第127話『般若』
寧々の狩衣の節々に甲冑の如く装甲が装着され、小ぶりな灰色の頭に乗っかる―――――般若の面。
それはまさに寧々の感情を具現化したような、そんな狂気に満ちた表情を、仁の方へと向けていた。
空間転移や、泰影の『貴人』といった非戦闘向きの式神がある中、寧々の『太裳』はいわば純粋なまでの暴力を可能とする発現事象をもつ。
「―――――いくよ」
呼吸の間隙を縫い、寧々の姿が消失する。
どこから攻撃がとんでくるか、それは十二天将特有の霊力を感じ取れば、さほど対処は難しくない。
左上方背後――――――。
籠手に包まれた寧々の右ストレートを左手で受ける。
しかし、それで終わりじゃない。
『太裳』の発現事象、それは……。
「吹っ飛べええええええぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇええええ!!!!!!」
《っ――――――!!!!》
完全に受けきったはずの一撃。
しかし、霊力も威力も桁違いに膨張する。
池の水面を何度か転がり、威力を殺す――――――。
――――――否、殺しきれない。
《ぐっ……!!!》
池の対岸の遊歩道まで吹き飛ばされ、沿道の木々を巻き込みながら、ようやく俺の体はその慣性から解放された。
土煙が辺りに舞い、藍色の空を茶に染め上げる。
《……》
手を握り、開く。
成神下、当然ながら打撃程度で体に支障はない。
「仁……」
土煙の間から顔を覗かす、般若の面を頭につけた童顔の少女。
いつの間に仁の傍に肉迫してきていたのか。
そんな疑問も霧散するほどに、目の前の少女は感情を高ぶらせていた。
瞳孔は開き、その拳は固く握られワナワナと小刻みに震えている。
「ナメてんの……?」
《……》
「周りの結界に霊力を集中させて、肝心のアンタ自身の守りがボロボロじゃん」
《……十二天将同士の戦闘だぞ。
周りに与える影響を考えたら、当然だろ》
「それがナメてるって言ってんの!!!!!
周りなんて気にしてる暇、アンタにはないの!!!!!」
健脚が宙を薙ぎ、的確に頭部の急所―――――側頭葉へと迫る。
それを両の手で受けるが、再度衝撃が全身を襲い、池へと放り出された。
既視感。
水面を転がり、両の足に霊力を充填させ、再度対岸への衝突を防いだのも束の間―――――。
「死ねえええええええぇぇぇぇぇぇぇぇぇえええええ!!!!!!!!!」
寧々による、上方からの踵落とし。
両手をクロスし、受けの姿勢を整えるが。
それにあまり意味はないことを、仁は確信していた。
そして再度、霊力が爆ぜる――――――。
藍色を反射する水面に叩きこまれ、急激に視界が暗くなった。
全身を冷たさが襲い、水圧が体の制御を奪う――――――。
『太裳』の発現事象、それは―――――『累乗』。
膂力、打突の衝撃、それに乗せる霊力、戦闘時に必要な要素を乗数倍での上乗せを可能とする、十二天将の中でも戦闘特化型の式神。
そして、特筆すべきはあの鎧。
一条寧々独自の術式を付与した装纏体、『叢雲』。
甲冑の形を模しているが、その実、術式が霊装の形を成しているだけにすぎない。
運動神経と体組織の表層を直接術式で繋ぐことで、陰陽術発動のラグを限りなくゼロへと近づけている。
要は、術式の制御をより感覚的に行うことを可能にしている。
実際に見るのは実に数年ぶりとなるが、過去手合わせした時よりも、より繊細に、より瞬間的な制御を可能にしていることを、仁自身実感していた。
浮力に身を任せ、次第に近づいてくる水面を見つめていた―――――。
やがて。
仁の視界に入り込んできたのは、天頂から続く薄暮のグラデーション。
ポツリポツリと輝き始めた星々が陰陽師たちを見下ろす―――――。
《……》
「寧々も仁もすごいね」
パチパチと手を叩く音。
感情のこもっていない泰影の拍手が、周囲に響き渡っていた。
「フンっ!!
蘆屋の邪法も、聞いてたわりにぜんっぜん大したことない!
何が『成神』よ!!!」
《……》
仁はゆっくりとその場に起き上がり、水面に立つ。
同じ水面の上に、寧々が呆れ顔で腕を組んでいた。
《……二発》
「……はぁ?」
《お前程度、二発で充分》
「っ――――――!!!!!!」
明らかな挑発。
頭では分かっていた。
全力を出させようとしている。
こちらの実力の上限を図ろうとしているが故の挑発であると。
しかし、分かっていて尚、寧々は十二天将の全霊力を全身に充填した。
《ちょっと上げるぞ、天》
「っ……!!!
どの口がっ」
転瞬。
寧々の腹部に、仁の掌底が深々と突き刺さった。
音を置き去りにした衝撃波は、インパクトからコンマ数秒で自然公園を駆け巡る。
一直線に大気を切り裂き、そして――――――。
寧々の体は対岸の遊歩道へと吸い込まれた。
さっきのお返し、とでもいうかのように仁の霊力は燻ぶる。
『叢雲』による打撃の非じゃない爆発音と砂煙が砂塵を伴い、新都の夕暮れを煙る。
「おー、仁もやるねぇ」
どこまでも他人事のように、この男は俯瞰しているだけ。
一応同じ組織の仲間が吹き飛ばされたというのに、その表情には微塵も焦りの色が見えない。
《一発目》
「……っ!!!
調子に、のってんじゃあ、ねーぞ!!!!!」
土煙の中から現れたのは、頭部から出血し、目を血走らせながら吠える一人の少女。
憎々しげに仁の方を睨めつけ、歯を食いしばっている。
その様子はまさしく、―――――修羅。
眼前の白い少年に対する怨嗟を全身で表現し、今にも爆発しそうなまでに―――――不安定だった。
「……うん、いいよ。
いいよ、仁。
そっちがそのつもりなら、全力で殺してあげる。
もういい、大丈夫大丈夫」
《……》
寧々は、頭に乗っている般若の面に触れる。
「仕方ないよね♪
仁が、悪いんだ。
そうそう、仁がぁ、寧々にこんなことするからっ……!!
自業自得だよー、ふふっ」
そして。
般若の面を移動させ、―――――その顔に被った。
「――――――ぐちゃぐちゃになっちゃえ」
禍々しい霊力が、暴走を始める。




