第116話『8月20日7:40』
けたたましいスマホのアラーム音で目が覚めた。
寝ぼけ眼で時間を確認すると、普段通りの起床時間。
じっとりと寝巻のTシャツが汗ばんでいて気持ち悪い。
というか、――――――暑い。
暑いのは好きだけど、さすがに寝苦しいのは勘弁。
朝だというのに、太陽もご苦労なことだ。
別に、そんなに気合を入れなくてもいいものを。
「……」
非番の日特有、普段通りの朝。
普段通りの起床。
普段通りの身支度。
普段通りの朝食。
「あっつ……」
下宿の玄関を出ると、カンカン照りの八月後半戦の直射日光が容赦なく肌を焦がす。
この様子だと、しばらく秋は来なそうだな……。
学園自体は既に本格的に始まっている。
明星会の後、数日の盆休みを挟み、そして学校は通常通り再開。
俺は先の戦闘での療養に貴重な盆休み期間を使ってしまったため、体感では休みなんてほぼ無かったに等しい。
カリキュラムをパンパンに詰め込まれた陰陽科故の弊害。
しかし、そんなことに文句を言っても仕方がない。
それら全て了解した上での入学、と自分自身に言い聞かせ、俺は学園までの道を歩き始めた。
――――――この段階で。
異変に気付くことはさすがに不可能だった。
「よっす」
「おう、虎」
学園まであと少しというところで、見知った顔が声をかけてくる。
今日も相変わらずダサい髪形をしているなぁ……。
制服もダルダルだし……。
ある意味、通常運転と言えばそれまでだけど。
もっと見てくれを気にした方がいいと思うのは、俺だけだろうか。
成績はいいはずなのに、教師からの心証は最悪。
この風貌が評価の一端を担っているんだろうな。
「今日もあっちぃなぁ~」
「あぁ」
「おいおい、聞いたか?
今日の体育、学園の外周マラソンだってよ~~。
この暑さの中、殺す気かよ~~~」
「マラソン……?」
不意に。
虎の言葉に生じる引っかかり。
……あれ、そんなこと言ってたっけ?
ってか、体育ってなんだ……?
どこか懐かしい響き。
それもそのはず。
最後に体育という授業を受けていたのは、紛れもない中学の時まで。
泉堂学園では「式神操演実習」と「霊力身体強化実習」の二柱で、陰陽師としての身体を作っていく。
故に、「体育」という科目自体ないはず。
「……うわ、思い出した。数Ⅱ再試だわぁ~」
頭を抱える虎。
数Ⅱ……?
数学……のⅡ、か?
数学いう教科こそあれど、そんなナンバリングは……。
疑問は浮かびこそしたが、いちいち聞くのもめんどくさったため、適当に相づちを打っておくことにした。
「……再試、は大変だな」
「お前はいいなぁ~。再試と縁が無くてさ~~~」
まぁ、座学はね……。
たくさん努力しましたから。
というか、虎も数学は別に成績悪くなかったはずだけど……。
頭に疑問符を浮かべながら、俺は眼前の角を曲がる。
角の先には、普段通りの泉堂学園の外観、及び校門が姿を現すはず……だった。
「――――――――え?」
俺は自分の目を、疑った。
衝撃で、その場に足をとどめてしまうほどに。
「おい?
何やってんだ~~置いてくぞ~~~」
急に足を止めた俺を虎は訝し気な目線で見ている。
俺の脳裏に浮かんだ、率直な疑問。
ここ、どこだ?
昨日までとは異なる校舎。
そして、校門の外観。
その中へと次から次へ入ってゆく、同じ制服に身を包んだ生徒たち。
しかし。
異常なのは、その数。
泉堂学園陰陽科を構成する人数は、あくまでも少数にとどまる。
各学年二クラス。
全校生徒だけでも二百四十人弱ほどしかいない。
この始業時間ギリギリに登校してくる生徒なんて、俺たちを含めて数えるほどしかいないはず。
それなのに。
「……!!」
眼前には、圧倒されるほどの人の流れ。
何か催し物があるのかと思うほどの賑わい。
何だ。
一体何なんだ、これは。
「お~い」
既に先に進んでいる虎が、俺を呼んでいる。
とはいっても……。
ここは俺の学園、なのか?
「虎」
おぼつかない足取りで虎に近づき、震える声を噛み殺しながら言葉を発する。
「ここ、どこだ」
「……あ~ん?
んだそれ」
「いや、だから。全然校舎が違うのと、生徒数こんなに多くないだろ泉堂学園」
すると。
虎は更に訝し気な目線をこちらへと向けてくる。
「お前、何言ってんだ?
休み明けだから、ボケてんのか??」
「いや、それはそうかもしれないけど……。
さすがに休み明けでも、学園のことまでは忘れないだろ」
普段自身が学んでいる学び舎を間違えるほど天然ではない。
「ほら、そこ」
虎が指さすその先。
校門―――――――。
その石柱に掘られた文字。
「私立泉堂学園」
泉堂学園。
ここが?
いやまさか。
冗談だろ?
「もっと……、その、人数とかも少ないはずだろ?
ほら、陰陽科しかないだろ、ウチ」
「……」
「訝し気」を超えて、もはや異邦人を見るような類の目線。
虎はセットしているであろう頭をガリガリと掻き、そして。
「陰陽科って、何だよ」
と、言った。
「――――――――は?」
「ウチは創立以来「普通科」しかないだろ?
んだよ、陰陽科って」
背中に伝う、一筋の汗。
先ほどの暑さは、とうに消え失せていた。




