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 そろそろティトには正気に戻っていただきたい。

 声を掛けてみるが、反応は無い。

 腕を組み、首を傾げ、しきりに何かを呟いているティトの耳元に、そっと息を吹きかける。


「ひあぁぁっ!?」


 面白いほど驚いてくれた。


「な、いきなり何をするんですかっ!?」


 手で耳を押さえ、顔を真っ赤にして抗議してくる。涙目可愛い。貴重なシーンだ。脳内スクショで保存しておこう。


「だって、声掛けても返事がないからさ」

「だったら肩でも頭でも触ってくだされば気付きます!」


 それもそうだ。

 でもそこはほら。


「少年的な悪戯心が、つい」

「つい、じゃありませんよ、もう」


 ぷい、と横を向いて頬を膨らませるティト。

 その姿も何だか微笑ましくて、知らず口元に笑みが浮かぶ。


「何を笑ってるんですか」


 ジト目で睨んでくるも、そういう顔も何だか可愛らしい。まだ付き合い始めて一月も経っていない彼女が、少しずつ心を開いてくれているということだろうか。


「いや、悪かったよ。今度から気をつける」


 降参、という風に両手を軽く挙げる。

 俺の所作に、多少は得心いったのか、ティトも落ち着き俺の頭に乗ってくる。

 そんなティトに、本題を切り出す。


「実験したいから、この傷薬をライフポーションにしてくれないか?」

「実験、ですか?」

「ああ。ティトも実際に目にした方が早いだろうし、作ってもらったライフポーションに魔力を込めてみる」


 俺の予想では、傷薬ではなくライフポーションに魔力を込めるならば、呪い士の女に使った薬と同程度の品が出来るはずだ。

 勿論魔力も八割程度消費するはずだ。

 俺の提案に対し、ティトも思うところがあったらしく、承諾する。

 よく考えれば、落ち着いた状況で他人の呪いを見るのって初めてのような気がする。魔術でも呪いでも、戦闘中に向こうで使ってるなー、くらいの認識でしかない。

 ここらで精々、どのような作法で行うのかきっちりと見ておこう。

 ティトの周りで小さな風が起こる。

 魔素の動きだろう。そよ風、とも言えぬ微風ではあるが、確かに何かが集まっている。

 ぼんやりとティトの掌が光る。

 とても暖かく、どこか安らぐ光の色だ。

 それはまさに大樹の木漏れ日とも言うべき、柔らかな日差しを思い起こさせる光。

 ティトの光はそのまま全身に広がり、微風は確かな流れをもってティトの髪の毛を靡かせる。

 その光が、傷薬をやんわりと包み、そして光が消えていく。

 時間にすればわずか数秒であろうが、その幻想的な風景に、俺は心を奪われていた。


「ふぅ。治癒の呪い、完了です。……ユキ様、いかがいたしましたか?」


 ぼうっとしている俺の顔を覗き込むように見上げるティトに、思わず顔が赤くなる。


「いや、他人の呪いをじっくり見る機会なんてなかったから、新鮮でさ」


 慌てて顔を背けて取り繕うが、頬の赤みはなかなか消せそうにない。

 そんな俺の内心を知ってか知らずか、ティトはライフポーションを俺に押し付ける。


「ライフポーションですよ、ユキ様。さぁ、早くこれに魔力を込めてください」


 何だ、随分と急かせるじゃないか。

 手に取った薬を鑑定する。やはり以前買ったライフポーションと一言一句同じ内容が頭に思い浮かんできた。

 これならば予想通りの結果が出るだろう。

 ライフポーションの小瓶を掴み、魔力を注ぎ込む。


「む……」


 傷薬とは違い、入っていく魔力の量が随分と大きい。

 例えるならば、先ほどまでが如雨露で流し込んでいるのなら、今度は給水口のバルブを開放しているかのような入り方だ。

 急激に俺の中の何かが減っていく感覚をうける。多分魔力減ってるなー。

 などと思っていると、唐突に込めている魔力が溢れ出る感覚がした。


「ここまで、か」


 だが、乳白色のライフポーションは、液状にはなっているが虹色になどなっていない。

 鑑定しようと注視しても「ハイライフポーション。魔力により強化されたライフポーション。軽度の裂傷、擦過傷、火傷を跡形も無く治療し、失った生命力を補充する。副作用として、経口摂取した場合に腹痛を起こす」となっているだけで、とてもではないが瀕死の重傷を癒すだけの効果があるとは思えない。飲ませるのは危険だということは分かったが。元が軟膏だから当たり前のような気もするな。こいつはぶっかけ専用だ。いや待て。これをぶっかけるのか? 元がアレなんだぞ? 一体どこにぶっかけるというのだ?

