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 ここの森は、最初に入ったあの森よりもずっと緑の匂いが濃い。

 まぁ、ぶっちゃけた話、あの時は色々と訳の分からない状況になっていたから、辺りを見回す余裕もなかったわけだが。魔法の試し撃ちをしながら歩いていたこともあるし。

 それに比べて今はどうか。

 ティトのサポートもはっきりと信頼できるし、自身の力にも自信を持てる。周辺警戒の必要はあるが、レーダーに映る光点は周囲には非常に小さなものしかない。

 少し遠くに塊の集団があるが、これは一体なんだろう。害獣の群れとかであればさっくり討伐した方が良いわけだし。集団なのだからハードノッカーかもしれないし。いくつかの集団で適当に移動しているから、普通に冒険者の集団かもしれないけどな。


「ティト、この近くに集落とか村とかってあるのか?」


 困ったときのティトさん。早速頼らせてもらいます。


「そうですね。この先には森人の集落があったはずです。このまま直進すれば、彼らの領域に入りますね」

「え、領域って入ったらやばい感じか?」


 俺の持ってるイメージでは、エルフは排他的な種族で、自らのテリトリーに踏み込んだ相手には容赦なく攻撃を加える、とかなんだが。


「ユキ様は自宅の庭に勝手に入られても、相手を歓迎できる方ですか?」

「……オーケー分かった。直進はまずいわけだな」


 自宅ってのも言い過ぎだろうけど、何の許可もなく村や町に入れるわけもあるまい。それこそ行商のように明確に利益を齎す存在でなければ、いきなり入っていって問題が起きないと考えられるわけがない。

 まぁティトの言い分を聞く限りは、俺が思ってるほど容赦ないってわけじゃなさそうだけども。庭くらいなら、精々警察に電話するくらいだ。

 といってもこのまま進めるはずもなく。ただ、ちょっと気になることが。


「エルフ……森人の領域の中にしか有用な薬草がない、なんてことは?」

「有用な薬草を囲い込むことも当然ありますが、自生する植物全てを管理することは不可能です。群生を見つけることは難しいかもしれませんが」

「むぅ。それもそうか」


 よく考えれば、森人という人族はこの世界の人間社会に溶け込んだ存在だ。俺だってこの世界の仕組みを全部見聞きしたわけではないが、ファンタジーのお約束のような対象にはなっていないのだろう。ならば、完全に排他的であって、よそ者には森の恵みを何一つ渡さないような狭量さ、なんてものはないのだろう。俺自身は今まであまり見たことはないが、実際、森人の冒険者というのも結構居るようだし、依頼の都合上、領域で管理している薬草類を納品することだってあるだろう。

 気にしすぎ、というやつだ。……娼館がある時点で嫌な予感もするけどさ。


「お、何かきれいな果物があるな。一応、見てみるか」


 ふと前を見てみると、オレンジ色の果実を発見した。

 手に取る前に鑑定。カエンタケのような毒物である可能性だって否定はできない。この鑑定もどこまで見えるかは、見てみないことには分からないが。

 そう思ってサクランボのように二つ繋がったミカンのような果物をじっと見つめる。その結果がこちら。「ベリィナッツ。実は食用で、薬効成分もある。甘く、乾燥させてパンに混ぜればそれだけでパンは高級品に変化する」漿果なのか堅果なのかどっちだよ!? どこが可食部なんだよ!? 薬効成分の中身は何だよ!? 突っ込みどころ多すぎるだろ!?

 全く分からないが、とりあえず毒はなさそうだ。見上げれば、似たような果物がいくつか生っている。パンに混ぜて高級品に変化するというのなら、いくつか『山猫酒場』に持って帰れば喜ばれるだろう。

 そう思ってひょいひょいと回収していく。

 うん、皮硬い。というか、外側硬い。それなりの重量感があるので、中身はきっと詰まっているのだろう。どうやって剥いて、どうやって乾燥させるんだろな、これ。大自然の神秘にもほどがある。

 宿に戻ったらレシピ本も確認しておこう。調合器材が無いからと読み飛ばしていたページに、この果物を使った薬があるかもしれない。


「この近辺に、こういった薬効成分のある植物はあるか? 効能は別に何でも良いんだが」


 手に入れたベリィナッツの一つをティトに渡しながら聞いてみる。


「そうですね。湖が近いので、そちらに向かえば何かしら見つかるでしょう」


 ティトがベリィナッツを割って中身を食べている。たぶん魔術的な何かを使ったんだろうな。ほら、口の周りがべたべたじゃないか。……漿果だったね。


「そうか湖か。確かに色々見つかりそうだ」


 水辺の植物と聞いただけで、様々な種類が自生してそうな予感がする。

 いやそれよりも待って。


「湖?」

「どうかなさいましたか?」


 この世界に来てからおよそ一ヶ月。

 井戸水で頭をガシガシと洗ったり、夜に体を拭いたりはしていたけども。


「……風呂には入ってないんだよな」


 文化的に風呂の概念はあっても、大量の水と大量の燃料を消費してまで湯に浸かるという一般人は居ないようで、よほどの金持ちの道楽ならばあるいは、というこの社会。

 レックス達の依頼で行った村でも、結局は血を落とすくらいだったし。

 俺個人は風呂に入らなくても別に問題はないと思えるのだが、せっかくのロケーション。

 さすがに湖に火の魔法をぶっ放して巨大温泉にするなんて非常識はしないが、それでも全身に水を浴びるという誘惑には勝てない。

 辺りの木を勝手に使って風呂桶を作る、という荒業も考えはしたが、森人の領域の近くでそんな真似をすれば、あっという間に捕縛されてしまいそうだ。俺だって無意味に自然を傷つけるつもりはない。いや、意味はあるんだけど。

