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閑話・彼の場合2

 青年と妖精は平原を歩いていく。何もないのどかな道だ。

 太陽は穏やかに照っているし、風も爽やかに吹いている。


「こうして見ると、この世界が危機に陥ってるとか思えないな」


 青年はなんとも平和な様子に、落胆したように一人ごちる。


「何事もない地域は、本当に平和そのものですからね」

「そりゃそうだ」


 仮に戦争中の地域だとて、戦線から離れたごく一部の場所だけを切り取れば平穏を感じられるだろう。

 問題は、そこかしこで何事かが起こっているということで。


「しかしそうなると、世界を救うにはのんびり歩いているわけにもいかないよな」


 少し立ち止まり、青年は何かを考えるように口元に指をあてる。


「なぁ妖精さん。空を自由に飛ぶような技術って、この世界にはあるのか?」

「空を、ですか。それは勇者様のような人族が、ですよね」

「まぁな。誰でも何でも良いって言ったら、鳥とか、それこそ妖精さんも空を飛んでるからな」


 第一、生物学上飛べる構造をしたものを技術とは呼ばない。

 青年の言葉に暫し思案する妖精。


「無いと思います。少なくともこの近辺では見たことがありません」

「そっかー」


 言いながら、青年はふわりと宙に浮く。

 目を丸くする妖精に、悪戯っぽく笑い、空中で軽く一回転してから地面に降り立つ。


「空を自由に飛びたいとか思ったんだが。できるみたいだけど、やらないほうが無難か」

「い、今のは一体?」

「んー? 魔法魔法。浮遊(レビテーション)って命名してみる」

「そ、そうですか。勇者様は私達のように自由に空を飛べるんですね」


 驚く妖精を尻目に、空を飛ぶ以外の移動手段を考え始める青年。


「となると、瞬間移動とか、かな? 妖精さん、遠く離れたところに一瞬で移動するような手段ってないかな」


 駄目もとで聞いてみると、しかし妖精は胸を張って答える。


「フェアリーサークルというものがあります。決まった場所から決まった場所へ、という制約はありますが、私達妖精の魔力で動く装置があります」

「へぇ、あるのか。でも妖精にしか使えない装置、な。俺個人で勝手にワープしたら、それもそれで悪目立ちするか」


 しかし使えるものは使ってみたい。

 好奇心を抑えきれない表情を満面に浮かべ、青年は弾む声で尋ねる。


「なぁ、そのフェアリーサークルって、どこにあるんだ? やっぱり、俺が最初に来た場所みたいに、キノコとか石とかで囲まれてるような所なんだろ?」

「見た目は仰るとおりです。一番近いフェアリーサークルは……」


 妖精はそこで辺りを見回す。

 森の位置、太陽の位置、山の姿。それらを総合的に判断して、結論を下す。


「少し街道から外れますが、ここから左手方向に幾らか歩いた場所に一つ。それを使えば、向こうに見える山の先に移動することができます」


 そう言って妖精が指差す先には、高く聳え立つ山の姿。山頂付近にはキラキラと光る飛行物体が見える。正体が気になるが、気にしたところで関係無い。直面したときに考えれば良かろう。

 改めて位置関係を考える。今居る場所からあの山を越えようとすれば、それだけで一週間はかかりそうな険しい山だ。思わぬ近道やトンネルが無ければ、普通の旅人は近寄るまい。


「まともに歩いてはいられないよな。普通はどうやって移動しているんだ?」

「あの山をぐるりと大きく迂回します。それならば道中に宿場も存在しますので。ただ、一月近くかかってしまいますが」

「その距離を、フェアリーサークルを使えば一瞬で移動できるとか、凄いな」


 その移動速度が誰にでも使えるならば、それは一種の革命だ。輸送や何やが一気に解決する。


「お使いになられますか?」


 妖精の言葉に、青年は瞬時に頷く。


「分かりました。ではついてきてください」


 妖精がひらりと飛び、青年を先導する。街道から外れ、道なき道をひたすらに歩く。

 街道とは打って変わって青年の腰ほどにまで伸びた草むらを掻き分けながら進む。


「こういうところだと、変な獣とかが居そうだが」


 青年の心配を他所に、妖精は気楽に答える。


「害獣とて実力差は理解できますよ。勇者様の持つ気質があれば、大抵の害獣は向こうから逃げていきますね」


 獣とて無駄死にしたくはありませんから、と妖精が笑う。

 ――そこ、笑いどころか?

 青年は乾いた笑みを返し、がさがさと障害を踏み倒す。


「お、もしかしてアレか?」


 歩くこと数十分。道が道だったためそれなりの時間を移動したが、距離で考えれば大したものでもない。もし自重せずに空を飛べば、仮に並足程度の速さで進んだとしても、恐らくは半分以下の時間で来れただろう。

