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【完結】ハムスター王女、隣国王太子のペットになる  作者: 鉤咲蓮


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8.貴方は私に相応しい




「ヴァルトルーデ様。偽物は始末しました」


 騎士は笑ってそう言った。

 持ち帰ったのはヴァルトルーデ様が着ていたドレスの袖。私が着ているドレスの袖とまったく同じ。


「そう。ありがとう……彼女の最期を、聞かせてもらえるかしら。」

「しかし…」

「裏切られたとはいえ、ずっと一緒にいた子だもの。知っておきたいの」


 ヴァルトルーデ様が死んだ。

 ドレスの裾を土で汚し、袖は枝に引っ掛かって切り裂かれ、命からがら逃げて、逃げて、逃げて、崖から落ちてしまったらしい。

 表情はよく見えなかったと騎士は言った。


「そう」


 ヴァルトルーデ様が死んだ。

 頭がずんと重くて、くたびれたような心臓はどくり、どくりと憂鬱に蠢いた。

 泣いてほしかったのに、怒ってほしかったのに、人生で一番動揺してほしかったのに、貴女はそれもなく死んでしまった。ずっと一緒にいた私が裏切ったのに、何も言わずに踵を返して。あっさりと。


「ぐすっ…」

「ヴァルトルーデ様……」

 涙が出てきたけれど、ヴァルトルーデ様の泣き方がわからない。

 合っているかしら、できているかしら、あの方はどんな風に涙を流すの。教えてほしかったのに。


「裏切られて、さぞお辛いでしょう」

「私達が信じたヴァルトルーデ様は、ヴァルトルーデ様のままだった」

「影が勝手をした報いをご本人が受けていたなんて、あまりにひどい」

「泣かないでください、殿下。これからは、きっと…」


 誰も彼もがヴァルトルーデを慰めた。

 私は「ありがとう」と儚く微笑んでいた。いえ、本当は殿下なら、こんな時でも明るく笑うのかしら。わからない、正解がわからない。


 私いま、上手くできている?


 冷や汗が流れる背を隠して微笑みを浮かべ、馬車は進んでいく。

 他国への表敬訪問、それも魔物が多いアーレンツ王国。国境近くで崖に落ちたヴァルトルーデ様は、そのお体は、魔物に食べられてしまっただろうか。


 遺体を必ず持ち帰れと命じるべきだったわ。私が触れる前に食い荒らされたかもしれないなんて。

 ぞわりと肌が粟立って、思わず二の腕を擦った。


 ()()()()食い荒らされたかもしれないなんて、悍ましい。


 想像するのをやめた。

 今ここにいる私こそがヴァルトルーデなのだから、私こそが本物で私だけが正解なのだ――そう考えたら、とっても楽になった。


「アーレンツの王太子殿下にお会いする時のため、ヴァルトルーデ様も一層磨きをかけねばなりませんね。」

「腕が鳴りますわ。どうか期待していてください、ヴァルトルーデ様。」

「良い縁談をまとめ、帰国したら影がしでかした事を伝えましょう。陛下もきっとわかってくださいます。」

「ありがとう、皆……あの子の事は悲しいけれど、だからこそ今は、前を向いていようと思う」


 私ようやく、本当に、ヴァルトルーデ様になれたんだわ。

 アーレンツの王太子?ええ確かに、陛下が――お父様達が考えていた相手より格上で、噂ではかなりの美丈夫だとか。

 そうね、そうね、会ってよく見て決めましょう。


 このヴァルトルーデに相応しいほどの男性なら、隣に立つ事を許してあげなくもないわ。


 着いた翌日、ようやく晩餐で王太子殿下に会えるはずの日。

 庭を案内されていた私の視界に馬車が割り込んできた。王族用の馬車だ。私が足を止めた事で、案内役の男性も足を止め引き返してきた。


「なんと…あれは王太子殿下の馬車です。」

「まぁ」

 予定外だけれど、ご挨拶をした方がいいかしら。

 御者が足台を置き、扉を開く。中から一人の男性が出てきた。


 ――なんて、理想的なの。


 まず浮かんだのはその一言。

 さらりと流した金色の短髪が陽にきらめき、涼しげなお顔立ちは見事に整っている。質の良い衣服にできた皺が美しく鍛えられた身体を想像させ、その佇まいからは彼の品格が伝わってきた。


