9.ハムスター王女、密かに名乗る
ヴァルトルーデのふりをしたカルラと別れて城へ入り、数分後。
私はなぜか、テーブルにちょんと座らされていた。
目の前には椅子に腰掛け腕組みをしているマティアス殿下。ちらと見回したここは数人用のサロンみたい。
《殿下。あの…》
「これはケイスに持たされたものだ。」
《あっ、はい……わぁ、ナッツだ。やったぁ…》
人形用かと言いたくなる小さな布袋からナッツを取り出し、ぽり、ぽりとかじってみる。
マティアス殿下はそんな私をじっと見下ろしていて。眉間にしわ。
《な、何で怒っておられるのかしら……もぐ、もぐ。》
「ルル。君はなぜ、元々暮らしていたところから離れたんだ?」
《いきなりそう聞かれましても。》
それじゃ肯定と否定で答えられませんよと、首を傾げてみた。
ぽりぽり。この体で食べるナッツの美味しいこと。ぽりぽり。ごくん。
《…あの子に心酔する騎士に追われ、なんとか逃げ切ったものの、そこは森の中。もぐもぐ。人に運ばれるしか助かる道はなかろうと、誰かの荷物に紛れたのです。そうして着いた先がこのお城、ワゴンに乗ったら殿下のところへ。もぐ、小さな私の大冒険です。》
チーチー、キュッキュと。
殿下はしっかり耳を傾けてくださっているけれど、あの、貴方ねずみの言葉はわかりませんよね。格好良い殿方が真面目な顔でねずみ語を聞いている図、ちょっとばかりその、面白くて愛らしいのですが。
「本物のヴァルトルーデ王女はアーレンツにいる。それを知っていたのはなぜだ?」
《それはだって、もぐもぐ。私くらいしか知りませんよ。彼女が無事で安全で、きちんと保護者がついている事も。》
「……もし無事だというなら、彼女はこの国のどこにいるんだ。」
《それはもう、誰より殿下がご存じの事ですが……お腹は空きませんか?私ばかり食べて、悪い気がします。このピーナッツとか、どうぞ。》
「………、ありがとう。」
ねずみからなんて受け取らないかと思ったら、殿下は御礼まで言ってピーナッツを受け取ってくれた。意外だわ。ぱちぱち瞬いて見上げていると、私の気持ちを無駄にしないためか、ぱく、とお食べになって。
《私のようなねずみからの贈り物でも、食べてくださるのですね。ありがとうございます、殿下。》
「…そういえば、クロイツェルの城には五の塔と呼ばれる場所があるらしい。どういう所なんだろうな。」
《あら、よくご存じですね。王族が幽閉される時はそこへ入るのですよ。もぐ…ここ数十年の間では、ヴァルトルーデが入ったくらいでしょう。》
独り言のような殿下の言葉に答えながら、口の中でナッツを噛み砕く。
この体だとほっぺたに沢山入れられるけれど、変な癖がつくと人間に戻った時困りそうだから、私はあまり使っていない。
《なんにもないつまらない所なのです。散策した結果、私はねずみの家族に出会いました。人間に見つかりにくい巣の隠し方とか、一緒に考えて。》
殿下はじっと私の鳴き声を聞いている。
チーチー鳴いているだけなのに、飽きないのかしら。鳴き声を理解しようとしてるとか?まさかね、不可能だわ。
「……ルル。」
《はい?》
「君は俺にたくさん話をしてくれるな。」
《私からすると、殿下もそうですけどね。》
「もし俺に君の言葉がわかるなら、何を言いたい?」
不思議な質問をされて、瞬いた。
答えたところで、結局通じないのだから意味がないのでは。殿下はわかっているだろうか、先程から「チーチー」としか鳴かない小動物に、懸命に質問を繰り返す人になっている事態に。
もぐ…と、口の中の物を噛み終えて、飲み込んでから。
ナッツをそっとテーブルに置き、改まって殿下を見上げてみる。
《……そうですね。やっぱりお礼でしょうか。殿下にはご飯も寝床も仕事ももらって、今日はポケットに入って安全に外を見れましたし。》
カルラ達から逃げ出した時は、ただ必死だった。
森の中を駆けている時は、ここで一夜生き延びるのは難しいと焦っていた。
殿下に鷲掴みにされた時だって、ねずみとして駆除されて一生を終えるのかと思ったし。殺されるくらいなら一か八か人間の姿に戻るべきだろうかとも考えたのだ、あの時は。
偶然が引き寄せた縁とはいえ、殿下が拾ってくれたから私は今無事でいられて。
ねずみがやるにはおかしいけれど、ぺこりと頭を下げる。バランスが悪くてごろんと一回転してしまった。失敗だわ。よいしょと起き上がる。
《ありがとうございます、マティアス殿下。今は小さな姿ですし、ここを離れる事になるとも思いますが…》
すっくと二本足で立って、短い前足を胸元に寄せる。
私よりずっと大きなマティアス殿下の、赤い瞳を見据えて。
《――このヴァルトルーデ・アンネリーエ・クロイツェル。貴方様に受けたご恩、生涯忘れる事はないでしょう。》
何か大事なことを伝えたい、そんな気持ちは伝わったのだろうか。
瞬いた殿下は目を丸くしていて。
「………………、何だと?」
《ふふっ。ねずみの言葉で密かに名乗ったとて、やっぱり通じませんよね。》
仕方ない仕方ない。
すとんと前足をテーブルに下ろした私は、置いておいたナッツを持って再びかじり始める。
《もぐ、ご安心ください、殿下。雇われている間に知り得た事は、人に戻った後でも他言しませんし、悪用もしません。》
「………ルル」
《はい、ルルですとも。じきに始まる訓練だって、もぐ。ねずみより確実に賢い頭脳でチャチャッと合格点を取りますよ。もぐもぐ。》
「………?」
《どうしました、マティアス殿下?すごい汗ですが》
布袋にはまだもう二粒ほどナッツが入っていたけれど、私は恩人の体調を優先しておやつを中止した。
後ろ足で立ち上がってみても、あんまり距離は縮まらない。殿下は何もない空中を見ている……何か、見えているわけでは…ないわよね……?
