錯綜する思惑 9
アガメムノン伯爵との会談は長時間に及ばなかった。
つもる話は色々あるのだが、彼も私も仕事中である。
いつまでも雑談に興じているわけにもいかない。
ほんの半刻ほどで城を辞した私たちは、空路で本隊へと帰還中だ。
「まさかあなたまで飛べるとは思いませんでしたがね。エミルさん」
ティアマトの背にしがみついたまま、私は魔法少女に視線を向けた。
巨大な杖っぽいなにかに横座りして飛行している魔法少女に。
みょーに流暢な英語とか喋ったらいやだなぁ、あれ。
「魔法少女は飛ぶものと、昔から相場が決まっているのよ。エイジくん」
「で。話の途中だったと思うがの。エミル」
やや不機嫌にティアマトが口を挟む。
なんだろう。
微妙に彼女のことを意識してるなあ。
まさか嫉妬とか?
さすがにそれはないと思う。
この姿のエミルは幼すぎるし、逆に元の姿だったら年上すぎるだろう。
十代前半も四十代後半も、私の守備範囲からはかなり遠い。
安心して良いよ。
私はティアマト一筋だ。
「そうだった。あれが直接エイジくんを殺しにこない理由だったわね」
「んむ」
「次元が違うって言って、理解できるかしら?」
「我はともかく、エイジにはちと難しいやもしれんの」
ちらりとティアマトが私に視線を投げる。
うん。まったく理解できない。
あと飛行中に振り向くな。
怖いから。
「ちょっと噛み砕いていうとね」
そう言い置いて、エミルが解説を始める。
現地神でも監察官でも良いが、彼らは地球上やこの世界に存在しているわけではないらしい。
直接的な干渉というのはできない。
だからこそ、この世界を救うために現地神は地球人を召還した。
ただ、現地神は地球のことなんかなんにも知らない。そのため、地球世界を管轄する神に依頼をかける。
外注のようなものだ。
「まあ、神っていうと語弊があるんだけどね。監察官の権限は神に等しいけれど、信仰の対象じゃないから」
「判るような……判らないような……」
「エイジというか人間に理解できるように話すとすれば、恒星間国家連盟の開闢から説明せねばならん。どんなに噛み砕いても四年はかかるぞ」
ひどいことを言うティアマト。
いやいや。
私けっこうSFとかスペースオペラとか好きよ?
「とにかく、監察官ってのは、将来的には恒星間国家連盟に入ることができるかもしれない未開の文明に対して、その健全な発展を見届けるために派遣される存在なの。滅ぼすことは許されてないけど、それ以外のことならたいていできるわ」
「世界渡りとかも、ということですよね」
「そういうこと」
この世界の神は、いくつかの条件を付けて監察官に世界渡りを要請した。
それで送り込まれたのが勇者シズルだ。
どんな条件だったのかを、もちろん私たちは知る立場にはない。
彼は魔王を倒し、世界を救った。
そして滅びかけていた世界に稲作をもたらした。
当初、予想以上の成果に現地神は大いに喜んだ。
だがそれは、世界をゆっくりと滅ぼしてゆく行為だった。
彼は失敗したのだ、と思った現地神は責任を取れと監察官に迫る。
「なんですかそのわけのわからんクレームは……」
「まあね。クレーマーもびっくりの論法に、監察官も困ってしまったの」
「それで我に白羽の矢が立ったのじゃ」
責任を取れと言われたって、監察官にはどうすることもできない。
直接干渉というのは、監察官にとってかなり慎重にならなくてはいけない行為だからだ。
一度は拒絶した監察官に対して、現地神は再び要求を突きつける。
条件を変えて。
お前が責任を取れないなら、勇者シズルの血縁者に責任を取らせろ、と。
これには監察官も呆れ果て、厳重な抗議をおこなった。
しかし、世界渡りの制度上、現地神の要求は正当なものではあった。個人を指定しての渡りが異例だというだけで。
監察官は飲まざるを得なかったが、一計を案じて新たな勇者に随伴者をつけることを、現地神に認めさせた。
