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【完結】ハムスター王女、隣国王太子のペットになる  作者: 鉤咲蓮


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17/24

17.仮初の幸福を得た先に



「あの偽王女、早いとこ締めた方がいいな。」


 ケイスと共に情報統括局を訪れると、ヒルベルトは欠伸をかみ殺しながらそう言った。

 恐らく昨夜あまり寝ていないのだろう。目の下にはうっすら隈ができているし、瞬きの回数が多い。ケイスが小さく息を呑み、口を開く。


「…昨夜は一方的にレイケルをこちらへ寄越してしまいましたが、いかがでしたか。」

「まだここに居てもらってる。本人はサッパリ事情をわかっちゃいないが、他にも暗示がかかってたら困るんでな。」

 ロブレヒト・レイケルは実直な騎士だが、昨夜は俺の部屋に侵入しルルを殺そうとした。

 ケイスの判断でヒルベルトのもとへ向かわせ、結果として軟禁されているのだろう。偽のヴァルトルーデ王女……カルラという女の魔法を受けたために。


「そっち掛けてくれ、多少長くなる。」

 ヒルベルトが軽く手振りし、俺とケイスは応接用のソファに腰掛けた。

 ローテーブルを挟んだ向かいにヒルベルトが座り、人物名が羅列されたリストを置く。何人か打消し線が引かれていた。


「俺があの王女の周りに配置した部下だ。身を隠さず偽の役職で近付けた奴らは大体やられた」

「どういう状態だ?」

「吹き込まれたのは恐らく『あの王女は本物であり、王太子の嫁に相応しい』こと、そして『王女とは何も会話していない』あたりだな。動向を探る仕事はまともにやってるが、報告書に不要な誉め言葉だの、偽物じゃないと思うだのを添えてきてる。」

「レイケルと同じように、それが正しいと信じ込んでいるのですね。」

 本当に厄介な魔法だ。

 そんな人間に囲まれていただろう本物のヴァルトルーデ王女は……彼女は、わけもわからないまま二年も過ごしていたのか。


『当時私は何が起きているか側近に調べさせておりましたが、何も掴む事はできず。』


 わからないのは当然だろう、調査を任された側近かその部下か、調査対象か、あるいは全員が魔法にかかっていたかもしれない。

 真実など掴めるはずがなかった。


「マティ、そっちはどうだった。朝飯も一緒だったんだろ」

「…ルルがいなくなったと伝えたら、悲しそうな顔をしてみせていたな。見つかる事を祈っていると」

「ふはっ!自分で殺せと命じたくせに、よく言ったもんだ。」

「…私は見ていて恐ろしかったですよ。あの女……王女殿下の顔を使って、本当に心底悲しそうな表情をしていたので。」

 苦い顔で言いながら、ケイスは悪寒がしたかのように二の腕を擦る。

 俺もあれは内心吐き気がした。王族の影として身に付けた技術なのだろうが、真実を知っていればこそ悍ましい。

 長い脚を組み、ヒルベルトが背もたれに寄り掛かって笑う。


「確かに末恐ろしい女だよ。俺にも会おうとしてきた」

「何だと?」

「もし自分を警戒している者がいるなら、誤解を解くために直接話したいと言ったようでな。部下が『その場では知らないと言いましたが、長官。ぜひご自分の目でもお確かめください』だと。」

「警戒という事は……偽物と知られた心配というよりも、王太子妃になるための布石でしょうか。」

「だろうな。」

 あの女はそうやって、自分を怪しむ者に直接会っては魔法をかけていったのか。

 影武者の存在はごく僅かな人間しか知らないのが常だ。そこを懐柔した先は、相手が「本物の王女」と勘違いしている状態。言葉を聞かせるのは楽だっただろう。


「ヴァルトルーデ王女は可哀想だが、あの女の目的が『王女になって男を選り好みする』くらいでまだよかったかもな。いくらでも悪用できる魔法だ。」

「しかし捕まえるにしても、これほど精神干渉を使われては……指輪の守りがある殿下はともかく、他はどう対処すればいいのか。」

 ケイスが苦い顔で落ち着きなく眼鏡を押し上げた。俺一人無事だったとして、こちらの騎士を幾人も懐柔されては困るのは確かだ。さすがに過半数がやられるという事はないだろうが。

 ヒルベルトが任せたとばかり俺を見やるので、口を開く。


「…己の言葉を信じさせる魔法であるなら、最悪、相手が魔法を発動した時点でこちらは耳を塞ぐ。」

「ああ…そこから先の言葉を全て聞かなければいいと。確かに」

「まぁそれやると、固有魔法を把握してるって事はバレるけどな。発動だって、魔力を感知できる奴じゃないと気付けない。」

 耳栓でも持ち歩かなければ手が使えなくなってしまうし、完全に塞がないと意味がない。

 おまけに相手が多勢を従えていた場合、聴覚を捨てるのはかなり厳しい選択になるだろう。ヒルベルトの指がテーブルを叩く。


「精神干渉系は確かに強いが、本人の認識と乖離(かいり)した内容を擦り込んだり、頻回に使用すればするほど、何かしら負荷がかかるもんだ。持続性か、かかりにくさか、術者自身にか…それは個々によるだろうが。王女の噂が出たのは二年前と聞く……一体何人に使ったかね。この様子じゃ使用間隔を空けてもないだろうし、案外、とうに本人の精神も崩れているかもな。」

「ありえますね。成り代わりたいと思っている相手の評判を自ら下げたこと。他国の城内で好き勝手に魔法を使っていること……仮にも王女の影を任されるような人間が、よくそのような愚行に走ったものです。」

