魔王さまは女子高生! 8
人間の姿になったベイズを見て、魔王リオンはパニックを起こさなかった。
ただ一度だけ大きく息を吐き出したのみである。
その行為の意味を、たとえばティアマトなら理解できるだろうが、私には判らない。
根ほり葉ほり訊くわけにもいかない。
「話せるようになれば、自分から話すであろ」
という恋人の言葉を信じるだけだ。
ところで、宿場町でトラブルはなかった。
なかったのだが、私たちのことは話題になっていた。
モステールの街で、英雄アガメムノン伯爵とともに魔軍を退けた神仙。
麗しの竜姫と猛き星砕きを引き連れ、世に平和を安寧をもたらすために旅を続ける聖賢。
謝礼を受け取らず、ただ人々の笑顔のみを至上の報酬とする聖人
うん。
誰っすかね。
そのインチキ宗教の教祖みたいに胡散臭い男は。
酒場とかでも吟遊詩人たちが美声を披露してるし。
穴があったら入りたいっす。
「ちなみに出典は賈誼新書じゃな。自らの不明を恥じるときに使う言葉じゃ。照れくさいとき使うのは誤りじゃぞ」
「くっそくっそ。穴があったら入りたいっ」
「バブル時代には、穴があったら入れたいという使われ方をしたそうじゃ。異性関係の豊富さを勲章のように掲げた時代らしい言い回しじゃな」
「その解説は蛇足すぎるよ」
無駄知識の本領発揮だ。
本気で無駄である。
「何を入れるの?」
小首をかしげるリオン。
ほら!
反応しちゃったじゃないか!
高校生が!
「おおおとなになったら判るんじゃないかな? きっと? たぶん?」
しどろもどろになりながら私が取り繕う。
ティアマトさんはどこ吹く風でエールなんかを楽しんでますよ。
ちくせう。
「へんな大人」
くすりと少女が笑った、ような気がした。
良い傾向なんだろうか。
それ以前の問題として、私は変な大人だと言われすぎではないだろうか。
変じゃないよね?
どっちかっていうと常識人だよね?
助けを求めるようにティアマトを見る。
「おかわりじゃ」
「あ、私もエールおかわりお願いします」
華麗なスルーを見せられたので、私もお酒を注文しました。
おつまみは、大豆となんかの肉を煮込んだもの。
塩味だけのシンプルな味付けだが、肉の旨みがどっしりと効いている。
けっこうエールがすすむ味だ。
枝豆は季節ではなくなったが、大豆そのものを調理しているらしい。
「うまいだろ? こいつも神仙さまがもたらしてくれたんだよ」
エールを運んできてくれた女将さんっぽい人が教えてくれる。
大嘘を。
私、こんな料理考案していないよ。
きっとマードック氏だ。
私たちよりもずっと先行しているはずだから、行く先々で、大豆料理を宣伝しているのだろう。
なにしろ神仙がもたらしたといえばすごい宣伝効果があるし、彼ら自身が神仙と旅をしていたという実績もある。
しかも生産者から無料みたいな価格で分けてもらえる。
加えて、語り部のご老体の名調子。
格安で売ったとしても、うっはうはだろう。
商魂たくましいことだ。
シーンを想像して苦笑してしまう私だった。
王都ノルン。
規模としては、アズール王国のリシュアとほぼ同等。
数万の人間が暮らす都である。
順調にこの街に入った私たちがまずやったことは、活動拠点となる宿を決めることだった。
まあ、いきなり王城に押しかけたところで、王様が会ってくれるはずもない。
ぽいっと追い返されておしまいだろう。
謁見する算段をつけなくては、話にもなんにもなりゃしないのである。
ただ、私たちはいちおうコネクションを持っている。
アガメムノン伯爵という。
爵位としてはそう高いわけではないが、交通の要衝を預かるほどの人物だ。
王宮にもそれなりの影響力があるだろう。
その伯爵の令息が仲間にいる。
リューイだ。
彼を介して面会の約束を取り付ける。
これが第一段階だ。
とはいえ、すぐすぐ結果が出る類のものじゃない。
賄賂とともに渡された書状が、幾人かの手を渡って国王に届く。
この行程だけでも何日かかかるだろう。
そこから王がスケジュールを調整し、面会の日取りを決めて私たちの元へと使いを出す。
ざっと見積もって、十日から十二日といったところかな。
「んむ。それでも会ってもらえるだけたいしたものではあるがの」
とはティアマトの台詞である。
「まあね。日本でいうなら、天皇陛下に会わせろって言ってるのと同じだからね」
手紙一通を、皇居の護衛官に渡して。
まともに考えたらありえない話だ。
こんな無茶が通ってしまうのは、ひとつには私たちが神仙だという理由がある。
アズール王国でもそうだったが、神仙という言葉には特別な意味があるのだ。
王といえども粗略には扱えないほどの。
もうひとつは、前述の通りコネクションである。
貴族の一員であるリューイ・アガメムノンの口添えが武器となる。
さらにはたっぷりの礼金。
三段構えの戦法だ。
織田信長にだって負けないんだからねっ。
「長篠の戦いと、何か関係があるの?」
すっごい冷たい目を向けてくれるリオン。
よせやい。
そんな目で見られたら惚れちゃうだろ?
