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番外編・全てを守りたかった青年

 全てを守ると青年は誓った。

 何を以て『全て』とするのかは定めないまま、漠然と、あらゆるものを守りたいと、青年は願った。

 そのために盾を持ち、鎧を着こみ、彼は守るために戦った。

 害獣は討伐したし、盗賊だって始末した。

 彼一人ならば、果たせなかったかもしれない。

 けれど、彼は一人ではなかった。


「ねえ。今日はどこに行くのよ?」


 表情に乏しい、アンティークドールのような少女が青年に問う。


「ビートベア討伐はもうしばらくやめとこうね。何か、次は上手くいく気がしないわ」


 勝気な表情の、髪をポニーテールに纏めた少女が青年に提言する。


「そうですね。あれはユキさんのお力添えがあったからこそ、です。リオ、アマリ。今日はナイトウルフの討伐をしましょう」

「ん、分かったのよ。ナイトウルフくらいなら、簡単に倒せるのよ」

「私が、だけどね。あいつら魔術には滅法弱いもの」

「はは、よろしくお願いしますよ。アマリも、脚への部分強化をお願いしますね。耐えるためには、やはり踏ん張りが必要ですから」

「任せるのよ」


 宿の壁にかかっている依頼票を剥がし、受付へと持っていく。

 店の主人はまだ若い女性だった。

 レックスから紙を受け取るときに手が触れ、一瞬ながら頬を染める。


「ナイトウルフですね。レックスさんなら問題ないと思いますが、近ごろは魔獣の噂も聞こえてきます。どうかお気をつけて」

「ありがとうございます。僕も魔獣の恐ろしさは重々承知しています。無理のない範囲で、しっかりと果たしてきますよ」


 そして軽く微笑む。

 若い主人は、今度こそ顔を赤く染める。

 陶然とした表情で、レックス達が店を出るのを見送る。

 彼らが居なくなった店内で。


「もげやがれ……」

「畜生、俺だってあの子のことが……」


 男達の暗い声が響く。

 この斡旋所は食事処と兼用だ。依頼を取り仕切る女主人と、食事処を切り盛りする女将とは親子である。

 このような片田舎に住んでいるには勿体ない美貌を持ち、そのためかこの店には若い男たちが屯している。あわよくば、を狙っている者もいるが、しかしそういう不埒者は女将の旦那に摘み出される。


