第110話『追想 漆』
その日は、とても晴れた日だった。
僕と楓、そして与一とカリン。
それぞれでツーマンセルを組み、僕らは夜の街に出ていた。
『咬喰』による被害報告が後を絶たない現状を変えるために、僕達『北斗』は新都の夜間捜索の規模を拡大。
曹純さんからの忠告もあり、あくまでも「捜索」。
対象を発見次第、曹純さん達「陰陽師」に、その任を引き継ぐ手筈になっていた。
僕ら第四拠点の面々は西区の大部分を担当し、周囲の捜索にあたっていた。
しかし――――――、今ならば言える。
捜索をしたところで、意味なんて無かった
あの日、あの時、僕らの中の誰もが、奴には敵わなかった。
***
与一からの救援要請を受け、向かった先――――――。
現着した僕らが見たのは。
対象が、カリンの式神を破壊した瞬間だった。
悪霊の一撃を式神で受け、横の壁に思い切り打ち付けられる少女――――――。
「っ……!!」
声にならない悲鳴を上げ、そのまま全身から力が抜けるように崩れ落ちた。
真っ白な髪の毛が紅く滲み、純白の肌からは鮮血が滴り制服を汚す。
そして対象の足元には。
顔面を血で濡らし、力なく横たわる学ラン姿の少年。
誰の目から見ても危機的な状況。
仲間が目の前で闘い、あまつさえ重傷を負っていると思われるこの状況において。
僕は、その場から一歩も動けなかった。
「……っ」
寒気なんてものじゃなかった。
脊髄を外へと引きずり出され、直接握りつぶされているような―――――。
それほどまでに、視たことのない類の霊力。
これまで僕が見てきた悪霊とは、比較にならないほどの濃さ。
そして、時折見え隠れする異常なほどに発達した歯牙。
見ただけで、本能的に理解した。
コイツが、――――――『咬喰』。
ボロボロの布のようなもので全身に覆い、その体躯は僕の体の半分ほどしかない。
しかし――――――。
『―――――マタ、来タ。食イ物』
「「……!!!」」
人語を――――――。
「ダメ…だ……」
「……!!」
横たわっていた与一から聞こえてくる、力のない言葉の羅列。
半分ほどしか開かれていない瞳に生気はなく、ただ真っすぐに――――――――僕を見据えていた。
――――――与一。
「秋人、ダメ……、闘っちゃ…………」
――――――カリン。
苦悶に歪ませながら、それでも霊力をその身から立ち上らせている少女。
『弱イ。ダカラ、死ヌ』
何が、起こっている……?
なぜ、二人はこんな有様に……?
こんな化け物が、どうしてこんなところに?
僕に、何ができる?
僕には、何も―――――。
「……っ」
転瞬。
横たわる与一から、爆発的に放出される霊力。
「お前を、刺し、違えて、でも……!」
破壊された式神の残骸を手に持ち、対象へと肉薄する折れた刀身。
しかし。
その刀身が届くことは、無かった。
「――――――――え?」
消えた。
与一の顔が。
消えた。
――――――消える?
何だよ、消えるって。
でも、無い。
今、この瞬間まで、そこにあった与一の顔が。
転瞬。
勢いよく鮮血が噴き出し、『咬喰』を含めた周囲を紅く汚す。
「与一……?」
ビクンビクンと、頭部を失い規則的に痙攣する体。
学ランは血で赤黒く変色し、それをどこか別の世界の出来事として見ている自分がいる。
何が、起きてる?
『美味イナ、若イ男ハ』
傍らには、グチャグチャと何かを咀嚼する『咬喰』。
恍惚とした表情を浮かべながら、力なく横たわっている与一の体を掴み、そして。
「ァン」
与一の上体へと、食らいついた。
何かをかき混ぜるような、周囲に響き渡る気色の悪い音。
鉄臭い臭気に力が抜け、手に持った式神が落下する感触。
ゆっくりと視線を背後へと向けると。
目を見開きながら涙を浮かべ、丸腰でその場にへたり込んでいる楓。
そして―――――。
「与一っ!!!
いやああああああああっぁぁぁぁぁああああ、与一ぃ……!!!!!」
何が起こったのか、状況を理解したのか、ボロボロと涙を零し、泣き叫ぶカリン。
『オマエらモ、今喰っテヤルカラナ。
安心シロ』
掠れたような『咬喰』の声が、路地裏に反響する。
――――――さっきまで、普通だった。
僕らは、いつも通り与一の家を出て。
そして。
いつも通り、与一の家にかえってきて。
それで。
僕は。
皆で一緒に、他愛もない話をして。
与一?
「……無理、だろ」
こんな化け物相手に。
次の瞬間に体を咀嚼されているのは――――――紛れもない、僕達。
次の瞬間に肉塊になっているのは……。
体が、動かない。
動け。
動け動け。
動け動け動け。
でも、僕の体は動いてくれない。
このままじゃ、きっと、全員死――――――――。
「――――――――あ」
目の前に迫る暗黒。
それが『咬喰』の口腔内と分かるのに、一瞬の刻も必要なかった。




