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【完結】ハムスター王女、隣国王太子のペットになる  作者: 鉤咲蓮


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22/24

22.貴女には、何一つ



「ヴァルトルーデ様っ!!」


 喜色満面の笑みを浮かべてそう呼んだのは、誰あろうカルラだった。

 あまりに意外な反応だ。目の前の女はヴァルトルーデの存在を乗っ取ろうとしたのであり、それならば、正しい反応は「カルラ」と呼ぶ事である。


「よかった、生きておられたのですね!ああ、本当によかった!貴女にまた会えるなんて…!」

 カルラは幸せそうに頬を染めて駆け寄ろうとしたが、アーレンツの騎士に阻まれた。

 それすらもまるで目に入っていない、知覚できていない様子で、彼女の青い瞳はヴァルトルーデを見つめている。

 マティアスがヴァルトルーデを庇うように一歩前へ出ると、そこで初めて見えたかのように視線を彼へ移した。


「そちらからそんな言葉が出るとは。自分が何をしたか覚えているのだろうな。」

「マティアス殿下。申し訳ありませんが、私はヴァルトルーデ様ご自身と話したいのです。」

「ヴァルトルーデ様っ!」

 悲鳴も同然の声で呼んだのは、カルラと共に入室した侍女ロジーナだ。

 彼女は振り返ったカルラとマティアスの後ろにいるヴァルトルーデとを交互に見て、ひきつった笑みを浮かべる。無理に平常心を保とうとしているのは明らかだった。


「ど、どういう……どういう事、なのですか?カルラは死んだのでは、貴女が、貴女がヴァルトルーデ様で、でも、わ、私は、あの方は、ううっ。あ、頭が…」

「ロジーナ、無理をするな」

 ふらつくロジーナの肩を支えたルーカスは青ざめていた。

 心から信じている「事実」と目の前に広がっている「事実」に挟まれ、頭はひどく痛んでいる。


 カルラは「大丈夫」と言わんばかりの微笑みを浮かべていた。

 彼女が口を開くより早く、ヴァルトルーデは一歩前へ出てマティアスの横へ並び立つ。


「ロジーナ、ルーカス。今本人がそう呼んだ通り、私がヴァルトルーデです。貴女達はずっと、そこにいるカルラの魔法に惑わされていたの。今はまだ、信じ難いと思うけれど」

「そのお声は……いえ、ですがそんなはずは!カルラは貴女ではっ……わ、私達は、」

「ロジーナを座らせなさい、ルーカス。貴方も休んでいて」

 ヴァルトルーデの言葉に対し、ルーカスは顔を歪めて頭を押さえるロジーナをソファの一つへ誘導した。カルラは黙って微笑みを浮かべてヴァルトルーデを見つめるばかりで、苦しそうなロジーナに目もくれない。


 どちらが、《ヴァルトルーデ・アンネリーエ・クロイツェル》か?


 護衛の中でもっとも地位の高いルーカスが判断しない以上、動揺しているクロイツェル王国の騎士達もまた、互いに顔を見合わせ、二人の王女を見比べ、頭を押さえ、ある者は耐えきれずに膝をつく。

 ヴァルトルーデがカルラに視線を戻すと、彼女は嬉しそうにはにかんだ。


「素敵なドレス…よくお似合いです。ヴァルトルーデ様」

「カルラ」

「名前をお間違えですよ?私はヴァルトルーデです。貴女のヴァルトルーデ」

 ぞわりと、ヴァルトルーデは肌が粟立つ心地がした。

 けれどそれを悟られぬように表情は変えない。動揺は見せなかった。

 腕に添えた手が少しだけ服を握り、マティアスも応えるように軽く力を込める。ヴァルトルーデは彼と目を合わせると、面持ちを僅かに和らげて頷いた。


「それと同じ私のドレスはもうありますか?まだならすぐ作らせなければいけませんね、ヴァルトルーデ様。でき次第着替えます。私達は同じでいないと…」

「ねぇ、カルラ。」

 ヴァルトルーデがもう一度名を呼ぶと、それまで微笑んでいたカルラが眉根を寄せる。

 それは怒りや苛立ちではなく、困惑の表情だった。聞き分けの無い子供を見るような、間違った事に気付かない者を見るような。


「私を真似るのはあくまで、それが役目だからだと思っていたわ。貴女はどうしてそこまで、私になりたかったの?」

「…どうしてそこまでって…なぜそんな事が聞きたいのですか?私は――私だけがヴァルトルーデ様なのだから、当たり前の事です。もっともっともっともっと貴女でいるために、貴女が私になるように。」