「ほう、うちの娘のことが、何だって?」

「いえ! 何でもありません!」

「ったく、他所の男に嫉妬心燃やすぐらいなら、対抗心を燃やして討伐依頼の一つでも受けやがれってんだ」

「でもよ、旦那はどう思うんだい、レックスって野郎のこと。アンナちゃんを取られてもいいのか?」


 若者の言葉に、旦那は表情を険しくする。


「娘は誰にもやらん! まして、女を侍らせているような野郎には絶対だ!!」

「お父さん、いきなり何を言ってるの! レックスさんのことを悪く言わないでよ! 悪い人じゃないって知ってるでしょ!?」


 娘からの急な反論に、旦那、撃沈。

 膝から崩れ落ちる旦那を、若者たちが慰める。

 この瞬間、彼らは同士となったのだ。

 『モテる野郎は許さねえ』というスローガンのもと、無駄にバイタリティ溢れる活動を始めるのは、少し先の話。



――――


 街の近くにある森の中。

 拓かれた道にナイトウルフの群れが居る。

 数は五頭。

 一般的な冒険者では無傷では済まない数だろう。

 だが、彼らは一般的な冒険者とは少し違った。


「リオ、魔術を!」

「任せて、詠唱は終わってるから! サンダークラップ!」


 リオの突き出した杖の先から、一条の稲妻が迸る。

 その雷撃は先頭のナイトウルフに直撃し、続くナイトウルフにまで感電する。先頭のナイトウルフは絶命し、二頭目は生きてはいるようだが、ぐったりと動かなくなった。


「後続は僕が潰します!」


 倒れたナイトウルフを踏み越えて、三頭目が大口を開けてレックスに肉薄する。噛み付くつもりだろう。

 その頭部目がけて、レックスがメイスを振り上げる。


「腕力を強化したのよ! そのまま行くのよ!」

「ありがたい!」


 噛み付く寸前のナイトウルフの側頭部目がけて、レックスは斜め下にメイスを振り下ろす。

 腕力強化を施されたその一撃は、頑強なナイトウルフの毛皮などものともせず、脳漿を飛び散らせて陥没させる。

 さらに続く二頭の突撃は、新調したばかりのカイトシールドで受け止める。

 重量から繰り出される突進は、生身の人間であれば軽く吹き飛ばされるであろうが、今のレックスはアマリの呪いによって脚力も強化されている。

 圧力は感じるが、踏ん張れないほどではない。

 そしてカイトシールドごと体を前に押し出し、ナイトウルフ達を吹き飛ばす。

 そのままの勢いで、全体重をかけて痺れて動けないナイトウルフの頭部を踏みつける。

 武具の総重量、及び脚力強化の呪いの掛かった一撃は、あっさりとその頭を砕いた。


「残り二匹、どう出ますか?」


 レックスは獣たちの動きを観察する。

 相手も無能ではない。一回の突撃で半数以上が殺された現状、逃げるのも一つの可能性としてあり得る話だ。

 此度の依頼は殲滅ではない。討伐した数によって報酬が支払われるため、レックス達にとっては、ここで五匹全てを倒す必要はない。

 もっと倒したければ、自分たちが移動すればいいだけだ。深追いする必要はない。

 そんな選択肢が取れるのも、自分達が非常にバランスのとれたパーティーだからというものがある。

 前衛で敵の攻撃を引き受けられる盾役、高威力の魔術を行使できる魔術師、生存性を引き上げられる呪い士。

 一般的な冒険者では、そこまで恵まれた構成にはならない。

 戦士のみであったり、魔術師が欠けていたり、呪い士がいなかったり。

 数は三人と少ないが、どんな場面でも戦い抜くことができる構成なのだ。

 だからこそ、一般的な冒険者達であれば二の足を踏むような相手であれど、果敢に立ち向かうことができる。

 もちろん、事前に綿密な作戦会議を行っていることもあるが、作戦の幅が広く取れるのも、この三人が揃っているからである。

 自らの形勢の不利を悟ったナイトウルフ達は、二頭とも踵を返して去っていく。

 森に入っていくところまでを油断なく見送り、周囲に他の異変がないかどうかを確認し、ようやくレックスは盾を降ろす。


「ふぅ、やはり魔術が使えると、ナイトウルフ達は簡単に倒せますね」


 ナイトウルフは、強靭な毛皮を持っている害獣で、刃物はなかなか通さない。

 しかし魔術には非常に弱く、簡単な魔術を当てるだけで、毛皮の剛性が失われるという特性を持っている。

 そのため、魔術師がいれば非常にやりやすい相手ではあるが、魔術を使えない場合はどうすればいいか。

 それは死体が物語っている。

 刃物には強いが、打撃攻撃は普通に効くのだ。だからこそのメイスであり、腕力強化によるさらなる破壊力の上昇である。

 ここが一般的な武器攻撃に高い防御力を持っている魔獣との大きな違いだ。

 その特性を知っているからこそ、レックスはこの依頼を請けた。

 リオに任せきりにならず、かといって自分だけが成し遂げるわけでもなく。


「あー、でも魔術で倒した方はやっぱり毛皮は使い物にならないわね」

「そうですね。ですが、やはり数は脅威です。リオの魔術で数を減らさなければ、僕一人では二人を守れませんでしたから。こうして二人が無傷でいられることこそ、最大の報酬とは思いませんか?」

