第124話『真夏、夜風、高層にて』
南区冷泉新都タワー外階段―――――。
手すりによりかかり、不快な夜の新都の大気を吸い込む。
目の前では数多の光が明滅し、そこで行われているのは人間の営み。
ここからの夜景だけは、何も変わらない。
来栖とはあの後、かき氷を食べた喫茶店で夕食をとり、そこで別れた。
曰く、母親とショッピングの約束があるらしく中央区で落ち合う予定のようだった。
その後、俺と言えば……。
こんな所で、ただ一人物思いにふけっている。
働かない頭をひっさげながら電車に乗り―――――、気付いたらここにたどり着いていた。
「俯瞰して、見てみる……」
脳裏によぎるのは昼間、先生に言われた言葉。
「結論を出すのは、それからでもいい……か」
結局、何も分からずじまいだった。
なぜこんな状況になっているのか。
どうすれば、元に戻るのか。
仮説こそ立ててみるけれど、検証する手段もない。
「……」
新都の空を仰ぐと、展望テラスのライトアップが見える。
こんな時間だというのに、多くの人間が上へと向かっていくのを見た。
と言うか、ここだけに限った話じゃないけど。
―――――人通りが多すぎる。
夜間だというのに、悪霊の蠢く気配が―――――ない。
道すがら何回か見かけたりもしたが、あくまでも低級。
人間に害を与えることはないレベルの個体のみ。
陰陽師がいない世界。
皆、霊力を感知できないし、悪霊を認知することもない。
それ故の、「平穏」。
何て、静かな夜。
生命の危険を伴わないという安心感は人々を夜の街へと駆り立てる。
現代陰陽道成立以前はもしかしたら、これが日常だったのかもしれない。
それこそ、妄想の類でしかないな……、と半ば自虐的に微笑み、再度夜景を視界に入れた。
「……」
酷く、疲れていた。
朝から多くの情報量が流し込まれ、慣れない環境の身を置いたのと同義。
場所は変わらないはずなのに、どこか別の世界に来てしまったかのような。
「っ……」
立ち眩み。
そのまま俺は目を閉じ、手すりに体重をかける。
これ以上、情報を視界に入れたくない。
目を閉じると、じんわりと頭の奥が痛むのが分かった。
「……」
八月の夜風が、頬を撫でた。
そして生じる―――――霊力の揺らぎ。
揺らぐ……?
霊力が?
「……?」
久方ぶりに感じるまともな霊力。
それはまるで―――――陰陽師の……。
「……」
隣?
目を開け、視線を違和感の方へと向ける。
誰かが、手すりに立っていた。
黒い。
夜の色と同化している。
「……」
そのシルエットを、俺は見たことがあった。
この場所で。
過去に。
そう、そうだ。
そいつは狐の面を―――――。
「……え」
狐の面。
目の前の人物の顔には狐の面があり、夜光を反射している。
「……仁、か?」
「お前には、面をつけてる知り合いがたくさんいんのか?」
面越しに聞こえる声。
その物言い。
それはまさしく―――――。
「仁……!!?」
「……」
仁は静かに手すりから降り、階段の踊り場へと腰掛ける。
そして、面を外した。
長めの前髪に童顔。
間違いない、仁だ。
「お前も、こっち側か……?」
「こっち側?」
「周りがおかしくなってんだよ!!
皆、陰陽師とか霊力とか忘れてる……、悪霊もいないし……。
お前も、それに気付いているよな……!?」
俺の問いに、仁は静かに頷いた。
「……今朝、正しくは明朝。
違和感を感じて、街を駆けまわっていた」
そうだったのか……。
新たな光明。
この異変に気付いたのは俺だけじゃなかった。
その事実を共有できる人物がいる時点で、心に安堵が生まれるのが分かった。
「……お前に会えてよかったよ」
「気持ち悪っ……!
変なこと言うのやめろ」
あからさまに引いている仁だったけど、俺としては心からの言葉だった。
陰陽師、黛仁。
その存在だけで、ほんとにもう……。
「……天もいるのか?」
《無論だ。
案ずることは無い、新太》
ボフン、と間抜けな音を立てて、仁の傍らに顕現する一匹の狐。
その姿も今や懐かしいような気がする。
他者の式神の顕現を通して、いよいよ目の前にいる仁と天が俺の知っている二人であると認識することができた。
「あぁ~~、良かった~~~」
全身の力が抜ける。
ホントに心細かった……。
《我々も今日、新太に声をかけるタイミングを伺っていた。
しかし……、新太は交友関係が広く、なかなか一人にならなくてな》
「……もしかして、ずっと俺を尾けてた?」
《学園にいるのは分かっていたからな。
しかし、君は楽しそうに過ごしていたよ》
昼間のことを思い出しているのか目を細めている天。
もしかして、マラソンやら放課後の来栖のことも見られていたのかもしれない。
何だろう。
見られていたと分かったら分かったで、すごく恥ずかしくなってきたぞ。
《さすがに店の中のことまでは見ていない。
逢瀬を邪魔するほど野暮ではない》
やっぱり……、中央区までついてきてたのか。
全然気づかなかった。
霊力を極限まで出さないようにしていたのか……?
頬が熱くなるが、何とか平静を保ち、仁へと向き合った。
本題はもっと別だ。
「……一体何が起こっているんだ?」
「俺だって巻き込まれた側だ。
それに……人に聞く前に、まずは自分の考えを言え。
新太は、どう考えてる」
仁は真っすぐに俺のことを見据えていた。
俺の、考え。
「……二つの可能性を考えていた。
一つは、現実の改変。
もう一つは精神系の発現事象」
「二つ目は、ないな」
《二つ目はない》
「……?
何で……」
仁と天による、もはや断定に等しい断言。
「十二天将の術者は、精神系の発現事象による効果を受けない」
《十二天将による退魔の恩恵だ。新太も身に覚えがあるだろう?》
身に覚え……?
何かあったっけ……。
「……まさか、お前気付いてなかったのか?」
「……?」
何のことだか分かっていない俺に、呆れた様子でため息をつく仁。
「……霊災の時、あの女教師が使っていた洗脳系の式神があったろ」
「……あった……けど」
「お前への洗脳が不完全だったから、京香へと洗脳対象を変えたんだろ?」
「……!」
《昼間、新太と会っていたあの少女とのことも》
昼間会っていた……。
来栖、か……?
《彼女は以前、精神系の発現事象の効果を受けていたのだろう?
あの夜、君と相対した時のことを覚えているか》
「それは……もちろん……」
《君が十二天将を発動した瞬間、あの少女にかかっていた発現事象が揺らいだ。狂気と正気の狭間を行き来していたのは、そのためだ》
「……!!」
「―――――故に、精神系の発現事象は十二天将には利かない。
その効力を発揮しない」
だから、お前の二つ目の説はないって言ったんだよ、と仁は静かに腕を組む。
「そう……なのか」
十二天将による恩恵にそんなものがあったなんて。
天と仁も、俺が知っていると思っていたみたいだけど……。
いや、でも。
「……」
ふと目についた、右腕に残された傷。
『暁月』の男から受けた斬撃痕。
人を殺した、俺自身への罰の象徴。
これがあるということ自体、紛れもない現実の証明なんじゃないのか。
となると、考えられるのはやっぱり一つ、か。
「現実の改変……」
十二天将の術者を除く、現実の改変が行われたと考えるのが自然か。
「……逆の場合もあるけどな」
「逆……?」
「おかしいのは、周りじゃない。
―――――俺らという可能性」
「それって、どういう……」
「……」
俺の問いに、仁は答えることはなかった。