それが私である。
このあたりのくだりは、一度死んだときにちょっとだけ説明を受けた。
「それ。その一回死んだってやつ。それに現地神はかちーんときちゃったの。完全に騙しうちだったからね」
「まあ、そりゃ騙しうちですからね」
たった一枚の切り札。
監察官自身の説明不備を利用したやり直し。
現地神にとっては、青天の霹靂だった。
上手くいったかに見えた世界の修繕が、まるっとなかったことにされた。
しかも理由が、どーでもいいオマケごときへの説明不足とか。
「かっちーんときちゃったあれは、破棄されたシナリオを強引に進めようとするの」
「それが魔王リオンの召還ですか?」
「そゆこと。でもそれも失敗に終わるわけ」
またしてもオマケが余計なことをしたから。
人間とモンスターの棲み分けとか。
これでは計画もへったくれもない。
業を煮やした現地神は、諸悪の根元である私を殺すことにした。
そのために送り込まれたのが勇者エンである。
「でもってそれも大失敗。またまたオマケに抱き込まれちゃった」
からからとエミル女史が笑う。
「さすがは我が伴侶じゃな。神の予想の斜め上をいく」
「しびれるだろ? あこがれるだろ?」
「いや全然じゃの」
「ですよねー」
私が有能というより、現地神が考えなしすぎる。
あと、たぶん監察官は私と共感が高そうな人物を選んでくれている。
現地神がつけた条件を守りつつ。
「完全に頭から蒸気を吹き上げたあれは、送り込む前に紹介された人物と面接をすることにしたの。それがわたし」
「面接の結果として、あなたを選んだと……」
魔法少女になっちゃった四十代後半の女性を見る。
どうしてこれを選んだし……。
「なにか言いたそうね。エイジくん」
「いえべつに……」
「まあ、見た目はともかくとしてエミルは優秀じゃよ。エイジや。あるいは危険と言い換えても良い」
「そうなのかい? ティア」
「モステールで使っていた感情魔法な。あれを三日続けていたどうなっていたと汝は読む?」
「そもそもそれがどういう魔法なのか、私には判らないよ」
「精神系の魔法のひとつよ。被術者の感情を一定の方向に流すってものなの」
解説してくれたのは、当のエミルだ。
「一定の方向。魔軍憎しってことですかね」
「そう」
それを踏まえてシミュレートしてみる。
仮にモステールの民衆たちが攻撃を仕掛けても、魔軍は無視して通り過ぎる。
そういう手筈になっているし、魔王リオンの言霊が効いている以上、それは絶対だ。
モンスターは人間に手を出さない。
それはつまり、彼らは私を守らないという意味でもある。
エミルは魔軍とともに、神仙に対しても不信感を抱かせようとしていた。
「まさか……」
「んむ。そのまさかじゃよ。三日後、モステールの民衆は汝や我をめがけて殺到してくる。モンスターたちは守ってはくれぬ。ひたすら前に進もうとするだけ。となれば、我らはどうすれば良い?」
「私たち自身の手で、無辜の民を……」
「んむ。我が不機嫌だった理由が判ったかの? エイジや。べつに汝がエミルに惚れるのではと妬いていたわけではない」
「ぐっは……」
私の心理などお見通しですか。ティアマトさん。
おみそれしました。
「でもまあ、エイジくんもティアちゃんも、わたしが魔法を使いはじめたら到着しちゃった。事やぶれたりね」
肩をすくめてみせるエミル女史。
彼女が現地神に提案した、足止め程度の策がこれである。
全体の趨勢にはほとんど影響がない。
ただ無駄に人とモンスターが死ぬだけ。
現実、モステールの民が一丸となって向かってきたところで、ベイズ、ヒエロニュムス、シールズ、エン、リオン、ティアマトを突破できるはずがない。
むしろ最高速にのって逃げてしまえば、追いつくことすらできないだろう。
「だから意味がないっていったんだけどね。どうしてもやるんだって息巻いちゃってさ」
肩をすくめるエミル女史だった。




