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 当面の俺の目標は、質の良い、効果の高い薬を作っておきたい、というところだ。もちろん、金銭的に不自由しない程度に稼いだうえで、だ。

 強化の呪いしか使えない呪い士では、隠すにしても何にしても、いずれ限界が来るだろう。

 回復魔法が使えないため、自身の怪我すら治せない。他人が瀕死の重傷を負っても、それを癒す手段が無い。

 であれば、せめてその分を薬で代用したい。

 実際、魔力を込めればそれなりに高い効果になることは分かっている。

 緊急性の高い状況であれば呪いが必須かもしれないが、そうなる前、あるいは戦闘と戦闘の合間であれば、薬を使っても充分間に合うだろう。

 それを考えれば、イリーヌさんの提案は渡りに船。

 ここで調合器材を手に入れられれば、様々な薬を作ることができる。素材を集める必要はあるが、それは外に出る依頼のついでに取ればどうにでもなる。別に調合と薬売りだけで生活しなきゃならないわけでもないんだし。

 イリーヌさんの案内を受けながら、商業区の大通りを抜け、二人で並んで歩くには少し狭い道に入る。


「こんなところに薬屋があるのか? 人通りが少なすぎる気がするが……」

「薬を求める人は多いからね。今から紹介する店は、表も裏もお構いなしに、欲しい人に売るタイプの薬屋だから」

「そいつは何とも節操なしなことで」


 しかし前から思っていたが、隣を歩くとなるとやはり背の高い人だ。

 目を見て会話しようと思うと軽く見上げることになる。ただしここは狭い道だ。

 大体彼女の顎くらいに、俺の頭頂部が来る。つまりどうなるかというと、ぴったりひっつくと、彼女の胸部がですね。ぽよんと俺の顔に当たるわけですよ。

 はははティトさん、そんなに首をぎゅーっと持っても別に絞まらんぞ。苦しくはないがそういう趣味はないので諦めてくれ。

 つとめて冷静に、余計なことは考えずに、イリーヌさんに問う。


「ところで、なんで俺を紹介するような流れになったんだ? まさか調合器材の都合だけじゃないだろ?」

「ふふ、それがね。以前アンチドートを見せてもらった後、バザールが終わってから、店主に話をしに行ったんだよ。面白い薬を作った子がいるってね」

「面白くはないだろ」


 アンチドートとかキュアポイズンのことだろうけどさ。


「で、反応はどうだったんだ?」

「『面白い奴だな、気に入った』とか言ってたね」

「何だそれは」


 それがどうして、イリーヌさんが俺を店に連れて行く話と繋がるのか。


「行けば分かるよ。もうすぐそこさ」


 そう言いながら指差す先には、フラスコの絵が描かれた看板が掛けられた店がある。なるほど、これは分かりやすい薬関係の店だ。

 何の遠慮も無くイリーヌさんはドアを勢いよく開け、ずかずかと店内に入る。

 少し遅れて、俺もおずおずと店に入る。

 からんからん、とドアチャイムの音が室内に反響する。

 店内は薄暗く、少しひんやりとしている。

 夏が近く、外はそろそろ暑くなってくる時間だというのに、冷房でもかかっているかのようだ。

 ざっと見た限りでは、店の規模はあまり大きくないようだ。人が十人も入れば満員だろう。

 壁の両側の棚には薬瓶が置いてあり、窓の大部分は棚で覆われている。道理で暗いわけだ。

 店の奥にはカウンターがあり、そこにもいくつかの薬が置いている。そのさらに奥には扉があるので、その先が居住空間にでもなっているのだろう。

 だが店主とやらはどこに居るのか。

 見た感じ無人のようだが、店の奥にでも引っ込んでいるのだろうか?


「やぁ、連れて来たよ」


 イリーヌさんが部屋の奥に声を掛ける。やはり店主は奥に居るようだ。出てくる気配は無いけどな。

 手を顎に当てて考え込んでいるイリーヌさんを尻目に、再び辺りを見回す。

 少し埃っぽい空気は、いかにも道具屋という感じであって、決して薬屋というイメージは沸かない。

 商品を眺めると確かに薬は置いているが、値段はどこもかしこも同じようで、決して安くはない。イリーヌさんの値段設定が良心的なのだろう。


「おかしいな。このくらいの時間に会う約束をしていたんだけど……」


 おいおい。もし俺が来なかったらどうするつもりだったんだ。

 いや、俺が居なくても話すことくらいはあるか。薬屋同士、色々と情報交換することもあるだろうし。

 イリーヌさんが呟いたとき、カウンターの奥の扉が開く。

 そこからぬっと顔を出したのは、兎だった。紛う事なき、二足歩行の兎だった。ヨーロッパ辺りに住んでいる家族的な兎だった。赤いチョッキを着て白衣を羽織っている兎だった。ずるずると白衣の裾を引きずりながらこちらにやってくる。