「んむ。冷たい目は無理なので熱い吐息をプレゼントしてやろう」
「やめてっ 死んじゃうからっ」
私とティアマトがじゃれ合い、
「へんな大人」
と、リオンが呆れる。
これがここしばらくのスタンスだ。
大人というのは恐怖の対象ではない。
むしろ呆れられるくらいでちょうど良い。
へんな大人、と、リオンが口にするとき、ごくかすかな安堵があるように感じた私は、ティアマトに提案してみたのである。
彼女が呆れるくらいのバカップルぶりを披露してみないか、と。
ティアマトは反対しなかった。
「べつに害になることでもないじゃろ」
という言葉で、私のプランに乗ってくれたのである。
以来、私とティアマトは周囲をはばからずにいちゃついている。
「北海道では、漫才をいちゃつくというのね。知らなかった」
「五百七十万の道民に謝れー」
「貴方がね」
「さーせん」
その甲斐あってか、リオンの態度は少しずつ軟化している気がする。
ただ、そういう時が一番危ないともティアマトは言っていた。
リオンが虐待を受けてきた期間は、少なくとも数年に及ぶだろう。
知り合って数日しか経過していない私たちが、凍った心を解きほぐせると考えるのは、いささか増長というものである。
「しかし、王宮からの使者をただ待っているというのも退屈じゃな」
んーと人間モードのティアマトが伸びをする。
退屈てね、ティアマトさん。
私たち、今日ノルンに到着したばっかりですよ。
どんだけ生き急いでるんですかね。
のんびりしましょうよ。
私としましては、数日は宿でだらだらしたいんですけどっ。
「せっかくだし、仕事でもせぬか?」
「なにがせっかくなんだよ」
働きたくないでござる。
「冒険者になったのに、冒険者らしいことをなんにもやっておらぬ。ファンタジー世界にいるのに、これはおかしいじゃろう」
んっと。
ギャグドを狩りに行きました。
甜菜を掘りに行きました。
旅芸人と一緒に旅をしました。
魔軍との戦争に巻き込まれました。
魔王の本拠地に忍び込みました。
魔王と国王を説得して、和平への道を探ります。
いまここ。
「いやいや。けっこう波瀾万丈じゃないかな?」
「ダンジョンとか潜りたいではないか」
あー そういうのはやってないね。たしかに。
「魔物を捕まえて料理とかしてみたいではないか」
「それは、あきらかにマンガの影響だね」
「炎竜を食べるのじゃ」
「共食いじゃね?」
ティアマトはドラゴンである。
どうしてドラゴンを食べたがるのか。
「非常に申し上げにくいのですがエイジさま、ティアマトさま。ノルン近郊にダンジョンはありませんよ」
半笑いでリューイが教えてくれた。
「つまらぬのう」
「むしろ、あったら本当に行くつもりだったのかい? ティア」
私の恋人は、いつだってエキセントリックだ。
これから王様に会おうってときに、ダンジョンに潜りたがるとか。
「へんな大人」
いや、リオン。
変なのは私じゃないよ?
ティアマトだよ?
参考資料
九井 諒子 著
HARTA COMIX 刊
『ダンジョン飯』シリーズ