「そうなのよ。リオは金の亡者なのよ」

「んなっ!? 違うわよ、そういう意味じゃなくてっ!」


 分かっていますよ、と笑うレックス。

 無表情で、からかっただけなのよ、とアマリ。

 顔を赤くして憤慨するリオ。

 ともあれ三頭は倒した。これだけでも今日を凌ぐくらいの報酬は支払われるが、日はまだまだ高い。この辺りを哨戒し、もう二つ三つくらい群れを狩っておきたい。

 盾とメイスを背中に括りつけ、動き始めようとしたその瞬間。


「――!? 二人とも、茂みへ!」

「え?」

「きゃっ」


 二人を抱きかかえて茂みに飛び込む。自らの顔が枝葉で傷つくが、そんなことを気にしている場合ではない。

 抗議の声を上げようとする二人の口を手で塞ぐ。


「静かに。息を潜めてください」


 鬼気迫るレックスの雰囲気に、二人も声を殺す。

 自らの鎧が立てる音がもどかしい。

 ズン、と地響きを立てて、黒い異形が落ちてくる。

 ところどころ血管のような赤い筋が浮き出て明滅を繰り返す。

 蜘蛛のような胴体に人型の上半身が都合四体、醜悪に融合している。

 あのような姿での跳躍。一体どれほどの距離を跳んだというのか。どれほどの速度で移動したというのか。

 知らず、三人の息が荒くなる。

 抑えようとしても、早鐘を打つ心臓が、呼吸を止めることを許さない。

 胴体下部から生えている上半身が、およそ人体ではありえない動きで周囲をギョロリと見渡す。

 ――大丈夫、相手からはこちらは見えないはずだ。

 相手側からは、こちらは完全に暗がりとなって、捕捉できないはずだと。

 蜘蛛の足が、頭部を潰されたナイトウルフに触れる。

 途端、地面側の上半身がその死骸を手繰り寄せ、ガツガツと貪り始める。

 ゴキリ、パキュリ。

 骨ごと食らう。

 時折啜る音が聞こえてくるのは血の音だろうか。

 レックスは目を離せない。

 抱きかかえる少女二人が、小さく息を呑み、眼を背けるのが分かったからこそ。

 自分まで目を背けては、誰がこの異形の動きに即応できるというのか。

 どれほどの時間か。やがて咀嚼し終えた異形が、再び辺りを見回す。

 何かを探すように。

 ――何を探している? 何か気になるものでもあるのか?

 そして気付いてしまった。

 異形は、何かを嗅ぐように、顔を動かしていることに。


「!」


 レックスは自分の足を見やる。

 そこには、先ほど踏み潰したナイトウルフの血がべっとりと付着している。

 ある程度乾いているとはいえ、あの異形の嗅覚如何ではあっさりと看破される。

 知らず、二人を抱く力が強まる。

 その行為自体が、二人に危機を告げているものであると気付かぬままに、三人が恐怖に打ち震える。

 上半身が、今しがた食事を終えた残骸をもう一度見やり、そして、注意深く観察する。

 何かに気付いたように顔を上げ、そして。


 茂みを、じっと、見つめる。


「――っ!」


 まさか。そんなはずはない。目が合うはずがない。こちらは暗がり。気配も殺している。物音すらほぼ立てていない。

 蜘蛛が、ゆっくりとこちらに向き直る。

 自然、後ろに下がりそうになる。

 だが、今の自分の重装備を鑑み、動くことは下策だと、本能が強く警告する。

 気のせいだったと、この異形が立ち去ってくれることを祈るしかない。

 汗が止まらない。

 涙が溢れてくる。

 歯の根が合わず、ガチガチと鳴りそうなところを、噛み締めて耐える。

 自分は、こんなところで、理不尽に殺されてしまう運命だったのかと。

 いや、自分だけならばまだ理解できる。志半ばで斃れることも覚悟の上だった。

 しかし、守ろうと思っていた少女たちまで巻き込んでしまうことを恐れた。

 せめて彼女達だけでも遠ざけねば。

 震える手で少女達を放し、震える脚に力を込める。

 立ち上がらねばと。

 せめて少しでも遠く。

 自分が喰らわれている間に、少しでも長く。

 決死の覚悟を決めて、立ち上がろうと。


――――ギャア、ギャア、ギャア!