「ようイリーヌ。毎日毎日ご苦労さん」


 兎が喋った。


「お、そっちが昨日言ってたユキちゃんとやらかい?」


 渋いバリトンボイスだ。


「ああそうさ。可愛いだろう?」

「はっ。お前さんの趣味は分からんね」


 兎がくいっと丸眼鏡を押し上げた。


「で、そっちの、ユキちゃんとやら。そんなに獣人が珍しいか?」


 とてとてと、俺の腰ほど、数十センチ程度の兎が近づいてくる。うわー、もっこもこだー。


「おいイリーヌ。コイツ大丈夫か?」

「ふふん、ユキちゃんは可愛いものに目がないからね。きっとピートの姿に魅了されているんだよ」

「ははっ。だったらイリーヌ、お前に目はないな」

「ちょっと、どういうことだいそれは」


 兎とイリーヌさんが談笑している。

 随分と親しそうだ。一体どういう関係なんだろうか。それにしてももこもこだ。腹毛にダイブしたい。


「ユキちゃんユキちゃん、そろそろ戻ってきておくれ」

「ハッ!?」


 いかんトリップしていた。

 そうか、獣人にはこういう種族もいるのか。


「俺はピート。ここで薬屋をやっている。イリーヌとは、商売敵の間柄だ」


 兎が居住まいを正し、礼儀正しい所作で自己紹介をする。


「商売敵?」


 言い方はそりゃあ自由だろうけど、随分と親しげに話すわりには棘のある言い方だな。


「おいおい俺達は商人だぞ? 同じ品物を取り扱うなら、いくら同業者といえど商売敵だ。だよなイリーヌ?」


 ピートがふいっとイリーヌさんに視線を投げかける。


「そうだねぇ。キュアポイズンをそっちに卸したりしたけど、商売敵だね」

「ぐっ……あれは、その、なんだ。俺も緊急に入用だったんだよ。利用できるものは何でも利用する。それが商人の鉄則だ」


 ああ、一つ当てがあるって、ここのことだったのか。

 イリーヌさんはにやにやと笑みを浮かべ、ピートは……あまり表情は読めないが、憎からず思っているのだろう。


「で、お前さんは一体どういう人物なんだ?」


 と、ピートの視線が俺を射抜く。


「藤堂雪。呪い士だ。冒険者をやっている」


 用意している自己紹介。これだけで大体伝わるのだから、異世界は便利だ。


「呪い士か。道理で魔道具を作り出せるわけだ」

「ユキちゃんは良い腕をしているだろう?」

「それは認めてやるが、な。それでイリーヌ。俺に話ってのは何だ?」


 ピートが話を切り出す。そうだそうだ、俺も知りたい。話とは何なのか。

 イリーヌさんは勿体ぶった様子もなく、事も無げに、あっけらかんと答える。


「ピート。確か調合器材を新調したんだよね。古いのをユキちゃんに譲ってやってくれないか?」

「は?」


 つい声が出る。

 ピートの方を見ても、目を丸くして――もとから丸いけど――口をぽかんと開けている。


「は、は、は。面白いことを言うなイリーヌ。どうして俺がそんなことをしなくちゃならない? 使い古しの器材といえど、売るところに売れば金貨三枚はくだらない代物だ。譲るだと? 馬鹿馬鹿しい」

