第164話『暗雲低迷』
キーボードを叩きながら、壁掛けの時計に目線を送ると、時刻はもう少しで20時を回ろうとしている。
橘さんの話だと、そろそろ秋人さんが戻ってくる頃合いだけど……。
その時、ドアノブがゆっくりと回り、誰かが部屋へと入ってくる。
「あっ……」
お疲れ様です、そこまで声が出かかり、すんでのところでなんとかそれを踏みとどまった。
なぜならば。
「まゆりちゃーん!
頑張ってるーー?」
部屋に入ってきたのは、軽薄そうな雰囲気を発している一人の男子生徒。
濃紺色の泉堂学園の制服に身を包み、やりすぎなまでに開けられたピアス。
かなりブリーチして色を入れていると思われる金色は今時のマッシュスタイルで、全体的にウェーブがかっている。
「……お疲れ様です。
――――――明智先輩」
なるべく感情を出さないように、ただただ簡潔にウチはそう答えた。
明智流星。
ウチたちの一個上である泉堂学園二年にして、対『暁月』特殊殲滅部隊『北斗』の一員である男子生徒。
「……ウチ以外、誰もいないですよ」
「知ってる知ってる~。
だから、今来たんだよ~~」
完全にウチ目当て。
気持ち悪い。
「ちょいパーマかけてみたんだけど、どう似合う似合う??」
毛先を指でつまみ、ウチに見えるようにわざわざ見せつけてくるけど、ウチはチラリとそれを見て、再度モニターへと目線を映した。
「ねえねえ、それ終わったらさ、俺と遊びに行こうよ~。
めちゃくちゃ雰囲気の良いカフェ知っててさ。
ほら、女の子ってカフェ好きじゃん?」
明智先輩はツカツカと歩いてきて、ウチの隣のデスクへと腰掛け足を組んだ。
それをガン無視し、ウチはキーボードを叩き続ける。
「……別にカフェなんて好きじゃないです」
嘘。
本当はすんごく大好き。
でも、この人と行くなんて死んでも嫌。
「そっかぁ……。
じゃあどこ行きたい?
どこでも連れっててあげるよ~」
「……何で二人で出かける前提なんですか。
嫌です、行きません」
「くぁ~~~。
ガードきちい……!」
頭をガリガリと掻きながら、明智先輩はそれでも尚、諦めるということを知らない。
「まゆりちゃんみたいな可愛い子と、出かけたいんだよねぇ……。
ってか、もういっそ……彼女にしちゃいたい!!みたいな!!?」
この人、何言ってんの……?
見せつけるような溜息を一回ついて、ウチは明智先輩に向き直った。
「だから……、言ってるじゃないですか。
ウチにはもう彼氏がいるんです」
「またそれだ!
誰なのか全然教えてくんないじゃん!!
もう俺その話嘘だと思ってるかんね!」
「……」
もう取り合うのもめんどくさい。
かと言って、詳細を教えたくもない。
一体全体どうすれば、この人は諦めてくれるんだろ……。
「大体……ウチの彼氏、教えたところでどうなるんですか?
どうもならないでしょ」
すると、明智先輩は小首を傾げて「なるでしょ」とあっけらかんと呟いた。
「だって……、第三世代だよ? 俺。
まゆりちゃんの彼氏の方が下に決まってんじゃん。
ははっ。
おかしいこと言うねぇ!!」
「……!!」
ケタケタと、ただただ可笑しそうに。
眼前の金髪は声を出して笑っている。
思い込み、というレベルじゃない。
この人は、心の底からそう思っている――――――。
「まゆりちゃん」
「っ……!!」
不意に、触れられる手。
生理的嫌悪が全身に走り、急いで振り払った。
「……つれないなぁ」
「ホントにやめてください……!
いい加減にしないと怒りますよ!?」
もう怒ってるじゃーん、と明智先輩はその場に立ち上がり、更にウチとの距離を縮める。
「無理矢理奪っちゃおうかなー……」
ウチの髪の毛を指でなぞり、そのまま近づく顔――――。
「い、いや……!!」
不意に部屋中に響き渡る咳払い。
音の方向を見ると、橘さんが仕事の手を止めてこちらの様子を伺っている。
「……明智君、狼藉はほどほどに」
「……何だ。
橘サン、いたんすかぁ~?」
明らかにテンションが下がり、そしてウチから距離を取る。
本当に気付いていなかったのか、一部始終を見られてもよかったと思っていたのか。
「狼藉なんてとんでもないですよ~。
俺はただ可愛い後輩と仲を深めようとしててですね?」
「……それならば、余計に今からやろうとしていることは逆効果じゃないですか?」
口をつぐみ、恨めしそうに橘さんを見つめる明智先輩。
そして、ウチから距離を取った。
「もうすぐ他の『破吏魔』の面々が戻ってきます。
貴方もこんなところで油を売っていないで、任務へと戻ってください」
「……はーい」
明らかに不服そうな表情を浮かべながら、明智先輩は開け放たれたドアから出て行く。
先際に「じゃあね~、まゆりちゃーん」と手を振られたけど、それに無視し、橘さんに頭を下げた。
「……ありがとうございます」
「別に、お気になさらず。
貴方がたの監視だけでなく、身の安全の確保も私の受けた命ですから」
突き放すような口調こそしているが、さっきのあの男よりもずっと信頼できる人であることを、ここで共に過ごすようになってから気付いた。
「……」
PCへと向き直ったまゆりの頭の中で、先ほどの明智流星の言葉が反響していた。
――――第三世代だよ? 俺。
――――まゆりちゃんの彼氏の方が下に決まってんじゃん。
新太さんを馬鹿にされた。
何も。
アンタなんか、何も知らないくせに。
堪えきれずに唇を噛みしめる。
……あそこまでの増長を許していて良いの?
「第三世代」だからって、戦果を出しているからって、あんなに人は傲慢になれるものなの――――?
そんな疑問がウチの胸の中でいくつか生まれ、輪郭を伴わないまま……消えてゆく。
そして、やがて一抹の不安だけが残った。
もしも。
これは、もしもの話。
今でさえあんなに驕り高ぶる人達が、清桜会の頂点に君臨したなら――――。
「……」
ウチは窓の外へと目線を動かす。
そこにはただ、艶やかな新都の夜が広がっているだけだった。