 言っている意味がわからない、そう返せば激昂するだろうか。

 異様な受け答えをするカルラに吐き気を催しながら、ケイスは絶句しているルーカス達を見やった。どちらが本物か、事実は既に提示されたのだ。


「うふふっ。」


 夢見る少女のような笑い声がした。

 ヴァルトルーデそっくりの顔をして、カルラは胸の前で両手を組む。


「貴女になるために、貴女の色んな顔が見たくって。よかった、よかったわ……泣いてほしかったんです、怒ってほしかったんです、あの夜どうして行っちゃったんですか?たくさん話してほしかった」

「命を狙われたら逃げるわ。普通だと思うけれど」

「違う、違います。そうじゃなくて、あの時どうだったか教えてください。せっかく生きていたのだから、私を裏切り者だと思った時にどう感じたか、どんな風に泣いたか、教えてほしいんです。見せてほしいんです。」

「……ヴァルトルーデ殿。あまり不快ならもう捕えるが」

「…いえ。大丈夫です」

 マティアスが小声で申し出てくれたが、ヴァルトルーデは断った。

 少しでも近付こうとするカルラは既に、アーレンツの騎士によって腕を押さえられている。


「カルラ。私は貴女に……大好きな親友で居てほしかった。裏切られて嫌いになんて、なりたくなかったわ。」

「私の名はヴァルトルーデですよ、ヴァルトルーデ様。一緒です、お揃いですからね。」

「……ええ。貴女は私に、《同じ》であってほしかったのね。」

 同じ存在になりたい。

 そんな願いを叶えるのは不可能だ。どうしてそう願うようになったのか、なぜ悪い事だと自覚できなかったのか、ヴァルトルーデにはわからない。

 その反応を見て、果たして何を喜んでいるのか、興奮した様子のカルラは頬が赤らんでいた。


「本当に私を嫌いになったんですね、ヴァルトルーデ様。嫌いだから、まだ笑ってくれないんですか?涙はまだですか?どんな事を言ったら、もっと色んな表情を見せてくれますか?」

「残念だけれど、私は貴女の事で泣きはしないし、…そうね。きっと怒ってもいないの。嫌な気持ちにはなったけど、憎んでもいない。」

「………どうして?」

 すとんと表情が抜け落ちて、カルラは呟くように言った。

 唐突に思い出したのだ。父王に信じてもらえず五の塔へ幽閉されても、ヴァルトルーデが泣き暮らさなかった事を。父を恨まなかった事を。


 心の内がどうだったとしても、「カルラの裏切りは、父に幽閉される事と同程度かそれ以下でしかない」。

 ヴァルトルーデは今、そう言ったも同然なのだ。

 彼女の父親よりカルラの方が余程、同じ時を過ごし共に笑い合った唯一無二の存在であるはずなのに。ヴァルトルーデはカルラが彼女のために控えていなくても、マティアスの隣でしっかりと背筋を伸ばして立っている。

 いなくてもいいと、示すように。


「生まれ落ちてから今までもこれからも、私はただ一人の存在。貴女は自分がヴァルトルーデ本人だと周囲に吹聴したけれど、私にとって私は一人だけ。貴女に影を頼んだ事はあっても、貴女が嘘をついた事はあっても、私から《私》を盗られた事はないの。」

「……私は、ヴァルトルーデ様。貴女そのものでしょう?」

「私は、貴女を自分自身だと思った事はないわ。」

「…当然だな。影は本体ではありえないのだから」

 マティアスが頷いて言う。

 カルラは目を見開いて呆けており、ケイスは腰に提げた剣の柄にそっと手を置いた。

 何かを信じ込んでいる人間に対して真っ向から否定するのは、劇薬も同じだ。治るか、暴走するかの二択になる事が多い。カルラはどちらになるか。


「ちょっと困りはしたけれど……結局のところ、貴女は私から何も奪えていない。何一つとして、私になってもいない。」

「何で…どうして、そんな事を言うのですか」

「貴女に裏切られた事で、幼い頃からの友人は失う事になったけど。……長い間ありがとう。さよなら、カルラ。」

「さ、さよならって?私達はずっと一緒です、約束しました!ずっとお役に立つって!!」

「動くな!!」

 カルラはアーレンツの騎士達の手を振りほどこうとしたが、自分の力では到底敵わない。こんな時に近付いてもくれない、自分の護衛だった騎士達を振り返ると、今にも泣きそうな顔で叫んだ。


()()()()()!」

 途端、騎士達はひどく焦ったように瞠目し反射的に剣を抜く。ルーカスが「やめろ」と怒鳴ったが彼らは止まらない。

 カルラのその言葉を聞いたら、何を差し置いてでも動くべきと信じ込まされているのだろう。自分を押さえる騎士の力が応戦の隙に緩んだ時を見計らい、カルラは手を振り払った。

