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【完結】ハムスター王女、隣国王太子のペットになる  作者: 鉤咲蓮


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18/24

18.ハムスター王女、文句を言う




 王妃殿下はケイスが連れてきた事務官と共に出て行ってしまわれて、その際「好きに使うといい」と言われた私は今――…図書室の片隅で、マティアス殿下と向かい合わせに座っている。


 キッチンからすぐ三つ目のカップが出てきたあたり、王妃殿下はマティアス殿下が来る事を予想していたのでしょうけれど……彼としては、ここへ寄る事になったのは予定外だった。そんな気がしてならない。

 それでも問題ないからここにいるのだろうし、「仕事は大丈夫なのですか」とこちらが聞くのも失礼かしら。


「母の相手をさせてしまいすみませんでした。貴女がここで落ち着いて過ごせるようにと、アンベルに命じていたのですが……」

「とても有意義なお話を聞けました。私としては、素晴らしい機会を頂けたと思っています。」

「…そう言って頂けると、こちらとしてもありがたい。」

 ふっと苦笑したマティアス殿下は、少し肩の力が抜けたように思う。もちろんルルと話す時ほどは、気を抜いていないけど。


 私がルルだったら、少しは気持ちを吐き出してくださっただろうか。

 たとえ僅かでもお力になれたらと思うけれど……「お傍にいますからね」なんて。人の姿になった今では、簡単には口に出せない。まして私は、ご迷惑をかけている側だ。


「どんな話をしていたのです?」

「貴国での魔物対策に関してですとか…私がクロイツェルへ戻った後の話を。」

「……クロイツェルに」

「もちろん、明日きちんとカルラを捕縛してからですが。油断はしません、どうかご安心ください。」

「…ええ。もちろんわかっています」

 マティアス殿下が笑い返してくれる。

 それが作られたものであるのは、仕方がないでしょう。私はあくまで他国の人間。……保護された立場で、素の表情を見せてほしい、などと――烏滸がましい話だわ。


 どうしてそんな事を考えてしまうのだろう、マティアス殿下は友好国として普通の対応をしてくださっているだけなのに。

 胸が痛んだ気がして、考えない方がいい気がして、気を張っていないと眉が下がってしまいそう。


「ヴァルトルーデ殿」

「はい」


 私はもう、貴方のルルではなくて。

 それが少し、寂しく思えるだけ。


 ハムスターの姿だったせいだろうか。

 たった一日程度の事なのに、心を開き過ぎた。素で接してしまった。だからこんなにも、失った気になる。


「貴女の誇りを軽んじるつもりはないが……もう少し、楽にして頂いて構わない。」

「……楽に」

 どういうつもりでそう仰るのかしら。

 困惑して泳いだ視線を戻すと、殿下は目をそらしていた。


「ただでさえ異国の地で、見知った使用人も護衛も離れた状態だ。こちらをどこまで信用するべきかも含め、今の貴女は考える事が多くあると思う。俺に言われても難しいかもしれないが………その。要は、無理をしてないか、気になっている。」

「………無理、という事は」

 決してないと、言おうとして。

 笑いかけた口元を隠すのが無理だと判断して、無礼にも咄嗟に顔を背ける。


 可愛らしいと思ってしまったのだ。

 あのマティアス殿下が、色々と並べ立てておきながら口ごもって結局言ったのが、私の心配だなんて。

 優しいお方だと思う気持ちと、嬉しく思う気持ちと、舞い上がってはいけないという自制が、ぐるぐる胸の中を回っている。


 涼しい顔でケイスに淡々と指示を出していた貴方に、カルラが演じる私に落ち着いて対応していた貴方に、そんな風に気遣われてしまったら。まるで「私」が特別視されているかのような錯覚に陥ってしまう。

 これは危険なことだ、だって心臓がどくどく鳴っている。


「ヴァルトルーデ殿?どうか…」


 殿下の言葉が途切れて、こちらの動揺に気付かれた事を知る。頬がかっと熱くなった。

 マティアス殿下はそれを一体どう思っただろう。保護してやっただけなのに勘違いしてと、呆れただろうか。だとしたら申し訳なくて、情けなくて、どうしましょう。

 胸元で手を握り締める。ああ、いっそハムスターになって隠れてしまいたい。


 黙っているのがあまりにもいたたまれなくて、こくりと唾を飲む。

 勇気を出して殿下の方を見ると――あちらも顔を背けていた。どうしてとは思ったものの、これは好機。見られていない内に落ち着きを取り戻さないと。

 無理なんてしていないし、大丈夫ですよと…笑って……。


「……そう言う殿下こそ…ご無理をされていないか、心配になります。」


 私は何を。

 握った手に力がこもる。無理というか、それは私がただ「素で話してほしい」と思ってしまっているだけではないの?我儘だわ。ああでも叶うなら、ルルと話す時のように。


「その……ご協力頂いている立場で、私が言う事ではないとわかっていますが。」

「…俺は何も――…いや、そうだな。」

 落ち着かなくては、落ち着かなくては。

 こっそりと深呼吸をして、殿下が紅茶に口を付けたのを見て、私も一口頂いておく。ほどよい甘さを舌に感じながら、カップを置いた。


 殿下の赤い瞳と、目が合う。

 私達、似た表情をしている気がするのは、気のせいでしょうか。

 そんなわけはないのに。私が貴方を知っているほど、貴方は私を知らないのに。


「…これは提案なのですが……互いに、もう少しくだけた態度で……というのは、いかがでしょう。」

「……君がそれでいいなら、俺としても助かる。」

「本当ですか!」

 嬉しくてつい反射的にそう言ってしまって、今子供っぽい笑い方をしたかもと焦る。

 そんな私を見て瞬いたマティアス殿下は、ふっと顔を綻ばせた。


「ああ、それでいい。」

「…お恥ずかしいところを。」

「そんな事はない。昨日から接していく中で……君は、本当はもっと表情豊かな人なのだろうなと思っていた。王族として振る舞うのは立派だが、俺しかいない時ぐらい、素を見せてくれた方が嬉しい。」

