶対にあってはならない。
絶対に……!!
痛いほどに握りしめた式神へと自信の持てる全霊力を注ぎ込む。
「真壁……!!
耐えきるんだ!!!」
「は、はいっ!!」
直属の部下になって一年が経った真壁へと叱咤。
コイツはこんなところで死んでいい奴じゃない。
立派な志を持ち合わせ、努力を惜しまない――――そんな実直な馬鹿が、組織には必要なんだ。
こんなところで死ぬなんて、あっては―――――。
有栖の言う一分が経過した時。
俺は数秒前まで真壁だったモノを、見ていた。
「……あーあ、惜しかったねぇ。
じゃあ、よーし、前座はそこまでにして。
そろそろやっちゃいますかぁ」
舌で唇を湿らせながら、『北斗』の美波有栖は先遣隊隊長である上位隊員の横を通り過ぎてゆく。
上位隊員は、部下の亡骸をいつまでも見ていた。
いつまでも――――。
刻を同じくして。
豊橋の南西に位置する三ノ輪町に、一人の濃紺色の制服姿が戦場を俯瞰していた。
漆黒の長髪を頭頂で一つに纏めた長身の女生徒。
スカートの下には漆黒に映えるタイツが夜と同化し、妖艶な霊力を醸し出している。
――――――『北斗』第二星「武曲」。
泉堂学園3-2所属、綿矢灯織。
内蔵式神『金山彦』。
式神を起動と同時に、灯織の全身を包む紅き衣。
それが血液であると気付いた清桜会の隊員は一握りだった。
発現事象、『鉄血』。
血液制御の応用――――すなわち、血の硬化。
『ハハハッ!!
モロイ!!!
モロスギルッ!!』
蜘蛛の形をした妖が、清桜会の隊員を蹂躙する様を前に、灯織は体外に放出した血液を両手に集中させ――――硬化。
赤光りする拳で構え、霊力を瞬間的に増幅させる。
「……死ねよ、カスが」
一閃が、敵妖に食い込み……そして。
爆風と共に近隣の商業ビルへと突き刺さった。
敵妖―――――鬼蜘蛛は自身の身に何が巻き起こったのか理解することができなかった。
それほどまでに意識の外からの一撃。
直前までそこら辺の有象無象に紛れていた霊力。
こちらの認知を狂わし、虚を突くための一撃。
『オマ……エハ……』
倒壊したビル一階部分、その光の届かない暗黒の中。
鬼蜘蛛はその牙を自身の体を貫いた予期せぬ来訪者へと向けた。
「……喋るな、クソが。
誰が許可した?」
鼻をつく鉄臭い匂いが充満する中、灯織は再度その身に紅く輝く血液を再充填する。
―――――追撃の構え。
『……ナンダッ!!
オマエハ!!!』
鬼蜘蛛は咆哮と共に霊力を解放――――それと同時に鬼蜘蛛の虎の子、粘糸を周囲に展開。
その粘糸に込められた異様な霊力の質を察した灯織は、物理的距離を取りつつ、野天へと舞い戻る。
縦横無尽に唸り、こちらの回避行動を抑制する凶糸を紙一重で交わす。
そして……、あろうことか。
「……当たってみて」
「ちょっ、何を……!?」
傍らに佇むうら若い清桜会隊員の腕を拘束し、そして現在進行形で自身へと迫り来る粘糸へとその体を放り投げた。
体の自由を奪われ、宙を舞うその肉体が糸へと触れた瞬間――――。
「っ――――!」
若い男の清桜会隊員の顔から生気が消え、急速に老け込んでいく。
その様子、霊力の流れから、灯織は事象の要因を察する。
―――――……なるほど。
「吸着」するのは体だけじゃない。
霊力もか。
粘糸に込められた異常なまでの霊力はこのため……。
私達ならば触れたとしても、ああはならないのかもしれない。
現在進行形で朽ち果てゆく肉体を一瞥しながら、灯織は算段をたてる。
『北斗』ならば耐えうる、というのはあくまでも可能性の一つに過ぎない。
そんな不確定要素を信じるつもりは、灯織にはさらさらなかった。
近距離での決着案を捨て、次の択へと思考を巡らせる。
その間にも、粘糸は清桜会の隊員を巻き込み、灯織へと迫る。
「吸着」した霊力を元手に、更なる霊力出力を発する鬼蜘蛛。
対する灯織は自身の血液量を増加、生成を回避行動を同時に開始。
「……っ」
『ニゲ、ルナァーーーーーーーー!!!!!』
舞う灯織の鮮血を横目に、鬼蜘蛛はその距離を瞬時に詰める。
それは先刻灯織自ら見せた、瞬間的な加速と霊力出力の増幅を彷彿とさせた――――。
うねる粘糸の結界の中、宙を舞う灯織に迫る鬼蜘蛛の鋭利な凶足。
その一幕を見ていた他の清桜会隊員には、その一撃は回避不可能に映った。
「……残念」
『……ア?』
灯織と鬼蜘蛛の視線が、交錯した――――。
「――――泣血」
周囲に舞い散る灯織の血液に、霊力が迸る――――。
「……硬化」
灯織が刀印を結ぶのと同時に、宙を浮かぶ数多の鮮血が鬼蜘蛛へと射出され――――その肉体を食い破った。
『っ……!!』
攻勢に意識を向けていた鬼蜘蛛に、周囲から降り注ぐ血液の弾丸を完全に防ぎきることは不可能だった。
その身一身に受け、急速に勢いを衰えさせる粘糸と鬼蜘蛛の霊力――――。
即座に封印可能なほどに衰弱したその個体を見下ろしながら、灯織は対妖封印術式を組んだ―――――。




