9
三人と別れ、街へと戻る道すがら。
ティトに聞いてみる。
「この世界の一神教の神ってどういう奴か知ってるか?」
これから先、宗教関係には関わりたくないが、何も知らないのと、知っていて避けるのとでは勝手が違う。別に火の粉が降りかからなければどうでもいいが、いざという時に身動きが取れない事態にはなりたくない。
それに、何だかんだいって、宗教というのは非常に強いものなのだ。国境を越えてどこにだって信徒は居るし、団結力も高い。それは世界の歴史を思い出してみても明らかだ。
もし魔獣に蹂躙された地域があったとして、彼等の心の拠り所になるものの一つに、救ってくれる神の存在というのはやはり存在するだろう。信仰は人によっては生きる希望ともなる。
あと、俺が魔王だの何だの言われたのが、かなり気になる。もし教会で「魔王は殺せ」なんてお触れでも出ようものなら、その瞬間に逃亡生活が始まっちまう。
「戦人の多くが信じている宗教ならば、神はこの世界を創った造物主、というものになりますね」
「ほう。よくあるパターンだな」
というか現実の世界でも、幾つかの神話はそういう話になっていたはずだ。
しかし、そうなると他の宗教に対する立ち位置はどうなるんだ。神はただ一つなんだから、それ以外の神を信仰する相手やらをどう扱っているのだろうか。
「その辺りはかなり緩いみたいですね。他者が信仰している神は、全て造物主の使徒である、と認める方向にあるそうです」
「多神教って言っても良いんじゃないかな、それ」
勿論自分達が神と崇めるのは、造物主だけなんだろうけども。他所の神様を認めるなら、一神教として揺らいでないか? 格を落としているから大丈夫、なのだろうか。まぁ、一神教が二つ以上、とかにならなければ大きな問題にはなりにくい、のかな?
まぁどこにでもカルト的な奴はいるし、大らかな人間は大らかだし。今のトップが緩い感じで運営しているなら、そこまで大きな問題にはならないか。これが、『戦人が多いのは造物主が戦人をより優れた種族だとしたからだ』とか言い出したら大変だな。もう宗教弾圧、迫害、差別、待ったなしだ。さらに教会が通貨の発行を担っているわけだから、さらに大変だ。簡単に経済的に追い込める。
「そのような国が、あるのですけれどね」
「あるのかよ!」
魔獣の被害がどうのこうの言ってる世界で! 人同士の争いまであるとか、何してんのさ! そういう国が真っ先に潰れるのがお約束だけどさ!
しっかし、魔獣の脅威があるのに一枚岩になれない人族、ねぇ。えてしてそういう奴等のせいで無駄な被害が増えるんだよな。
こっちに飛び火しなきゃ良いんだけど、世界救うっていう題目を掲げる限りは、無理な相談だ。いずれどこかで衝突するだろう。
国相手に立ち回るなんざ、一介の冒険者には無理な話だってのに。精々取り込まれないよう、注意しておくか。いざとなったら全力で逃げるし。それでも無理ってことになったら……ティトに相談するか。
そこまで考えて、ティトを見る。
「何ですか?」
小首を傾げてキョトンと俺を見返すティト。
「いや、何でもない」
この頼りになる妖精に、どこまで頼っているのか。少しくらいは自分の頭で考えろよ。妄想だけで構成されてるわけじゃねぇだろ、俺の脳味噌は。
「とりあえず、今は気にしても仕方ない、よな。向こうから接触されたわけでも、こっちからアプローチかけるわけでもないんだし。今やるべきは宿に戻って、薬作りだ」
「そうですね。ベリィナッツとリリーリップスが採取できましたし、そちらに解毒草もいくつか生えていますね。採取していきましょう」
「お、そうだな」
相変わらずの黄色い合弁が目印だ。結構な数が自生していたので、一〇株ほど摘んでおく。
他に何かないかと思いながら、周辺警戒のためにレーダーを見る。
「……何だ?」
塊の集団が、随分な速度で移動している。
「どうかされましたか?」
傍らのティトが訝しげに問う。
「森に入ったときに見えた集団が、ダッシュで動いてるみたいだ」
確証は無いが、森に入ったところで確認したものと同じだろう。幾つもあったうちの一つだ。
そして、その後ろにやや大きな光の集団が。追う者と、追われる者のように。中心点である俺の右側を、下から上に移動している。
「どうされるおつもりですか?」
射抜くようなティトの視線。
関係ないと言い切ることは出来る。
こんな場所に知り合いが居るとは思えないし、この集団は不幸だったんだ、と。
森人の集落が何者かに襲われていたのだとしても、俺はその現場を見ていない。
何が何に追われているか、なんて今の時点で分からないのだし、予測に予測を重ねているだけの状態だ。
知らなかったと言い通せば、誰もそれを咎めることは出来ない。
だけどさ。
「気付いちまったんだから、助けに行くのが筋ってもんだよな」
その結果、ただの早とちりかもしれない。何の問題もなく、俺が恥をかくだけの可能性だって大いにある。
「ただの狩りかもしれませんよ。時間的に、仕留めればそのまま夕食となるでしょう」
「はっ。だったら赤っ恥、上等じゃねぇか」
。
ティトの言う通り、この集団移動がただの狩りで、獲物が先頭集団だったのらそれでいい。ついでに前から足止めでもして、後続の狩人の支援をするだけだ。
もし、違ったら?