「そうだよ。俺だって器材を買う心算で準備してんだ。そうそう簡単に手に入ってたまるかよ」

「ふん、気が合うなユキ。昨日も思ったが、面白い奴だな。気に入った」


 その台詞やめて。その声でその台詞本当にやめて。昔見た映画を思い出しちゃうから。

 だがイリーヌさんは俺達の言葉を意に介せずに続ける。


「ピート。ユキちゃんの作った魔道具を見ても、まだ同じ言葉を言えるかな?」

「ほう。キュアポイズンだけじゃないのか?」


 おや、イリーヌさんはピートにアンチドートの話はしてないのか。


「ああそうだ。私のところじゃ扱えないからね。サンプルとしてもらうにも価値が高すぎて買い取れなかった品があるんだ。ほら、ユキちゃん」

「ほら、って言われてもな」


 迷っていると、イリーヌさんが耳打ちしてくる。


「アンチドートだよ。あれを見せてごらん。譲ってもらうのが嫌なら、あれを売ったお金で買い取ることにすればいい」


 ふむ。そういう考え方もあるのか。確かに死蔵しているアンチドートは五〇粒近くもある。幾らかは残すにせよ、放出するのも悪くない、か。


「ちょっと待っててくれよ、今取り出す」


 俺は懐に手を突っ込み、影の中からアンチドートを数粒取り出して、ピートの目の前に差し出す。

 あ、何か餌をあげてるみたいだ。和む。


「失礼なことを考えてないか?」

「気のせいだろ」


 軽口を叩きながらも、ピートの顔は真剣だ。

 鼻をぴくぴく動かしながら、アンチドートを検分している。


「……全く、なんてこった」


 目を瞑り、深く息を吐くピート。

 丸眼鏡が心なしかずれている。


「おいユキ。これはどうやって作った? ……いや、レシピは教えられないか。同じ物を用意することは出来るか?」

「材料がないから無理だな。用意するのも手間が掛かる。ただまぁ、あと三〇粒程度なら在庫があるぞ」


 俺の台詞にピートがくっくっと喉を鳴らす。


「薬としては出来損ないだ。だが、革命が起きるな」

「見ただけで分かるのか?」


 出来損ないというのは副作用のことだろう。そして革命というのは、ティトにも言われていた通りの意味だろうな。これ一粒あれば、あらゆる毒を中和できるのだから、荷物の積載量が圧倒的に減る。影の中に仕舞える俺にはあまり関係のない話だが、大勢の冒険者にとっては命綱にもなる解毒の手段が、今までよりも大量に持ち込めるのだから。

 ティトがなぜか耳元で「んふー」と誇らしげな鼻息を鳴らす。


「薬屋を舐めるな。それに、これでもお前さんより長生きしている。……イリーヌ、これを見せた理由はあれか? 取引でも持ちかけようってか?」


 剣呑な表情でピートが問う。

 イリーヌさんは飄々とした態度で受け流す。


「べぇっつにぃー? ピートがどう思うかは自由さ?」

「俺の意見くらいは聞いてくれよ……」


 俺、完全に蚊帳の外。作ったの俺だよね?


「ユキ。お前さんは、こいつを俺に売る気はあるか? この一粒だけでも一財産だ。これ一粒だけでも譲ってくれるなら、俺の使い古しの調合器材なんぞでよければくれてやる」

「金貨三枚って言ってたよな? これにそんな価値があるってのか?」


 だって元はただの解毒丸だぜ?


「いや。さっきも言ったが、こいつは薬としては出来損ないだ。売り物にはならん。だが、本来の効果が実現できるならば、金貨なぞ軽い。いまのこの街なら大金貨で取り扱うようなモノになるさ」

「本来の、ね」


 どうせ俺のは副作用込みの紛い物。劣化品と言っても良いくらいのものだ。売り物にならないのも理解できる。


「こいつをサンプルに、本来の効果を作り出す。研究のしがいがあるってもんだ。だから、調合器材の譲渡は投資だと思ってくれ」


 ピートの真剣な声に、俺は頷く。

 それに異を唱えるのはイリーヌさんだ。


「ユキちゃん、もっと搾り取ったほうが良いよ? あるいは権利を主張したほうが良い。完成品が出来たら、売り上げの何割かを貰えるように、とかね」

「黒いな……」


 それはどちらの呟きだったか。

 どちらにせよ、俺にとっては大した問題ではない。

 最終的に、この薬が完成して、冒険者達に広まればそれで良いのだから。


「俺は調合器材が手に入るなら何だって良いさ。それにこいつは、呪いで作った紛い物だよ。薬じゃなく、魔道具だ。管轄が違うものを買い取ってくれるって言うなら、それこそ出来すぎた話だよ」


 偽らざる本心。

 その真摯さは相手にも伝わったのか、ピートは手を差し出してくる。

 その手を握り返す。あ、肉球が気持ちいい。


「それじゃあ商談成立だ。待ってろ、今器材を持ってくる」


 踵を返し、奥の扉にとてとてと入っていくピート。その後姿は、妙に嬉しそうな様子だった。

 と、ここで急に、一つ気になることを思い出した。


「なぁイリーヌさん」

「なんだいユキちゃん?」

「確かこの前、この街で信頼できる薬師が俺しかいない、みたいに言ってたけど」

「言ったね。それがどうかしたのかい?」

「ピートは、どうなんだ?」


 素朴な疑問だ。

 魔道具を研究して、失われた神代の薬を復活させる、なんて息巻いているくらいだから、彼はきっと腕の良い薬師なんだろう。

 だったら、ハードノッカーの肝は、彼に渡しても良かったのではないだろうか?

 イリーヌさんはしばし瞑目し、そして静かに一言。


「ピートを信頼するなんて、死んでも御免だよ」


 その声は、内容とは裏腹にとても穏やかで、俺は何も言えなくなった。


ピート(CV:玄田哲章)

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