 目指すのはもちろん、ただ一人のもとへ。


「大丈夫だ」

 マティアスはそう囁き、前に出て庇おうとするヴァルトルーデを抱き寄せて一歩下がった。それだけでいい。

 硬い物が床に突き立てられる音が連続し、場は静まり返る。


「な…に……?これ、は」

 ヴァルトルーデの方へ駆け寄ろうとした姿勢のまま、カルラが呟いた。

 床には金属製の糸で形作られた六、七十センチほどの杭が数本刺さり、そこから解けた糸がカルラとクロイツェルの騎士を拘束している。衣服の上から縛っているため血は出ていないが、素肌であれば切れていただろう。


 無意識にマティアスの服を握りながら、ヴァルトルーデはハッとしてケイスを見た。彼が手にした剣の柄、全ての杭はそこから細く伸びている。

 ぐすっと鼻をすする音がして、視線をカルラへ戻した。


「どうして、こんな事をするんですか……?貴女である私しか、貴女の全部を知ってる人はいないのに。結婚も出産も私が代わりにして、貴女は私だけのはずだったのに。嫌です、私達ずっと一緒なの!」

「愚かだな」

 その一言にカルラがマティアスを睨みつけると、彼は「失礼」と心にも無い謝罪をした。


「全て知っているというのはおかしいと思ってな。わからないから教えろと喚いていたのはそちらだろう」

「黙りなさい、貴方にヴァルトルーデ様は渡さない!ヴァルトルーデ様をわかっていいのは私だけ、私だけがヴァルトルーデ様になっていいし、私だけがヴァルトルーデ様の全部で!」

「カルラ。落ち着いて」

「ああっ……失敗して、めちゃくちゃになってごめんなさい、ヴァルトルーデ様。大丈夫。今度こそ、今度は貴女を眠らせて、私がずっと持っておきますからね。大事に、大事にしまっておくの」

 いつから、カルラはそんな風になったのか。

 知らなかっただけで、最初からだろうかと、ヴァルトルーデは少しだけ考えた。目を伏せ、「もういい」と心の中で呟く。


 支えになってくれた親友カルラはもう居らず、ただヴァルトルーデに執着する犯罪者だけがそこにいる。

 何か壊れてしまったような、在るべき境界が無いような、パーツが取れてしまったような。


 きっと監獄に入ろうと処刑されようと、カルラは己の罪を省みないだろう。

 本人に相対した今、ヴァルトルーデはそれをよく理解した。一人だけでは精神が疲弊し、黙って牢へやるよう指示を飛ばしたかもしれない。


 しかしヴァルトルーデの隣にはマティアスがいて、彼が信じる部下達がいて。

 真実に気付き罪悪感を抱えるロジーナやルーカスも、苦しむクロイツェルの騎士達も、こちらを見守っている。深呼吸をして、ヴァルトルーデは両手を腹の前で揃えた。


「断言しておくわ、カルラ。私は貴女を忘れるでしょう。」

「――…、えっ?」

「そしてもう二度と。貴女が牢に入っても刑を受ける時になっても、会う事はない。だから《さよなら》なの」

「な…何を言うんですか、ヴァルトルーデ様。そんなはずないでしょう?」

 じわりと汗を滲ませたカルラが聞き返す。

 見開いた目は頼りなく泳ぎ、不安と恐怖に苛まれたその表情は、もう到底ヴァルトルーデに似つかわしくない。カルラ自身の顔だった。


「私はずっとずっとずっと一緒だったんですよ?貴女が私なしでいられっ……、私を、忘れられるわけが。」

「忘れるわ、まだまだ長い人生だもの。もういない人より、これから先付き合っていく人達の方が大切で、多くの時間を共に過ごしていくのだから。」

「私が一番です!貴女にとっても私にとっても、だって、どれだけ一緒だったかっ…」

「お前ごときよりも」

 余裕の笑みを浮かべ、マティアスがヴァルトルーデの肩を抱き寄せた。

 驚いて彼を見上げたヴァルトルーデと目を合わせ、意味ありげに微笑みかける。


「これから俺と過ごす時間の方が遥かに長くなる。そうだろう?」

「っ……殿下。今は、その。」

 マティアスに言われた言葉を思い出し、ヴァルトルーデの頬に赤みがさした。近くなった距離が恥ずかしく思えて目をそらす。

 ケイスは心の中で「いつの間に!おめでとうございます!」と拍手したが、真面目な表情は崩さなかった。カルラは愕然としてヴァルトルーデを凝視している。


「ヴァルトルーデ様……駄目、そんな…っ【どうか、私の」

「自分の立場がわかっていないのか?」

 ケイスが静かに言った。

 マティアスが対応するまでもない。カルラが唱え始めた時点で、アーレンツの騎士がその喉に刃をあてていた。何も言えずにはくはくと口を動かすカルラは、一筋の涙を流しながらヴァルトルーデを見る。

 目に映ったのは、ロジーナとルーカスの方へ向かう背中だった。


 ヴァルトルーデがカルラを見る事はもう無い。


 その事実を理解すると同時、騎士によってカルラの意識は落とされた。

 多くの被害者を出した、その魔法を解くために。




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