 そう、そうよ。

 貴方のような美貌なら、アーレンツの王太子という格なら、ヴァルトルーデ・アンネリーエ・クロイツェルの――私の相手に相応しいの。


 気分が高揚し、私はすっかり彼に見惚れていた。

 吸い寄せられるように馬車の方へ数歩歩いて、こちらに気付いた彼が、その赤い瞳で私を見る。


 私の銀色の髪、青い瞳。

 貴方は金色の髪、赤い瞳。対照的で素敵だわ。


 緩く微笑みを浮かべれば、彼もまた目を細めて微笑んだ。

 当然だわ、ヴァルトルーデの美貌は至高のもの。

 丁寧に淑女の礼をして、ああ、最高の気分。


「王太子殿下とお見受け致します。ご挨拶をよろしいでしょうか」

「もちろん構いません。王女殿下」

「ありがとうございます。私は花の離宮に滞在させて頂いております、クロイツェル国王アンドレアスが娘。ヴァルトルーデ・アンネリーエ・クロイツェルと申します。」

「私はマティアス・フィン・アーレンツ。此度は我が国へお越し頂き、誠にありがとうございます。ちょうど、晩餐で殿下にお会いできる時が待ち遠しいと思っていた頃でした。」

「まぁ…嬉しいことです。」

 聞き心地のよい落ち着いた低音、紳士的な対応。

 中身も合格だわ、マティアス殿下。貴方ならきっと、ヴァルトルーデという存在をより輝かせてくれる。


「どうかヴァルトルーデとお呼びください、殿下。お会いできる時を楽しみにしていたのは、私も同じことなのです。」

「…では、私の事もマティアスと。」

「はい、マティアス殿下。」

 心からの親しみを滲ませて微笑みを。

 ヴァルトルーデ様の純真さを表現して、再現して、私こそがヴァルトルーデとして愛されるもの。

 案内役や騎士達は気を遣い、一定の距離をとった位置にいる。私をまっすぐに見つめるマティアス殿下に恥じらってみせて、視線を――…、えっ?


 殿下の胸ポケットに、小さい生き物がいる。

 ぱちりと目が合ったそれは、スッと引っ込んで。顔がひきつりそうなのをどうにか堪えた。


「……殿下。そちらに何か、いませんでしたか?」

「ああ、紹介が遅れました。私が飼っているねずみで、ルルと言います。ルル?」

《出て来いとおっしゃいますか、今!?殿下、普通の男性は女性と会う時にねずみを出さないものです》

「挨拶しなさい。ルル」

《はい…》

 チーチーと鳴き声がしている。

 完璧に見えてこの男、動物だらけの部屋に住んでいたらどうしましょう。ポケットから改めて顔を出したねずみは、白っぽい灰色の毛に大きな黒い目をしている。

 かわいらしい部類だとは思うけれど、ねずみだ。


《こ、こんにちはー…》

「……かわいらしい、子ですね。」

《殿下。恐らく引いているので、このままだと変な人という噂が立ちますよ。》

「家臣にも内密に長く飼っていたもので、私にこうしてよく喋ってくれるのですよ。」

「お喋りが好きなのですね。私ともお話してくれるかしら、ルルさん?」

《無理しなくていいのに……貴女、動物はあまり得意じゃないでしょう。》

 チー…と細く鳴いているねずみ。

 私の美貌に何の文句があるのだろうか。大人しく楽しそうにチューチュー鳴いておけばいいものを。


「殿下はもしや、動物が苦手ですか?」

「いえ、そんな事は。急に触って脅かさないようにとは、気を付けておりますが……マティアス殿下は、他にも何か飼っておられますか?」

「城で飼っているものはいますが、私個人ではこの子だけですね。」

「そうでしたか。それは、可愛がっておられるのでしょうね。」

 殺そう。

 ヴァルトルーデの隣に並ぶ男性にこんなものはいらない。


 王太子がねずみを飼っているなんて、馬鹿げているもの。見た目のかわいさにほだされたのかしら、でも存在が似合わないわ。

 世話をしているのは誰だろう、侍女?従僕?部屋に入れるなら誰でもいい。


 餌に毒でも盛ってやれば、小さなねずみなんてあっさり死ぬでしょう。

 ああだけど、人為的と見られて疑われてはいけないわよね。獣でも紛れさせるか、小屋から逃げて食い殺された事にする?獣がやったように見せかければいいものね。


《殿下。やはりカルラの機嫌が悪いようですから、私は引っ込みますね。》

「ああ残念、隠れてしまったわ。初対面で近付き過ぎたかしら」

「殿下の美しさに、緊張したのかもしれませんね。」

「まぁ、お上手。ふふ」

《確かに緊張はしますね。未だあまり実感はないのですけど、この子に殺されかけたなんて。》


「――…?」

 すっと空気が冷えた気がして、腕を擦った。

 見上げた空はまだ明るい。視線を戻すと、マティアス殿下が微笑んでいる――なんて美しいの。


「また晩餐でお会いしましょう。ヴァルトルーデ殿下」

「ええ、楽しみにしております」




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