「ふふ。お優しいのですね」

 殿下が訝しげに首を傾げて、綺麗な金の御髪がさらりと揺れる。

 自然に微笑む事ができたのは、彼の「嬉しい」という言葉が私の中でも腑に落ちるものだったから。


「マティアス殿下も、私だけの時には素を見せてくださいますか?そうして頂けると嬉しいのですが。」


 なんて、彼の言葉をまったくそのまま言っただけのつもり……なのだけれど。

 どうしてかしら、じわじわ恥ずかしく思えてきたのは。

 私だけなんて、何か、すごい事を言ってはいないかしら。殿下がじっとこちらを見ている。


「……言い返されて思ったんだが。」

「は、はい。」

「俺は何か、とんでもない事を言っていないか?」

「どうでしょう。私は言われて嬉しかったのですが……自分が言うと、何だか焦ってしまうのは確かです。本心とはいえ……殿下は、私に言われてお嫌でしたか?」

「…いや、それはまったく。」

 よかった。殿下も言われる分には平気だったのね。


 黙って片手を差し出されて、疑問に思いながらも自分の手を添えた。

 こちらを見つめたまま指先を握られて、どきりとする。反射的に目をそらしてしまう。

 静かな部屋の中で、心臓の鼓動が殿下にまで聞こえたらどうしようと、あるはずもない心配をして。


「明日君の偽物を捕えたら、クロイツェルに帰るのか。」

「はい。魔法にかかっていた者達は混乱するでしょうし、すぐにとはいかないかもしれませんが……」

 手を握る力が強くなって、引き止められたかのように錯覚する。

 そんなはずはないのに。


『ヴァルトルーデ王女。わたくしは立場を踏まえた上での見解ではなく、そなた自身の感情を聞きたいのだ。』


 駄目、すべて自分に都合の良いように考えてしまいそうになる。勘違いしてしまう。

 触れられた指先が熱い。これ以上は耐えられない気がして、口を開いた。


「殿下、」

「君を知る時間がほしい。」


 驚いて、息が止まりかけて。

 反射的に殿下の目を見てしまった。私は今どんな顔をしているのだろう、全然わからない。真っ直ぐにこちらを見つめる貴方の瞳が眩しくて、胸の奥が熱くて、その熱が全身に伝わるようで、きっと頬も真っ赤で、恥ずかしい。


 今までこんな事はなかった。

 どんなにお世辞を言われたって、褒められたって、「ありがとう」と受け流せていたのに、どうして。


 ぷつんと限界が来て、私はできるだけそっと手を引き抜いた。

 よろよろと立ち上がって、「すこし、ひとりでさんさくします」と、きちんと発音できていたかどうかも怪しい。


「一人は危ないだろう。俺も」

「大丈夫ですので!」

 問答無用とばかり叫ぶように言って、私は殿下が立ち上がるより早く図書室を飛び出した。廊下に誰もいないのを確認して、へなへなと崩れ落ちる。


「――【これより先は広き世界】!」


 羞恥の限界だった。

 マティアス殿下が整ったお顔立ちだという事くらいわかっていたけれど、なぜかどんどん格好良さが増していて、ああ、昨夜は「本物のヴァルトルーデ」として王女の品格を保てていたはずなのに!

 くだけた態度でなんて提案するべきじゃなかったのかもしれない、どうしたらよかったのだろう。


 扉が開く音がしてハッと振り返ると、誰かを――私でしょうけれど――捜すように周囲を見たマティアス殿下が、当然のようにこちらに気付いた。

 少しだけ目を見開いて、けれどすぐに屈んでくださる。


「ルル」

《……殿下……》

 どこにいたとか、何してるとか、聞かないのですか。

 私を見つけてどこか嬉しそうにも聞こえる、優しい声。伸ばされた手のひらに、吸い寄せられるように近付いて。私を手に乗せた殿下は、姿を消した王女を捜す事なく図書室に戻った。

 もしかすると、この星の離宮からは勝手に出られないようになっているのかもしれない。


「脱走した割に、息災のようだな。」

《それにはとても深いわけがありまして……》

 テーブルの上にちょんと置かれて、私はじっと殿下を見上げた。

 ハムスターの姿なら感じ方も変わるかしらと思ったけれど、微笑む彼の姿が眩しい。


「俺に文句があるなら聞こうか?」

《文句……殿下が悪いとは申しませんが……》

 指先で頭を撫でられて、悔しくも心地良くなってしまう。手で顔を覆って走り去りたい。

 でも、今なら何を言ったってヴァルトルーデが言った事にはならない。


《あの…》

「うん?」

 ああほら、そんなに優しい顔をしてこちらを見るから。

 私は目を合わせられなくなって、つい顔を伏せてしまうのです。わかるかしら、知られたくはないけれど。


《……あんまり、勘違いさせないでください。…このままだと私、貴方を好きになってしまいます。》


 一体、どんな文句を言ったと思われたのだろう。

 瞬いた殿下は私をハンカチでそっとくるみ、しばらくその真っ白な世界から出してもらえなかった。




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