 鳥の飛び立つ音。

 異形の意識が、周囲一帯から茂みに向けられたことに気付いた野生の勘か。

 逃げるなら今だと思ったか。

 置いていくなと付き従ったか。

 バサバサと何羽もの鳥達が森から逃れようと空に舞う。

 レックスは考えた。

 ――ああ、なんて、愚かな。

 あの異形がどのようにこの場に降り立ったか。

 それを考えれば、空は安全圏では無いと分かるだろうに。

 騒ぎ立てた鳥達を、恰好の獲物と捉えた異形は、その巨躯に似合わず軽々と跳躍し、数多の鳥を捕食し始める。

 ただ、その跳躍により、レックス達の潜む場所からは大きく外れていった。

 そしてそのまま、森の方へ戻ってくる気配は無い。

 あの異形が何をしたかったのかは分からない。

 そもそもあれは何だ。

 魔獣であることは理解できる。だが、魔獣とはあれほどまでに禍々しいものになるものなのか。


「レッ、クス?」


 か細い声で、リオがレックスを呼ぶ。


「わ、私達、生きてる、のよ?」


 消え入りそうな声で、アマリが呟く。


「は、ははは……」


 呆然と、ただ乾いた笑いしか出てこない。




 全てを守ると青年は誓った。

 何を以て『全て』とするのかは定めないまま、漠然と、あらゆるものを守りたいと、青年は願った。

 そのために盾を持ち、鎧を着こみ、彼は守るために戦った。

 害獣は討伐したし、盗賊だって始末した。

 村を守れば村人に感謝され、依頼を達成し続ければ斡旋所の主人に感謝され、道中で同業者を助ければそれが評判となった。

 無論一人では為しえない事だ。仲間が居たからこそ為しえた。

 だからこそ彼は思っていた。

 自分達であれば、どんな困難であっても乗り越えられると。

 だが。

 目の前を通り過ぎる暴虐に対して、彼は何もできなかった。

 おぞましき威圧感に、屈してしまった。

 あのような化け物に対抗するなど、人の身には不可能だと、本能で理解してしまった。


「……戻りましょう。ここに居ては、奴がまた来るかもしれません」


 それはない、と。心のどこかで思ってはいるが。

 気力を振り絞って立ち上がり、二人に手を貸す。


「そ、そうね」


 歯切れの悪い返事をするリオ。


「……あ。うん、帰ってからでもいいのよ。まずはそっち優先なのよ」


 何かに気付いたアマリが促す。

 レックスも気付いたが、言わないほうがリオの名誉のためだと、気付かない振りをする。


「そうですね。僕も嫌な汗をかきましたし、着替えたい気持ちは同じです。幸い依頼も達成できる程度にナイトウルフは狩っていますし、先ほどの魔獣も報告しなければなりません」