 嫌な想像を振り払い、薬は薬だと思い込む。どうせ使うのは俺じゃないのだ。どこかの見ず知らずの人間が使う分まで責任は持てない。だからこそ中毒性やら依存性やらがないのは助かる。

 ただ、そうなるとどうしてあの時は、ライフポーションがあれほどの効力を持てたのやら。検証のしようがなくなってしまった。込めた治癒の呪いの効果に左右されるとか、作成者によるとか、そういう鑑定で出てこない情報が要因ならば、俺個人ではどうしようもない。

 とりあえず完成したこのポーションをティトに突きつける。

 ドヤァ。


「確かに、ライフポーションに魔力が込められているようです。このような手法があったとは……」

「で、俺の魔力どれだけ減ってる?」


 傷薬は大したことがなかったが、ライフポーションの方はかなり使った気がする。何せバルブだ。


「減ってませんよ? 大体、アンチドートなどを作ったところでほとんど減っていなかったのですから、いくら使った気がすると仰ったところで、たった一つの薬に何を求めているんですか」

「むぅ」


 言われてみれば、五〇粒のアンチドートですら気のせいレベルの減り方しかしていなかったのだ。

 この程度の効果の薬を一つ作ったところで、目に見える減り方をするわけがないな。感覚なんて当てにならないものだ。


「逆に考えて、どういう要因があれば俺の魔力容量の八割も入るようなライフポーションが出来るんだ」


 鑑定的には同じライフポーションを使ったはずだ。それはティトも分かっているはず。

 後、以前と違う条件といえば……。


「魔素溜まりの中、とかか?」

「その可能性は否定できませんが、実験するにも環境がありませんね」

「魔術とか呪いを使いまくるってのは?」

「それにしたって、周囲一体の魔素を集めて、散らすだけですから。総量として大きく増えることはありません。そもそも人為的に魔素溜まりを作ろうとするなど……ユキ様は魔獣を召喚でもしたいんですか?」

「そっかー」


 なら実験はここで終了だな。

 とりあえず、ということで、傷薬を全てヒールポーションに変えていく。

 同じ条件で幾つか数を試す、という実験もしなければいけない気もするが、さすがに手応えがなさすぎる。

 出来栄えに多少の優劣がつくとしても、幅があまりに広すぎるのだ。たった二つだが、優劣ってレベルじゃねぇ。それほどの差が生まれている。

 このままティトに手伝ってもらったところで、大した成果が出るとは思えない。

 さすがに、ティトに手を借りている薬を売りに行くわけにはいかないからな。

 相手の好意を自分の収入にするとかゲスの極みだ。一応食費という面では俺が出しているのだが。

 出来上がったヒールポーションの小瓶を集める。一瓶はハイライフポーションにしたので全部で三二瓶。

 ただの傷薬でさえ、薬屋の値段を見る限り銅貨数十枚になるだろうに、火傷の治療まで出来る薬ならば一体どれほどの価値が出るのか。

 まぁ、イリーヌさんはそこまでボッたくった値段では売らないみたいだから、あまり大金は期待できないか。

 でもこれだけで二、三月分の宿代になりそうだということは理解できる。

 薬特需、マジパネェ。

 集めた小瓶をまとめて影の中に放り込む。

 状態保存の機能とか追加したいよなぁと、ふと考える。

 食材とか入れといて、旅先でも新鮮な食い物が、とか憧れるじゃん。

 冷蔵庫的な袋は作れたわけだし、時間を停める不思議空間を作ろうと思えば作れるのかもしれないが、そんな空間に手を突っ込みたくはない。

 それに、自分でも原理が全く理解できない物は魔法として発動しようがない、ということもある。保管場所として、例のポケット的なものを作ろうとして失敗したのも、俺自身が四次元空間を理解していないことが原因なのだろう。少しでも分かっていれば、それっぽいものはできるのだが。レーダーとか。


「その薬、どうされるのですか?」

「効果高くないし、全部イリーヌさんに引き取ってもらおうかなって」

「そうですか。では、その帰り道にでも、質の良い調合器材を購入して帰りませんか?」


 ありだな。

 今の器材ではどうあがいてもすり潰すことしかできない。

 煮たり抽出したり正確に分量を量ったり、出来ることが増えれば作れる薬も増えていく。

 そうなれば、効果の高い様々な薬に対して魔力を込め、俺自身の魔法の性能を確かめることも出来る。

 あと、あの虹色の水薬は緊急用に一本は持っておきたい。

 ライフポーションから作れなかったとしても、もっと効果の高い薬を使えば作れるかもしれない。

 虹色の薬とまではいかずとも、せめて重症を治す程度の薬は幾つか持っておきたい。

 これは悪魔が発生したときに、大勢の冒険者が死なないように補助するためだ。

 俺一人が全ての戦場を回ることは出来ない。

 だったら、俺抜きでどんな敵でも倒せるような、あるいは持ちこたえられるような戦力が必要だ。

 そうなったとき、必要なのは回復力の高い薬だろう。呪い士の全てが無尽蔵にあらゆる傷を癒せるわけではない。

 戦線を支える補助が必要なのだ。

 俺が居なくとも、あの呪い士の女を助けられるような薬を量産する。

 侯爵級であろうと一撃で倒す力が俺に備わっているというのならば、次はそれが目標となろう。

 前途は長いが、なぁに、その分やりがいがあるってものだ。

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