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【完結】ハムスター王女、隣国王太子のペットになる  作者: 鉤咲蓮


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19/24

19.刃が解けて狙う先




 抗議に抗議を重ね、どうにかハンカチから脱出させてもらえた私は、「またそのうち遊びに来い」という殿下になんとか頷きを返して図書室から退散した。


 危なかった。

 あのままハンカチに閉じ込められていたら、人の姿に戻るタイミングを完全に失うところだったわ。一体なぜあんな事に……さっぱりわからない。


 変身を解いてからアンベルが化粧を整えてくれた部屋まで一度戻り、ハンカチの中でくしゃくしゃになったのだろう髪を整える。

 心臓の鼓動が早いのは走ったせいなのか、焦ったせいなのか、それとも。


『君を知る時間がほしい。』


「……な、なんて答えればよかったの。」

 マティアス殿下の真剣な眼差しを思い出して、頭に浮かぶのは「どうしましょう」ばかりで。

 ああもう、勘違いさせるような事を言わないでほしい。勘違いじゃないかも、なんて、浮き足立った事を考えてしまいそうで。


「今はそんな場合じゃないでしょう、カルラを何とかしなくちゃ。」

 あの子を私としてクロイツェルに帰すわけにはいかない。

 もちろん、私としてマティアス殿下と結ばせるわけにもいかない――王妃殿下も真実を知っている中で、さすがにありえないだろうけれど。


 深呼吸をして、落ち着いて。

 お互いくだけた態度でどうでしょうなんて話をしたけれど、私はちょっと、気を抜き過ぎてしまったかもしれない。殿下がルルのように「君」と呼んでくださる事が、嬉しくて。舞い上がって。

 じわりと赤らんでしまう頬を手で扇いで、風を送る。


 私だって、もっと貴方を知る時間がほしい。

 けれどそれは、カルラを捕まえてから。私が公にヴァルトルーデ王女として、貴方に会えるようになってから考えるべき事だ。

 しっかりしなさいと、鏡の中の自分を睨みつけて頷いた。そろそろ図書室へ戻りましょう。


 バタン!と大きな音がして、肩が跳ねる。

 続いて一人分の足音が駆けこんでくる、玄関ホールからだわ。


「殿下!ご無事ですか、マティアス様っ!」

「ケイス?」

 あんなに焦った声でどうしたのだろう。私は不安になって廊下へ出た。殿下を捜していたのだろうケイスと目が合い、眼鏡の奥で瞳を丸くした彼が顔を歪め――剣を抜く。


「え?」

「偽物が、よくも騙してくれたな!」

「何を言って」

「――【(ほど)けてしまえば僕の手指(しゅし)】」

 ぞわりと、肌が粟立った。魔法だ。

 ケイスが持っている剣の刀身が糸のようにバラリと解け、空中でひとりでに束ねられて幾本もの細い杭の形状を取る。まさかカルラに何か吹き込まれた?


 私は今ここで、貴方に殺されるのか。

 まずい。まずい。足が震えて動かない。


 杭が一斉にこちらへ飛んでくる。

 変身すればまだ、避けられるかも――…声が、出ない。


 ぎゅっと目を瞑った私を誰かが抱き寄せた。

 すぐ近くで金属がぶつかり合う音、衝撃。痛みはなくて。おそるおそる目を開けると、マティアス殿下が抜き身の剣を手にケイスと対峙していた。私を自分の後ろに隠すようにして庇ってくれている。