 レックスの言葉に、顔を赤くして俯くリオ。誤魔化しきれていないレックス。

 魔獣を発見した場合、速やかに斡旋所に報告する。これも冒険者の重要な役目だ。

 もちろん遭遇したときに倒せるならばそれはそれで構わないが、力不足のまま全滅し、魔獣が更なる被害を出すことは確実に防がなくてはならない。

 此度の場合は後者だ。運良く生き残れたのだから、明らかな異常事態を報告し、しかるべき処置を取らなければならない。

 放置していて、次に自分達が出くわした時に、同じように生き残れる保証は無いのだから。

 重い足取りのまま、来た道を引き返す。

 だが、様子がおかしい。


「……この足跡、というより破壊痕は」

「どう考えても、あいつよね?」

「街に続いてるのよ?」


 道を大きく外れながらも、全体的に見れば街へ続いている大穴。

 踏み固められた地面に、いくつも開いている。

 中央が窪み、その周囲に円形状に八つ。

 まるで大きな何かが跳ねたかのように。

 脳内に警鐘が鳴る。

 何か、などとぼかす必要は無い。正体は分かりきっている。

 行ってはならない。別の村に行くべきだ。

 食料は野生動物でも狩れば良い。ナイトウルフの肉は不味いが、餓えるよりましだ。

 水場だってある。村まで数日掛かるが、死ぬことはない。

 どう判断すべきか。リーダーはレックスだ。彼の指示に、少女達は従うだろう。

 不安げに自分を見上げる少女達に、しかし心配させまいと気丈に笑みを浮かべる。


「急いで戻りましょう。せめて避難だけでも手伝わなければ」


 あの暴虐に対して何が出来るわけでもない。

 だが、知っている自分達が怖気づけば、知らぬ無辜の人間が無残に殺される。

 今から行ってどれほどの助けになるかなどと、知ったことではない。

 ここで逃げれば、これから先も逃げ続けてしまうと感じた。

 何一つ守れぬまま、ただただ逃げるだけだと。

 逃げるわけには行かない。

 震える脚を、立ち向かうわけでは無いと叱咤する。

 レックスの内心を読み取ったか、二人も顔を強張らせながらも、しっかりと頷く。

 点々と続く穴を横目に、可能な限り速度を上げて街へ向かう。

 近づくにつれ、音が聞こえる。

 悲鳴、怒号、断末魔。

 思わず耳を塞ぎたくなる状況ではある。

 だが、これは予想できていたことだ。

 あの異形が街に向かっていて、蹂躙しているであろうことなど。

 外壁に辿りつくと、被害はさらに目を覆わんばかりだ。

 瓦礫に塗れ、大勢の人間が外へ出ようと犇めき合っている。

 豪奢な鎧を着込んだ者達が誘導している。

 領主の手の者だろう。権威があれば混乱はある程度抑制できる。

 あの暴虐の気配を前に、冷静に行動できる者がどれほどいるかは分からないが。


「ここは彼等に任せましょう。僕達はまだ街の中に残っている方々を誘導します」


 二人に言う。

 こくりと頷くのを見て、レックスは行動を開始する。

 人混みを逆行することは、意外と簡単だった。

 事実はどうあれ、このタイミングで重武装の冒険者が急いで街に戻ってきたのだ。

 魔獣を討伐するために戻ってきたと勘違いしてくれたようだ。

 その期待が心苦しいが、今は人命救助が優先だ。

 少しでも多くの人を、魔獣の圏内から逃さなければならない。

 幸い、魔獣の動きは非常に分かりやすい。

 破壊音が響いている。

 今は多量の魔術が降り注いでいるようだ。

 あれならば、と若干期待する。


「……無理ね。あの程度の魔術を打ち込んだところで、致命傷にはならないわ」

「……そうですか」


 状況は思った以上に絶望的なようだ。

 一点、希望があるとすれば。

 先の依頼で同行した、蒼い髪の少女。

 何も聞いてくれるなと他者を拒絶する雰囲気を纏っていたが、彼女の戦闘力であればあるいは。

 隼男爵級とはいえ、魔獣を一刀のもとに切り裂いたあの魔道具を使えるならば。


「何を期待してるんだ、僕は」


 楽観的な希望に、頭を振る。

 今はただできることを。

 あの魔獣が、どういった考えで人を襲っているのかは分からない。

 空腹のためか、それとも移動経路でたまたま目に入ったからか。それとも虐殺のためか。

 何も分からないが、虐殺のためだというのなら、どの道この街にいる人間は全滅する。

 ならば、それ以外の可能性に賭けて、少しでも多くの人間をあの異形から遠ざけることが肝要だ。

 大通りには人は居ない。

 裏路地はどうか。この辺りは確か職人街。

 偏屈な者達だ。商売道具や依頼を放り出して逃げるわけにはいかない、などと立て篭もっている可能性もある。

 さすがに建物が倒壊してまで残るほどの剛の者は居ないとは思うが。

 だが、そういう偏屈者も中には居るようだ。

 豊かな髭を蓄えた男が一人、喚いてる。


「放しやがれ! 弟子が一人、あの辺りにいるんだよ!」

「だ、駄目です! いくら何でも危険です!」


 取り押さえているのは、豪奢な鎧を着た兵士。領主軍だ。

 近寄って話を聞く。


「どうかしたんですか?」

「誰でもいい、弟子を助けに行ってやってくれ! ようやく一人前になれるって瀬戸際なんだよ!」

「分かりました。事情を聞いている時間もないようですね。任せてください」