街で聞いた話が、脳裏を掠める。
治安の悪い街の外縁。見目の良い娘を攫って、娼館に送る。
万が一、この追走劇がそういった犯罪的な状況だとしたら。街の外で起きた事件は、誰も関知しないとでも言うのなら。それこそ誰が介入したって問題ないはずだ。
幸い、俺には誰かを助けるだけの力がある。限度はあるだろうが、それでもこの追われている集団を助けるだけの力は持っているつもりだ
ただ。
「方角が定まってないってのが、途轍もなく使えねぇなぁ、こういう状況は!」
レーダー上で俺の右方向に集団が居るのだとしても、右を向いたからといって光点の位置が変わるわけではない。どこに向こうが、展開したイメージのまま、常に右方向に移動する集団が位置しているのだ。
幸い、まっすぐ走っているみたいなので、適当に俺が動けば場所の見当もつくだろう。
光点が近づけば正解、遠ざかれば向きを変えて走れば良い。初動が遅れてしまうが、今はそれだけの話だ。
苛立つ気持ちを抑えるために、そうやって自分に言い聞かせる。
「身体強化して、一気に動く。ティト、しっかり掴まっとけ」
「はい、ユキ様」
ティトが首元にしがみつく感覚を確認してから、木々を避けるように一気に前へ移動する。上に移動していたレーダーの光点が、下に移動する。
「こっちか!」
都合よく目の前に木があったので、それを軸にして方向転換。
光点がどんどん中心点である俺に近づき、そして見えてきた光景は。
「ユキ様、前方から魔獣、騎士級です!」
視界には三匹の狼に襲われている、蹲った数人の少女達。
「しゃらくせぇ!!」
少女達を飛び越し、迫る先頭の魔獣に、付近にいくらでもある影から剛剣・白魔を取り出して叩きつける。
あっさりと頭蓋を叩き割られ、そこから黒い中身がまろびでる。どう、と倒れ伏し、そのまま動きを止める魔獣。
一匹撃破だ。
突然の闖入者に戸惑ったか、残った魔獣達の動きが止まる。
止まってくれているならさっさと始末するに限る。
「――ふっ!」
叩きつけた勢いをそのままに、さらに一歩踏み込んで近くに位置する魔獣を袈裟切りに叩き切る。
胴体の中ほどまでを断ち割られ、叫びすら上げられずに死んでいく。
仲間が殺されたことに気付いた最後の一匹が、俺の攻撃の隙を狙って飛び掛ってくる。
だが、無意味だ。
剛剣・白魔は、重量のある武器ではあるが、俺の膂力からすれば問題なく振り回せる武器である。
奴にとっては隙に見えたであろうこの攻撃でも、俺にとっては次の攻撃の予備動作。
返す刀でカウンター気味に横に振りぬく。
「―――――!!!!」
声にならない悲鳴をあげて、魔獣が両断される。
どさり、と地面に落ちる魔獣。
そこで一息。
「ユキ様、上です!」
「!?」
しまった、目で見て三匹だと思い込んでいた! 木の上にもう一匹居たのか!
