57.人間の知恵
――同刻、キヌイ街路
騎士団の戦いは限りなく『人間らしい』とされる。では、人間と亜人の最大の差とは何か。
それを分かつのは『善意』であると騎士団は定義づけた。善意によって行動し、善意によって価値を生み出し、善意によって発展することができる。それが人間であり、亜人にはそれができない、と。
「貴様ら狼人は軽々しく誇りだなどと口にするが、その全ては他人を害することと繋がっている。唾棄すべき種族だ」
騎士の眼前には傷ついた狼人の戦士たち。いくら勇猛な戦士を祖に持つといえど、長く隠遁生活を強いられ、ほんの数ヶ月前に武器の扱いを学びだした身だ。亜人狩りの専門家を前にしては命を守るのが精一杯という状況であった。
特に生傷の目立つシズクは、それでも目だけは騎士をぎりりと睨みつける。
「それはそれは。……同じ人間を斬り殺そうとしてた奴が言うと、説得力が違うね」
「善意による正常化を語るな。虫酸が走る」
「善意、善意か。じゃあその槍に塗ってある毒も善意なんだ? 善意っていろいろだね」
【マナ活性度:1,6\1,jl5-0】
騎士団三十六騎に対して狼人はシズクを含めて十八人。二倍という数の不利に加え、騎士団の使う武器がシズクに二の足を踏ませていた。
シズクを包む【装纏牙狼】の黄金色のマナが、異変を来している。
槍によって傷を受けた右腕の爪は歪な形に捻じ曲げられ、すでに武器として用をなしていない。マナは活性し続けているがそれが攻撃力に変換されていないのだ。騎士は歪んだ笑みを向け、手にした槍の濡れた穂先を指でなぞった。
「この薬は主に鎮痛剤として流通しているものだ。丸薬であることが多いがね」
槍に仕込まれた濃緑色の薬剤を指で掬い取ってみせる。柄から滲み出した水薬が槍の穂先を滴り、傷口を確実に冒す仕組みになっているらしいとシズクは理解した。
「鎮痛、剤?」
「よって我らの武器にて傷つけられた者は、さしたる痛みを感じることもなく死ぬ」
「……腕を斬られたゲランが妙に元気だったのはそのせいか。大した善意だね」
「だが過剰量を投与すると、マナの流れを乱す副作用が生じる」
騎士は穂先でシズクの歪んだ右爪を指し示した。その姿こそが人間の叡智の結果だ、とでも言いたげに。
「ボクの爪がこんなになったのも、その薬のせいか」
「肉体強化、或いは武装型のスキルを持つものならばスキルのマナを乱され、一種の混乱あるいは暴走状態を引き起こすのだ。己らには理解できまいがな」
狼人の【装纏牙狼】は肉体強化と武装の併用型だ。騎士がそれを乱す薬を用意していたなど、およそ偶然とは考えづらい。
「現れた亜人が狼人であったことは当然に調査済み。ならば過去の文献をあたり、対策するのが『人間の知恵』だろう」
「戦ってる敵に自慢げにつらつらと。三流のやることだな」
「笑止。夜闇に乗じて動き、こそこそ卑怯な闇討ちを繰り返すことを『誉れ』などという奸賊と我らとは違うのだ」
「ッ、父祖を愚弄するな、下衆が!」
シズクは吠えるが、軽々に飛びかかってゆく真似はしない。右半身の肉体強化も乱されて痺れたように動かない今、そんなことをすれば死に直結する。
何よりシズクは大切な部隊を預かる身。これ以上の毒を受けて行動不能になれば狼人全てを危険に晒す。そんな愚を冒すことは、シズクの脳裏に浮かぶ王の目が許さない。
「……信頼は、裏切れない。裏切れないんだ」
戦うべきか、逃げるべきか。その判断を巡らせるシズクを前に、騎士は町の人々にも聞こえるようにだろうか、ひときわ大きな声で叫んだ。
「どうした、かかって来い! 貴様らの先祖はそうして死んだ! さあどうした、誉れなのだろう? 誇りなのだろう? ええ?」
「ぐ……!」
「倫理観も何もないくせに、いらぬ知恵ばかりつけるから亜人は危険なのだ! よいか、我らは貴様らに『死ね』や『出ていけ』と言ったことなど一度としてない。ただただ、『他人の善意による行動を邪魔するな』と言い続けているだけなのだ」
なんだと、と。
その言葉すら口に出ないシズクに、構わず騎士は続ける。
「我らが善意をもって接した。貴様らがそれを拒んだ。だから戦になって貴様らが負けた。そうして歴史は紡がれてきたのだ。それすら理解できないから貴様らはそうして地を這うのだと、なぜ未だに分からない?」
何を言う。
あれは領土をめぐる戦争だ。己の子が、孫が生きる場所を残すための戦いだ。だから父祖たちは誇り高く戦って死んだ。
それが、善意ある者とそれを理解すらできない獣の戦いだと。
シズクの喉を数多の言葉が通ろうとして行き詰まる。あまりに異なる価値観、あまりに異なる認識を前に、シズクの声は何も発せない。
「お前らは、どうしてッ……!」
未来の為政者として、強き戦士の跡を継いで狼人の長になるべき者として。種族のために何か言わねばとするがシズクの胸はつかえるばかりで何も出てこない。
ただただ睨みつけるシズクに、騎士はゆっくりと歩み寄った。
「何も言い返せまい。その知性があればこのようなことにはなっていないからな」
短槍を振りかぶる。濃緑色の薬液を滴らせる鋼の穂先がシズクに向く。その姿から、シズクはじっと目をそらさない。
「やってみろ。喉笛に食らいついてやる」
「やはり現状が見えておらん。なんと愚かな」
嘆息し槍を振り下ろさんとする騎士の、しかしその頭に何かがぶち当たった。
「……むッ!?」
壺のようなそれはバリンと音を立てて割れ、中に満たされていた酒が辺りに飛び散った。
さらに二個、三個と飛来したそれを騎士は動じることもなく鎧で受け止める。移した視線の先には女が一人。酒屋から身を乗り出し、抱えた酒壺を振りかぶるリノノの姿があった。
「ごちゃごちゃごちゃごちゃごちゃごちゃと……! 陰湿がすぎるんじゃないか銀ピカさんよ!」
昔は鎮痛剤ってそこまで種類がなかったそうですね
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