52.暗雲
「マージ様、また一枚の水田が……」
「……そうか」
狼人が指差す先の水田に、本来あるべき青々とした稲の姿はない。
俺は水田を七つに分けさせていた。様々な条件を試すためと、何かの原因で一度に全滅することを防ぐためだ。
うち二つは茎がねじ曲がるように育って実らず、二つは虫に食いつかれてほとんどが枯れてしまった。残り三つは順調に育っていたはずが、そのうちの一つで稲が一斉に倒伏して枯れ始めたのだ。おそらく何かの病気だろう。
「調査ができるだけの稲を摘みとり、残りは焼き払え」
「し、しかし! まだ無事な株も少しですがございます!」
「病なら他の水田に伝染るかもしれない。ここだけに留めるんだ」
「かしこまり、ました……」
狼人たちの足取りは重い。それでも必要と理解して火を放つが、皆、燃えてゆく稲をいつまでもじっと見つめている。
「マスター、気を落とされず」
「ああ、分かってる」
コエさんが寄り添ってくれるが、現実は無情だ。これで残りの水田は二枚。そのどちらかだけでも穂が出なければ里の食糧計画は暗礁に乗り上げる。
種籾や農具の調達に尽力したシズクも、灰になってゆく稲をただただ見つめている。いつもピンと立っている亜麻色の耳にも力がない。
「マージ」
「どうした、シズク」
「うまく、いくよね?」
「うまくいく。何が起きてもそう言ってみせるのが俺たちの役目だ」
「ッ、そ、そうか。そうだった」
自分の頬を叩いているシズクの後ろでは、アンジェリーナが枯れた稲を手にとってじっと見つめている。
「アンジェリーナ、現状をどう見る? 何か分かるか」
「これはカビのようなものによる病気です。ジェリも焼却処理しかなかったと思うです。水路は分かれてますから、他の水田に伝染っている恐れは少ないでしょう」
「最悪の事態は避けられそう、か。対策は?」
「水面の辺りから菌糸が伸びて稲の足元を弱らせるようです。残りの水田ではよく観察して、見つけ次第取り除くべきです」
痛手ではあるが、原因と対策が分かったのならそれは前進だ。残り二枚の水田を守り切ることに全力を注ぐことだけを考えなくては。
「……マージ、あれ」
里を見渡していたシズクが、ふと、こちらに駆けてくる狼人に気がついた。俺の感知スキルばかりに頼らないようにあえて置いている物見の若者だった。慌てふためいた様子からしてただ事ではない。
どうやら、考えなくてはならないことはまだあるらしい。
「マージ様、ご、ご報告が!」
「誰か、彼に水を」
「そ、それより早く報告を! そのために急ぎで、ひ、東に!」
「急いで駆けつけてくれたからこそ、正確に話を聞きたい」
飲用水は今も井戸のものを使っている。里の者が汲んできた水を一杯飲ませると、若い狼人は大きく息をついてから地に膝をついて話し始めた。
「よし、報告してくれ」
「申し上げます! 山を越えた東の草原より軍勢がこちらへと向かっております! その数、五〇〇以上!」
ざわ、と。里が大きくどよめいた。
「軍勢? 所属はどこだ。旗は見えたか?」
「遠目ではありましたが、ベルマンが身につけた装備の肩に描かれた紋章。あれと同じだったかと」
ベルマンたちの探索装備は自前のものをそのまま使わせている。そこに描かれたものと同じということは。
「アビーク公……!」
この一帯を治める大領主。その軍がこちらへと向かっているということを意味していた。
「マージ殿、いかがされますか」
「シズク、ベルマンたちを『蒼のさいはて』から呼び戻せ。中断できない作業がある者はアンジェリーナのゴーレムを借りて急ぎ終わらせ、それ以外の者はできる限りの武装を整えよ。俺の家を臨時の指揮所とするからコエさんとアサギは場を整えてくれ」
灰になった水田を前に指示を飛ばす。こんな時でも敵は、困難は待ってくれないらしい。
全員に指示が行き渡ったことを確かめ、最後に、これは自分に向けても告げた。
「――戦に備えよ」
根付かず、ウンカ、紋枯病
次回、ことは里だけに留まらないようです
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