 男の鬼気迫る表情に、一刻を争う事態だと判断したレックスは、深くは聞かずに救出を請け負う。

 対象は岩人の少女。

 戦闘現場である広場のすぐ近くに、彼の工房があるらしい。

 そこに取り残されていると、彼は言った。


「レックス……」


 戦闘現場。それを聞いて、足が竦む。

 察した二人が、そっと腕を掴む。


「……ええ、行きましょう」


 この程度で怖気づいてなどいられない。

 あの巨体だ。少し動けば、この街の広場など簡単に崩壊する。

 幸い、広場までは走れば数分もかからない。


「あなた方は逃げて下さい。お弟子さんを無事救出できた時、もしあなたが怪我をしていれば、悲しむのはお弟子さんですよ」


 行動前に一言言っておく。

 神妙に頷いた面々を見て、走り出す。

 魔術の集中砲火から、戦闘音は聞こえない。

 リオはあれで倒れるような相手ではないと言ったが、今の静けさが不気味だ。

 何を探っているのか。

 と、甲高い声が聞こえてくる。

 怖気の走る、四つの声。

 見ずとも分かる。あの四つの上半身が声を発したのだ。

 今までの間が一体なんだったのかは分からないが、さらに急ぐ必要がありそうだ。

 戦闘の動向によっては、自分達も巻き込まれる可能性がある。


「とはいえ、それを恐れていてはいけませんね」


 立ち止まりそうになる脚を奮い立たせ、目的の工房へと急ぐ。

 その最中、戦闘音が幾度も響く。

 水の弾ける音、聞きなれた雷の音、そして大きな何かが弾む音。

 かなりの人数が戦っているようだ。これならば、まだ暫くは時間が稼げそうだ。

 交差する金鎚が模された看板が見える。ここが目的の場所だ。

 叩きつけるように扉を開ける。


「無事ですか!」


 中には確かに岩人の少女が。

 怯えている。無理もあるまい。あの暴虐の気配を間近に感じ続けているのだから。

 さらには戦闘現場もすぐ近く。

 窓の外から、あの異形の姿が多少なりと見える。

 何かあれば、あっさりと巻き込まれる位置だ。


「もう大丈夫です。さあ、行きましょう」


 少女の手をとる。


「うん……」


 心なしか、顔が青い。恐怖のためだろう。

 まともに走れるかどうかも分からない。

 レックスは少女を横抱きに抱える。


「うわわ!?」

「喋ると舌を噛みますよ。あなたの師匠が心配しています。急いで退避します」


 良いなーという顔をする二人だが、レックスはそれに気付かない。

 状況を弁え、表情を改めてアマリは筋力強化の補助を行う。


「三人分なのよ。一気に駆け抜けるのよ」


 アマリの魔力では、効果時間は数分でしかないが、逃げるだけなら充分だ。

 大地を踏みしめ、三人は広場から脱出する。

 その際、後方の異形が弾け、辺りの建物が溶解していく様を目の当たりにする。


「き、危機一髪ね……」


 引き攣った笑みを浮かべ、リオが安堵の息をもらす。

 アマリの呪いがなければ巻き込まれていた。


「助かりましたよアマリ」


 褒められたアマリは、やはり表情は変わらない。

 レックスはその様子に苦笑し、再度駆ける。

 路地を抜ければ、先ほどの職人たちが居た場所だ。

 逃げていれば良いのだが、思ったとおり、さほど離れてはいない。

 あの神妙な顔は何だったのかと思うが、彼等の表情を見て不可解な気持ちを抱く。

 驚愕している? 何に?

 自分達が戻ってくるだけならば、驚くべきことでもない。

 喜びこそすれ、ありえない、という顔はしないだろう。

 一体何が。


「な、あれ、何なのっ!?」


 アマリの声。ここまで取り乱すのは珍しい。見れば表情も強張っている。

 振り返ったその先には、天を衝くほどの黒い稲妻が、地から伸びている。

 それが、自分達のいる方向とは正反対に、振り下ろされる。

 その軌道で分かった。

 あれは剣だ。

 つまりあれは。


「ユキさん、ですかね」


 呟く。

 その途端、辺りに張り詰めていた緊張感が、ぷっつりと途切れた。

 あれほど漂っていた死の気配が、嘘のように消えた。

 倒したのだろう。彼女ならば、ありえない話ではない。

 奥の手は隠し続けておくものだ。あんなもの、常識的に考えてありえるものではない。

 ともあれ、この場は無事に済みそうだ。


「あ、師匠!」


 腕の中の少女が身動ぎする。

 いつまでも抱きかかえておくわけにもいかない。

 極力衝撃がないよう、ゆっくりと下ろす。

 感動の再会だ。邪魔をしてはいけない。

 それにまだ混乱は収まっていない。

 誘導できるところはあるだろう。


「二人とも、次に行きますよ」


 二人を促し、さらなる避難誘導を行う。

 



 全てを守ると青年は誓った。

 何を以て『全て』とするのかは定めないまま、漠然と、あらゆるものを守りたいと、青年は願った。

 だが、その望みは、一度ここで潰えた。

 あらゆるものを守るには、青年はちっぽけな存在だと自覚した。

 だけど。

 まだまだ救えるものがある。守れるものがある。

 彼の心は折れない。

 強大な理不尽に遭遇してもなお、その心は高潔で。

 青年はただただ、守りたいものがあると、奔走する。

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