《殿下。通じずとも先に申しておきますが、私、幽霊とかは信じたくない性質――》
《マティアース》
えっ?
廊下から「にゃぉおん」と聞こえて、つい口を閉じる。えっ?
今のは確実に、猫の鳴き声では。先程マティアス殿下が言っていた、「城で飼っているものはいますが」という言葉が思い出される。
ネコ。
すなわち、ねずみの天敵。
《で、殿下?まままさかこの城には猫ちゃんがいるのですか?》
可愛いので普段はまったく構わないけれど、今は駄目だ。
ハムスターな私はきっと、猫にはちょうどいいオモチャであり獲物だろう。血の気が引く。
《マティアス、そこにいるだろう?開けてくれないか》
《ひぃっ!》
にゃぁにゃあ騒ぐ猫はきっと、私の美味しそうな匂いを嗅ぎつけてやってきたのだ。
私は全力で走って空中を跳び、殿下の上着にはっしとしがみついた。
「る、ルル?」
《ポケットに!ポケットに逃げ込ませてくださいっ!!》
「ああそうか、ブラムが怖いか……落ち着け。入っていて良いから」
《ありがとうございますっ!》
殿下の手を足蹴に――いえ、足場にしながら潜り込む。
はぁはぁと息をしながら顔を出すと、立ち上がった殿下が扉へ向かうところ。なぜと考えてすぐ、殿下が「ブラム」と言った事に気付く。
それは確か、殿下の部下?の名前だったはず。
「ルル。今から三尾猫という猫型の魔物に会う」
《ま、魔物!?》
「ずっとこの城で飼っているし、君を食べるような事はないと保証する。」
《殿下が仰るなら信じたいですが、魔物?本当ですか…?》
「そう震えるな。大丈夫だ」
ポケットの上からぽんぽんと撫でられて、私は外が見えるギリギリまでもぐった。
扉が開く音がして、黒いマントを羽織った錆色の猫がするりと入ってくる。細長い尻尾が三本、それも普通の尻尾じゃない。
……あれが魔物?目つきは鋭いものの、なかなか、可愛らしいけれど。
《やれやれ、すまないね。おチビさんはそのポケットか》
《ひっ!こっち見た!》
「何かあったのか?顔合わせがてら、後で君に会おうとは思っていたが。」
《逃げてきたと言うのが正しいかな?マティアス。本物か偽物かはさておき、あのヴァルトルーデという王女は危険だ。私に何らかの魔法を使おうとしたよ》
にゃおにゃお喋ってる……。
マティアス殿下は黙って聞いているようだけど、もしかして、これがこの方なりの動物との接し方?こちらが長話をしても、意味がわからずともしっかり傾聴してくださると?
《声に魔力が乗れば魔物は当然、それを感知する。君達人間の中にも、それを感覚で理解できる者がいるようにね……。反対に、あの娘は知らなかったのかもしれない。発動する前に私に逃げられるとは思わなかったようだ。》
「ブラム。なんともないんだな?」
《任せてくれ、これでも人間の城で長く生きた魔物だ。悪意にも、それに染まった魔力にも慣れているよ。唱えきれなかった魔法に侵されるほど、弱くはないのでね。》
「そうか…」
殿下が猫を、いえ、猫型の魔物を撫でている。
なんともないと仰ったのは、この魔物は、別に何も理由がないのに騒いでいたということ……?聞くに聞けない。聞く意味もないし…。
「ルル。彼はブラム・リートベルクといって、俺の祖父が拾ってからここで暮らしている男爵だ。」
《どうも。》
《男爵って……魔物なのにですか!?》
「大体は城を巡回しているから、もし俺とはぐれるような事があれば頼ってくれ。匂いを辿って連れて来てくれるはずだ」
《うむ、それくらいはやってあげよう。》
《ほ、本当ですか?殿下がいないのを良い事に、ぱくんといかれるのでは。》
ごくりと生唾を飲み、私は震えながら《よろしくおねがいします》と言ってみた。ぱちりと目が合う。
《何か困れば頼るといい、おチビさん》
機嫌よさそうに「にゃぁあん」と鳴いているけれど……もしかして、「おいしそうだなぁ」とか言っているのでは。