慌てて白魔を掲げて防御動作を取るが、衝撃は一向にやってこない。
「もう。油断しすぎですよユキ様」
ティトが障壁を張っている。魔獣はその障壁に捕らえられるように空中で止まっており、乱杭歯をこちらに向けて威嚇している。
だが障壁を突破することはなく、その威嚇は何の意味も持たない。
そういえばティトは防御障壁を持っていたんだ。
「悪い、助かった」
木の影を利用して、影の刃を作って魔獣を切り払う。
至極あっさりと、魔獣の体が崩れ落ちる。断面は相変わらず黒く輝いており、高級な宝石を思わせる。触るとぶよぶよしているので、こんな宝石貰っても困るけど。いや、素材的には美味しいか。騎士級といえど、売れば金になる。宝石も金になるし、なるほど財産的には嬉しいな。
改めてレーダーを確認する。先ほどの三人組の反応を除くと、ここにいる少女達以外の反応は無い。
今度こそ魔獣は殲滅した。
大きく息を吐き、魔獣の死骸を袋の中の影に仕舞って少女達に近寄る。もちろん怯えさせないように白魔は背負って、ゆっくりと向かっていく。
「魔獣はもう居ない。無事か?」
少女達は三人。見た感じ二人が同年代くらいで、一人がそれよりも下。全員、森人のようだ。
まずは他二人を庇うように身を挺している少女。腰まで届く金の髪に、宵闇に愛され、陽光を受け付けない純白の肌。海よりも深い紺碧の瞳。首元からネックレスのような装飾品を提げている。妙な雰囲気を感じるので、それなりの魔道具なのかもしれない。
次に短髪の少女。こいつだけは他二人と違って髪が緑色だ。肌も、基本的には白いが多少なりと日に焼け、健康的な色気を醸し出している。いかにも動きやすそうなパンツスタイルで、それゆえに露出している肌が、枝葉で痛々しく傷ついているのが目立つ。
そして最後、一番年下の子だ。体に合っていないローブを纏っていて詳細は分からないが、フードから見える白金の髪は土で汚れている。
一人ひとり、容姿の違いはあれど雰囲気は何だか似ている。姉妹かもしれないな。
「た、助かったの?」
一人が信じられないものを見るような眼で問いかけてくる。
絶体絶命のピンチ、というやつだったものな。
惚れても良いんだぜ? とも思ったが、今の俺は美少女だ。ここから始まる浪漫譚はないだろう。あるかもしれないけど。
「偶然通りがかったからな。それよりも、ほれ。やるから使えよ」
懐の影からヒールポーションを取り出す。
よく見れば、全員が何がしかの傷を負っている。短髪の娘が随分と酷い状態だが、このくらいの怪我なら治せるはずだ。
作って早速使うとは思わなかったが、持っていて良かった。
「これは?」
「薬だ。塗ればその傷くらいなら治せる」
おずおずと薬を受け取る少女。薬の蓋を開けて、軟膏を手に掬い、患部に塗りつけていく。うん、あの軟膏を。
「え、すごい……」
軟膏を塗った途端、傷が癒えていく。相変わらずこの世界の薬は凄いな。エリクシールらしきトンデモ薬もそうだったが、即効性の高いこと高いこと。
治癒の呪いを使っても傷や怪我はあっさりと治るわけだし、さすがだな異世界。
少し薬の具合を試した後は、自分達の傷を後回しに、年下の少女の手当てをする二人。
麗しい姉妹愛だ。本当に姉妹かどうかは知らんが。思いやりは大事だ。
「あ、ありがとう。こんな高価な薬を貰っちゃって」
「良いよ別に。材料さえあればまた作れるし」
その材料も大して高価なものじゃないし。普通の薬草だぜ。多分探せば……ほら、そこにも生えてるし。売る目的じゃなければティトに協力してもらうのも心が痛まないしな。ああ、でもそうか。今の首都では薬が高騰しているんだった。治癒促進ですらそれなりの値段になっているのだから、即効性の薬となれば、やはり高価なものなのだろう。
「助かりました。このご恩はいずれ必ず」
もう一人の年上の少女が、丁寧な物腰で立ち上がる。
しかし、ご恩って言われてもな。
「その前に、どういう状況なんだ?」
魔獣に襲われたことくらいは分かるが、どうしていきなり。
「……分かりません。急に、村に魔獣が来た、としか」
「村の大人達が必死で食い止めてくれて、子供達は皆ばらばらに逃げて……」
少し前に街の東の方で大発生したと思えば、今度は西で発生かよ。予兆みたいなものは無かったし、数は大発生というほどでもないみたいだが。
ともあれ、何も分からないままに逃げて、逃げ切れなくなったところで俺が来たってことか。
「すいません。恩人に名前も名乗らず……エウリアと申します」
「そう、そうだよ。あたしはキリカ。こっちのちっちゃいのがフィル」
「フィル、です」
丁寧なのがエウリア、さばさばしてるのがキリカ、あまり喋らないのがフィルだな。人見知りか?
「藤堂雪だ。助けられて良かった」
さて、この三人は助けられたが、彼女らはこれからどうするのだろう。
どう切り出そうか迷っていると、キリカが急に声を上げる。
「む、村は! 村の皆は無事!?」
この付近には森人の集落がある。
この少女達も、その集落の住民なのだろう。
だけど。
俺は先ほどレーダーで確認していた。
この少女達以外の反応は、無い。
そのことを告げる勇気は俺にはなかった。