「離れてください、貴方ごと捕縛する事になる!」

 ケイスが叫んだ。どうやら殺すのではなく捕えるつもりだったらしい。

 とてもそんな風には見えなかったけれど――…助かったのか、私は。心臓が早鐘のように鳴っていて、震える手が勝手に殿下の服を握っている。


「畏れ多くも王妃殿下の離宮で暴れるな、ケイス。相応の理由があるんだろうな」

「その女は偽物です。花の離宮にいる方こそ本物の王女殿下であり、それ以外はありえない。」

「…なるほど、そう()()()()か。」

 カルラ。

 あの子の魔法でまた、こうなっているの。危険だとわかっていたはずの、ケイスでさえ。

 焦る私と違い、マティアス殿下は落ち着いていた。右手に持った小さな何かを向こうに見せて。


「命令だ、ケイス。これを掴め」


 殿下が投げたそれを片手で受け止めた瞬間、ケイスは痛みがはしったかのように顔を歪めた。

 握り拳を額にあて――…杭の形状を取っていた金属の糸が、はらりと解けて剣の形に戻っていく。戦意を失っている……こんな簡単に?


 マティアス殿下が剣を下げる。

 ケイスも剣を鞘に納め、その場に跪いた。


「――…無礼、を…お詫び致します。第二王女殿下、マティアス様」

「目は覚めたか。」

「はい。…申し訳ありませんでした」

 面を上げたケイスは、まだ痛みがあるのか顔を顰めている。

 もう解放されたのだろうか、カルラの言葉から。マティアス殿下が私を振り返る。


「ヴァルトルーデ王女。平気か?」

「……はい。ケイスが元に戻ったのなら…よかった。ありがとうございます。マティアス殿下」

 ようやく、落ち着いて息ができる心地がした。

 気を付けていないと床にへたり込んでしまいそうで、殿下が差し出してくれた腕に手を添える。今一度私に深く頭を下げたケイスは、苦い顔で立ち上がった。


「しかし、マティアス様。私があの女にやられたなら、即座に気絶させるか何かしてください。貴方に何かあったらどうしますか。」

「お前がその気なら、そう簡単に気絶してくれるものでもないだろう。」

「そうかもしれませんが…」

 ケイスがマティアス殿下に返したのは、デルクス長官と面談した時に見かけた指輪だった。

 何の変哲もない、装飾もシンプルなもの。殿下はそれを元通り右手につける。きっとカルラが使う魔法を解く力か何かがあるのだろうけど、気付かないふりをした。他国の人間が知っていいものではないはずだ。


 とにかく部屋へと殿下が言ってくださって、私達は食堂に移動した。

 アンベルが用意したのだろうか、食事は既に並んでいる。食欲なんてと思ったけれど、一瞬でも命を覚悟したせいなのか、美味しそうな香りに誘われて私のお腹は嬉しそうだ。

 椅子までエスコートしてくださった殿下にお礼を言って、席に着いた。向かいに座った殿下が「それで」と口火を切る。視線が向く先はもちろん、ケイスだ。


「向こうと接触した事は覚えているか?」

「……はい、確かに。」

 記憶を丁寧に辿るように、ゆっくり噛みしめるようにして、ケイスは苦い顔で頷いた。

 マティアス殿下と別れた彼は城へ向かう途中、予定外に出歩いていたカルラ達に鉢合わせたらしい。


「散歩したくなったと言っていましたが……誰かに殿下の行き先を聞いて、同じ方へ向かっていたのかもしれません。そこは不明です。あの女は、偶然でも会えてよかったと言って――魔法を使いました。」


 他に幾人もいる中で洗脳系の魔法を使用する、それはケイスにとって予想外だった。

 そういう魔法の持ち主だと知られる可能性があり、「自分も何かされているのでは」と疑念を抱かれれば駒は減る。


「今にして思えば、周りにいる連中は既に、そこに気付けないような魔法をかけられていたのでしょう。誰も反応しませんでしたが、彼女は魔力を込めて『どうか私の言葉を信じてね』と言った。」


 咄嗟にそこから逃れようとしたケイスをクロイツェルの騎士が妨害、その隙にカルラは「私だけが本物のヴァルトルーデで、私だけが…」と言いかけたらしい。

 けれど全部言い切る前に、ケイスは必死の形相で脱出し星の離宮へ向かった。幾つか魔法をかけたかったでしょうに、不完全にも「本物のヴァルトルーデは誰か」という一つだけ。