 青年の視界の先に、ぽっかりと開けた空間があった。

 握りこぶし大の石が点々と配置され、それは何かの図画のようで。


「ええ。これがフェアリーサークル。私達の移動手段です」


 妖精が図画の中央で止まり、軽やかに宙を躍る。


「よっし、それじゃあ早速やってくれ」


 妖精の導くまま、フェアリーサークルの中央に歩み出る。

 と。


「お、おお?」


 足元が突然、虹色に光る。辺りの風景がぐにゃりと歪み、立っていられなくなるほどの酩酊感が青年を襲う。

 思わず目を閉じ、膝を突く。

 だというのに、脳を引っ掻き回されるような悪寒が止まらない。

 吐き気を堪えて呻いていると、唐突に地に足がついたような感覚が戻ってくる。

 最早違和感は無い。

 恐る恐る目を開けると、そこには先ほどとは全く異なる風景が広がっていた。

 腰ほどまであった草むらは消え、剥きだしの地面が目立つステップ地帯。それが今居る場所のようだ。


「移動、できたのか」

「はい。ここが山向こうの土地です。ここに関してはさほど富裕な土地ではありませんが、もう少し進めば肥沃な大地へと変化します」

「何その偏り怖い」


 山は青々と茂っているのに、土壌は痩せている。しかし少し移動すればまた肥沃な土壌へと遷り変わる。

 フェアリーサークル付近は土地の養分が吸い取られるのか。だから先ほどの草むらもぽっかりと無くなっていたのか。そういや俺が召喚された場所も、森の中だというのに木々が無かった気がする。

 考えれば考えるほど恐ろしい発想に繋がりそうな気がして、青年は思考を中断する。

 移動できたのなら、先に進むべきだ。

 行く当てもない旅だ。世界を救うと言ったところで、危機のもとであるという魔獣とやらは見あたらない。

 ならば前に進めばいい。

 青年は楽観的に考え、目の前の荒野を踏み越えようとすると。


「……ん?」


 前方に土煙が見えた。

 どうやら馬車が何者かに追われているらしい。


「これは助けに行くイベントだよなぁ」


 幸い大した距離ではない。さらにはこちらに向かってきているようだ。


「うっし、行くか。妖精さんも、肩に乗ってついてきな」


 青年は即断し、馬車に向かって走る。妖精も慌てて青年の肩にしがみつく。


「お、これは、おお」


 自らの速度に若干の驚愕を覚えながらも、馬車に向かって突進する。

 ものの数秒で様子が視認できる距離に接近する。


「何だあれ。追いかけてるのは、ゴブリンか?」


 子供くらいの大きさで、しかし体躯は筋骨隆々としており、とがった耳と小さな角、緑色の肌をした人型の存在が居た。

 それだけならば、馬に追いつけるはずも無いような相手ではあるが、目を引くのは彼等の足元。

 狼が、ゴブリンを乗せて走っている。


「珍しいな。いわゆるゴブリンライダーってやつか」


 正式名称は知らないが、青年は自らの知識にある生き物の名前を与える。

 それらの生物が数匹の群れで以って、馬車を追いかけているようだ。

 こちらが視認できる距離まで近づいたことで、馬車の御者も青年に気付く。


「おいアンタ、逃げろ! 殺されるぞ!」


 必死の形相で言う御者の男に対して、青年は不敵に笑う。


「誰が逃げるかよ。折角の初陣だ、派手に行かせて貰おうじゃないか」


 そして青年はイメージする。

 全てを焼き尽くす業火の嵐を。

 目標は狼に乗った人型生物、仮称「ゴブリンライダー」達。

 右手を突き出し、左手で支え、そして叫ぶ。


「ファイヤーストォォォォム!!」


 青年の右手から、炎の嵐が巻き起こる。炎は「ゴブリンライダー」を飲み込み、消し炭に変える。

 馬車が青年の横を通り過ぎたその瞬間、周囲が激しい熱に包み込まれる。

 その衝撃に、馬が驚き制御が出来ず、慌てて馬車を止める御者。

 何とか馬を宥めて後ろを振り返ると、熱波は即座に消え去り、それと共に執拗に追いかけてきていた人型生物もきれいさっぱりと消え失せていた。

 残るは馬車と御者と青年と。

 現状を理解したらしい御者が、青年に礼を言う。


「いやはや助かりました。普段は通らない道を行くものではありませんな」


 青年は軽く手を挙げて答える。


「気にすんな。俺も偶然通りがかっただけだしな」

「いえ、それでも助かったのは事実です。何かお礼でも……」


 御者の言葉に、青年は笑みを浮かべる。


「ありがたい。実は道に迷ってしまってな。食料も尽きてきたし、近くの町まで連れて行ってもらえると助かる」

「そうですか。それならば私も町へ向かうところです。どうぞ乗っていってください。よろしければ、簡単な食べ物ですが、こちらも」


 御者の言葉に従い、青年は赤い果実を手に荷台に乗る。

 口に運ぶと、シャリという食感と共に瑞々しい果肉が喉を通る。

 林檎のような、李のような、なんとも不思議な果物だ。

 乗り込んだ荷台は木箱が幾つも積み込まれ、少々手狭ではあったが、窮屈さを感じるほどではない。

 そこで青年は、ほう、と一息吐く。ここまでうまくいくとは思っていなかった。

 肩にしがみついていた妖精も、ようやく顔を出す。

 これからだ、と青年は小さく笑みを浮かべる。

 街に着いたら次は何をしようかと、青年は異世界の生活に思いを馳せる。

 妖精と他愛のない話をしながら、馬車はゆっくりと街へと向かう。



 青年の旅路は、こうしてゆるやかに始まる。

 青年の望むままに、思うままに、ゆるゆると。


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