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【完結】ハムスター王女、隣国王太子のペットになる  作者: 鉤咲蓮


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2/24

2.ハムスター王女、名前を得る



 なんて経緯は、人語で話せない以上わざわざ王太子殿下に語ったりしないけれど。


 うっかり眠りこけて城まで運ばれてしまったものだから、私はまず土汚れを落とす必要があった。綺麗な絨毯や廊下を汚せばすぐ存在に気付かれてしまう。

 騎士が荷物を置いて離れてすぐ、誰かの水筒をひっくり返して水を浴び、誰かの服だか何だかに身をこすりつけて綺麗にして、通りかかった人が背負ってる荷物に飛び乗ったり、移動に疲れてワゴンでどこか(これが殿下の部屋だったのでしょう)へ運ばれたり……。


 安易に人間の姿に戻ったらカルラ達に見つかってしまう。

 せめてクロイツェルの一団がこちらでの宿――離宮に落ち着くまでは待つ。それに私とて初めて来た場所だから、まずは周辺の状況を確認して安全を確保してから今後を考えようと。そう思っていたのだ。


《殿下に見つかるなんて予想外でしたが、食事を頂けるのはありがたいです。お辞儀なんてしたら人間みたいで変だからしないけれど、ありがとうございます。》

「よく喋るねずみだ。種ばかり食って、喉は乾かないのか?」

《乾きます》

 私の意見を聞いたのか、聞いていないのか。もちろん聞こえるわけはないけれど、殿下はテーブルに置いてあった水差しを取る。

 本来はナッツの殻を入れるためだろう更に小さいお皿へツツ、と注いで、フードカバーの中へ入れてくれた。私がここから瞬時に逃げ去るという疑惑は晴れていないらしい。


《お水をありがとうございます!やっ》


 たわ、と言いたかった。

 やったわと言いたかった私だが、両手を皿の縁について身を乗り出した瞬間、皿がひっくり返って顔に激突し、びしょ濡れでのたうちまわる事になった。


《あああ!ああああ!》

「大丈夫か」

《痛いです!げほっ、うぅ、う…こんな痛いことあるの……!?》

「血は出ていないようだな。」

《ごめんなさい、テーブルを、うう、濡らしてしまわぁっ!》

 顔を拭っていたら急に布をかぶせられ、わけもわからぬままぐりぐりと転がされる。

 何事かと思ったけれど、私が濡れたから拭いてくださっているのかも――今絶対にテーブルも拭いた!私を拭くのとテーブルを拭くのを一緒くたになさった!?淑女になんてことを!

 ああ、ぐるぐるフキフキされて、文句を言う気力もなくなりそう。


《め、目が回る……》

「中々どんくさいねずみだ。希少種なのだろうが、君は()()()()()()は負ってないらしいな。どこから来た?」

《どんくさいですって、生まれて初めて言われたわ………荷物に紛れて潜り込んだけれど、ご安心くださいな。城のあちこちを齧る趣味はありませんから》

 言いながらよろよろ起き上がったけれど、拭かれたからといってすぐに身体が乾ききるはずもなく。なんとか手で水気を払い飛ばそうと試みる。

 殿下からは下手な毛繕いをしているように見えているかしら。置かれたままのテーブル拭きに近付いて、まだ濡れていなさそうなところに顔をちょんちょんとくっつけた。少しマシになったわ。


「おい。これなら飲めるか?」

《レタスに水を?……名案です、殿下!ありがとうございます!》

 私にとっては大きな平皿に乗り込んで、レタスの上にちゃぷんと溜まった大きな水滴を吸い上げる。ああなるほど、この身体だと舌でぺろっとするだけでも結構しっかりお水が入るわ。

 ありがたくごくごく飲んでいたら、不意に脇腹を指でちょんとつつかれて跳び上がった。もんどりうって転がりながら激しく抗議する。


《なななな何をなさるのですか、驚くでしょう!私は今、安全だと思って…ッ安全だと思ってお水を飲んでいたのに!》

「そう怒るな。悪かった」

 ヂヂヂヂーッと叫んでいた私に気圧されたのか、殿下は赤い瞳を丸くして瞬いた。

 いつの間にかフードカバーは外れたままで、殿下もその外側にあった皿から肉料理か何かをフォークで食べ始める。……そういえば、私にくれたナッツやレタスも、たぶん殿下の食事よね。