 カルラには予想できなかったでしょう。

 でも目の前の女性が本物だと信じ込まされたら、ケイスにとっては「偽物と主君が一緒にいる」ことになる。断じて放置できない事態であり、即座に駆けつけ偽物を捕えようとするのは当然だった。


 そしてマティアス殿下への忠誠心などを曲げられたわけではないから、殿下の命令には基本的に従う。だから簡単にあの指輪を受け取った。

 話を聞く内に私もだいぶ落ち着いてきて、どうにか微笑みを浮かべる事ができる。


「貴方がすぐに脱出してくれてよかったです、ケイス。完全にあの子の思う通りの魔法をかけられていたら、今頃どうなっていた事か。」

「そう言って頂けるのはありがたいですが、一つも魔法を受けない事が理想でした。私の未熟さで王女殿下を危険に晒してしまい……」

「それに関してはもう謝らないでください。元々、彼女をこの国へ連れてきてしまった私自身の咎なのですから。」

 ゆっくり首を横に振って伝えると、ケイスは黙って一礼した。

 ハムスターの時にはなんて変態なのと恐れおののいたけど、彼は心からマティアス殿下に仕えている真面目な人だ。罪悪感で縛られる事にはなってほしくない。


「確認だが。ヴァルトルーデ王女が生きているという事が、相手に知られたわけではないな?」

「…申し訳ありません。私が途中で逃げたからこそ、怪しまれその可能性を考慮するきっかけにはなってしまったかと。確信には至らないかもしれませんが」

「微妙なところだな。聡い者なら気付くだろうが……」

 殿下はそこで言葉を切った。

 してやられた側の人間がいる前では言いにくかったのかもしれないと、私が口を開く。


「あの子は立ち位置と魔法に恵まれていただけで、隙の無い緻密な計画を立てているわけではありません。」

 現に私が生きている。

 死体を確認しなかった、処理も命じなかった。

 殺す事が目的なら、薬でも用意して私が逃げられないようにすればよかったのに、それもない。


 最後に私に見せたのは笑顔だった。

 何がなんでも殺してやろうという気迫は、憎しみは、怒りは、なくて。楽しくて幸せな夢を語る少女のように、笑っていた。


「ケイスの反応に違和感はあったでしょうが……楽観的な面もあるので、私が生きて保護されている事までは予想できないと思います。」


 ほぼ、そうだろうけれど。

 私がそう考える事もまた楽観的と言える。殿下達としては鵜呑みにできない話。

 それをわかっているから、私は続けて言った。


「仮に予想されたとしても……あちらが私に手をかけるより早く姿を現し、向こうの身柄を拘束する。そのつもりでおります。」

「ああ。この離宮に入れるのは限られた者だけ……明日に備え、今夜はゆっくり休んでほしい。もし心配であれば、俺がまた来るまで魔法を使って隠れて頂いても構わない」

「お気遣い頂きありがとうございます。マティアス殿下」

 手紙を使って殿下をサロンに呼び出した時、私はハムスターの姿で入口近くに身を潜め、殿下だけとわかってから人間に戻り姿を現すなどしてみせた。

 彼はきっと、私の魔法を「姿を消す」あるいは「隠す」ものだと認識しているだろう。


 殿下には本当にお世話になった。

 明日カルラと対面して、国に戻ったらお父様とも話して……できる限りの礼を尽くしたい。感謝を胸に心から微笑んだ私に、殿下もふわりと笑みを返してくださった。


「明日落ち着いたら、先程の返事も聞かせてくれ。」


 それはきっと、図書室を逃げ出す前に言われたこと。

 私を知る時間がほしい、と――…。


 頬が熱くなって、咄嗟に目をそらす。

 私は今真っ赤になってしまっているのだろうか。わからないけれど、くすりと微笑んだらしい殿下の方も、やり取りを見ていたでしょうケイスの方も、私は見る事ができなかった。




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