 湖があると聞いてしまえば、俄然水浴びをしたくなってきた。

 水着? 必要ねぇだろそんなもん。男ならマッパで飛び込むもんなんだよ。


「ティト。湖まで最短経路で案内してくれ」

「は? え、えぇ。こちらです」


 ティトが指差した方を確認。多少木が邪魔だが、問題ない。獣道程度しかないが、最短経路だ。常人ならば道に迷う可能性もあり、最終的には遠回りになるかもしれないが、そこはティトが案内してくれる。何も問題はない。

 大木を迂回しつつ、道なき道を進み、がさがさと繁みを分け入った先に、きらきらと反射する光が見えてくる。


「ほぉー……」


 見渡す限り、とまでは言わないが、それでもかなりの広さ。

 若干傾いた太陽光が風に波立つ水面を反射し、眩しさに目を眇める。時折ぱしゃりと魚が跳ね、波紋を広げていく。

 駆け寄り、水に手を付ける。

 澄んだ水は確かな冷たさを手に伝え、清涼感をこの身に感じさせる。

 近くを見れば鹿のような野生動物も喉を潤しているではないか。であれば、この水は安全だとわかる。

 倣って両手で水を掬う。

 透明感にあふれた水が手のひらから零れていく。


「変わりませんね、ここは」


 水の感触を楽しんでいると、ティトがぽつりと呟く。


「来たことがあるのか?」


 まぁ長生きしているみたいだし、それなりに多くの地域にも行っているのだろう。そして長生きしている分、環境の移り変わりというのも目にしているのだろう。

 そんな中で変わらないものの、何と安心できることか。

 俺はあくまで想像することしかできないが、ティトの目には何とも言えない回顧の色が見える。


「ええ、遠い昔に。……ここの水は安全ですよ。それに恐らくですが、薬に水が必要ならば、街の井戸水よりもここの水の方が適しているかと」

「まじか。森の天然水すげぇな」


 薬にも適した天然水。まさに自然の恵み。ポーションを入れる瓶はあるわけだし、それに詰めて持って帰ろう。

 影から瓶を二〇本ほど取り出し、水を汲んでいく。俺にはよく分からないが、魔力的なサムシングが含まれているのかもしれない。そのまま使ってもそれなりの効力はあるだろうし、俺が魔力を込めるならば、その容量も増えるのかもしれない。

 そうやって瓶詰めを終えたところで、ここに来た本題に入ろうと思う。


「ティト、この湖って深いのか?」

「え? いえ、それほど深くはありません。近場の森人が沐浴に来るくらいですし」


 ほう。まぁこれほどの湖だものな。沐浴にくらい来るさ。

 だったら俺もそれに倣おう。

 纏っていた黒いローブを脱ぎ捨て、その下の衣服も放り投げる。勿論土が付かないように別の布を敷いておくことも忘れない。

 下着は一瞬迷ったが、ここまで来たらもう良いや。自分で見るのも慣れたし。

 一糸纏わぬ姿になり、冷たい水に足をつけていく。


「おぉぉぉ、冷てぇぇぇ! 気持ちいいぃぃぃぃ!」


 そのまま一気に飛び込み頭までザブンと潜り、さほど深くはなかった水底を蹴ってザバンと跳びあがる。

 立ち上がると腰くらいに水面が来た。水際からはそれほど離れていないが、それなりの深さがあるようだ。


「ゆ、ユキ様?」


 ティトが驚いている。珍しいな。


「久しぶりの水浴びなんだよ。テンションあがってもいいだろ?」


 やべぇ、水浴び超楽しい。そういやこの世界、というかこの国と言うべきか、四季っぽいものがあって、そろそろ夏に差し掛かる時期だ。気温も我慢できないほどではないが上がってきている。軽い運動でもしっとりと汗ばむ程度には。

 そんな環境の中で、湯を絞ったタオルで体を拭く、程度のことしか出来ていなかった。そう考えれば、これは非常な贅沢と言えるものではないのか。というかそういう環境なら風呂ぐらい発達しそうなものなのに。一応中世ヨーロッパでだって風呂はあったんだぞ。


「ティトも来いよ。冷たくて気持ち良いぞ」


 仰向けになりクラゲのように水面を漂う。普段は長くて鬱陶しい髪が、水にさらさらと広がる感触もまた面白い。こればかりは家風呂ではできない。仮に家風呂がめちゃめちゃ大きくても、こんなことをしようとは思わないが。


「いえ、私はここで構いません。それよりも、その、ユキ様。よろしいのですか?」

「何がさ」


 ティトの辺りを憚るような声色に、クラゲ状態を止めて立ち上がる。


「あちらに、男性三人組がいらっしゃるのですが」

「あ?」


 ティトの指差す先、鹿が水を飲んでいたさらにその先の方に、こちらを凝視している男三人組の姿が視界に入った。


「……あー」

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