 分け与えてもらう立場で申し訳なかったと思い、けれどしっかり殿下を視界の真正面に捉えるよう移動して、私は水を飲んだりレタスをしゃくりとかじったりする。


「……クロイツェルの王女といえば、魅了のような魔法を使う疑いがある。」

《むぐっ!?》

「俺の目的はその真偽を確かめることだが…」

《ど、どうして知っているのです?誰が疑ったんですか、それを!皆があの子を信じているのに…》

「仮に王女自体が偽物だったなら、本物はどうしたのだろうな。」

 ボウルから皮を剥かれたオレンジを取ってぱくりと食べ、殿下はどこともない空中を見て言った。

 とうに死んでいるかと呟かれ、一応生きてますと心の中で答えてみる。


「君も食うか?」

《あら、いいのですか?ああでも、こんなに大きいオレンジにかぶりつくなんて、顔がべたべたしそう――はむっ。》

 人間からしたら普通サイズだろうオレンジに、どこか背徳感を味わいながらぱくり。

 どうして私は気付かなかったのだろう、その当然の帰結に。


 ぷしゅっ。


《ぁあああ!目が、目がぁああ!!痛いですっ誰か、殿下!!》

「どうもしてやれんぞ、それは。水に飛び込んで洗うか?」

《なんでもいいから助けてくださいっ!》

 じりじりと焼けそうな目を瞬くと、涙の向こうに傾けられたコップが見えた。

 一も二もなく飛び込んで、水の中でぱちぱちと瞬く。沁みるけど、痛みが薄れていく、気がする。意識とともに。


《ごぼごぼごぼ…ごぼ……》

「……おい。それはどんくさすぎるだろう。」

《ぶはっ、けほっけほ!》

 入ったはいいものの、上手く戻れなくてもだもだしてしまった。

 またしてもびちょ濡れになった身体でぜぇぜぇと空気を吸い込む。


《お、お尻を掴んで引っ張られるなんて、げほっ。…お嫁に行けないかもっ、こほ……行かなくてもいいか。わぷっ》

 今度は違う布でもみくちゃにされた。

 テーブル拭きより明らかに上質な肌触りのそれは、なんだか良い匂いもする。ようやく終わったと思えば殿下の手のひらの上で、どうやら自分のハンカチを使ってくれたみたい。


「君は賢いのかそうでないのかわからんな。」

《これだけは自信を持って言いますけど、普通のねずみよりは賢いと思いますよ。くしゅんっ。》

「俺のもとで働いてみないか?」

《へ?》

 ちり紙が欲しいと思いながら部屋を見回していた私は、唐突なお誘いに目を丸くした。

 ハムスターの目は元からまんまるだけれど、くりりっと更に丸くした。


《ど…動物に話しかける人はそこそこいますが、その、雇う人はあんまりいないかと――…いえ、いるのかしら。馬とかって、いわば住み込みで雇われているのかしら?》

「ちぃちぃと鳴かずに合図で俺に教えたり、見聞きしたものを教えてくれればいい。」

《簡単に仰いますけれど、ねずみに求めるにはかなり難しいのでは?それに働くといっても私、人に雇われた事ってありませんし。どうしたらいいのか…》

「表向き飼う事になるから、三食寝床付き、自分で毛繕いせずとも綺麗にしてやれるわけだが、どうだ?」

《とても魅力的です。》

 思えば、そう。

 今の私はろくに味方がいないのだ。殿下の慈悲で食事を与えられただけで、この先は明日の食べ物がマトモである保証なんてどこにもない。

 ゴミ箱を漁り、残飯を狙い、人からネズミだと追い回され、「駆除」される可能性だって。


 それよりは、殿下のペット――いえ、部下としてひとまず雇って頂いた方が、安全なのでは。

 城から離れないとカルラに近いという危険はあるけど、なにせ彼女は私がハムスターになれる事を知らないし、私をカルラだと思って殺そうとした騎士は、崖から落ちて死んだと思ったはずだ。