「マティ。本物は今どうしてる?」

「アンベルに見させている。目を覚ましていれば、今頃は星の離宮にいるはずだ」

「星だぁ~?」

 ヒルベルトは片眉を吊り上げ、勢いづけて立ち上がった。

 何をするかと思えば、気だるげに頭を掻きながら机に向かっていく。卓上に積まれた書類から一束抜き出したようだ。ページをめくりながらため息をついている。


「そこは月にしておけよ。お前の離宮だろ」

「普段出入りがないのにか?目立つし、相手の魔法を考えればこそ、護衛を多く入れるわけにもいかない。かえって危険だ」

「星の守りが堅いのはわかるが、ヘルトラウダ様が大人しくしてるかな。」

「王妃殿下でしたら、日中は会合が二件入っているはずです。」

 ケイスの答えに、ヒルベルトがページをめくる手が止まった。

 眉間に皺が寄ったところを見るに、当日に断っても許される相手だったか?


「ブラウエル侯とファルハーレンじゃないか。こんなの後回しだろ、愛息子の嫁候補がいるって時に。」

 母上の親族と傘下の商会だ。急用ができたと断っても何ら問題ない。

 確かに相手までは確認していなかったな。……というか、この男はどこまで把握しているんだ。ヒルベルトが音を立てて書類を机に放る。


「今すぐ行ってやった方がいいんじゃないか?あの方を恐れない娘は珍しいぞ。」

「…ひとまず見てくる。」

「もし珍しい方の娘だったら嫁にしてこい、マティ。貴重な人材だ」

「あの、デルクス伯。今そこ繊細なので、あまり殿下を追い詰めな――」

「行くぞ、ケイス。」

「はい!」

 何やらこそこそ話していたケイスを急かし、笑って手を振るヒルベルトに背を向けて退室した。

 正面玄関へ急ぎながら、朝食の席で微笑んでいた女の姿を思い出す。後ろに控えていたクロイツェルの使用人や護衛達の、彼女に仕える事が喜びだとでも言いたげな表情も。

 全ては魔法で作られた虚構か。


 時間をかければかけるだけ、あの女は周りの人間を惑わし手中に収めていく。

 仮に《アーレンツの王太子妃》の立場を狙っているとして、俺の事は外見と演技で篭絡できると思っているのか、それとも魔法を使うつもりなのか。


 自分に都合の良い言動をする人間達を集めて、ああして笑っている。

 俺には何も共感できない。


「他人を演じて仮初(かりそめ)の信頼や好意を得て、何が楽しいのだろうな。」


 馬車に乗り込んでから、ついそう言った。

 あまりに無価値なものだと思えたからだ。ケイスが苦笑する。


「それはきっと、私や貴方にはわからないものです。演じるまでもなく、信頼も好意も得てきた人間ですから。」

「あのカルラとかいう女とて、それは得ていたはずだ。」

「いえ、どうでしょう…」

「他ならぬヴァルトルーデ王女から。」

「……そうですね。」

 友人だと思っていた、ルルはそう言った。

 「あの子に殺されかけたなんて、まだ実感がない」とも。


 星の離宮へ進む馬車の中、「王女だった頃より幸せ」と言ったルルを思い出していた。

 彼女にとって、クロイツェルの王女として生きるのはどんな事なのか。


 俺に言葉が通じないと思っていた頃の君は、あんなにぺらぺらと話し、少々抜けている姿を見せる事も間々あったというのに。

 人間の姿をとってからは表情も固く、王女として丁寧に適切に距離を取っている。

 それは正しい。

 正しいが……素を知っている身としてはどうしても、無理をしているように見えてしまう。


「……ルル」


 いつも騒がしいのにどうしたと、撫でてやる事ができない。

 立派な雇われハムスターになると蹴りを繰り出していた寝顔は、人の姿ならどんな表情だったのか。


『二年に亘る噂の元凶がわかった今、犯人に成り代わりを許してよいはずがありません。』

『その誇りも重んじよう。アーレンツとしては、本物である貴女の保護を申し出たい。』

『…ありがたい事です。王太子殿下』


 ケイスに怯えて必死に俺の指を掴んでいたルルが、淑女になんて事をと叫んでいたルルが。

 泣きそうに縋る事も怒る事もなく、淡々とただ、俺を見据えていた。

 クロイツェルの王女として。


『かの者の罪を暴き地位を取り戻した暁には、私にご用意できるものであればお渡ししましょう。ご協力くださった殿下へ――最大の感謝を込めて。』


 国同士、優位に立てるに越した事はない。

 だが決して、クロイツェルが憎いわけでもない。取れる(カード)があるなら取ろう、それだけだった。二国間の取り決めを少しばかりこちらに有利にするとか、期間限定で商流か何かを優遇させるとか、そういった事を考えていただけだ。

 クロイツェルから何を奪いたかったわけでもない。破滅してほしいわけでもない。


 だが今、ひとつ望むとしたら――…。


 ずびっと汚い音がして、思考から現実へ一気に引き戻された。

 斜向かいに目をやるとケイスが眼鏡を上げ、ハンカチを目元にあてている。


「わかります……殿下、やはりご無理されていたんですね。」

「何がだ。」

「もちろん、当然、ルル様が心配なのですよね……!やっぱり捜索隊を派遣しましょう。城の敷地内も外も街も、果ては辺境ゼイルまででも――」

「お前に居場所は言わないが、ルルの安全は確認している。」

「はい!?それは本当に良かったし世界に今光が差したという心地ですが、まったくもって聞き捨てなりませんし納得できませんが!?」




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