 私をテーブルに下ろした殿下は、チッチッと舌を鳴らして私を人差し指で招く。

 四つ足でトトッと軽く駆け、立ち上がった私は殿下の指に手をあててみせた。


「肯定と否定、そこからだ。鳴かずにできるか?」

《なんとかしましょうとも!》

「鳴かずにだ。」

 この姿で「喋るな」と言われる日が来ようとは。

 王太子殿下は、動物の調教をよく自らなさっているのかしら?話しかけるのも触れるのも慣れておられる気がする。そんな事を考えながら、私はこくりと大きく頷いてみた。

 殿下がふっと笑う。


「いい子だ。」

《お、お言葉ですが。お嫁にいける歳です、私。》

「次は否定、違う時はどうする?」

 全然話を聞いてくれない。人語じゃないから当然だけど。

 なぜか心臓がどきどきしているけれど、とりあえず頭を左右に振ってみた。左、右。意識しないと上半身ごと一緒に動いてしまいそう。


「悪くないな。君ほど人語を理解できているなら、どうにか使えそうだ。」

《人語で伝えられたら、それが一番なのですけどね。》

 殿下の指がくしくしと私の頭を撫でている。

 あ、意外と……この姿で人に撫でられるのって悪くないかもしれない。新体験だわ。


《ああっ…す、すごい心地良さ……!殿下、報酬に撫でるのも追加してください…》

「ふふ。後は君の名前を考えないといけないか」

《名前?うーん……それは確かに悩みますね。お供させて頂くにあたって、無いのも変ですし》

 ヴァルトルーデだとチーチー名乗っても伝わらないでしょうし――というか、殿下がヴァルトルーデを怪しんでいるのに名乗ってそれが伝わったら、色々と危なさそう――、使用人に見つかった時のためにも、表向きはペット扱い。


《よっぽどおかしくなければ、殿下の好きに名付けてくださいませ。》

「……テーブル…ボウル…オレンジ…レタス……」

《殿下?》

「ルルでどうだ。」

《まさかテーブ()とボウ()からですか!?》

 可愛らしい名前ですけれど、元が!元がちょっと、納得がいかないのですが!

 他の候補はブウとジスだと言われ、私は大人しくルルになった。


《殿下は……いつかお子ができた時には、妃殿下が名付けをされるべきだと思います。》

「予想外に面白い部下を得たな。ルル、芸はできるか?やれた方が、連れている時に誤魔化しやすい。」

《指示を頂ければ、何かはしますが。》

「回れるか?」

 殿下が人差し指でくるりと円を描く。

 その回り方通りにトコトコ小さく回ってみると、「よし」と大きな手で頭から背中まで撫でてくれた。ああっ!頭だけとはまた違う感覚だわ。


「俺の名はマティアスだ。好きに呼ぶといい」

《存じております…はい……》

 夢見心地でうっとり目を閉じながら、私は「真偽を確かめる」と言った殿下の言葉を思い出した。

 カルラが演じる「ヴァルトルーデ」が危険な魔法を持っているかもしれない、この方はなぜかそれを知っている。……だけど、一体どうやって立ち向かうおつもりなのかしら。

 なでなでの魔力から逃れて考え込む私の前に、殿下がぽとぽととハンカチを並べていく。


「寝床の素材はどれがいい?」

《シルク……いっいえ、居候の身ですから、葉っぱとかでも…!》

「ああそうか、まず籠を置いて……小さい小屋があった方がいいのか?ルル、粗相(そそう)をする場所は覚えられるか?」

《淑女に!なんてことを!!》

「そう怒るな。ケイスに鳥籠か何かないか、聞いてみるか…」

 ヂヂィと叫ぶ私には目もくれず、マティアス殿下はまた一つぱくりと軽食を口にする。

 今日はクロイツェル王女ヴァルトルーデ――私である――の到着日だけど、確か予定では、今夜は荷物を広げ使用人達が行動範囲を確認し、王女自身は旅の疲れを癒す時間だ。二人が顔を合わせる事はない。


「さて……ヴァルトルーデ・アンネリーエ・クロイツェル。まず今夜はどうするのだかな。」


 どうするも何も、殿下に飼われる事になりました。

 なんて、心の中で答えてみたけれど。くりくりと人差し指で撫でられて、かよわいハムスターである私はただ、「ああああ」と弱々しい声を出す事しかできなかった。





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